柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

隣の会話は「無宗教と散骨」

2008年09月15日 | 自由葬・無宗教葬
今日、出先でこんな会話が耳に入ってきました。


「知らせがあったから、急いで伺ったら無宗教だったのよ
 お線香も無くて。家族だけでしたのね。
 あれって、どうなの?宗教が無くても成仏するのかしら?」
「やっぱり、宗教は必要なんじゃないの。
 成仏できない人がいるってきくじゃない」
「そうよね。散骨するって」
「でも散骨だって、手続きが色々大変なんでしょ。」
「死んだ時の写真がパソコンの中にあってね、きれいで
 安らかな顔してたのよ」

どうやら、友人の身内の方が亡くなったようです。
亡くなる前の看病の大変さとか
外国に縁のある人らしく、その国にお墓があるとか
話していました。

最近は、宗教離れが激しい・・・と言われてますが
多くの方は、この方達と同じように
宗教の必要性を感じるのかもしれません。

実際に家族が亡くなると
一度もお寺に行ったことが無い人でも
「お寺さんに御願いします」が、まだ多いのが現実です。

宗教の力で成仏できるかどうかは、私にはわかりません。

ただ経験上感じるのは、宗教式だとあの世に無事に送った気がして
残った人達が「役目を果たした」と安心するのではないでしょうか。

「葬儀すら挙げられない人達は成仏できないの?」と問われれば
答えに詰まります。

どんな暮らしでもどんな状況でも
正直に、真面目に生きた人
人の為に日々を過した人は成仏できないのか?
そんな疑問がわいてきます。

でも遺族にとっては、宗教との関わりがとても助けになると私は感じています。

無宗教でも、「遺族が故人をどうやって見送るのか」
その意味がはっきり解っている葬儀は
仏教葬儀と同じような満足感を感じる物です。

ただ、宗教が嫌い、お金がかかる、面倒だ
そんな、理由の無宗教は「やっつけ仕事」のようで
私はイヤなんですけど。


遺骨を全部散骨するのも、チョット抵抗があります。
「死んだら、すぐにその人を忘れてしまう」
なんて考えられないので、少しだけでも残して欲しい。

そんなことを思いながら、お隣で話す会話を聞いていました。

ちなみに、散骨は現在のところ
どこに申請する必要もありません。

法律で示されている事は
遺骨を2ミリ以下の粉状にすること
周りに迷惑の掛からない場所に撒く
などの節度を持って行なう・・ということです。









忘れられない人

2008年05月22日 | 自由葬・無宗教葬
柴田さん、チョット相談にのってくれない?
私ガンなのよ。
そんなに、長くは生きられないの。
決めておきたいのね。
主人はこう云うこと、苦手だから。

道で、ばったり会った知人に突然、言われました。

そんなに、親しい訳ではない。
彼女がいた、リサイクルの店で、よく立ち話した程度。

ベリーショートの髪、くるくるの大きな目
背は高く、ハキハキした物言い。

私の好きな、タイプの女性です。

しばらく、見かけないと思っていたら・・・
きっと、入院していたのでしょう。

何時でも、相談にのるわよ。

それ以上は、言えなかった。

お互い、なんでもない会話のように、別れました。


それから、数ヵ月後、
彼女から、電話がありました。

今、入院中。
ガンが脳に転移してね、少し、会話が変になってきたの。
今のうちに、私の希望を聞いておいてくれない?
病室に来て。

ベットの横で、真剣に自分の葬儀の希望を語り始めます。

 1、宗教にこだわらない、葬式であること
 2、仲間中心の葬式であること
 3、自分の生命保険から、葬儀代金は払うこと
 4、自分の財産の一部を、社会に役立てたいこと
 5、葬儀委員長は、この人。
 6、友人代表は、この人。

口がもつれながらも、しっかり自分の意思を伝え、
その、3ヶ月後に、彼女の死の連絡が入りました。

とにかく、この人に全部、話してあるから
私が死んだら、ここへ連絡して。

ご主人が、彼女から言われたのは、この言葉だけだったそうです。

彼女の遺志を、家族と、集まった仲間に伝え
希望通りの式を準備しました。

11年前に、左胸を、8年前に右胸を乳がんで全摘出、2年前に肺がんが発見され
乳がんの骨転移による、卵巣がんになり、7ヶ月前に卵巣がんの手術
5ヶ月前にガンは脳に転移したそうです。

