柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

葬儀に関するアンケートの続き7

2011年12月28日 | お葬式
NPO法人ライフデザイン研究所は、全国で葬儀勉強会を開いています
ここが主催する勉強会だけでなく
行政、公的団体等が主催する勉強会も受けています

勉強会に参加した人々から、葬儀に関するアンケートを
様々な内容で聞き取っています
生活者の生の声が聞ける、貴重なアンケートなのです


アンケートの質問
現在、どちらかの葬儀社の会員ですか?

はい・・・・・27.5%
いいえ・・・・23.7%
無回答・・・・48.8%


無回答が約半数
会員になっているか?いないか、よく覚えていないのかもしれませんね
特に親がどこかの会員か?は解らないでしょうね

「はい」と答えた方の内訳
(このデーターは円グラフで示されており
 数字データーがありませんので、目安で数字を入れます)
1位・・・・・・互助会(40%くらい)
2位・・・・・・一般葬儀社(30%くらい)
3位・・・・・・その他(20%くらい)
4位・・・・・・生協(8%くらい)
5位・・・・・・JA(2%くらい)

目検討なのですが、互助会さんはやはり多いですね

でも、どこの会員であっても
以前に示したデーターを思い出して下さい
「葬儀社をせんていするにあたり、重視する事はなんですか?」
の質問では

「会員割引制度」や
「互助会」
という答えは7位と9位でした

葬儀社の会員は、一般の方にとって
あまり重要視されていない事が解ります

自分が葬儀社の会員になっている事すら
家族には伝えていない現状が見えてきますね

あらら・・・

会員制度の見直しが必要ではないでしょうか?




気の治療

2011年12月25日 | 不思議
久しぶりに気の治療に行ってきました
色々な地方に行き、葬儀社にお邪魔することもあるので
気づかないうちに、亡くなった人の想いを背負ってしまうことがあります
また、遺族の悲しみに触れると、同じ想いを共有してしまう事も

それで、時々体と気持ちを整えてもらいに行きます
この一年、公私ともに忙しく伺う機会に恵まれませんでした

約束時間より早めについたので
近くで昼食をとりました

その時、ほんの小さな食物が気管支に入ってしまい
苦しくて20分ほど咳き込み続けてしまいました

少し落ち着き始めた時に、『アッ!』と思い出したことがあります

去年の11月半ばに、父は食事を誤飲して脳死状態になり
12月11日に亡くなりました
しかし、葬儀は諸事情があり12月24,25日でした

1年前の今日が、父の葬儀の日です
気管支がむせたのは、ちょうど式をしていた時間です

偶然かもしれませんが、そのことが頭に浮かびました
『思い出させてくれたんだ』と感じました

その話をしながら治療を受けました
治療して下さる方は、神官の修行をされていますが
神様の前でお祓いをするような方ではなく
自分の手を体に触れ吸い込んで下さるような治療です
軽いマッサージを受けているようで、私には心地よい時間です

「柴田さんのブログやホームページを見て
来てくれる人がいるのよ」と言われました

『へー、そうなんだ・・・・』
書きたいことを書いているだけですが
書き込むことへの責任を感じました

私は人は死んでも存在し
生きることは、修行の目的の為
死は体や欲や悪意が不要になり優しい「想い」が存在すること
そして生きている人を想っている
と、考えています

その答えを自分の中に見つけてから
なんだか安心しました

気が付けば、何も知らないずっと前から
私の周りには、不思議とそんな考えの方が多くいます

「気のせい」と言われそうですが
今、スピリチャルは学問として研究し続けられて
その位置を確立しています
・・・私も最近知るところになったのですが

父とは気性が似ていて、生前はぶつかってばかりでしたが
亡くなってからの方が、身近に感じることが多くなりました

帰り際に
「お父さんが黒っぽい着物を着ていらしたわよ」
と言われました

父は生前支度していた紬の着物で旅立ちました

豊島区民センターの対応は。これでいいの?

