柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

遺族の試練は葬儀後から

2010年12月31日 | 悲しみのケア
昨日、実家から戻ってきました。
父の介護が重くなったこの数カ月、誰かが実家に泊まり込む日が続きました。
私は1時間で行き来できるので、ちょこちょこと数日単位で行きましたが
京都の妹は、来れば1週間から10日単位で泊まってくれました。
12月は幾度かの危篤もあったため21日間居てくれました。

母は夫を亡くし
私たちは父を亡くしました。

母にとっては全てを亡くした感がありますが
私たちは父を亡くしただけにとどまらず
残された母がどうなるのか、その心配も大きいのです。

その気持ちの違いは、時間と共に心の葛藤にもなります。

こうしたら、ああしたら、と口出しをする子供を
母は、自分の悲しみを妨げる行動と感じ取る場面も出てきます。

と言って、母を置いて帰るのも気がかりです。

「もう長い事、家を空けているのだから、早く帰って」と言う母の言葉の影に
「夕方は嫌い、一番寂しくなる」と繰り返す言葉が聞こえます。

父を送り出しましたが、父の死の影響はこれから始まるのでしょう。

母の望む一人生活に慣れるまで、少し時間がかかります。

その後、どのくらい1人で暮らしていけるのか?
それも疑問です。
85歳の母に、日薬効果はどんなものなのでしょう。

1人で過ごすお正月はやはり辛いと思うので
また、出かけて行こうと思います。


会葬者のケア

2010年12月28日 | 葬儀の世界
父の感謝式に参列した方から感想を頂きました。
葬儀業界に無関係の一般の方々です。

葬儀社サイドは
葬儀に関して新しい試みをすることが臆病になっています。

前例がない
無難が良い
変わりすぎは、受け入れられない
そこまでは、チョット

などの声が多く聞こえてきます。
でもこの考えは、勝手に自分達で決めているだけの事です。

父の感謝式を通じて一般の会葬者がどう感じているか、
どうか知ってほしいと思います。

また、皆さんにも葬儀は従来の葬儀が正式と思わないで欲しいです。

要は、誰の為の葬儀か?でしょう。
故人、遺族だけではない
会葬者の為の葬儀でもある事を感じてください。



>>>>>伺ったご意見です<<<<<

*今までとはまったく違ったお通夜に感動しました。家族にも話しました

*通夜なのに、ご遺族の方々といろいろお話ができるところや、ご遺族の方が故人の人となり
を話してくれるところなど、本当に良かったと思います

*最後に会葬のお礼に「タオル」と「ブランデーケーキ」の選択ができるところも単純に感動しました。

*故人の顔を見てお別れ出来るなんて異例の通夜ですが、本来あるべき姿のような気がします。

*正直に言って会葬者に読経は必要なのでしょうか?いつもより何倍も感動しました

*死んですぐに葬儀をしなくても良いと初めて知り、また遺体が何日も綺麗でいられるのも驚きました

*焼香した後、折鶴を棺に入れ、会葬者もお見送りをした気になりました

*故人に向けたメッセージを読んで、親しみを感じジーンとしました

*逢った事がないお孫さんから、写真の説明を受け嬉しかったです

*奥様に声をかける事が出来、懐かしく感動しました。

*通夜の様子を聞いていたので、不謹慎ですがワクワクしながら伺いました

*私の親にもこんな葬儀をしたかったと残念です。

*親の葬儀の参考になりました。


一番多かったのが「感動した」という声です。
泣かせる要因は何もありません。
明るい通夜です。
故人を美化もしていません。
むしろ、我が儘でご迷惑をかけて・・・と正直に伝えています。

故人や家族と縁のあった人にとって「葬儀は迷惑な事ではない」のが
とてもよく解りました。

遺族のケアだけでなく
会葬者のケア(来て良かった、と思う事)も葬儀には重要なのです。

やって良かったです。通夜の感謝式

2010年12月26日 | sibatanoriko?
4時に親族で納棺
5時から、親族のみで通夜の読経
6時から、通夜を開式。
(実際は、6時を大分過ぎての開式でした)

