柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

コンビニの社員教育って?

2011年02月24日 | 
今日 コンビニに入った途端、びっくり!
大きな声で「いらっしゃいませーー」って、怒鳴られた???
そんな気持ちになってしまいました。
若い男の子がカウンターの中で5人くらい固まって、挨拶の練習です。

大きな声を出せ!!と言われてますね、これは。
ドキっとしたし、入り口で見張られているようで怖い感じ、

レジをするときに、女の子の話が聞き取れない、入り口の挨拶がうるさくって。
それと反比例するように、レジの女の子は蚊の鳴くような小さな声で話すし・・・・

これって何?
状況みて行動取れないのかな?
近くに指導している先輩がいたのだろうけど、まるで解ってない、お客様の気持ちが。
きっとどこかでマニュアルの解釈が低レベルになったに違いない。

そう言えば
前に行った食事の店も、やたらと店名を叫んでました。
一定の間隔でフロアーにいるスタッフが、叫びます。
これもどうかと、思う。

自己満足で接客しないで欲しい、とブツブツ言いながら帰ってきました。

卒業研究は無縁死

2011年02月21日 | 葬儀専門学校
駿台トラベル&ホテル専門学校、葬祭マネージメント学科で
毎年葬儀の通夜、告別式のスタッフの動きや気付きを教えています。
入学して半年経ってこの授業をします。
まだ葬式の流れも良く解らず、何を教えても驚きの連続・・・
そんな生徒達ですが、その4ヶ月後には卒業研究を発表します。
多分、苦労して準備したのでしょうが、意外にも頼もしく見えてきます。

今回は無縁死についてのワークショップでした。
『ある無縁死の風景』としてアパートで無縁死した男性の状況を寸劇で見せてくれました

それから、参加者が小さなグループに分かれ、生徒が進行役を務めて
意見交換がありました。

私のグループは僧侶が2名、葬送のサポートをしているNPOの代表者
ピアノ奏者、卒業生で葬儀社に努めている人、そして私と生徒で7名でした。

お寺でも近年、無縁死を扱う事が多くなり
葬儀社と僧侶だけで送るそうです。
(その時に葬儀社の差を感じるそうです。儲けが無くても一所懸命に手続きなどをしてくれるところと
へー、そこまでやるんですか?とあからさまに言うところ。葬儀社でもずいぶん違いますね・・・と言ってました。)
NPOでは家族がない会員の葬儀を全て引き受けて送っています。
会で作成したエンディングノートがあるからこそ、1人で死んでも
葬儀や身の始末をしてあげられる、と言います。
そこには、自分の無縁を案じて相談に来る人が多い、と言います。

それを聞いて僧侶の方は、自分の方が力不足で何もしてあげていない、と
ため息を漏らしていました。

私も葬儀社が生前契約をもっと広めるべき、と話しましたが
葬儀社だけでなく無縁墓が増えているお寺にも生前契約は必要では無いかとも
話しています。

助けを求める人はそこで縁が出来ます、親戚がいなくても地縁ができます。
しかし、
助けて、と言えない人こそが無縁なのだ、という話も出ました。

無縁を感じている人は自分から無縁を作っている。
人に助けを求めてもいいのだと気付かない、
また人を助ける事が自分にもできるのだと気付かない

就労、子育て、介護などなど
身近に人がいても孤独を味わっている人が山ほどいるようです。
無縁死は、深い問題です。


この後、生徒は葬儀業界に巣立っていきます。
葬儀の依頼を待つだけでなく
葬儀社だからこそ、死を見据えた生き方を問いかける役目ができます。
地域の人の無縁を無くす働きかけも是非してもらいたい!と思います。

お墓の事を教えてくれる?