2011年12月22日 | 世の中
先日、池袋にある豊島区民センターの貸し会議室で
家族葬セミナーを行いました

30名ほどの参加者があり、主催者の方は12時までここをお借りしていたようです

各地で行うセミナーは公共の施設をお借りすることが良くあります

時間厳守が当たり前ですが、最後に行う質疑応答によっては多少時間が過ぎてしまう事もあり
お詫びしながら、急いで片づけて退出することもよくあります

豊島区民センターは12時で午前中の利用時間は終了し、
午後の利用時間は13時からです

たしか12時を数分超過して終了
コートを着たり、挨拶をしていた時です。

ドアから清掃用具を持った人たちが入ってきて
「早く出てくださーい」と大きな声で叫びました

「はいお客さん、立って、立って、早く出て」と言うではありませんか

おまけに手をパンパンパンとたたきながら
確実に追い出し状態です

廊下で挨拶の続きをして、少し情報交換をして外に出たら12時を10分ほど過ぎていました

ということは、会議室を出されたのは12時を少し回ったくらいの時間です

アンケートを書いていた方たちは途中で出されてしまいました

時間厳守は、確かに規則ですが、利用者の追い出しは行き過ぎではないでしょうか?

明らかに上から目線の対応でした

他の区の会議室もよく利用しますが、あの対応にはびっくりで
皆さん、苦情を言いながらの退出でした

豊島区の職員さんですよね、その方たちは・・・
利用時間内は利用者だけど、1分でも過ぎれば、邪魔な奴ら!ですかね・・・・

葬儀担当者は初めから最後まで一人がいい、理由

2011年12月20日 | 葬儀の世界
葬儀社の社員の仕事は、葬儀社によって違います

私が葬儀責任者をしていた時は
葬儀のご依頼を受け、故人を病院へお迎えに伺った社員が
そのままそのお宅の葬儀担当者になります
ご遺体を安置し、打合せをし、葬儀を支度するための発注、企画、施行をし
故人らしさを表現する工夫をし、司会、進行、火葬場同行
初七日司会、ご自宅へ荷物のお届け、葬儀後のアフターサポートまで
一人が中心になって行ないます

大変です
でも、遺族の気持ちの動きや、口に出さない想いや
家族間の関係などが解ります
実は、目に見えないものが葬儀を施行し、進めて行くうえで
とても重要になります

葬儀社によっては、搬送する人
打合せをする人
葬儀の手配をする人
葬儀場を設営する人
葬儀の司会をする人
葬儀式のアシスタントをする人
火葬場に同行する人
葬儀後の後始末やサポートとする人
と全部、担当者が違う場合があります

いいえ、このように担当者が次から次へと
変わる方が多いかもしれません
この方が効率が良い、と考える会社も多く
葬儀をオールマイティーに習得しなくてもすむからです

ほとんどがパートタイマーでもつなげます
その部分だけプロのしておけば、葬儀はできると・・・
という判断です


葬儀を行う
事を進めるめる、という意味では問題ありません
たとえば
葬儀司会者あ葬儀アシスタントをする人たちは
葬儀会館にご遺族が入ればその中で、自分たちが気づいたことには対処できる、と考えがちです

一例でいえば
打合せをした時に、感じた「遺族の親戚への気遣い」を
会館内の担当者に伝えることは、かなり困難な事です
「確実な事実じゃないが、でもちょっと気になった」
それくらいの気がかりを伝えるのは、先ずありえません

その気がかりを打合せで感じた人が、そのまま葬儀を行っていくなら
初めに感じた気がかりが、やがてはっきりした確信になったり
気苦労だったか?と判断することはできます
それによって、遺族を守ることも、顔をつぶさぬ事もできます

≪葬儀を承る≫という事は
式を進行する、という意味ではない、と私は思っています
葬儀と同時に「遺族の後悔しない葬儀」を手伝うのだ、と
思っています
その為の費用を頂戴している
だからこそ、「人件費」「サービス料」のかかる安くない価格だと思っています

