柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

若者を見直してます

2011年03月29日 | 世の中
今日、駅の改札を出たら高校生達が震災の支援金募金を行っていました。
現地でも被災した子供たちが、自ら進んで支援活動をしています。

つい先日まで、若者の考えや行動が理解しがたい、と思っていました。
私は毎日仕事でPCを使うだけです。
詳しくないし、使いこなせません。
いろんなサイトも見た事がありません。
たまたま、見たサイトに今話題の人の事が書かれていました。
痛烈な批判が続き、その先には
死ね死ね死ね死ね・・・と書かれていて。
話には聞くけど、実際に目にしてなんとも言えない気持ちになったばかりです。
人を殺してみたい、とか
死ぬには誰かを巻き添えにして、世間をあっと言わせたい、とか
理解しがたいセリフを、当たり前のように流れ
もう私たちの言葉も気持ちも通じない人達で、世の中が作られているのか
そんな空恐ろしい気持ちなっていました。
良い事を真面目にやるなんて、今時かっこ悪い事なんだろうと思っていました。

今回の震災は、余りに過激な出来事で
あっという間に全てが無くなりました。
この先が全く見えません。
家も、財産も、仕事も、家族も、友達も、何もかも無くして
この先のどう生きていくのかさえも解らない
その時に若者が起こした行動は、胸を打つものばかりです。
今の子は実はこんなにピュアなんだ、と思い知らされました。

今の私は自分の気持ちが整理しきれずにいて
未だにウロウロしています。
自分だけでなく、母や兄弟も同様だと思います。
それだけに画面から眩しさを感じています。

人には悲しみを乗り越える力がある

2011年03月25日 | 私の半径100メートル
東北地方太平洋沖地震から2週間が経ちました。
横浜でもこの地震は、いつもと違う不気味な長い揺れでした。
もう少しで終わるはず、と自分に言い聞かせてましたけど
途中で、もっとすごい揺れに変わるのではないか・・と不安でした。
後で現地の様子をテレビで見て被害の大きさに驚きました。
更に、その後にきた津波の映像は
余りにリアルで恐ろしかったです。
その場にいた人たちの恐怖は、想像もつきません。
それうえ、目の前で津波に巻き込まれる人がいても
助けられないのですからやりきれなくて辛くて苦しかったと思います。
ただただテレビの画面を見入っているだけの自分でいいのだろうか、と心苦しい気持ちです。
その後も街中が火の海になり、石油タンクの炎上、
そしてどんな影響を受けるか予想もできない原発事故の報道が不安をあおります。
現地は余震だけでなく、食事や寒さや病気や将来の生活や、家族の安否など
数えきれないストレスが重なり、本当に大変な事だと思います。

それとは、とても比べものにはなりませんが
私の所でも、変化がありました。
東京に住んでいる母を説得して、横浜に避難させて10日ほど経ちます。
当初は「私は1人で大丈夫。早く帰る」と言ってましたが、今は「もう少し様子を見る」に変わりました。
実家は、ビルの9階にあり揺れも大きく
留守の家の中がどうなっているか心配だといいます。
また母にとっては、自分が来た事で子供に迷惑かけたく無い、と言う思いがそれ以上に大きいのです。
その母が、時間がたつにつれ、電話で知人に
「1人で揺れているビルにいるのは、とても怖かった」と話す様になりました。
少し落ち着いて本音が出せるようになったのかも知れません。

父が亡くなって葬儀が終わる頃から母の気持ちが不安定になり
私たちと心を通わす事が困難な日々が続いていました。
勘違い、思い込みで自分1人が孤立していると母は考えるようになっていました。
父の死を自分のせいと、思い込んでいたのも一因だと思います。
ずっと母を支えてきた私たち子供や孫にとっても
母の突然の変わりようは理解しがたく、心を痛めていました。

私たちとの関係に、距離を置いていた母が
震災に会あい、突然家族を亡くした人びとの悲しみを画面から触れ
自分より大変な人がいる、自分と同じ悲しみを持つ人がいる、と
気持ちを共有したのでしょうか?
母の言動が変わってきました。
「迷惑をかけたくない」と言わなくなり、頼ってくれるようになりました。

表情も言葉使いも行動も、以前のように穏やかで優しくなっています。
自分の悲しみより、人をいたわる気持ちを取り戻してくれた様な気がしています。

家族の死は心の中を気付かぬうちに傷付けます。
でも、きっと立ち直っていくものです。
周りの応援が有れば、さらに頑張れるはずです。

母もこれから、まだまだ辛い時間を迎えると思いますが
少しずつ乗り越えるがうまくなるのではないでしょうか。




遺体の状況は、どっちがいいのでしょうか?