喪主から今回の通夜を感謝式とする趣旨説明
献奏
その間はスライドを見ていただきました

焼香、故人対面、遺族のお礼、メモリアルの展示と流れを作ります。

一体、会葬に来ていただいた方が、どう反応されるのか
とても気がかりでした。

しかし、大きな戸惑いもなく
参列の皆様は、ご案内通りに動いて頂けました。

200名ほどの会葬でしたので
ご挨拶の場では、列ができましたが
混乱は有りません。
その先の展示コーナーも盛況でした。

親族からの声がけや説明が功をなしたようです。

会食も会場がゆったりしていたため
時間をかけて楽しんでいただいたようです。

式場の遺影写真は
父の写真7枚を大きく組み合わせています。

お見え頂いた方からの声は

「死後13日たったとは思えないくらい、遺体が綺麗」
「エンバーミングを初めて知った」
「死後すぐに葬式をしなくてもいいのだ」
「故人へもメッセージを読み、故人を知らなくても感動を覚えた」
「遠くから来たが、葬儀に出て良かった」
「久しぶりに遺族とあえて、しかも会話ができた」
「いい式だった」

家族は
「父のおかげで、より皆さんとつながりを感じた。有難い」

もう少したったら
写真もお見せします


本当に遠くからご出席くださった皆様
有難うございました。




加齢臭に気をつけて

2010年12月24日 | 世の中
父が倒れてから実家に頻繁に通うようになり
タクシーを利用する機会が増えました。

そうしたら気がついた事があります

タクシーの乗ると中年以上の運転手さんの車内に加齢臭を感じます。
多分、ご自身はずっと乗っているので気にならないのでしょうね。

タクシーに乗り込むと半数近くの車で匂いが気になります

そう言えば、我が家でも主人の匂いが気になったり
夏などは自分さえも「あれ?ひょっとして加齢臭?」と思う時さえあります。

今日乗ったタクシーは芳香剤が置かれていい香りがしました。

お客様を乗せるのですから、この気遣いは大切です。


話は変わりますが、明日は父お通夜です
今日から式場の準備を始めています。
花はカサブランカを希望。
父が大好きな花です。

夕方式場によってきました。
一歩足を踏み入れた途端、いい香りがしています。

花の香りは好き嫌いがあります。
来て下さる方を、心地よくお迎え出来るといいのですが。


全員参加型の葬式

2010年12月21日 | sibatanoriko?
24日の通夜に向かって準備が進んでいます。

通夜に来ていただいた方には、通常の訃報でご案内をしています
父の通夜は、住職のお経は有りません。
故人との対面と遺族からのお礼を伝える形です。
その趣旨を印刷したものを、受付で皆さんに渡します。
(受け付けに家族も入ります)

開式時に喪主から挨拶をします

故人の前で焼香をしていただき
折鶴を侘むけて、故人と対面していただきます。
(この折鶴は、母や子供たちや孫が暇を見つけては折っています)

この後、家族、会社関係者が参列者へのお礼を申し上げる場にご案内します。

その近くには、父の写真、周囲の人からの頂いたメッセージが展示
父の一面をご覧いただきます。
(皆で写真を選択。メッセージをお願いしたり、自分達も書き込んでいます)

そこに父が大好きだった鯛焼きと黒飴をおき
皆さんに味わっていただくつもりです。
(鯛焼きや、黒飴の注文しました。お茶をお配りしたり、写真の説明は親戚や孫たちがします)

通夜の振る舞いにご案内し、帰りに香典返しや会葬御礼の品をお渡しします。
会葬礼品は2種類用意しお好きな物を選んでお持ち帰りいただきます。
(この係も孫がします)

家族全員が参加する形で通夜を行い、参列してくださった方をおもてなしします。
通夜に参加された方が、戸惑わないように
せっかく来て下さった時間を有効に過ごしていただくように
私たちも、納得して送れるように
準備をしています。

お医者様の言葉はメスか?

2010年12月16日 | 世の中

体調不良を訴えタ母を病院に連れて行った時の話です。
この頃はまだ父の危篤状態が続き、母は体中の異変を感じていました。

「どうされましたか」
「先生、母は」と言いかけたら
「あなたでなくて、ご本人から聞きますから」
(・・・なるほどそれもそうね。でも、うまく伝えられないと思うけど…私の心の声)

母が症状を説明すると
「このほかに付け足すことは有りますか」と私にむけてきたので
「はい、今父が危篤で母はこのところ不安定な・・」
「あ、そういう事じゃなくて。症状です」
「いえ」
「じゃ、聴力検査してください」

検査後に再診察を受けると
「問題ありません。ちゃんときこえてるから」
「でも先生、私、自分の声がボワーとして、良く聞こえないんですが」
「だって、あなたさっきは聞こえるって言ったでしょう!」
(・・・だから、他の人の声は聞こえるっていう意味よ…私の心の声)

