柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

子供に教えたい人の死

2010年03月29日 | 
近年、直葬が流行っている。色々な理由があるのは解るが
私は葬儀はすべきだと考える。
先日、祖父は親戚や親しい人の参列を受け葬儀をした。
祖父はさぞかし喜んでいたと思う。
その葬儀を通して「死とは消えて無くなることではなく
旅立ちだ」と感じた。
そう捉えることで残された者は故人の死を受け入れ
いつもの生活に戻ることが出来る。
その手段として葬儀は欠かせないものと考える

今日の新聞に投稿された20歳の女子大生の記事です。

葬儀からこんな感じを得る事は
きっと、形式を追う葬儀ではなかったのだと思います。
おじいさんを惜しむ人の姿がはっきり見えたのでしょう。
悲しみながらもおじいさんの姿が変わっていく過程を
見つめたのでしょう。

最近では、近所のお葬式に子供を連れて行く姿が見られなくなりました。
子供たちが葬式に出るのはごく一部の親戚の葬儀だけでしょう。

葬式を知らない子供が増えています。
以前、地元の中学生が職場見学で葬儀社に来たことが有ります。
そのときに気がついたのですが
葬式に遺体があることを子供たちは知りませんでした。
祭壇があって皆が写真に向ってお参りをする所だと思っていたようです。

これでは、人が死ぬことを想像することも困難でしょう。
死んだという実感は持てないでしょうね。

近所のお葬式は子供に死を教えるいい機会です。
でも、今の葬式では会葬に行って、故人を見る場面は
告別式の出棺前しかありません。

前に読んだ本に、小さい子供を残して死んだ父親は
自分の死を子供の友達に体験させようとある試みを家族に託したそうです。
牧師の協力の下、子供たちを葬式に招待して人が死ぬことを説明したそうです。
そして嫌でなければ遺体の側に行き身体を触ってもかまわない。
どんなことを聞いても構わないと子供たちに話したそうです。
子供たちはとても真剣にこの体験をしたそうです。

今、いとも簡単に人を死に追いやる世の中になってしまいました。
特に子供たちは人を傷つけることをなんとも思っていないような
悲惨なニュースを目にします。
いいえ、子供たちだけではなく大人も同じですね。

赤ちゃんが生まれて来るところを子供が見て
お母さんや赤ちゃんを思う気持ちが変わるように
身の周りのお年寄りが亡くなるのを見つめ
人がやがて死んでいくことやその時に周りの人がとても悲しむことを
教える事も大切なことだと思います。

お茶が余っています。

2010年03月22日 | 葬儀の世界
昨日はお返しを2ヶ所から頂きました。
1つは快気祝いで焼き海苔を
もう1つは香典返しでお茶を。

この年になると身の回りで入院したり
亡くなったりが多くなります。

今年の天候不順は体調面にも大きく影響したのでしょうか?
特に多いように感じます。
そして、頂くお返しの品は殆どがお茶です。

我家は夫婦2人。
いくら励んで飲んでも、使い切る事は至難の業です。
いつも賞味期限を過ぎたお茶を飲んでます。

知り合いに譲りたくても先方もお茶は余っているようで
なかなか、引き取り手が有りません。
うーん、困った。

やっぱり、葬儀社のお返しは偏っています。
葬儀社はもっと、品選びを考えないと!

お茶が悪い訳ではないけど
困るほど貰ったら「もう、たくさん」という気持ちになるでしょう。

相変わらず、お客様目線じゃないんですね。

喪主になる方ももっと葬儀社に要望を出してください。
葬儀社の差し出すカタログでは
きっと品選びが出来るほどの商品が無いのだと思います。

やたらに品数を揃えている葬儀社もあるんですが
残念ながら、欲しいなー、いいなー、と思える商品は
少ないんです。
同じような品が並んでいるだけ・・・

その事に気がつき始めた葬儀社さんは
返礼品を変え始めています。
お客様の満足を最優先に考えています。
利幅が少なくっても喜ばれる物を探し始めている
葬儀社がチラホラ出てきました。



香典のお返しは、ご遺族からのせっかくのお心使いだから
無駄にならないようにして頂きたいものです。

セリの季節です

2010年03月17日 | 私の半径100メートル
春ですね。
毎日のようにセリが食卓に出るようになりました。
早起きの主人が山へセリ摘みに行くからです。

毎年、この時期は山菜摘みをしています。
私は寝ていますが。
私はそういうことが苦手なので。

スーパーで買ってきたセリは「匂いが無い」と言って食べないので
(私は食べますが)それ以後買っていません。
セリは採って食べる物なのです。
蕗、山椒、のびろ、三つ葉も朝起きると台所に並んでいます。

