柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

橋爪謙一郎 エンバーマー

2009年02月28日 | 葬儀の世界
葬儀に関わって、遺族の悲しみの深さを知った時に
橋爪謙一郎先生の「グリーフサポート」のセミナーを受けました。

感銘を受けて、すぐに面談を申し込みました。
気軽に受けてくださり、色々なお話を聞きながら食事をご一緒してからの
お付合いです。

以前の職場では、葬儀社の現場スタッフだけでなく、事務職のスタッフまで
交えてグリーフケアの研修を受けました。

毎朝必ず行なう社員ミーティングに参加していただいたり
遺族ケアで開催していた「遺族の心を語る会」にも
何度かゲストで来ていただきました。

橋爪先生の若さに、初めは遺族の方が引いているのが感じられましたが
話の終盤には、質問される遺族が沢山いらして
みなさん、先生の答えに安心していましたね。

「先生、娘が心配して毎日電話をくれます。
泣いていると、叱られてしまうので、そのときは頑張って
明るくしてるんですけど」

と質問した遺族に

「もっと自分の想うとおりにしていいんですよ。
悲しんだから、泣いていいんです。
あなたに元気になれって言う人は、実はあなたが悲しんでいるのを
見ている自分が辛いから、そういうんです。
もっと自分本位に考えていいんですよ」

と答えていました。

この言葉、身に覚えがあります。
私も過去にそういって慰めたつもりになっていた自分がいます。
その通りです。
あの時は、悲しんで落ち込んでいる知人を見ていると私自身が苦しくなったのです。

そして、先生は日本では数少ないエンバーマーの技術を習得した方でもあります。
遺体の完全な衛生処置や修復をするエンバーマーを教育しています。

私が遺体処置に特別にこだわっているのも
橋爪先生から、教えていただいた結果です。

それから現在に至るまで、色々な影響を与えて下さいました。

その橋爪先生が「エンバーマー」という本を出版されました。
そして
『エンバーマー』
~心とご遺体の修復する為に僕がしてきたこと~
出版記念パーティ
がありました。

先生と
納棺師・橋畑正人氏
   (映画「おくりびと」で納棺の指導をした方)
龍谷大学短期大学部準教授・黒川雅代子氏
   (救急救命看護士から大学へ再入学。講師を経て現在は「遺族支援の
   ありかた」を教育する傍ら、多くの遺族サポート団体の運営などに関与し
   ている)
の3名のトークショウがあり
その後に懇親会が開かれました。

このトークショウは中身の濃い話を聞くことが出来ました。
遺族にはどの様に接すればよいか?
なぜ日本にはグリーフケアがねずかないのか?
遺族をケアするスタッフのケアはどうするべきか?
など、
中身の濃いトークショウでした。

いらしているお客様は100名ほどで
葬儀業界の主だった方が見えてました。

葬儀業界の明日を担う方だと確信しています。





患者の世話

2009年02月26日 | 世の中
義母が1月23日に入院をしました。

「気持ちが悪い、病院へ行きたい」というので
診察に行きましたが、その時点で入院となりました。

母が診察中に、先生から呼ばれて
「心不全を起こし、かなり重症です。高齢なので、急変するかもしれません。
そのときの為に呼吸器をつけるか決めていただきたいのですが」と言われ
ビックリしました。
だって、直前まで歩いているし、待ち時間には私とおしゃべりしていたので。