「心配ないですから、一応、薬出します」
「先生、今飲んでる薬がありますが」と私が見せると
「えー、こんなに飲んでるの。やめとこ!薬出すの。この中に安定剤も入ってるし」
と、薬を机の上に放り投げました
(・・・緑内障で角膜移植して、リウマチで高血圧なんだから、問診票見てないの?…私の心の声)

「心配ならMRとってみますか」
「お願いします」と母

「予約入れます」
「先生、今、主人が危篤で、もしかしたらその日にこれないかもしれません。その時にはどうしたらいいでしょう」
「あのね、病院はあなたの都合どうりには、行かないから。その時はあきらめて!」
「あ、そうですか」
(・・・病院をどうかしようなんて、思ってないでしょう。他に言い方ないの?…私の心の大声)

ここで私は切れました!

診察室を出るとき先生の名前を看護士さんに確認
看護士さんは申し訳なさそうに名前を伝えてくれました。

その後、病院へ苦情を伝えました。
お客様係、なる人は平身低頭でしたが、先生の名を告げると
「あ、慶応からいらしている先生ですか・・・・」
(慶応から来てると、注意できないの?この病院の将来は無いかも…と私の声)

この先生は、悪い人ではありません。
教わった通りの身体的な治療をしました。
でも患者の体以外の診察はしませんでしたし
患者へのコミュニケーションはゼロ以下です。
なぜなら言葉が選べイ前に
持っている声のトーン
歯切れの良さが、そのままだとガラスの切り口のように冷たく痛く感じます。
自分の持ち物がマイナス要因を多く含んでいるのです
もっとその声や言い方を変えたら、聞く方も楽に聞けるはず。

人間、高齢になるっと、目的を言う前に回りくどい説明から始まるので
正確に伝わりにくいのです。また、聴力があっても会話は聞きにくい時があり
先生の説明などは、緊張しているせいかほとんど理解していません。
でも、ちゃんと返事はしています。
そのために付き添いが必要になります。

患者には心の動きや周りにある環境も体に影響するのは、知ってますよね、
永寿病院の耳鼻科にいらしている慶応病院の若い先生。
将来、もっと人として成長してください。

あなたのお母様が同じ事を言われたらきっと悲しみますしあなたも怒ります。

この話を聞いた弟は
「姉さん、よく我慢してたな。自分なら、その場でぶん殴ってる」と言ってます。
付き添いが私でよかったです。

遺族の初体験

2010年12月14日 | 葬儀の世界
父の死を書いたことで、ブログコメントでもお悔みを頂き
メールにも慰めの連絡が入っています。
本当に有難いです。
気にしてくださる方がいる、それを知ることはかなりの癒し効果です。
私も他の方には、そんな発信が必要と再確認出来ました。


父は脳死状態でも25日間、酸素吸入と、水分と栄養素で心臓は動いていました。
しかし体のあちら、こちらで壊死は起きていたのだと思います。

今回は死亡してから更に13日後の葬儀になりますので
エンバーミングをお願いしています。

病院から帰ってきた時点で
背中にかなりの床擦れが出来ていました。
私たちは毎日、顔や手足を観察しさすっていましたが
背中は見る事ができません。
行く度に、体位が変えられてはいましたが
チューブが喉や鼻から入っていれば、少し角度が変わるくらいです。

痛くも苦しくもない状態と説明されましたが
もし、意識があったら痛かったのでしょうね。

エンバーミングをしていただき、さらに体液漏れがないようにパックをして
通常より時間をかけているようです。
父は明日の夜は自宅に帰ってくる予定。
それから1週間は、ベットに安置します。

火葬までに時間をかけて!
と、いつも言っていますが、今回は色々な都合でこんなに長く
遺体を置く事になり、遺族としてはどうなのか?
そんな体験もします。

そしてもう一つ新たな発見がありました。

救急車で病院に運ばれても
24時間以内の死亡なら、検案になるのは承知でしたが
父の場合、病院に25日もいましたが
亡くなって、検死を受けました。
死因が、病気ではなく
病院外での心肺停止だったので
警察の事情聴取と、監察医の検案が行われました。
訪問看護も受けていましたので
なんの問題もありませんでしたが
改めて、知った事実です。