2011年03月23日 | ご遺体のケア
父の葬儀写真を整理しています
当日はカメラマンが沢山いたので、手元に多くの写真が集まっています。

写真の中に、葬式の時に気付かずにいた会葬者を見つけて
「あら、来ていただいたのに知らなかった、ご挨拶したかった・・・」なんて思い返してます。

父の遺体写真も沢山ありました
葬式写真では遺体をリアルに写さなよう、気をつけていましたが
今回はどの方が撮った写真にも父の顔や体がはっきり映っています。
顔のアップ写真も数多くありました。

エンバーミングをしていただいたので、まるで寝ているようで
写真を撮る方に、抵抗感が無かったのでしょう。


エンバーミングの効果には「遺族への癒し」があります
遺体が口をあけていたり、目がひらていると
安らかさは感じませんし、少し怖いような
情けないような、複雑な気持ちがします。

そう言えば過去に
「花入れが嫌、遺体の顔が怖くて見れない」と言ってた人もいます。

長年の痴呆状態は顔つきが変わりますし
癌での死亡は骨の形状が解るほど、異常に痩せています。

「こんなに変わってしまって・・・」と感じるのは遺族にも参列者にも辛いものがありますよね

特に事故などで傷ついた場合は、私は絶対にエンバーミングをおすすめします。


一方、
現実には、死ぬ時は体が衰えて行くものです。
また死んでからも体は腐敗が進み、その変化を目の当たりに見るから
死を受容できる、という意見もありますよね。

どちらも正しいと、今回の父の葬儀で実感しました。

父は脳死状態が25日間ありました。
ベットで管だらけになった顔や体はとても苦しそうなのに
表情のない父を無機質に感じましたし
死を感じさせる顔だったような気がします。

死後に、背中の床擦れのひどさを知り
それでも痛がらない父は、すでに体が死んでいたに違い無いと思いました。

しかし
死後に行ったエンバーミングの効果で、父は数年前の元気な頃に戻りました。

ここ数年「ずいぶんと死を取ったね、骨と皮だけになっちゃって・・・」
と、会うたびに父の衰えを見て愕然としていましたが
棺の中の父は綺麗で威厳がありました。
最後のお別れに来て下さった方には
そんな父と会ってもらえて良かったと思っています


今回の父の葬儀で
衰えて死を感じさせる遺体と
エンバーミングで綺麗になった遺体と
どちらも体験する事が出来ましたが
最後はどうなるべきか?と尋ねられれば
・・・私は、やっぱりエンバーミングをすすめると思います。



スタッフ理念のある葬儀社発見!

2011年03月19日 | 葬祭スタッフ
先週になりますが、新しく出来た家族葬専門式場を見学してきました。
横浜の鶴見駅近くにある『ダビアスリビング』です。
ここの特徴は、リビングにいる雰囲気で葬儀式が行える事です。
広めの居間が有れば、少人数の葬式は十分にできますよ、と言う事です。
キッチンやバスルームがあり故人と一緒に過ごす時間がたっぷり取れます。
造作は和風でモダン。
色調はベージュとダークブラウン系でお明るい落ち着き感があります。

ここのスタッフ理念は「あなたにとって必要な時にいつでも、なんでもお手伝いします」です。
気付いてくれるスタッフは基本要素だけど、お客様が頼みたい雰囲気を作ることは
かなりの技量が要ります。
オーナーは式場の形より、そこを重視した説明を熱く語ってくださいました。
葬儀をする、という事は物を支度する事では無く
結局はそこに関わる人の気持ちに接する事なのだと思います。

こういう説明を聞いたら、私の心も熱くなります。

そしてそれを、若手の女性スタッフに任せようとしています。

オーナーはこの方を育てる努力をこの1年、ずっと続けて来ています。
そしてこの式場を準備されました。

嬉しい事に、私もこの方をほんの少しだけ教えた事があります。
私が講師をしている葬儀の専門学校の生徒です。
是非、頑張ってほしいものです。


古いアルバム、見てください

2011年03月15日 | 不思議
古いアルバムの効果を知ってますか?

母と過ごす時に、古いアルバムや写真を見るように心がけています。
母の気持ちが不安定な時に会話が難しくなることがあります
母の気持ちをほぐす手段の一つですが古い写真をみます。

古い記憶はかなり鮮明で、会話はよどみなく進みます。
特に自分の両親や兄弟の写真は熱心に見ています。
また父との結婚当初の写真、私たち子どもの幼少時代も
母の興味が増すようです。
虫眼鏡を片手に食い入るように写真をながめ手は、私に説明をします

一緒に見ている私にとっても、すっかり忘れていた過去や
知らない世界が広がってきます

こんなにもいろいろな時間を過ごしてきたのかと、不思議な気持ちです。
自分の人生は、平凡で大した事もない、と思っていましたが
なんと多くの人に抱かれて、手を引かれて、寄り添って、過ごしてきたのかと
写真が証明しています。

実は私は今月還暦を迎えました。
60年はあっという間、と思い込んでましたが、こんなに笑っている
自分があったのかと、改めて感じます。

きっと母も同じことを感じていると思います。

以前、グリーフサポートの研修で
橋爪謙一郎先生は、
『淋しくなったら、昔のアルバムを見ると良い。いかに自分が家族に愛されて育ったか
きっと、再発見できる』と言っていました。