ご遺族はほとんど心の内面を出すことはなく
でもデリケートな心で葬儀に臨みます

「この葬儀社に頼んで良かった」というのは
そういう、安心感や信頼感も含めてのことではないでしょうか

葬儀担当者の重要性はここにあります
葬儀社員の質、葬儀社の質ですね



悲しみの訪問

2011年12月18日 | 私の半径100メートル
弔問のために友人を訪ねてきました
喪中ハガキをくれた友人です

新しい仏壇に手を合わせて泣きました
子供の頃の面影が少し残っている写真が飾られています
凛々しい若者になっていました

職場で有望視され、一生懸命に生きた顔が写真に写っています
その前で、いきさつを聞きながら、友人と一緒に泣いて
最近までの彼の様子を聞き
幼いころの思い出を語りました

帰るまでには笑い声も立てました

悲しいけど現実です

友人から
「この子は好きなように生きてきた、初めは事故を恨んだけれど
良く考えたら、すべてをやりきって神様に迎えられたんだと思うの
そうしか考えられない・・・」と言っていました
そして
「彼の職場と住まいに行って、私と離れて暮らしているうちに
どんなに周りの人に愛されていたのか、みんなが教えてくれた
私の知らない立派に育った子供を知った」
とも、言っていました

その言葉に頷いて帰ってきました

一緒に訪ねてくれたのは
やはり以前に娘を亡くした友人です
その人が言葉をかみしめるように
もう一人の子どもを亡くした友人に話しかけてくれました

しばらくは辛い日々ですね

力になりたい、と思います

悲しい喪中ハガキが届いて・・・

2011年12月17日 | 私の半径100メートル
今月の初めに、悲しい喪中ハガキが届きました
差出人は、友人です

長男同士が幼稚園で一緒でした
その子が今年の夏に亡くなったそうです

元気な様子を聞いていたので
本当に驚きました
34歳です

小さいころから個性派の男の子で
わが道を行くタイプです

神社が好きで、とうとう神主になると国学院に進学
熱心な学生で、雅楽も勉強していて
彼の家から毎日異様な音が聞こえると
ご近所から不思議がられている・・
そんなことを笑い話に聞いていました

卒業後は京都の有名な神社に勤め
毎年、各地の霊山にお参りに行っていたそうです

去年、京都へ行ったときに
訪ねてみましたが
九州へ出張中で逢えませんでした

神主さんも出張があるの?と聞いたら
いろいろと教えにいている、とか


急いでかけた電話で事故死と知りました
まだ、納骨せずに家にいると聞き
今日お参りに行くことにしています

どんな顔をして逢ったらいいのでしょう?
慰める言葉もありません

とにかく行ってきます

法事を済ませました

2011年12月15日 | 私の半径100メートル
12月4日に父の1周忌法要をしました
早いものです
もう1年が経ってしましました

前日まですごい風が吹き、お墓の掃除もままならず
綺麗なお花も飛んでしまいそうな天気です

ところが法事当日は、抜けるような青い空で
陽気も温かくて穏やかな一日でした

そして11日は義母の49日法要です
これがまた、いいお天気で温かい一日でした

不思議と法事が終わると
変な充実感がありますね

私はどちらの法事も準備係をしましたが
親族がにこやかな顔で集まり
ひさしぶりに、思い出話に花が咲き・・・
準備した甲斐がありました

父も義母も
とても個性豊かな人だったので
死んでも話が尽きません

「死んでも自分事を忘れないで」と、願う人が多いと言いますが
多少迷惑かけても
個性豊か人の方が、勝ちかもしれませんね

お蔭でいい法事だったとお褒めを頂きました!