2011年02月18日 | お墓・納骨・永代供養
信号待ちをしていたら、以前ご近所だった方と会いました。
久しぶりだったのでお互いに近況を聞きなが
少しだけでしたが、おしゃべりしました。

私の仕事を聞いた途端に質問がありました。
お墓の事です。
そろそろお墓を考えているそうです。
新しく支度するつもりだそうですが
お嬢さんが後を継いでくれるそうです。

その方の質問は
娘は名前が違うけど、私たちのお墓に入れるのか?
と言う事でした。

お墓は買う訳ではなくその墓地を借りる事になります。
それを管理しているのがお寺です。
娘さんの代になってお墓の後継者が娘さんになった事を
お寺に伝えれば名前が違っていても大丈夫
またお墓に納骨を希望してもお墓の後継者が承諾しないと
お墓には入れない、
と、伝えました。

それでホットしたようです。

きっと以前から気になっていたのでしょうね。
でも誰に聞いたらいいのか?解らなかったのでしょう。

この様な質問は、あちらこちらのセミナーに出向くと
よくあることです。
一般の方のセミナーでは、葬儀の話をしても
質問の半数はお墓の事です。が

皆さんは聞き場所を探しているのかも知れませんね。

私でよければ、いつでも答えますよ。
気になる方はどうぞご遠慮なく。

生前契約の風が・・・

2011年02月15日 | 葬儀の世界
今月に入って、どうも調子が出ません。
咳がひどくて止まりません。
インフルエンザ?
病院の診察では陰性でした。
と言って、風邪でもなさそうです。
原因がイマイチ解りません。
まあ、年も重ねてくると色々と出てくるのです。

ところで、別の意味で変化を感じています。
この2年間、生前契約を何とか広めなければ!
と、もがいていましたが・・・

関心は時間と共に高まってきています、が
実際に取り組むのが???
どうもまだ、他人事のようで
葬儀社さんはのんびりとしているのが現状でした。
でも、このところ何だか、違ってきています。
動いてきたみたいです。風が・・・
問い合わせが急に目立ってきました。

家族葬、は聞きなれた言葉になり
今や≪無縁社会≫が流行りだしています。
縁が無い事しているくせに
無縁で大変な事になっている、と騒いでいます。
生きてきた縁すら最後に捨てて直葬や家族だけで世の中と別れたい、と。
そう言いだしていたのに。

チョット意地悪ばあさんになってますが。

生前契約は周りに迷惑をかけない事、ではありません。
自分の生き方を見極める事で、それを周りに託す事です。

それを広める原動力に葬儀社がなってほしいのです。

無縁社会=迷惑かけない?

2011年02月10日 | 世の中
昨日のNHKのニュースウオッチを見ましたか?
家族がいるのに孤独・・・〝無縁〟に苦しむ主婦
抜け出す道は

この題名に目が行き、思わず見てしまいました。

無縁社会もすっかり定着した熟語ですね。

30代、40代の主婦が孤独に悩んでいるそうです。

学校を出て就職して、自立することを目標に頑張って
弱みを見せずに生きてきた女性達。

結婚して職場を離れ、知らない土地に住んだら
話す人がいない!
近所の人と会話を試みても挨拶程度で
その先は無い。
毎日買い物に行く時だけが会話をする時間。
夫は忙しいし、そんな愚痴も言えない
何度引っ越しても同じ孤独感
唯一、弱みを出せた母親が無くなった途端に
孤独を感じた人もいる・・・

結局、母親向けのサークルに参加して
同じ悩みを抱える人がいる事を知る
食事会を開いて、孤立した主婦同士が支える方法を知る

困った時には助けを求める事でつながる。と

人に頼りにされる事で、人に頼っていいのだと知る
頼られるのが嬉しいと感じた。

そんな話です。

つくづく感じます。
「人に迷惑をかけないように」それがいい事だと
子供に教えていた時代が有ります。
今もそうですよね。
これって決して間違っていないと思うけど
今の時代は「迷惑」の解釈が広すぎるかも知れません。

病気で体が不自由になり、今リハビリに励んでいる知人がいます。
毎年年末にご挨拶に来て下さる方が、病気をしてから
「ご不自由な体なのに、お目にかかるのはお気の毒」と思っているのか
玄関先で家人に会って帰ってしまうそうです
ご家族から「本人はちっとも気にしていないのに、尋ねていただけたら嬉しいのに」とこぼしていました。


これって意外と多くの人が思っていますよね。
もっと素直に接したらいいと思うのですが。

お葬式も知らせたら迷惑でしょう?って考える人ばかりですよね。
そんなこと無いと思います

こんな世の中なら無縁になっても仕方ないです。
チョット、寂しくて、悲しく無いですか?


