柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

圧迫骨折の痛みがとれ、母は楽になりました

2013年01月26日 | 私の半径100メートル
昨年の暮れあたりから、母の腰痛が起きていました
「少し、腰が痛い」と言いながらお正月は私達と一緒に過ごしましたが
年明けに自宅へ帰る頃には腰痛が本格的になりました

寝ているといくらか樂
起きる時に激しい痛みがある
起き上がってから歩くのがまた大変
椅子に座る時は腰の位置が決まるまで姿勢をかえて楽な位置を探す

母はこの腰痛を過去にも2度体験しています
今回も同じ状態だったのですぐに病院へ連絡をとりました


聖路加病院の放射線科の予約をとり
診察、検査をしたら、やはり腰椎の圧迫骨折でした

痛みの原因がわかれば、かえって母は安心をします
過去の2度の手術を体験し、この手術の成果を十分に知っているからです

経皮的椎体形成術(けいひてきすいたいけいせいじゅつ)と言います

脊椎はいくつもの骨が箱を積み上げたように連なっています

高齢になり、骨粗鬆症になると脊椎の骨ももろくなります
重いものを持ったり、尻餅をついたりしたはずみで
骨がつぶれ痛みを発症します

以前は骨が固まるまで痛みを我慢しなくてならなかったのですが
今は折れた骨に注射でセメントのようなものを注入し
骨の空洞を埋めることで痛みがなくなります

最初の圧迫骨折の時には、整形や麻酔科などで治療をしましたが
約半年間寝たきりで傷みに耐え続けていました

この治療法を知り聖路加病院で手術をうけその数時間後には
ベットからスッと立ち上がりそのまま歩きだしました
痛みは消えており、驚きと感激の瞬間でした

脊椎は沢山骨が積み重なっているので
その後も圧迫骨折を起こしています

MRIで写真を撮ると
治療した骨は何ともなく、それ以外の骨がつぶれています


母の場合は3年ごと位に
骨粗鬆症の骨が壊れると追いかけて手術をしている状況ですが
あの痛みから逃れられ、動きが楽になるのはなんとも有難い限りです

この手術は一部の病院でしかしていないようですが
それでも母が初めて知った時より、対応してくれる病院が増えているようです

しかし、知らない方も多く圧迫骨折の痛みを我慢している人は
とても多くいます

手術時間は1時間かかりません
その数時間後には歩けて痛みが取れています

手術は最近保険がきくようになりました
それでも20万円位かかります

高くても高齢の母には、痛みが無くなり動けるなら
何をおいても受けたい手術だと言っています

是非、困っている方がいたら教えてあげて下さい

互助会というより、その人の問題でしょうか?

2013年01月26日 | お葬式
『葬儀なんでも相談室』っていう看板かけています

先日、ご両親が入会していた互助会の質問がありました

お母様が亡くなりそうで
互助会のホールに相談したそうです
4口入っているのだが、全部使って葬儀費用に充てたいと
希望したら、「4口使うと祭壇が4つになります」
「だから1口使ってあとは他のものに使うようにしたら」
といわれたそうです
「・・・???」
それで、私どもに相談されてきたのです

いままでに聞いたことがない話なので、私もその互助会の窓口に電話してみましたら
「4口まとめて葬儀に使える」との答えです

結局、その相談者の方は他の葬儀社にしようと思う、と
おっしゃっていました

同じ互助会の中でもこれだけ説明が食い違うと
不信を抱かれても仕方ないですね

互助会の規約を理解している遺族ばかりではないので
葬儀の打合せの場で、そのように受けた説明なら
「えっ!」と納得できない内容でも、いやいやでも承知してしまうでしょうね

もしご家族の勘違いなら
勘違いを起こさせるような、説明しかできないのも問題ですね

家族の死を間近にして
動揺している方への説明ですものね

ほんの一部の方だと思いますが・・・






家族葬だけど行っていい?