そのほかにも買わない食材が有ります。
アサリ。
近くの海で美味しいアサリが採れるのです。
これは確かに買ったのとは味が違います。
アサリ堀も主人の楽しみ(私はこれも苦手)
以前はワカメも牡蠣も取れたんですけど・・・

一体何処に住んでるの?と不思議でしょう。
品川から特急で40分、金沢文庫と言う所に棲んでます。
ここはれっきとした横浜市です。

この地の人は皆、山や海で食材を採るのかと思ったら
どうやら、我家は特別みたいです。

うちに来たお客様は
「いいね、みんなただの物ばかりで!」と毒づいていきますが。
確かに一理有り。

飽きもせず、毎日山へ出かけています。
暫くはセリが続きそうです。


人の優しさを受けますか?

2010年03月14日 | 世の中
葬儀勉強会の後、女性ばかり6名で食事をしました。
時間に都合がついた人だけですが、楽しいミーティングになりました。

話題の中で「厚意を受ける」話しに花が咲きました。

勉強会の中で香典辞退の話しをしたのがきっかけです。
家人が死んで他の人に迷惑かけたくないし
自分の処は香典を貰わなくても葬式はできる
だから、香典を辞退したい
こんな風潮が目に付きます。

人の人生の節目は
結婚、出産、お宮参り、七五三、入学式、成人式、
就職、新築、誕生日、還暦、米寿などなど
病気見舞い、火事見舞い、法事・・・まだまだ思い出せば出てきそうです。

人生の中で人に祝ってもらったり
気にかけてもらったり
そんな付き合いがあって(多少面倒なことがあっても)
人の心遣いを感じるのではないのでしょうか?

そして、人の死は人との付き合いの中で
最も大きな事柄になるのではないですか?

死への香典は不自然な行為とは思えないのですが・・・
どうして、このときばかりに「辞退」となるのでしょうか????

皆で食事をしながら、それと近い話しが出ました。
子供が出来ると知り合い同士でもお祝い事の交換が有ります。
少し先輩の人から一言「お互い様だからそんな事しないで」と提案。
その家の子が年長なので、誰よりも先にお祝い事が出てきます。
馬鹿正直に真に受けて過しましたが
我家の子供も祝い事がある年になりました。
するとその先輩からお祝いが来たのです。
「いいのよ、お互い様でしょう。心配しないで」と伝えたら
「私は、ちゃんとお祝いをしてあげたいと思っているのよ」といわれて
「えー!何それ?」と困惑したことが有ります。

自分のときは迷惑かけるのは嫌
でも自分は人に厚意を示したい、って事ですか!って
それを聞いて、少し怒りが・・

すると他の話しで
あるご婦人が妹さんから喜寿のお祝いを貰っていたので
妹が喜寿になった時、お祝いをしたら
「とっても世話になったからお礼のつもりでお祝いをあげた。
だから、私はお姉さんから貰うつもりはない」とお祝いを返してきたそうです。

この話しも何だか聞いていて複雑な気持ちになりました。
そのご夫人は思いがけずに頂いたお祝いをとても嬉しく思ったのでしょう。
だから妹さんがその歳になった時に同じように喜ばしたかったのではないでしょうか?
何だかそのご婦人が可哀想になりました。

一緒に食事をしていた方が
「実は私も人には親切にしたいけど自分がしてもらうのは嫌いだった」
と話しをし始めました。
しかし、彼女は巡礼に出た時その考えが変わったそうです。
ある場所で、高校生から500円を渡されたそうです。
「これで冷たい物でも召し上がって下さい・・・」と
彼女は驚いて「いりません。結構です」と返したそうです。
するとその娘は「もらって頂けないと私が父から叱られるます。
巡礼の方を見かけたら、必ず厚意をかけるようにといわれています」
と答えたそうです。
その夜に、食事の席で彼女は他の方にその高校生の話をしたら
「今時そんなに素晴らしい躾をされてる家庭があるなんて
日本の優しい心が残っていますね。巡礼は人に心をかけてもらい
又人に心を心をかけていくものだ」と教えられたそうです。
それ以来、彼女は人の好意に甘えることを覚えたそうです。

そう言えば
電車の中で、席を譲られて断っている方を見かけます。
にこやかにだったり、ムッとしたりしながら。
どちらにしても自分より若い、又は元気そうな人から
席を譲られたのなら、受けてもいいのではないかしら?
席を有難う、というより
気遣ってくれて有難う、という意味で。
その人は少なからず心の中で
瞬時に判断してか迷ってかは解らないけど
勇気を持って行動したのだと思うから。
その気持ちを汲むことも大事では?

