柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

日本人の「あの世観」

2010年01月25日 | 不思議
少し前の新聞に「日本人のあの世観」という記事がありました。

ホスピスで2500人の患者さんを看取った先生が書かれた記事です。

私は20年前に「あの世観」を調査した。【死後の世界はあると思うか?】
ハイ・・・・・32.4%
イイエ・・・・23.9%
わからない・・43.7%
2000年の電通総研の調査によると
ハイ・・・・・31.6%
イイエ・・・・30.5%
わからない・・37.9%
となる。

わからないと答えた比率は世界一で因みにアメリカでは7%である。
日本人は神の存在や死後の世界に対して
存在するとも言えるし、存在しないとも言える様に見える。
悪く言えばどっちつかずで、
よく言えば、存在を証明できない以上どっちでも良いではないかと哲学的?に
考えている民族であるといえる。

死の間際になった患者と家族の会話に様々な「あの世観」に接した。

「お父さん。お母さんが、向こうで待っているから心配しなくていいよ」
と患者に家族が呼びかけると小さく、しかしはっきりとうなずいた。

この家族は「あの世」のことを「向こう」と言ったが
「あの世」では先に世を去った人たちが
この世とそれほど変わらない生活をしており、この世から来る人を待っている。

「お迎えが来る」という言葉も良く使われる。
人が死を迎えた時に、あの世から死者が迎えにきてあの世に連れて行く。

多くの日本人はそれほどはっきりしたイメージではないが
西の山のずっと向こうに「あの世」があるような感覚を持っている

映画「おくりびと」の中で火葬場の職員が
「死というのは門だと思う。みんなこの門をくぐって向こうへ行く。
私は門番として、この門からたくさんの人を向こうに送った。
私もこの門から向こうに行く。
そうしたら、私が送った人と向こうで会えるだろう」

これは日本人の代表的な死生観だと思う。

こんな内容の記事でした。



私も私なりのあの世を思い描いています。
そこでの暮らしがあるとは思いませんが
人の形は無くても、思いというかその人の本質というか
以前読んだ本の中から「想念」という言葉が一番適当な気がしますが
身体は無くても目と考える心があって、自由に気にかけた所に行けて
全ての是非が判る
そんな物の存在があるのではないかと・・・

私の伯母が亡くなる前によく話していたことです。
伯母は死ぬ直前まで、普通に生活をしていました。
「昨夜は夢だか、現実だか良くわからないけど
死んだおじいさん、おばあさん(両親のこと)おにいちゃんや皆が
この狭い部屋に集まってワイワイガヤガヤとおしゃべりをした。
それがとても面白くて楽しくて」

この夢のような体験は何度か起きたようです。
そのときはとても幸せそうでした。

「あの世」があるのなら
死を怖がる事はないですね。きっと「この世」の苦労は無いと思います。

イチロー選手の愛用品はやっぱりいいです!

2010年01月20日 | sibatanoriko?
去年の今頃、イチロー選手の愛用品「フットマッサージャー ローラモミ」を紹介しました。

ここ2ヶ月くらい、忘れていて使っていません。

最近、足の裏が腫れていています。足の親指の付け根の辺りが変です。

歩きにくい感じがしますし、痛みもあります。

リウマチがあるので、関節は炎症を起しやすいのですが、この感覚は久しぶり。

このところの寒波のせいか、と思ってましたが
足のマッサージをしていないのを思い出し、今日は朝から何度も
マッサージをしています。

すると、足の裏の感覚が戻ってきました。

痛みも和らいでいます。

やっぱり足の裏の血行は大事なのですね。
足の裏には全身のツボがあるといいますよね。

また、明日からこの器械でマッサージをすることにします。

イチロー選手はこのマッサージ器を何処に行く時も持っていくそうです。
日本にいるときから毎日かかっていて、もう何台も使いつぶしたそうです。

足の悪い人だけでなくても、きっといいと思いますよ。

家電の健康器具売り場で7000円くらいで売ってます。

お困りの方、一度お試しあれ!

ああ、なるほどね

2010年01月19日 | 私の半径100メートル
友人から昨日のブログにご意見を頂きました。

葬儀を知らない人から見たら
事細かに説明してくれる事はありがたいこと!
そんな事があるのかと、わかるだけでもいいじゃない!
葬儀社のパンフレットに書いてあるのは
式の流れだけ。
それ以外に何が起こっているのか私たちは知らないよ。
何が違和感なのかもわからない。
何も知らないよりは、知っていたほうがいい!