真央ちゃんのコメントから

2011年12月12日 | 悲しみのケア
お母さんを亡くした浅田真央ちゃんのコメントを
テレビで聞きました

大切な人を亡くしてすぐに、コメントを出さなければならない、なんて
有名な人は辛いですね
まだ若いのに、自分より周囲への対応が先なのですね・・・

文中に
成田空港に到着してすぐにメールを確認すると、
「ママは頑張れなかった」というお父さんからのメールを見て、涙が止まりませんでした。
それでも、もしかしたら、と思い、名古屋の病院に駆けつけ
何度も「真央だよ!」と叫びましたが、やすらかな顔をしたお母さんは、やはり目を開くことはありませんでした。
と、ありました

死んだと、聞かされても
自分の目で確認するまでは
「もしかしたら・・・」が頭の中を何度もよぎります
 
私の親友も、以前に同じ言葉をいいました
留学先で子供の交通事故死の知らせを受け
現地へ向かう飛行機の中で
「私が呼んだら、きっと目を覚まして起きてくるに違いない」
と、何度も何度も考えたそうです

なんて、けなげで、悲しい言葉でしょう

真央ちゃんはその後に

何度も「真央だよ!」と叫びましたが、やすらかな顔をしたお母さんは、やはり目を開くことはありませんでした。
でも、充分頑張ったし、もう、痛い思いをしないで済むんだ、と思うと、少しホッとする部分もあります。

闘病生活が長くて大変なほど
家族にとって、辛い、痛みを感じさせない「安らかな顔」が
どんなに救われることか

そして
「まだ、信じられない気もしますが、お母さんに今までより近くで見守られている気がします。」
と、書かれています

家族を亡くした人が、死後に
気配を感じる、とか
そばにいるような気がする、と思うのは、ごく普通の事です

実家の母は1年前に死んだ父と、ずっと一緒に暮らしている、と言っています


テレビから流れる真央ちゃんのコメントを聞きながら
同じ言葉を言った人たちを、想い出しています・・・・







ぼたん鍋、美味しいです

2011年12月09日 | 私の半径100メートル
ぼたん鍋、食べました
1年前から、絶対に食べようと思ってました

兵庫県の丹波に行くようになって
ぼたん鍋が美味しいと、常々きかされ
絶対に食べよう、と決心し、早1年が過ぎました

そこでは冬になるとイノシシ猟が解禁になり
お肉が簡単に買えるのだそうです
鍋用の味噌がついているそうで
家でも気軽に、ぼたん鍋が食べれるとか・・・・

実は以前に、イノシシ猟をする人から
お肉を頂き、食べてみましたが
料理法が悪いのか、正直いって
ちっとも美味しくなかった記憶があります

丹波で研修を受けた方が
満面の笑みを浮かべ、幸せそうに
「美味しいですよ~」と言っていたので
「よーし!美味しいイノシシを食べるぞー」と
買える時期を、ずーっと待っていました

抱えて帰って、箱を開けると
とってもきれいな赤みの肉が入っていました
油が真っ白でコシがあります
歯ごたえがあり、美味しかったです
味噌も抜群でした

今回も食べるのに一生懸命で
やっぱり、写真を撮るのを忘れました!

あの肉の綺麗さ、見せたかったなー

葬儀に関するアンケートの続き6

2011年12月05日 | お葬式
NPO法人ライフデザイン研究所は、全国で葬儀勉強会を開いています
ここが主催する勉強会だけでなく
行政、公的団体等が主催する勉強会も受けています

勉強会に参加した人々から、葬儀に関するアンケートを
様々な内容で聞き取っています
生活者の生の声が聞ける、貴重なアンケートなのです

私も生活者向けのセミナーをしていますが
どちらかと言えば、葬儀社向けの研修が多いので
葬儀社にお客様の考えや思いを知ってもらうために
ライフデザイン研究所にアンケートのお話を伺いに行きます

そこで痛感することは
葬儀社がお客様のために、と考えていることが
実はお客様の求めているものではないこと、がわかるのです

葬儀意識のギャップがあるのです

それをわかってもらうために
こちらのアンケートを後紹介せていただいています

今日もアンケートを見てみます

お葬式をする場所をどこと考えていますか?