2013年01月25日 | 家族葬
先日仕事の打合せの後、若い女性と食事をご一緒しました
「昨年の秋に祖父のお葬式に出たんです
私、葬式の体験は初めてのようなもので…」と、その時の話をしてくれました

まだ幼い姪はおじいちゃんを知らず、葬式の意味も解らず
そこに集まった親戚の子供達と二日間遊んでとても楽しかったらしく
帰る時に「また、誰か死ぬといいね!」と言って
まわりの大人を慌てさせたそうです

葬式か結婚式しか、親戚が集まるときがない
前に逢った従姉妹は幼稚園くらいだったのに、もう中学生になっていて背も大きかった
おじさんやおばさんの近況を聞いたり、おじいさんの思い出話をしたり
以前、柴田さんに聞いた「葬式で遺族や親族はずっと悲しんでいるばかりじゃない」と
言っていた言葉を思い出しました、といい
「確かに悲しいけど、楽しい時間でもあったんです」と話してくれました

この方は、司法書士で以前に私の葬儀セミナーを受けた事があります

そしてこんな経験も話してくれました

学生時代の友人がお母さんを亡くしたとき、「家族葬だから」と言われたそうです
亡くなった友人のお母さんをよく知っていたので自分もお別れがしたい!と心から思ったそうです

思い切って友人に「家族葬って聞いたけど、お別れに行ってもいい?」
すると友人は「みんなに迷惑をかけるから家族葬と伝えたけど、来てくれるなら嬉しい」と
答えたそうです

友人達を誘って葬儀に行くと
それまでは普通にしていたのに
私達を見た瞬間にポロポロ、と涙を流して泣き出した
きっと、感情が噴き出たのではないか
やっぱり、行って良かった

そんな話をしてくれました

私は柴田さんの話を聞いたせいか、葬儀はその人を知っていたら
ちゃんとお別れした方がいいと思います


良かった、そう考えて賛同してくれる人が一人増えた!

私が地道に、コツコツ、どこへ行っても、

「人が死んだ時、その悲しみは家族だけにあるものではない
その人と心を通わした時間を持つ人なら、同じように悲しみはある
だから別れの場を共有してほしい
その時、遺族は他の人から愛を分けてもらっている
お葬式は迷惑をかけることではない」

言い続けているかいがありました

人間関係は、世間がいうほど冷め切ってはいない、本当は温かいものなんです
私はそんな人たちを沢山見てきて、知っています

こういう話を否定しがちなのが、葬儀関係の方に多くて本当に残念

でも、やっぱり伝えない訳にはいかない
本当は皆、優しさをいっぱい持っていますから


葬儀社でのエンディングノート研修です

2013年01月23日 | お仕事
1年ぶりの丹波へ行ってきました
3年前に立ち上げをお手伝いした葬儀社です

葬儀の仕事を一から教えたスタッフが頑張っています
伺うたびに、成長の証が見えます、嬉しいです!

今回は、エンディングノートセミナーを開くために
スタッフ全員にセミナーの担当者研修を行ってきました

2日間の猛特訓です

この地域ではまだ、エンディングノートセミナーはないそうで
いかに地域の方たちに役立つ話ができるか、と
全員が真剣勝負で勉強しました

最期のロープレをして驚きの結果が出ました
初めて受けた研修ですが、見事にマスターしました

1日目は夜の7時すぎまで研修をし、2日目は朝9時からスタートです
どうやら、自宅に帰ってから各自で自習したらしいのです

毎回、会館に到着する度に
全員が玄関先で並んで出迎えてくれます

「お待ちしてましたー」と笑顔で挨拶され
貪欲に楽しく学んでくれています

今回は新人2名の可愛いいスタッフが仲間入りしていました
入って間もない2人のロープレはしないつもりだったのですが
「えー、自分もロープレします!」と、やる気満々

思った以上に上手にしていました

教えた情報だけでなく、地域に合った資料を付け足して
再度練習を重ねるそうです

きっと、皆さんのお役にたつ「エンディングノートセミナー」が開けますね
楽しみです

橋爪先生と久しぶりのひと時

2013年01月18日 | 私の半径100メートル
今日は、グリーフやエンバーミングでご活躍の
橋爪謙一郎先生と久しぶりにお目にかかってきました

聞きたいことが溜まると、時々お時間を頂き
お訪ねしてお話を伺ってきます

今日もグリーフサポートや
家族葬や葬儀見積など色々な話を聞いていただき
また先生のご意見も聞かせていただきました

とても充実した時間です

橋爪先生と初めてお目にかかったのは
葬儀社の責任者になって間もなくの頃です
まだ耳新しい「グリーフケア」のセミナーを申し込んだときに
セミナー前にお目にかかりたいと思い、ずうずうしくもお願いをしました