それから、2週間くらいは確かに落ち着かない状況が続きましたが
おかげさまで、何とか安心の域に入りました。

でも89歳という年齢もあって、結局約5週間の入院となりました。

最初はICUにいましたが、その後は8人部屋に移りました。

全員が80前後の患者です。
自分で歩ける人は、1人もいません。

ベットの横には簡易トイレ
移動は車椅子
テレビを見る人は一人もなく
患者同士の話し声も聞こえません。

義母と、その他の2人には毎日誰かの見舞いがありますが
殆どの患者さんの見舞いは、余りありません。
見舞いに行くたびに、他の方に申し訳ない気がしてしまいます。

患者さんの全ての用を病院側がしています。

大変なことです。
看護士さんたちは、本当に忙しそうです。

でもこの病院は、親切にお世話をしてくれています。

見ていると、患者さんのほうは、結構わがままを言ってます。
気に入らないとわざと飲物をこぼす人もいて、ビックリです。

高齢者が多いので、わがままというより
少し、訳が解らなくなっているのかも知れません。

孫のような年の看護士さんが怒りもせずに話しかけているのを見ると
感心してしまいます。

でも、正直言って、簡易トイレの臭いには参りました。
少し立つと慣れるのですが
やっぱり、気になりますし清潔感がありません。

勝手に処分できないので便器にはいつも尿や便が入っています。

定期的にチェックしてから捨ててくださるのですが・・・


日本以外の国では、トイレをどうしているのでしょう?
病室とは思えない臭いですよ。

それにカーテン一枚で仕切るだけですから
トイレをするのも気が引けますよね。


でもやっと、義母の退院が決まりました。
後2日の辛抱です。

本当に先生や看護師さんには感謝です。


時間がたつと、つい忘れがち

2009年02月25日 | 悲しみのケア
実はね、今日洗濯物を干すハンガーが壊れました。
もう寿命と思っていたところです、が
主人が直してくれました。

お陰で、又しばらくは使えます。

このハンガーの洗濯ばさみを見て思い出しました。

以前、リウマチの痛みがひどい時
洗濯ばさみが使えなかったことを・・・

洗濯ばさみのバネが硬くて
親指とひとさし指で、摘んで開くことが出来なかったのです。

そのために、下着用のバネの柔らかい洗濯ばさみを買ってきて
全部付け替えて使っていたのです。

バネが柔らかいと、重い洗濯物は
はさんでもすぐに落ちてしまいます。

そうそう、洗濯物そのものが重くて
持つのが大変だったのも、忘れてました。

今は、薬のお陰でそんなことも
なんともないのです。

ほんの2年前の事なのに
人間て「喉もと過ぎれば・・・」なんですね。

大切な人を亡くして、その悲しみも
こんな風にすぐに忘れればいいんですけどね。

周りを見ていると、どうもそうはいかないんです。

元気そうに見えても、数年ぶりに「悲しさが増して」
そんな言葉が聞こえます。

時間がたって、すっかり明るくなった。
もう、あの人は悲しみから癒えた。

つい、そんな風に決め付けてしまいますね。

大切な人を亡くした人には
時々、「今は大丈夫?」と声を掛けることも
必要かもしれません。

時期的にも「木の芽時」とか言うじゃありませんか。

たった一人でも気遣う人がいてくれたら
きっと、悲しみから早めに脱出できのではないでしょうか。

皆さん、お忙しいとは思いますが
チョット、周りを見渡してもらえませんか?

「おくりびと」が又話題です

2009年02月23日 | ご遺体のケア
「おくりびと」が米国アカデミー賞外国語映画賞を取りましたね。

56年にこの賞ができたらしいのですが、日本の映画の受賞は初めて。
すごい快挙です。

「映画は言葉を超えるということを実感した。この映画は死を扱っているようで、実は人間がどう生きていくのかということを扱っている。その意味で、人間の普遍的な感情を描けたと思う」
と、滝田洋二郎監督は言っていますが、本当にそうなんですね。

私も葬式の準備の話を、多くの方にしますが
「死の準備」をするには、それまでどう生きていくか?を考える事なのだと
いつも再確認させられます。


ところで、映画の中で行なわれる納棺は納棺師が行なっています。
私が葬儀社にいたころは、自分達で行っていました。

事前に故人の衛生処置をし直します。
それから旅支度をしていきますが
なるべくご遺族やご親族に手を掛けていただくようにして
私達は説明やサポートをしました。

遺族が故人の為に何かをする・・・事が
現在では皆無になっています。
全て葬儀社が代行してしまうのです。

遺族はただ、レールに乗って動けばよい・・・
そんな状況です。
心労の多いときに便利で簡単だけど、はたしてそれでよいのか?