「葬儀勉強会」から思いがけず
素敵な話しが聞けました。


やって良かった「葬儀勉強会」

2010年03月12日 | 葬儀の世界
心配していた天気も回復し「葬儀勉強会」の当日は晴天。

遠方の奈良、愛知、長野からの参加者も無事到着。
仙台の方は、仕事の都合で欠席。
次回参加に延期しました。

総勢15名の皆さんとの3時間はあっという間に過ぎ去りました。

事前相談とは
葬儀を近い将来にする可能性のある方に
この葬儀社なら安心して頼めそう!と
感じて頂くのが重要です。

自社の葬儀価格や手順を教えるだけなら
どちらでもしている事です。

今回の勉強会は、相談後に
「あなたに担当して貰う事はできますか?」と言っていただけたり
「この葬儀社の社員はきちんと教育されてるなー」と
感じてもらえるような勉強会をしました。

担当をされている方だけでなく
相談窓口にいる方や
墓苑の総務をされている方(この方はお墓参りに来る方が休憩しながら
葬儀の相談をしていくそうで、毎日のように相談を受けているそうです
墓苑でも人の対応によってはこんなに頼られる方もいるのですね)なども受講。

最後に頂いたアンケートから
勉強会は役に立ったは100%
又受講したいは100%(但し、内容により、時間が合えばが各1名ありました)
でした。
やって良かった!と一安心です。

葬儀を担う人に有意義に働いてもらいたい、と
願っていますが
今回の勉強会で、私も勇気を沢山貰いました。

急な仕事で中途だ帰られた方が1名。
ご丁寧に手紙を書いていかれました。

この仕事ならではの光景です。




葬儀スタッフの為の「葬儀勉強会」のお知らせ

2010年03月11日 | 葬儀専門学校
3月11日まで新規ブログは次ページになります


葬儀は究極のサービス業である。それには無類の優しさを提供する」を葬儀理念に
葬儀の現場に立ってきました。
そこで得た体験をお伝えしたくて、長年考えてきた「葬儀勉強会」を開催することにしました。
葬儀社の方、一緒に勉強しませんか!

オフィス・シバタの葬儀勉強会

第一回 『来てよかった!と感じる 事前相談』

葬儀スタッフは、優しくて、人の役に立ちたい人が多いのですが、
その良さが充分にお客様に伝わるのは、大変難しいことです。
「葬儀勉強会」に参加しませんか?
気付きが一体何なのか、
話し合いやロールプレイから学び、「葬儀力」をUPしましょう。

日時  3月11日(木)友引  9:30~12:30
会場  渋谷フラッグ7階G会議室 東京都渋谷区宇田川町33番6号
定員  20名
費用  ¥10,500
お申込 メールで申込をお願い致します
    申込受付後に、詳細をご連絡致します
    Eメール sbt-mn@s7.dion.ne.jp
    (昨日までのアドレス記載にミスがあり、訂正しました)
 

    お申込み内容  参加者氏名
          会社名
          住所
          TEL
          Eメール

ご相談者はすでに「死」と隣り合わせの状態です。
この場面からグリーフケアが始まります。
相談者の心をつかむのは、優しさだけではありません。
情報提供、説明力、会話力なども重要ポイントです。


葬儀の工程はいくつかにわかれています。
その場面ごとに学べるように、オフィス・シバタの葬儀勉強会は、各地で開催を予定しております。
社員の気付き教育にぜひ、ご活用ください。

【葬儀勉強会の内容】
   *「搬送以来の対応」「遺体安置と処置」「葬儀打ち合わせ」
    「通夜・告別式の気遣い」「葬儀後の対応」等の勉強を予定しています。

*今回不参加の方でも、「葬儀勉強会」のお知らせをご希望の場合は、メールにて
 「葬儀勉強会」の案内希望・会社名・担当者名・住所。電話・Eメールをご連絡ください。

エンディングデザイン・コンサルタント オフィス・シバタ

「葬儀勉強会」が始まります

2010年03月10日 | 私の半径100メートル

3月11日
オフィス・シバタの『葬儀勉強会』を開催します。

初回は事前相談です。

今まで数社の葬儀社でこのセミナーは行なってきました。
その都度、大変好評を得ているセミナーです。

今回はテキストを再作成し、とても中身の濃い内容になったと思います。
その為、ブログの書き込みも間が空きました。

初めてにも関わらず関西、中部、東北地方からも参加が有ります。
あいにくの天候不順で、きていただくのに申し訳ないようです。

この準備をする為に自分の中で、新たに葬儀の意味を再確認が出来ました。
コンサルタントになって丸4年がたちましたが、その間に葬儀は様変わりし
自分の考えも枝葉が伸びてきました。