そのころ、ちょうど私が葬儀社の中で、遺族会を毎月初めていたころです
だから、どうしてもグリーフの第一人者の橋爪先生と逢いたかったのです

まだ、先生も日本に帰国してまもなくの頃で
平塚で葬儀の専門学校副校長をされていました橋爪先生があまりにお若いのでびっくりしましたが
その頃から、気さくで物腰が優しく丁寧で
威圧感が全くなく、しかしご自分の意見をはっきりおっしゃる方でした
今も、ちっとも変っていません

一度で、信頼できる頼もしい人だと印象を持ちました
それ以来、ずっとお付合い、というか
勝手に慕って頼りにしています

遺族会で藩士をして頂いたり
社員のグリーフ研修を半年間して頂いたり、お世話になりました

橋爪先生のグリーフを葬儀の随所に取り入れて、葬儀をしたおかげで
グリーフを実践する葬儀社として、早い時期から注目され
私にも葬儀業界のセミナ依頼がくるようになったのです

その2年後には、先生と合同で葬儀社向けのセミナー講師をさせて頂き
その後に、フューネラルシンポジュームでパネルディスカッションも
ご一緒させていただくことになります

私が葬儀社を辞める時も相談に乗っていただきました。
お世話になる一方で、恩返しはずっと棚上げです

忙しい最中でも嫌な顔をせずにいつも時間を作ってくださいます

私の子供、とは言えないですが、ずっと年の離れた弟のような年齢なのに
懐が大きくて驚きます

こういう方に巡り合ったので、私も縁があって知り合い
頼ってくれる人がいると、何とか役に立たねば、と思います

いくつになっても、人には教えられるものですね!!!

腹ペコの子鳩がきました

2013年01月15日 | 私の半径100メートル
月曜日は大変な雪でしたね
一面、真っ白になってびっくりしました

いやに愛犬が鳴くので家人が見に行くと
窓の外の電線に小さな鳩が2羽止まっていたそうです。
窓枠に置いた家人の手に、その鳩たちが寄ってきて
止まろうとしたんですって

野生の鳩なのに?とよく見ると
痩せていてどうやら餌がない様子

なんでも鳩は1日でも餌がないとすぐに喉元あたりが
細くなってやせるるんだそうです
小さい頃伝書鳩を飼っていたから、知ってるそうで・・

まだ小さい鳩だし、雪で餌を見つけれなかったのか、と
すぐに家にあったラスクとクラッカーをあげたそうです

ペロッと食べ終わり、まだ足りなそうだったので
スパゲッティ―の麺があったのでそれも細かく折ってあげ
更に足りなそうでドッグフードもあげたみたいです

みるみる喉元がふくらんできて
満足そうに帰って行ったとか・・・・

愛犬はいろんなおやつが出てくるたびに尻尾をふり
自分を通り過ごして、窓の外にほうられるたびに
がっかりしていたそうな

雪のお蔭で、小鳩と遊べた、と
家人はすごーく喜んでました

「明日も来るかなー」ですって

しかし、今葬式に行く意味がない・・・2

2013年01月12日 | 葬儀の世界
昨年の12月に書いたブログに
コメントを頂き
また、書きたくなったので再挑戦します

葬儀の現場に出ていた時
家族の知らない所で、別れを惜しんでいる人を沢山見てました。
運よくご家族に引き合わせられればいいのだけど
今の葬式は、ご家族が自由に動ける時間も状況もない

だから、会葬に来た人が
「亡くなって淋しくなるわね」「良い人だったよ」
「ついこの前、あったばかりよ」
こんな声を家族は、聞く暇がありません

会葬に来ても、受付をして焼香して帰るだけ・・・
1時間その場にいるだけ
東京や神奈川なら、焼香すると読経中でも会食に促されるので
30分といない
通夜には来ても、告別式には来れない人も多い

故人との最後の別れなのに、この後は影も形も無くなるのに
故人の姿さえも見ないお別れをする
また、気落ちしている家族に
慰めやお悔やみを伝得たくても、一言も声をかわせない
これが今の会葬者です

これって葬式の在り方を変えて、
故人ともご家族とも会って話ができれば、もっといい葬式になると思いませんか?