そう感じていたので
旅支度やお化粧は出来るだけ手を掛けてもらったのです。

ある日「納棺」の会社が営業にこられ
納棺のビデオを見せていただきました。

「おくりびと」と同じ内容で
実に綺麗に着せ替えをされ、故人の身支度をしていました。
見ていて、感動したのを覚えています。

でも、私は例え、かっこよく出来なくても
スタッフと遺族で故人に関わって欲しかったので取引はしませんでした。

遺体の衛生を保ち、綺麗に管理することが出来ない葬儀社は
まだまだ、沢山あります。

その場合は、納棺師を頼んだほうが故人は良い状態が
保てますし、遺族も心が穏やかになります。

納棺師はただ着物を着せ替えているのではなく
その前に腐敗を遅らすための衛生処置も行っているのです。
その点においても高い技術を持っています。


どの様な形でも良いのですが
故人に優しい、遺族に優しい旅立ちをしてあげたいものです。


「おくりびと」は葬式以外で「死」を感じさせてくれた映画です。






葬儀学校の模擬葬儀

2009年02月20日 | 葬儀専門学校
葬儀学校では、明日卒業イベントとして「模擬葬儀」を行ないます。
毎年、雑誌社も取り上げてくれるイベントです。

生徒達が企画して内容を決まるのですが
今年は「納棺」と「葬儀式場での遺族と葬儀スタッフのやり取り」を
寸劇とナレーションとパワーポイントでの説明で披露します。

自宅の納棺から始まって
式場でのやり取り、出棺の様子
式後49日法要が終わって、茶の間の親子の会話
「今度は、私の番ね」
「エンディングノートがあるんだって」
「へー、どれどれ」
そんな寸劇です。

実は数日前に、生徒の練習を見てきました。

台本も中々良くできていましたし
演技にも熱が入っていました。

多分、本番は上手に出来ると思います。

私は仕事で名演技を見ることが出来ません。

残念です。

皆この後卒業して、それぞれの道へ進んで行きます。
頑張って欲しいですね。

子供たちの為に企画されたお葬式

2009年02月18日 | お葬式
古い資料を見ていたら、14年前のアメリカの葬儀の記事が出てきました。

そこには個性的な葬儀が紹介されてました。


●残された子供たちの為に企画された葬儀


夫、フィリップが癌に犯され余命1年と宣告を受けた時、妻のビバリーは
出来ることなら、幼い子供たちに「死を理解させたい」と特別な葬儀を夫に提案しました。
フィリップも妻の考えに同意し、やがてフィリップは亡くなり、ビバリーは牧師と葬儀社に夫と考えた特別な葬儀を依頼します。

牧師も葬儀社もその提案に驚きましたが、快く承諾をして葬儀が始まりました。

ビバリーは家族や知人に葬儀の連絡をしますが
「子供たちの為に葬儀をしたいので、出来ればあなた方の子供も参列して欲しい」
と伝えます。
葬儀場には3歳から7歳までの子供が25人以上集まりました。

ビバリーは子供たちに話しかけます。
「みんな、今日はフィリップのお葬式に来てくれて有難う。
隣の部屋には棺があってフィリップがその中に横たわっているの。
でも寝ているわけではなく、彼は死んでいるのよ。
もし、イヤじゃなかったら、彼の身体を見て、触ってみてね」

そして牧師も「死」について子供たちと話をし「泣いてもいいんだ、
知りたい事はなんでも聞きなさい」と説明をしました。

子供たちは棺の前に置かれたイスに登って
死んだフィピップの身体に触り、その後皆で輪になって牧師の話を聞きました。
牧師はさなぎと繭と蝶について話し、フィリップは蝶のように肉体から
魂が抜け出ると説明をします。
すると子供たちから多くの質問がされました。

『どこに天国はあるの?』
『彼は天国で僕達を見ているの?』
『彼と話すことが出来るの?』
『彼はなぜ死んだの?』
『彼はどのようにガンにかかったの?』
『彼はどこで死んだの?どの様に葬儀場へ着いたの?』
『どうして、遺体を埋めるの?』
『彼は天国で歩いたり、車を運転することが出来るの?』
『彼は今、幸福ですか?』