お問い合わせがあるので
葬儀日程などを書いておきます。

通夜(感謝式)12月24日 午後6時から7時
葬儀告別式  12月25日 午前11時から

場所     スペースアデュー
       東京都台東区下谷1-3-10
       TEL 03-5246-5521


*葬儀は仏教ですが、通夜の読経は先に親族のみで済ませます
参列者の方には、故人との対面、遺族との対話ができるようになっています。
「故人と遺族から、お世話になった皆さまへのお礼」という趣旨で「感謝式」としています。








父との別れで・・・

2010年12月12日 | sibatanoriko?
来るべき時が、きました。
昨日、父が亡くなりました。
脳死状態になって、25日目です。

この間に何度も血圧が下がり、また持ち直し
その繰り返しに、家族が慣れ始めた時に
まるで私たちを驚かせるように、あっという間に息を引き取りました。

11月16日に誤飲から心肺停止になりましたが
救急救命センターの迅速な処置により、父の心臓は動き出しました。

しかし脳の機能は回復せず
体力の尽きるのを待つ日々でしたが、私たちは貴重な25日を与えられました。

死を待ちながら、どの様に父を送るべきか
家族で何度も何度も、話ができたのです。

家族葬を希望していた母は
長男の立場やこれまでの父の人生を考え始めてくれました。

父の友人は皆、亡くなった。といつも言ってましたが
じっくり思い起こせば、知らせる先はいくつも頭に浮かんだようです。

危篤中に、父の古い友人からお歳暮が届きました。
お礼の電話を入れながら、父の状況を話すと
その方は翌日に、意識のない父を見舞ってくれました。
父を見るなり、涙を流しながら
一生懸命に話しかけてくださいました。
その様子は、何より母にとって嬉しい姿だったようです。

もう高齢だから、見えないわよ!と判断されそうなお歳です。
自分より年上の89歳になる友人の見舞いを受けて
意識のない父も喜んだはずです。

このブログでも、父をわがままじいさん、と書き続けてきましたが
この印象は、私だけでなく家族全員が持っています。
痴呆が進み、自分のしたい事だけを訴え続ける父に
穏やかに接する事が、難しくなった頃に父は倒れています。

そして、25日間の時間が、家族の記憶をさかのぼらせてくれました。

父には憎めない可愛さがあるのです。
それを十分に家族が承知していたからこそ
むっとしながらも、無理難題を聞いてきた事を、皆が思い出しました。
自分勝手な愛情表現をする人でしたが
確実に家族を愛してくれました。

その思い出も家族の中で話し合い
孫たちも、おじいちゃんの個性を十分に解っていたのを知りました。

何より変わったのは母です。
倒れる前の父の行動は、母の手に余るものでした。
介護度も高くなり、24時間一緒にいる母には
父への嫌悪感さえ見え始めていました。

しかし、今の母には
良い面を持つ父しか存在していません。

今、皆が父を大切に送ろうと計画をしていますが
父を送るには難問があります。
小さな会社を経営する弟は
会社の決算が目前に迫り、おまけに年末前の繁忙期に入っています。

葬儀を簡単に済ますつもりにはなれず
結局12月24日、25日の葬儀日程としました。

父が興した会社の問題で、自らの葬儀を伸ばす事に
反対する事はあり得ない、と家族で決定しました。

24日は通夜会式前に親族だけで読経を済ませます。
通常の通夜時間に来ていただいた会葬者には
父の姿を見ていただき、直接家族から、お世話になったお礼をお伝えすることにします。

25日の葬儀告別式は通常の形式です。

葬儀では故人と親しんでくれた方にお礼も言えない遺族
葬儀には、焼香だけしにくる会葬者
この双方とも、これで良いのかと?ずっと思っていました。

ご住職にもご理解を頂きました
「とても、いいことだ」と言ってくださいました。

人に囲まれる事が好きだった父です。
それらしい見送り方ができそうです。

葬儀社の方にも見ていただきたい・・・
そんな葬儀を、とりあえず、私の家族で実践してみます。









病院一の受付嬢?