素直に、なるほどねーと思いました。

私たちが思っている以上に
細かい所が不明なのだと解りました。
不透明は価格だけじゃないんですね。

以前、出席した葬儀の中で
親戚のおじさんが
「喪主の席はそこじゃないだろう。普通は違うだろう」
「誰それに挨拶しないのはおかしい。普通はそういうもんだろう」と
自分の知っている知識と違う点を、あれこれつついて
喪主を困らせていました。
喪主は葬儀社の助言で動いています。
自分の得た知識や体験は正しいと思い込んでいる人が沢山います。
そんなことで、いらぬ波風が立つ事も多々あります。

そういった意味でも、もっと葬儀を学べる場所を多く作らなくてはいけないですね。
葬儀に携わる人の役目ですね。
今日も葬儀社を立ち上げてたご夫妻とお目にかかりました。
事あるごとに、葬儀の説明会や勉強会を開いて下さい・・・
葬儀を身近な話しにして下さい・・・と
お話ししたところです。

そして、色んな死を体験している葬儀社だからこそ
どうして葬式をするのか?家族を亡くすことはどういうことなのか?
そんな話しも是非、してもらいたいです。

人任せではなく
私も多くの機会を見て、そんな話しをしていくつもりです。


葬儀の番組に違和感

2010年01月17日 | 葬儀の世界
葬儀を取り上げた番組を見ると、いつも違和感を覚えます。

葬儀の番組って「こんなに安く出来ます」とか「こんな感動する葬儀があります」
と、極端な例を挙げるか
または「こういうのが普通の葬儀です」と一昔前の例を挙げるかのどちらかですね。

今夜見たのは後者の番組でした。

この番組を見た人は、こうする物だと思うでしょうね。

火葬場に火葬許可証を喪主が持っていくのを忘れると火葬してもらえません。
忘れないようにしましょう。
→今の葬儀社は、死亡時の役所手続をしてくれるところが殆です。
葬儀の前に現金を用意しておきましょう

→葬儀のときにその場で喪主が支払をする事も余りありません。
 むしろ、無用心なので現金は手元に置かないで、と注意します。

火葬場はお正月の3ヶ日や友引は火葬場はお休みですので手配には注意が必要です
→火葬場の手配を喪主がする事は困難です。 

式場で親族が座る場所にも気配りが大切です
→「こうです」と決まられている訳ではありません。

お手伝いをお願いした方にその場で「心づけ」をするのが当たり前です。
→後日でも構わないし、現金と決まっている訳でもありません

霊柩車やその他の関係者にする「心づけ」喪必要です
→「心づけ」を廃止している葬儀社もあります。

などなど、違和感が一杯でした。

間違っている訳ではないけれど
「・・・しなくてはいけません」と言われると
視聴者は「そうなんだ。そうしなきゃダメなんだ」と思いますよね。

最近では、葬儀事情も大分変わってきていますし

必要以上に、不安にさせたり、心配させているようで・・・


側で聞いていた家人は
「葬式って、結局昔とちっとも変わっていないんだ」と言っていました。

こういう情報が世間の人は欲しいのでしょうか?


エンバーミングでとりも戻した面影

2010年01月12日 | ご遺体のケア
今、お通夜から帰ってきました。

おじが亡くなりました。

亡くなってから、4日目の通夜です。

疎遠になっていたおじですが、2年ほどの闘病生活をしていました。

痴呆は7年まえから出ていましたが、最近は意識も半濁と聞いていましたので
私なりに死顔をなんとなく想像していたのです。

高齢者の死顔は闘病が長いと顔色も悪くやつれた表情が多いものです。
くちもともや、目元が落ち込み元気な時の面影は薄れます。

しかし、柩に納められていたおじの顔をみて安堵しました。

色は白く艶があり、目元は穏やかに閉じられ
頬は頬骨に沿った自然な傾斜を保ち
口元はキリリと結ばれていました。

自宅に安置されたおじは目も口も開き加減だったそうです。

安置が長いこともあり昨日、エンバーミングが施されていました。

もう10数年前に夫を亡くしたおばは
「主人の時はガンで見る影も無かったのに、兄さんの顔は何てきれいなの!」と
ため息を漏らしていました。

おじの変わりように
家族が満足したことは言うまでもありません。

私も久しぶりに
エンバーミングの威力を実感しました。

安置が長いからエンバーミングをするのではなく
家族やおじを知る人々が、こんなにいい顔と別れられることが出来る為に
エンバーミングの価値があります。

おじの顔からは痴呆の面影は消えていました。


死別の悲嘆から起きた麻痺

2010年01月10日 | 悲しみのケア
昨年より、グリーフサポートセミナーを受けていました。

6回のセミナーでしたが
日程が取れず、今日やっと終了しました。

家族やとても身近な人との死別を体験すると
私たちは悲しみや、嘆きだけでなく
怒りや混乱やショックを引き起こします。
精神的なものだけでなく
身体の痛みや食欲不振や、睡眠不足など
身体的な変化も起します。