ビバリーと牧師と子供たちの両親は子供たちの質問にオープンに、正直に
答え、参加した人々からはすすり泣きが聞こえました。
最後に皆で賛美歌を歌い、棺に花をいれ式は30分ほどで終わりました。


日本でも今、個性的な葬儀が望まれています。
でも、こういう考えはまだ皆無でしょうね。

最近は自分の家からお葬式を出す機会が減っています。
おじいちゃんやおばあちゃんは別に住み
亡くなっても、子供たちが遺体に触れることも少なくなりました。

めったに逢わないおじいちゃんが死んでも淋しさを感じない子供たちもいます。
他人の死と同じになっているのです。

葬式は「人が死ぬ」ことを子供に教える時間であったはずなんですが・・・

葬式が立派である必要はないけれど
葬式が無くなってはいけない・・・と思います。




妹が大きく見えた結婚式

2009年02月14日 | sibatanoriko?
妹の様子が変だと、母が気にしていました。
急に電話も来なくなり、連絡すると「忙しい」というばかり。

私にも思い当たる節がありました。
「娘が京都へ遊びに行きたいといってるけど?」と聞くと
いつもなら「何時でも来て!大歓迎」という妹が
「今チョット忙しいの、今度にして」というのです。

その直後に、理由がわかりました。
義弟がガン宣告を受け、手術を受けていたのです。
5%の成功率に妹夫婦は掛けました。
ガンと知っていたのは妹夫婦とほんの数人の親族だけです。

呉服屋をしており、お客様や取引先にも内緒の話です。
同居の両親にも内緒。
中学生の子供2人にも内緒でした。

背中には大きな傷跡が出来、ガンだけでなくその傷の痛みも大きな苦痛でした。
それでも、休みになると親子4人で温泉に出かけ湯治をします。
出来るだけ一緒にいるようにしていたのでしょう。

しかし、ガンの再発、急速な進行。
入退院の繰り返し、妹は殆ど病室に泊まりこみます。
ガン宣告から2年がたち、義弟は亡くなりました。
42歳。
長男は16歳、次男は15歳でした。

看病をする間、妹は私が知る限りでは一度も泣くことをしませんでした。
愚痴ることもなく、いつもニコニコして穏やかに義弟に付き添っていました。
そして、葬式も、その後も妹は悲しみをもらす事はありません。

子供たちは父親がガンとは聞かされていません。
でも、心の中ではそう感じ取ってたそうです。

父親の葬式のとき、長男は「将来、自分が後を継ぐ」と決めたそうです。

義弟は「自分が死んだら店は辞めろ」と妹につげていましたが
結局、女手ひとつで、何とか店を守ってきました。
その間に舅も看取っています。

長男は大学を卒業後3年間の修行をし、昨年店を継ぎました。
そして今日、結婚をしました。

どちらかと言えば無愛想な甥ですが、皆さんの祝辞から
「なかなか、気遣いのある頼もしい男」と意外な面を聞かされました。

お嫁さんは5歳年上のしっかり者のお嬢さんです。
彼女もお母さんを病気で亡くしています。

若い2人が考えた式は、親を亡くしてもその分の愛情を受けた
おじいさん、とおばあさんに感謝をすることです。
突然、名前を呼ばれた双方のおじいさんとおばあさんは
驚いて、オロオロしています。
金屏風の前に立たされ、プレゼントと手紙を貰いました。

その次に、結婚式をするために尽力してくれた
ホテルの担当者にも、感謝をしました。
これも突然の事で、担当してくれた若い女性は泣き出していました。

式の終りに妹が挨拶をします。
涙を浮かべても流す事はなく、落ち着いた笑顔での挨拶でした。

甥やお嫁さんが泣き出しても
そっと微笑んで見守っています。

さっき、妹と電話で話しました。
以前は義弟の背中に寄り添い頼りなさが見えた妹が
今日は、とても大きく見えたのです。
いいえ、今日だけではなく
義弟がなくなってから、ずっとそんな風に見えるのです。