① 自宅近くの葬儀会館・・・・・・・37.2%
② 公営斎場(会館)・・・・・・・・20.9%
③ 民間斎場(会館)・・・・・・・・11.5%
④ 自宅・・・・・・・・・・・・・・ 8.8%
⑤ 近所の自治会館・・・・・・・・・ 5.6%
⑥ 寺院会館・・・・・・・・・・・・ 3.5%
⑦ 教会・・・・・・・・・・・・・・ 1.7%
⑧ 神社・・・・・・・・・・・・・・ 1.4%
⑨ ホテル・・・・・・・・・・・・・ 0.7%
⑩ その他・・・・・・・・・・・・・ 3.4%


一昔前は、葬式は自宅でするのが当たり前で
葬儀社が会館を持つようになっても
当初は、「家から送るのが一番だ」と考えられていました
どんなに大勢の人が来ても、自宅葬儀に何の問題もありませんでした

今は葬儀自体の規模が小さくなっていますが
アンケート結果では、近くの葬儀会館が1位に上がっています

以前は、葬儀は非常時だから、近所も協力を惜しみませんでした
家の前に花輪が立てかけられても
車を玄関先に止められても、文句は出ません
隣なら、台所や部屋まで貸しました
近所の人達も労働奉仕をして、煮炊きや、案内をくれます

家の造作も変わってきた現代では
親戚が集まっても、居場所がありません

夫が亡くなって、家にいるのは妻だけなら
家の中で葬儀することは容易ではありません

やはり葬儀会館を望むのは、仕方のないことです
それと、遺体を安置を望まない傾向があり
さらに会館人気が高まります

8位にある神社というのは、特別な処でしょうか?
通常は神社で葬儀はしないしきたりです
また9位のホテルでは遺体を安置しない処が殆どですので
お別れ会の事を言っているのかもしれません

地域も、自治会が人手を確保するのが難しく
会館利用を歓迎する向きがあります

葬儀社が会館建設に力をいれるのも頷けますね



アントキノイノチを見て

2011年12月03日 | 葬儀の世界
時間ができたので「アントキノイノチ}を見てきました

キーパーズさんの会社が主人公の仕事場になっているので
遺品整理の現場も知ることができました

主人公のキョウヘイ君はいじめに逢い、親友を亡くし、クラスメイトに殺意を抱き
その後壮絶なうつ病になり、やっと社会復帰を始めるために遺品整理の会社に就職し
そこで、過去にリストカットを繰りかえしていたユキチャンと出会います

二人とも重い過去を持ち、何のために生きているのか解らない、
でも答えを見つけたい若者です。

家族がいなかったり、いても縁が無くなって
死んだ人の部屋を整理しながら、
その人達の暮らしを想像し、まわりの遺族の関わりを見て
生きることの意味を感じていく・・・

そんな内容でした。

孤独死した人たちの遺族は
「遺品の処理には立ち会わない
勝手に処分にして。形見は何もいらないから」
という人が、多くいるそうです

他人には解らない関係が過去にあるから、でしょう
でも、何かの拍子に、家族のきずなを感じる場面もあり
見ている私には、大いにうなずけるシーンでした

痴呆になり始めた妻が、突然介護施設に入ってしまう
夫に迷惑かけたくないから、と

その行動が勝手だと、亡くなった知らせを受けた夫が
妻の部屋で怒鳴り散らす

そこに居合わせたキョウヘイは自分に部屋の整理をさせてくれ、と頼みこむ
「勝手にしろ」とベランダに出てしまう夫

べっとの下から出てきた電話の留守番テープに
夫の「今日は遅くなる」の伝言が何件も入り
たった1件だけ、「ごめんなさい、少し遅くなる」という妻の伝言があった
ベランダにいた夫が、そのテープを聞いて
いきなり電話を奪って抱きしめながら
「なんで、謝るんだ!謝るのは俺の方なのに・・・」と号泣する

家族を亡くした人の気持ちは、単純ではないのですね
怒りがあっても、それだけじゃない

その時になって、自分の知らない想いに、驚かされる
そんな事って、ありますよね

ほんの一場面だけど、私にはすごく共感できたところです

キョウヘイが拒絶していた母親に逢うシーンも好きです
やはり仕事中の遺品から、捨てた子供への母親の悲しい想いを見つけて
自分の心に問い直してみる、

人を憎み切るのはそんなに簡単じゃない
そう感じた映画です