その中に、麻痺(痛み止め)という状態があります。
私はこれを実体験しているのです。

1人住まいの伯母が近所に住んでいました。
深夜に電話が鳴りました。
伯母が心臓の発作を起こし最後の力を振り絞ってかけてきた電話です。

このとき、私はリウマチになり立てで
全身に痛みがあり起き上がることも困難な時でした。

やっとの思いで受話器をとったとき電話は切れました。

夜中の電話に不吉な思いが走りましたが
伯母に確認するのに躊躇しました。
深夜2時過ぎです。

8分後、どうしても気になって
電話をかけたとき、伯母のうめき声が聞こえました。

駆けつけて救急車で搬送しましたが病院の玄関で心停止でした。

伯母の身内は80過ぎの私の母だけです。

夜明けと共に連絡を取りましたが
葬儀の支度は私がやるしかありません。

歩くことも大変だった状態ですが
何とか葬儀をやり終えました。

その間、誰一人として
私が痛みを伴う病気があることを気がつきませんでした。


そのときは、無我夢中でやり遂げたと思っていましたが
グリーフサポートセミナーを受けて
私の全身の痛みを伯母の死のショックが麻痺させてくれたのだと
初めて気がつきました。

その当時は立つ事も、歩くことも
物を持つことも、身体を動かすこと全てが苦痛の毎日でしたので
その姿を見れば、誰でも「どこか具合が悪いのか?」と
気付くはずだと思っていました。

しかし親戚の人にも私の不調を感じる人はいませんでした。

伯母の死は職業柄、比較的冷静に対応してきたと思っていたのですが
私にもグリーフがあったのです。

葬儀後
伯母からの最後の電話の確認を
8分間もの間、迷っていたことを後悔したのは
もちろんの事です。

これもグリーフの1つである
最悪感や後悔に当てはまります。


葬儀に係る人は、そんな状態のご遺族と接するのですから
その対応を心得ておく必要があります。


これからの葬儀を担うには
葬儀進行を覚えるのと同じように
遺族のグリーフサポートは欠かせません。

それには専門家としての知識が必要になります。
しかし、残念ながら
グリーフサポートの勉強をしている葬儀社はまだまだ少ないのです。









今年は何をしたい?

2010年01月08日 | sibatanoriko?
今年は何をしたい?

そうですね。

今まで、主婦が捨てきれず中途半端な感じで仕事しています。
でも性格上、これはずっと続くでしょうし
その部分が私の強みのような気がしています。

独立して今年で5年目になりました。
もっとも、2年弱は病気の方が勝っていましたけど・・・

それでも5年たつと仕事の環境が安定してきます。
多少ですが、仕事の依頼も多方面になってきましたし
自分の望むことも着手できるようになりました。

そこで改めて気付いた事は
人に教えることが好きだということです。

これをベースにしたいですね。

生前契約や死後サポートもシステムを立ち上げただけでは
浸透しないのです。
葬儀社さんにその知識を持ってもらい、普及させる術を持ってもらわないと。
それには、その前に信頼できる葬儀をする事が前提なんです。

私の知っている事は微々たる事なんですけど
それでもそれが役に立つこともある

今年は一般の方も含めて
なるべく多くの方に教える場を持ちたいです。

2010年は介護と仕事がテーマです

2010年01月04日 | sibatanoriko?
2010年になりました。

時間の流れが速い!
あっという間に1年が過ぎていきます。

12月中旬から、儀母が入院をしています。
脳梗塞で会話が困難になり、右の手足にマヒが出ています。

今後の事を考えると専門の施設を考える必要がありそうです。
実は入院した日に医師から「退院後の自宅での生活は無理でしょう。
施設を考えられた方が良い」と言われています。

主人が義母を看る様になって間もなくの頃
ケアマネージャやヘルパーさんの事務所や知人から
「介護を無理してはいけない」と事あるごとに言われています。

「子供だから、親にはできるだけのことをしてあげたい」と
誰もが思うことなのでしょうが、実際の介護は少しの休みもくれません。

介護制度も家族が一人でも家にいれば、ヘルパー派遣も頼めません。
介護する側の手助けはしてくれないのです。

主人はまだ仕事を少し抱えており留守にする日もあるので
ヘルパーさんが来てくれますが・・・

だんだん体力、気力、記憶力が衰えて、痴呆も進んでくると
介護する側は気持ちとは裏腹に心はイライラしたり落ち込んだり
腹立たしくなったりします。

そのときに声を荒げたり、手を上げてしまったり
態度で拒絶したり・・・そんなことが起きてしまうのが当たり前なのだそうです。

昨年、東京新聞でも介護する側の苦悩が連載されており
その記事は見逃さずに読みました。

我家は4ヶ月しか義母と同居しませんでしたが
やはり、主人がイライラしていた日がありました。
そのときの母はしょぼんとしています。

親を色々な面で拒絶してしまうより
適切な施設へお願いし、豊かな気持ちで母を訪ねた方が
双方にとって幸せ、と言われました。

「いずれ、そうした方がいいよね」と、そのときは思いましたが
母の今の状態を見て「そうすべき」だと実感しています。

倒れた日に主人と2人で母を起すことにも難儀をしました。
次第に衰えてくるのは間違いない事実です。

毎日病院に様子を見に行っています。
テレビで老人施設や介護の番組があると
つい見入ってしまいます。

我家はこんな年明けでしたが
もう心は決まっているので、前向きに進めていきます。

母のことも家庭のことも仕事のことも
みんな、前向きにいくつもりです!!!