妹は「亡くなった主人の代わりをしなくてはいけない。
今日もそう思っていただけ」といいます。


2年間の闘病は壮絶なものだったと聞いたことがあります。
亡くなった後も苦しい日々があったに違いないはずの妹ですが
それを聞くと「生きている時に、一生分の愛情をかけてもらったから
大丈夫」と答えが返ってきました。
これは彼女の本心だと思います。

ご遺族の悲しみに触れる機会が多い私ですが
本当にそんな気持ちになれるのか?
何かにつけ、ムッ!としてしまう私には
残念ながら理解しがたいのですが。








熱いお風呂に気をつけて

2009年02月10日 | 私の半径100メートル
久しぶりに実家へ行きました。

昨年の暮れに父が温泉の露天風呂で意識を無くした事がありました。
部屋についてる露天風呂だったので、窓越しに見ていた母が
父の異変に気付き、事なきを得ました。

風呂から引き上げられた父は、しばらく朦朧としていましたが
やがて意識が戻り、何事も無い状態に戻ったそうです。

帰宅した父は、頑として病院へ行かず、そのまま今に到っています。

1月末にNHKの「ためしてガッテン」を見ていて
「これだ!」と思い当たりました。

42度くらいの熱めのお風呂に入ると
熱い刺激に体が驚き、すぐに血圧が上がるそうです。

しかし、体が慣れてくると徐々に血圧が下がり始めるそうですが
思いもよらずに、血圧がどんどん下がってしますことがあるそうです。

すると体中の血管が広がってしまうので、脳まで血液がまわらなくなり
意識障害を起すそうです。

気が付かないうちに、気を失った様になり
風呂に沈みかけ、肺に水が入ってくると
そのショックで心臓が止まることがあるそうです。

実は風呂場の死因では、これが一番多いそうです。

私も、母も、父はこの状態になったに違いないという
結論になりました。

その温泉に同行していた妹からも
「ためしてガッテン」を見て、すぐに電話があったそうです。

怖いですね。

でも、本人は何の症状も無いので危機感はまったくありません。
「だから医者に行く必要はない」と言い張っています。


私も42度のお風呂が好きなんです。
気をつけないと、いけないですね。

38度くらいのお湯にゆっくり入れば
42度のお風呂に入ったときより、ずっとポカポカ感が残るそうです。

この番組を見た方も多いと思いますが
すぐ身近にこんな例がありましたので、ご注意下さい。

寒い時の熱いお風呂、気持ちいいんですけどねー。

自分の葬儀を考える

2009年02月08日 | 事前相談・アフターサポート
昨日は地域の方に葬儀セミナーをしてきました。

「自分の葬儀を考える」という題です。

昨年暮れに「今時の葬儀事情」というセミナーをしていますが
同じ場所で、2回目のセミナーです。

参加者の8割は以前のセミナーも受けた方でした。
嬉しいですね。
続けて聞いてくださるなんて。

そのせいでしょうか、始める前から
皆さんが私の顔を見てニコニコして下さいます。

思わず「お久しぶりです」の言葉が出てしまいました。

自分の葬儀を何故考えなきゃならないか。

高齢者だけの世帯は、年々増えているのです。
夫婦の片方が亡くなれば、一人住まいになってしまいます。

子供がいても、近くに住んでいるとは限りません。
こんな社会情勢になって、子供に全て託したくても
そうも出来ない世の中になってしまいました。

自分の始末は、結局自分でしなくては・・・と考える方が多くなりました。

「人の世話にはならない」なんて言っても、
死んだら、自分は何もできません。

「人の世話」を受けないと葬儀も出来ないし、お墓にも入れないんですものね。

「でも、出来るだけ迷惑掛けないように、自分が出来る事はしておきましょう」
ということなのです。

これは大事なことだと思います。

自分の最後をちゃんとしておく為には
そこまでの準備が必要になるんです。

そのためには、どうやって生きていくかを考えないと
準備は出来ないのです。

『死』を考える事は『生きること』を考えることなのですね。
そうすると、生きていく時間が大切になるのです。


という訳で、「自分の葬儀」を具体的に考えるテキストを
お渡ししました。

例えば家族葬の目安と一般葬の目安は?
1自分が亡くなったら、義理でも御参りにくる人が多い
2これまで弔事はきめ細かく対応してきた
3喪主になる者が社会的立場があり会葬を断れない