本当にそうです!
写真を時々見直してみてください。


毎日、地震の報道で現地が映される度に
・・・震災で家族、親戚、友人を亡くし、家も
そして写真も失ってしまった人たちが大勢いらっしゃるのだ・・・と痛感します。


地震の被害に驚いています

2011年03月13日 | 世の中
11日は用事に追われていました
翌日の百か日法要と納骨の準備で
花屋さんへ行き、寺に確認と挨拶に行き
墓を掃除に行き、
ついでに仲間入りする父の事を頼みに
義父と伯母の墓参りに行き
さて、これから
義母の老人施設に顔を見に行く為
車に乗って1分後に東日本大震災が起きました。

私の家は横浜の八景シーパラダイスの近くにあります
駅の近くで、ひと山超えると海に出ます
地面は岩盤なので震度3くらいでは気がつかない事もしばしば。
この時は、車のラジオで地震を知りすぐに停車しました。

長い揺れでしたね。
すぐに停電になり信号は点かなくなりました。

義母の老人施設は大きいから、きっと大丈夫。
実家の母は1人でいるので気がかりですが連絡は取れず
夜10時過ぎにやっと電話が通じました。
意外と元気で「これからご飯を炊く」と言ってました。
これからどうなるか解らないから・・・と。

夜中に弟と連絡がつき、12日の法事は延期しました
お寺の住職も、本山から戻れなくなっていました。

停電が10時過ぎに直り、それからテレビにくぎ付けです。
時間と共に被害の大きさが見えてきて、
大変な事になっている!と知りました。

子供達も東京の職場から何とか自分の部屋に帰ってきました。

大きな被害を受けた上に
地震で家族と連絡が取れない方、遺体があるのに収容できない方など
どんなに辛い事でしょう。

せめて寒さや食事だけでも不自由無いように出来ないものでしょうか。
テレビで見てると、「こんなこと出来ないのかな?」と思ってしまいます。

それに付けくわえて、原発の被害も出てきました。
これは、この先どうなるのか?まるでわかりませんし。


明日から皆が仕事場に戻りますが、地震の震源地が移動をしていますね。
今度地震が起きたら、それも東京に近いところで、、、
一体どうなるのか、恐ろしくて想像することもできないです。



老いじたく練習帖

2011年03月06日 | お葬式
奈良にオフィスシオンという家族葬専門の葬儀社があります
そこの寺尾社長が「老いじたく練習帖」という本を書きました。

最近では葬儀の本は、売れ筋とか・・・
確かに本屋さんでも葬儀関連本が多くなりました。
こんなに!と思うほど並んでいますね。

寺尾さんは葬儀大好き人間。
研究熱心だし、熱いハートと行動力が尋常では有りません。

よく働く優秀なスタッフも揃っていて
葬儀施行はすっかりスタッフに任せて
何やら、葬儀業界の将来を見つめて動いています。

寺尾さんが今回書かれたこの本は
きっと多くの方の参考書になると思いました。
細かい分類で気付きにくい所まで書かれています。


*過剰な演出は「不要」と明言しよう、
→そうなんです。私もそう感じています

*理想な葬儀は葬儀社の担当者選びから
→まさしく、勝負はここにあり、です
 人材力と言うか人間力というか、それにつきます

*葬祭費用はどうやって確保するか
→金額だけじゃなく、どう準備したらお得か?
 私もお得な方法ばかり考えてます

*祭祀継承者を選び、継承者の希望を考慮する
→いつも、死ぬ人の希望場ばかりが叫ばれて、
 死後の面倒見るのは、生きてる人間だぞ!そう思います


などなど、興味深い内容が一杯です。

更に一番最後に
「立つ鳥、跡を濁さず、生前契約のすすめ」とあり
私が取り組んでいる事も載っています。

中経出版から出ています。
おすすめ本です



母の独り立ち

2011年03月02日 | 悲しみのケア
実家の母の1人暮らしが始まりました。
もともと、夫婦二人で暮らしていましたが
父の介護が必要になった昨年の10月頃から
絶えず誰かが泊まっている状況でした。
父の葬儀後も、気になってしばらく一緒に生活をしていましたが
今年になってから、私の娘が実家に泊まり込み
そこから出勤してくれました。

この孫娘は、仕事が忙しくて週の半分は深夜の帰宅です。
早く帰宅した日は一緒に食事をして、おしゃべりを楽しむ様です
孫に口紅をプレゼントされ、とても気に入って
母は友人に同じ口紅をプレゼントしました。
マニュキアも否応なしに、付けられていたみたいです。
孫の洗濯物に「変な格好の服なのでどうやって干したらいいのか?」と
悩んでいました。
若い子との生活は、そう悪くは無かったようです。

娘いわく、会話の多い時は母はとても話の回転が早くなり
忙しくて3日ほど話す時間が取れないだけで
母の会話も言葉が少なくなり反応が遅くなる、と言います。
父の死後、母の様子は、驚くほど変わりました。
一挙に年をとり、理解を超える言動も見られます。
死の悲嘆からなのでしょうか?

もう、そろそろ1人に慣れないと、という母の言葉を信じて
娘は昨日実家ら引っ越しをしました。

娘達はきついし口うるさいし、と思っていた矢先でしょうから
孫娘の優しさは、心底嬉しかったみたいです。

結婚以来、初めての自由気ままな時間です。
楽しんでくれる事を願います。