葬儀体験手記

2011年02月07日 | sibatanoriko?
遺族の立場で、葬儀体験手記を書いてほしいと依頼がありました。
葬儀社の会報に載るそうです。

私は今までに葬儀社として立ち会った葬式は1000件以上有ります。
その中で葬儀担当者として、遺族の思いを聞き出し葬式を作ってきた経験も多くあります。
担当をしない葬式もできるだけご遺族や会葬者との接点を持つように努めてきました。
この年ですから、親族として参加した葬式も結構あります。

さて、遺族となると3回目の経験です。
義父と、家族のいない伯母と、そして12月に体験した父です。

葬式に慣れているはずの私ですけど
やっぱり回を重ねる毎に感じる物が違ってきます。
より完成度が高くなるような気がします。
完成度って、変ですね!
満足度の方が適当かもしれません。

大きな違いは多分と葬式への意思と時間の問題です。

世間の遺族の多くがそうなのですが
「どんな葬儀にするか」を、話し合わないうちに葬式の
打ち合わせが始まってしまいます。
それも、死んで数時間後です。

でも、今回の父の場合は違っていました。

家族で「そういう葬儀にしようか?」と話す時間が多くあり
葬儀をする目的が持てました。
時間の余裕があったからこそ!ですね。

死が確実に迫っていても、葬式の話をし出すのは勇気が要ります。
父の場合も私が葬儀の仕事をしているから、出来たのかも知れません。
事実、父がまだ病院のベッドにいるうちに葬式の支度をしている私たちを
「まだ、お父さん死んでないでしょう」と怪訝に感じていた人達もいました。

父の回復はあり得ない、と解ってから
私たちが考えたのは「父が喜ぶ葬式をする」事だけでした。

今は自分の葬儀を自分らしく・・・と考える世の中です。
死が異常な、不幸な、出来事では無くなっています。
でも死は、家族にとっても、故人をよく知る人にとっても
重大な出来事であるはずです。

私たちがどんな考えと方法で父を送ったのか
その辺を伝えられる様な手記にしたい、と思います。





夫を亡くしたグリーフワーク

2011年02月02日 | sibatanoriko?
グリーフサポートの難しさを実感しています。

遺族の中でも、心の悲嘆は同じでは有りませんね。
うちの場合もそうです。
父の葬儀が終わった後、母の様子が変わりました。

父を亡くしたショックを閉じ込めているようです。
自分を責めるから、忘れる様にしているみたいです。
その結果だと思いますが
敵意のある行動をとる事があります。
人を責める、自分が可哀想、
多分そんな気持ちが出ているのでしょう。
それ自体、自分が気付かぬうちの行動です。

この2カ月ほどの変化に
孫達まで驚いています。
顔つき、言葉使い、行動
体調、食欲などに変化が出ます

一緒に過ごす時間が長かった者には
特に気持ちをぶつけてきます。
寝食を一緒にしていると
母の変化を受け止めきれない時が有ります。

家族同士のサポートは難しい、と実感しています。
支える側も同じように遺族ですから。
まるで腫れものにさわる様になってしまいます

その母がこの数日間、落ち着いています
母の変化の原因を皆が理解し始めてきたからだと思います。

そのお陰で対策を色々立てるようになりました。
孫も力を貸してくれています。
ケアマネージャーも気遣って日参してくれています。
親戚や友人も訪ねてくれる予定です。

まだまだ時間はかかりるでしょうが・・・