以上の条件があれば、一般的な葬儀のほうが良い。
何故なら、家族葬で行なっても死後に香典を持ってお参りに来る方が多く
遺族が大変な思いをするから。

遺族が、それを覚悟してくれれば
家族葬でもいいと思います。

自分の葬儀を考える時は、一応ここまで考えて見ましょう。

そんな、アドバイスを入れながら『自分の葬儀の小冊子』を作っていきます。

あっという間に、セミナー時間の1時間半は終わってしまいました。

会場スタッフの方から「皆さんがとても良い講演だった」と皆さんが
言って帰られました。と聞き
「良かった」と胸をなでおろしています。

公演が終わってから、「ご無沙汰してます」とご挨拶を受けました。
以前にご主人を遅らせていただいた喪主様がセミナーを受けていました。

ご主人を送って、お母様を送って
今度は自分のことを決めたおきたいと
参加されてました。

実は地元ですでに何回もセミナーを開いてますが
かってのご遺族が来てくださったのは3回目なんです。

皆さん、伴侶を亡くされ悲嘆の時間をくぐられ
しっかり自分の生活をされているのだなー。
だからこそ、ちゃんと「死を受け止めたい」と思われているのだなー。

と、感じました。

こうして皆さんが葬儀の知識を得る事は
自分の希望の葬儀が出来ることなのです。

高い、不親切、希望の葬儀ができない、形式的だ・・・などなど
クレームの多くは、正しい知識を持ってちゃんと希望を聞いてくれる
葬儀社を選んでおけば、殆どは無くなるはずのものです。

そのためにも、葬儀のセミナーや勉強会があったら
聞いてみて下さい。

葬儀の話と言っても結構、面白いですよ。
セミナー中は笑い声がおこります。

一度、聞いてみたいでしょう?

是非是非、いらしてください。

喪主花にもコサージュ

2009年02月06日 | お葬式
喪主の胸には、大き目の喪主花というのを付けます。
親族には、小さい喪章を付けます。

会葬者と親族を見分ける為と、喪に服す意味の象徴でしょうか?
私も、その意味は正確には知りません。

でも最近では、つけない葬儀社もありますね。

確かに、お葬式は参加者全員が黒い服です。
葬儀社のスタッフまで黒のユニフォームを着用している所ももあり
見分けがつきにくいのです。

それで私は、喪主だけに花を付けて貰う様にしています。

普通は白のバラの花とか
菊の花とか
リボンで作った花とかです。

普通は一度使うと、形が崩れるので使い捨てですが
綺麗なら、何回か使用します.

花の下に白黒のたれが付いていて、「喪主」と書いてあります。

葬式全体が様変わりしても、この喪主花は変わりません。

どうにかならない?

と、ずーと考えてました。

ある日、コサージュを見に行った時
黒、白、グレーのコサージュが沢山あるのに気が付きました。

しかも、大きさも素材も色々とあるんです。

ステキなんですね。

これだ!と思いました。

過去に、生花で喪主花を作ってみましたが
1日と持ちません。

式場内は暖房も強く、乾燥しているので・・

そこで、幾つかオシャレなコサージュを買って、試してみましたが
なかなかいいのです。

作りもしっかりしているし留め金もきちんとできてます。

女性が喪主なら、式が終わったら差し上げるといいですね。

法事にも使えるじゃありませんか。

数がまとまれば、問屋さんで結構安く買えます。

以前、ある業者さんが、デンファレの花1輪を胸に挿せる様に工夫して
会葬者に配り、お花入れの時にその花を棺に入れてもらう・・・
という提案をした事があります。

その後、余り見かけないので、普及しなかったのだと思います。

私も生の花なので、仕入れてからの扱いがどうなのか、と
会葬者全員に強要するのはどうなのか?