故人の事より世間話に夢中の会葬者
だから
親しい人の集まる家族葬が良い

そう思う方もきっと多くいますね
世間話をしても何の問題もない葬式をし続けている葬儀社の努力不足はないのでしょうか

おしゃべりおばさん達はどこにもいますが
この人たちも花入れで遺族の前に出たら、さすがに神妙になるでしょう
きっとおしゃべりしても問題ない式場空間が、
ぞの葬式だけでなく、過去にずーとあり続けているのではないでしょうか

ご家族も故人を懐かしんだり、惜しがったりしてくれる声を聴き続けていたら
関係ない人は葬式にいらない、なんて思わないのでは・・・

振り返ってみれば
昔からの葬式ではありますが、葬儀社は少しづつ改革をしてきました

それぞれの人を送るのだから、と
故人らしいお葬式を考え始めました

大切な人を亡くし、心に痛みを抱えるご家族の為に
グリーフケアや居心地の良い控室を考えました

故人の尊厳やご家族の為に
遺体の処置や管理もするようになりました

会葬者が葬儀に来て不快な想いをされないように
接遇に気を配りだしています

しかし故人と遺族と会葬者の関係を再構築しようとは
まだ、考えていません

多くの人が故人を惜しんでくれて嬉しい、と家族が感じる
お別れに来て良かった、と会葬者が感じる

そんな葬儀を、考えないといけない

毎度いう言葉ですが
家族葬が悪いというのではない

別れたい人が自由に別れることができる
普通の葬儀をしてほしい

家族だけでなく、悲しみは他の人とも共有してほしい


最期に一言追加すると
家族であっても、親族であっても、友人であっても
葬儀の間中悲しんでいるものではない
ご近所の人が世間話をしても、それは当然といえば当然です
悲しみの度合いが違う
でも、その人達にも別れる気持ちがあるから
わざわざ着替えて、香典を用意して、時間を割いてきているのだと思います

その気持ちを多く感じてもらうのには
やはり葬儀社の運営力が大きいのではないでしょうか

葬儀社が「これからは家族葬が主流
会葬者数は増えることがない」って主張してしまうのは
悲しい、です

人は社会とは切っても切れない繋がりがあって
そして人生を送っているんです

それを断ち切るのは無縁を選択しているのではないかしら

地域とのつながりを求めるのが葬儀社ですよね








母とエンディングノートを書き始めました

2013年01月07日 | 私の半径100メートル
正月を母と過ごしました

父を亡くしてから2年がたち
ようやく一人暮らしに慣れてきた、と母は言っています

久しぶりに私達家族と一緒に過ごす母は
気を使いながらも楽しそうです

「近くに住もうか?」
「そのうちにね」
いつも同じセリフのやりとりです

高齢の母が一人でいるのは気がかりですが
母の気持ちを尊重して希望通りにしようと思っています

丁度いい機会だったので
母のエンディングノートを書くことにしました

最近の母は目も悪くなり、字を書くのも苦手になっています
年を取るとは、そういう事なのですね

すぐに掛けそうな項目から私が母の気持ちを聞き取って
書き込むことにします

先ずは、一人で暮らしているので
緊急事態の頁を書き込むことにしました

緊急連絡先は子供たちですが
実際には介護でお世話になっている事務所が
一番早く駆けつけられそうです

かかりつけの病院と先生の名前、そして携帯電話も記入します

病名は私も知っていますが
飲んでいる薬は書き写さないと難しい名前ばかりです
それと数の多さに驚きです

重い病気にかかったら病名は知りたいか?
余命は知りたいか?