コレを聞いたときには、絶句・・・です。


少し痩せた彼女には、家族が用意した、かつらが合いません。
いつもの、おしゃれな人になるため、行きつけの美容師さんが駆けつけ
かつらを、カットしてくれました。

環境や福祉問題に長年取り組み、熱心な活動をしていた人です。
食生活にも、気を使い添加物のあるものは、一切、子供の口には入れない努力をしていた人です。

葬式には、大勢の仲間が集まり、彼女の思い出を語り続けます。
同じネットワークの仲間。
高校時代の親友。
独身時代の同僚、
妹、
そして、家族。


ご主人からは   我家は役目がきちっと、決まっていた。
           私は、稼ぐ人。妻は使う人。
           それで、うまくいっていた。

ご長男からは   やるべき事には、厳しい人。
           食べ物には、とてもうるさかった。
           でも、よく勉強していたし、料理も得意な人だった。

ご次男からは   いつも、うるさかった。
           すぐに、部屋の掃除をしろって。
           几帳面で、他のお母さんと比べると、チョット違ってた。
           でも、お母さんのした事は、すごいと思う。



それぞれの言葉で、彼女を語り続けた葬式でした。

献花は、家族は真っ赤なバラ。
参列者は黄色のオンシジューム。

参列者に配られたお礼の品は、ユニセフ募金のグリーティングカードつきのお茶。

全て、彼女の思い通りの、葬式でした。
生きてる彼女は、よく知らない。
でも、葬式を通して、彼女の人となりを、私は知りました。
不思議なご縁です。

本当に、見事な生き様。
そして、見事な死に様でした。


 

初めての無宗教葬儀

2008年04月07日 | 自由葬・無宗教葬
私が担当した初めての無宗教葬儀は、平成10年のことでした。

47歳のスポーツ記者の方で、奥様のお姉さまが中心になって、葬式の打合せをされました。遺族に負担がかからないように、故人の縁を大事にという主旨がはっきりされていたので、無宗教葬儀の経験が無い私でも、お手伝いし易い葬式でした。

各方面のスポーツを担当されていましたが、特にラグビーには思い入れがあったようです。ご本人もが大学時代選手として活躍されており、ユニフォームを棺にかけて、飾りました。

通夜はお身内だけで、故人を偲ばれ、翌日500名の方が「お別れ会」に参列されました。

献花は、何種類ものお花を用意して、お好きな花を選んでいただき、棺の前に
長いオアシスを置き、そこにお花を挿していただきました。
その時に、故人のお顔が見えるように棺の蓋は開けたままにしておきました。
献花が終わった時に、棺の前が花畑になるようにしたかったのです。

献花が終わった後に、1人のお客様が遅れて来られました。
金髪で体格の良い方です。

「ウォー、ウォー」(と私には聞こえたのですが)大声で大粒の涙を流されながら皆さんの見守る中、献花して下さいました。

その方は、プロレスラーのダンプ松本さんでした。
あまりの見事な泣きっぷりに、大勢の方がもらい泣きされていたのが印象に残っています。

その後、奥様は仕事に出られるようになりました。
ご自宅は新築でしたが、ご主人がこの家にいる時間はあまり無かったようです。

何の問題も無く終わりましたが、今思えば、まだまだ未熟な無宗教葬儀でした。
どう言う訳か、その後、その葬儀社は無宗教儀(自由葬儀)が得意分野になり、ご依頼を多く受けました。

葬儀は担当者が1人で出来るものではなく、スタッフ全員のサポートが必要です。
その当時のスタッフは私の葬儀理念(葬儀は究極のサービス業である。それには無類の優しさを提供する)をよく理解してくれて、1つの葬式に全員の気持ちが集中していました。

そのスタッフ達が施行した無宗教葬儀は、思いで深いものばかりです。
あたたかい葬儀をする処は、やさしいスタッフのいるところです。

これ、本当ですよ。