そんな疑問があって、とり入れなかったのですが。

でも、黒い服の上にピンクのデンファレが1輪あると写りも悪くないのですが。

私は遺族の思いを形にするのはいいのですが
会葬者を巻き込むのは、どうも気が進まないのです。

例えば、故人がとても愛されていて
集まった人全員が死を悲しんでいる場合は親族に準じて考えっても
良いように思うのですが

どの葬儀も、同じとは思えなくて。
普通の葬儀でそこまでやったら、演出じゃないかな・・・と
私は、葬儀をイベントにはしたくないので。

寄せ書きや、お別れの手紙を書かせるのとかは
慎重にしています。

あら、喪主花の話なのに又脱線してますね。


お葬式に行く時に、喪服でなくても黒いコサージュは便利です
と紹介しましたが、喪主花にも十分に使えます。

授賞式に菊の花束です。

2009年02月03日 | 世の中
テレビを見ていてビックリしました。

昔のヒットした曲を特集していました。

レコード大賞の受賞場面で
和田アキ子が「どしゃ降りの雨の中で」を歌っているんです。

このときに流した涙が、マスカラのせいで真っ黒い涙だった・・・・て
話題になったときです。

歌っている和田アキ子に当時、横綱の輪島が花束を持って現れました。

受け取った花束を胸に抱いて、熱唱しているのですが
なんと、持っている花束が白い菊とボタン色の菊なんです。

花の本数も20本位かな。

すぐに、「お墓参りの花束」?を思い浮かべました。

そんな前ではないと思うけど
数えて見れば30年くらい前でしょう。
やっぱり、花は菊だったのかな?

でも私小学生の頃、教室によくお花を持って行った記憶があるけど
カラーとかチューリップとか持っていった覚えがあるのです。

気になって、その後の花束を探して見ましたが
五木ひろしが持っていました。

で、五木ひろしはやっぱり白い菊と薄いピンク系の薔薇でした。
うーん、やはり菊か・・・

その後、昭和54年にシルビアが百合とオンシジュ-ムの花束を持ってました。

こうやって見ると面白いものですね。

花のイメージも年代と共に変わっていくのですね。

私は、少し前まで菊の花を葬儀に使うのが淋しく感じて
好きではありませんでした。

綺麗な洋花が沢山使われ、葬儀も華やかになりましたよね。

ところが、お花屋さんに行くと最近、菊の花の綺麗さに気が付きました

菊も沢山の種類が出てきました。

中には洋花とあわせても違和感のない物もあります。


最近の色々な授賞式では1メートル以上の大きな花束が出てきます。

これから、花は一体どんな風に進化していくのでしょうか?
楽しみですね。

いたずら電話がかかってきたら。

2009年02月01日 | 
いたずら電話の被害を受けたことありますか?

一度や二度はあるかもしれませんね。

葬儀社に務めていた時は、よくありました。
大抵は、同じような職種関係が掛けてくるみたいです。

何か言って切ることもあるし
無言電話もありました。

葬儀社の場合は、夜中でも仕事の依頼電話があるので
出ない訳にはいかないし・・・
困ったことです。

そういえば、こんな話も聞いたことがあります。
葬儀会館の建設反対は、大抵、同業社が仕掛け人だとか???
ありえるかもしれません。

プライベートでも以前、いたずら電話がかかってきたことがあります。
無言で切れます。
いたずら電話を受け始めた頃は「この電話は多分そうだ!」と解っても
優しく丁寧に電話に出てました。

でも余り続いたので、チョット工夫をしてみました。

「もしもし?もしもし?」
と何度答えても、無言だったので
「もしもし、もしもし、もしもし、もしもし
 もしもし亀よ、亀さんよ、世界のうちでお前こそ・・・」と歌ってみました。

その後、いたずら電話はなくなりました。

10日ほど前ですが、明け方に出るとすぐ切れる電話が立て続けに10回かかってきました。
この日は、無視して3回目あたりからは出ませんでしたが
この次にかかってきたら、久しぶりに「亀さん」を歌ってみようと思います。

今のところ、かかってきませんが。

デモネ、この電話番号は実は限られた人にしか教えていません。
誰でしょうか?
偶然にかかってきた事も、否定はできませんが。

ひょっとして、恋の告白をしたかったのかな!!!・・・???
明け方に????

皆さんも困ったら、「亀さん」を歌ってみたらいかがでしょう。