母は全部知りたい、と言いました
理由は?と尋ねると、片づける事が沢山有るから・・・
と言います

延命は?
延命の種類や、処置も内容を説明してから
そうしたいか?聞きました

延命は拒否です

ついでに尊厳死宣言書にも署名をしました
これだけは自筆です

献体も臓器提供もしない
「こんなぼろぼろの体、貰ても迷惑よ」お、母がいい
「それより年齢制限があるから無理だわ」と、私も答えます

母は10年ほど前に、角膜の移植手術を受けました
よそ様から頂いた角膜でしたが
残念なことに視力は戻りませんでした


母自身の事を尋ねます
小学校、女学校、軍需工場、病院勤めそして終戦
戦後の勤め、そして結婚


辛い話かと思ったら
戦時中が一番面白かった、と意外な答えが返ってきました

母の務めた場所は、どこも居心地がよく、周りの方からも
可愛がられたそうです

以前父の昔話も聞きましたが
東京にいた父は、出征した父親や兄の代わりに
小さな妹、弟、そして母親を守るために
苦労をしたと、聞いたことがありました
働きながら、買い出しも、空襲から逃れるのも
大変だったそうです
死体も沢山見ています

それと比べると軍港のあった横須賀の病院に勤めた母は
空襲も受けず、食糧難にもあっていませんでした

それとは反対に
そのころの話をする母は、とても快活で嬉しそうです

戦争の中でも、母の青春はあったのだと
私も弾んだ気持ちになりました


エンディングノートを書きながら
思わぬ会話が交わされました


感動した葬儀・・・って

2013年01月02日 | 悲しみのケア
今年の初ブログです
あけまして、おめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします


昨年の暮れに、友人がオフィスに立ち寄ってくれました
実家の母親の100か日を終えたそうです

突然の死から今までの出来事を、語ってくれました
葬儀の準備にかかり、実家の近所へ出かけた時に
母親の死を告げると、知らない方々が驚き、悲しんでくれたことが
何度もあったそうです

駆けつけてきた人たちは、友人にとっては名前さえ解らない人です
その見も知らない人たちが、母親の枕もとで泣いてくれた
「どうして死んだの」と母に語りかけてくれた
その様子は、母親を突然に失った友人にとって
「どんなに有難いことだったか」と、聞かせてくれました

自分の母親を慕ってくれる人がいる、
一人暮らしの母は私の知らない処で、幸せな時間を過ごしていたのだ!と感じたそうです
そして葬儀に来てくれた人に心から「有難い」と感じたそうです


社団法人 終活普及協会 しゅうかつ では
「私が感動した」お葬式 という題名で手記を募集し
大賞と入賞作品の発表をしています
http://www.shukatu.org/happyou/index.html

大賞は 『立ち続けた祖母(おんな)』という作品です

祖父を亡くした高齢の祖母を気遣い、立礼時に椅子に座らせようとしたら
突然、その手を振り払われ驚いた
葬儀の後で祖母から「葬儀の時くらい私の自由にさせて」と言われ
その姿に感動した、そんな内容です

このおばあちゃんの姿は、私の母にもありました

夫の為に最後にできることは
お別れに来てくれた人達に、お礼をすること
それが自分の役目と信じている

だから、邪魔されたくなかったのだと思います


この他にも、葬儀に関わった人たちの心が描かれた作品が
入選しています


ある作品の中に
「参列者が多く慌ただしい葬儀より、親しい者がゆっくりと見送った方が、夫も喜ぶはず」と考えた・・・
とありました

そして
友人の一人が「派手な葬儀で、近所の人に義理で来られても恐縮で故人も喜んじゃいないよ」
自身の葬儀は、身内だけにするつもりだと・・・

と、続いています



多くの方々が、今の葬式をこのように捉えています

私の母も父の葬儀に来てくれた方々には感謝し、心から有難いと思っていますが
ご近所の親しい友人が死んだ時、葬式に行くのをためらいました
友人の家では故人に触れて語りかけていたのに
葬式は行く気になれないようです
母にとっては一番の親友の死です

会葬者が行きたくない葬式が今の葬式なのかもしれません


昨年は何度も何度も、聞きました
「葬式はますます小さくなる、この動きは止めようがない」

葬式の規模うんぬん・・・ではなくて
葬式の今の形はこれでいいのでしょうか?
会葬者が行きたいと思う葬式は無いのでしょうか?




このことを、今年はもっと考えていきたいと思います