初めてのご縁を持ってくださった方々に感謝して本番に臨みます。

香典辞退を考える

2010年03月05日 | お葬式
香典辞退のことを色々と調べてみました。

昔は人が死ぬと周りの人たちが、すぐに集まって葬式の準備をしたのですね。
葬儀の段を作ったり、家の周りのしたくも、知らせも、食事の賄いも
全部、地域の人がしてくれたのです。
ついこの前まで、首都圏でも近所の女性が買い物から遺族の食事作りから
通夜の振る舞い料理まで作っていました。
私も手伝いに行ったことが有ります。

その昔は葬式の費用が大変だから自分達が飲み食いする物だけでも
持ち寄ろうと米や野菜や酒を持ってきたそうです。

暫くすると、葬儀社が葬式の設営や準備をするようになり
近所の労力はそれほど要らなくなったようで
その代わりにお金を出す「香典」が定着したようです。

日本人はお祝い事にもお金を包みます。
そしてお返しは半返しか3分の1返しです。
それは、人が厚意でくれた物を全額で返したら申し訳ない
気持ちはありがたく頂いてせめて少しだけでもお礼をしたい
という事だそうです。
昔の人の奥ゆかしさや喜びや悲しみも共に付き合う知恵なのですね。

親戚の香典が高いのは
葬儀にはその日払いが多くてすぐにお金が必要で
そのため、親戚がお金を多めに持ち寄って
遺族を助けた、と言うことなのです。

やがて日本の経済状態もすこぶる良くなり
社葬が出てきます。
社葬は会社の経費で賄いますので
香典は普通は受取らない処が多いのです。
それを「きちんとしたところは香典が無くても葬式が出来る」と
間違った解釈をした為
「我家は香典は無くても良い」と広まったようです。

その上、今までの葬儀を批判す世情も有り
葬儀は簡単なほうが良い
香典を貰うのも、お返しをするのも面倒だ!
という考えも出てきて
益々、香典辞退の地域は広がったようです。

香典を出す側からすれば
お返し期待して出す人は少ないでしょう。
「まあ、知り合いのあの方がなくなった、お葬式に行かなくちゃ!」と出向くと
日本のお葬式は礼状と会葬のお礼にと品が必ず配られます。
場所によっては料理も振舞われます。
来た方への遺族のお礼の現れです。
すると会葬に行く者は
あれだけ色んな支度をするのだから
少しは役立ててもらえれば・・・
という故人への弔意(故人を惜しむ気持ちを表したい)と考えるのは
理解できます。

香典辞退と聞いても
一応、受付まで香典を持参する人は多くいます。
やっぱり心もとないのでしょう。
香典がダメなら、お花や供物にしようか?と迷う人も沢山います。

香典を辞退しても会葬のお礼の品や料理を無くす葬儀は有りません。
と言う事は、葬儀の費用負担が大きくなるのです。
香典辞退の地域の中では
普通の葬儀をしたくても経済的な問題から
人に知らせない葬儀を選ぶ人もいます。

香典は葬儀の負担を軽くする為の日本人の知恵だったんです。

段ボール屋の箱入り娘

2010年03月02日 | 昔むかし
段ボール屋さんの典子ちゃんは箱入り娘でした。
そういえば、小さい頃段ボール箱の中に座らされて撮った写真が有ります。

父方のほうでは初孫で、可愛がってもらいました。
この写真は7歳の時で日本舞踊の初舞台の写真です。

父は子供にとても大きな夢を抱いている人で自分の思い通りに育てたかったようです。

私のうろ覚えの記憶では、ある日突然家に着物を着た男の人が来て
部屋に呼ばれました。
その人は踊りの先生で、父の知人の家に出稽古に来ていた方です
そこのお嬢さんがとても踊りが上手だそうで
父の頭の中にはすでに私が踊っている姿があったのです。

その部屋で、凄いことが起きました。
いきなりレコードが流れて先生に習って父が踊りだしたのです。
確か洋服のまま、なよなよと踊っていたと思います。
踊りなどしたこと無い人がです。
そして私に
「とても楽しいからお前も一緒に日本舞踊をやってごらん」と言ったのです。

見ていて父より私のほうがきっと上手に踊れると思い、まんまとその罠に
かかってしまいました。
私はてっきり、父と一緒にお稽古をするものと思い込んでいましたが
翌週から先生が来ても私1人がお稽古をさせられて
騙された!とわかりました。

でも2年くらいで踊りはやめてしまいます。
そうです。
典子ちゃんはとても飽きっぽい子だったのです。