2010年12月11日 | お仕事
月に1回は持病の診察を受ける為に、大学病院に通っています。
検査窓口に、病院では珍しいほど年配の女性がいます。
髪は半分以上が白髪で、小柄な細身の方です。
この方の接客が実に見事なんです。
初対面から、興味深く拝見しています。

大学病院は、予約制なのですが非常に混んでいます。
特に検査室の前はいつも列ができます。

この方は当初、1人で窓口に立っていました。
「○○さん、待たせてごめんなさい。すみませんね」
この会話に、あら、お馴染みの患者さん?と思っていました。
でも、ほとんどの方にこのような口調で話しかけています。

少し待たせた時には
「悪いですね、こんなに待たせて」
久しぶりの方に
「具合はどうですか?良かったですね」

ほとんど全員に方に、語りかけて対応しています。
そう、語りかけているのです。

自分の職務を遂行するだけなら
「はい、次の方どうぞ」
「○○さんですね。この番号でお呼びします。お待ちください」で
済んでしまいます。

それでも、不快を感じる訳ではありません。
でも、この方の対応は混んでいても、腹立たしさを感じさせないのです。

数か月前から、中年の女性が一緒に窓口に立ち始めました。
はじめは窓口業務そのものでした。
そう気がきく対応は誰にでもできる訳はない、と思っていました。

今日、窓口の前で本を読んでいると
いつもの会話が聞こえてきます。
それも二通りの声がします。
目を向けると、先輩も後輩も同じような接客をしています。

そばにいる人の姿で学ぶのだな、と痛感しました。

人を育てる事は、まず身をもって教える事です。
また、学ぶ方も接客を受ける患者の様子を見て
自分達の仕事は、こうあるべきだと気がついたのだと思います。

この女性はかなりの年齢と思われます。
もしお辞めになったら、この病院は
患者の心をつかむ、凄腕のスタッフを失うことになりますね。

でも意外と、病院側はその事に気が付いていないかも知れませんね。
残念だな・・・・・

家族葬、直葬は大人気ですが・・・

2010年12月08日 | お葬式
今や、家族葬、直葬という言葉を出せば、テレビは視聴率が上がり
雑誌や本は売れ、葬儀社は問い合わせが入る、という事になるそうです。

家族葬、直葬ってどうしてそんなに魅力があるのでしょう?

安い、イメージでしょうか?
無駄のないイメージでしょうか?
親しい人だけの別れのイメージでしょうか?

どちらにしても
以前の葬儀が
高くて
不必要なものがたくさんあって
義理で参列する人いが多く、遺族は悲しんで居られない、
と言う事だったのでしょうね。
その反発で家族葬や直葬が持て囃されているのでしょう。

家族葬が悪いと言っている訳ではありませんよ。
だって、以前から少人数の葬儀はちゃんと行われていましたから。
今に始まった訳ではありません。

先日も知り合いのお宅で、おじいちゃんが亡くなり家族葬をしました。
もう年だし、家族葬がいい、と皆で一致したらしいんです。

終わって、喪主の人が言ってました。
「やっぱり近所を断るのって大変ですね。結局お参りに来られて
かえって疲れちゃいましたよ」

この場合は、家族葬を受けた葬儀社が
家族葬の告知範囲をきちんと確認し
その告知通りに出来るように、周囲への対処を教えないといけません。

それには、葬儀社が家族葬を受けた時
どういう聞き取りをするのか、という決め事が出来ていないのだと思います。

それは、各形式の葬儀をどう説明し、どのように進めるのか、決めごとがないのでしょう。

従来の葬儀のやり方で全ての葬儀を行おうとしているだけです。

家族葬は、自社ではこう考えて遺族に説明しています。
(家族と親しい人の温かい葬儀、なんてことじゃなく)
直葬はこう考える
無宗教はこう考える
遺族から依頼があったら、それぞれの考え方ややり方
長所や短所を説明して、それから再度選択してもらう、事が大事です。

先日も、親戚で無宗教葬をした時
『間が持たないから、読経のテープを流しましょう』と言われた
と、セミナーに参加された人が言ってました。
実はこのセリフ、十数年前から聞いてますよ。

私が葬儀社ならこんな恥ずかしい話はできません。
それなら仏教葬儀を勧めた方が、まだましです。

家族葬が良いといっても
日本中の大半の家庭が家族葬、直葬に向くとは思えませんし
家族葬にしても色々なやり方がある事を
一般の方ともども葬儀社自体が知らないといけません。

家族葬について対談

2010年12月06日 | 家族葬
先週の事になりますが、業界誌の「家族葬」特集で対談をしてきました。

株式会社エンディングプランの代表取締役 平本百合子さんとの対談です。

平本さんは、家族葬専門の葬儀社をされています。
生活者(消費者)にまず、家族葬のセミナーを開き賛同された方が入会をされます。
今度は会員の方向けにエンディングに適したセミナーを開き、さらに終焉への知識や
判断力を培って頂いているそうです。


家族葬は低価格の葬儀と、捉えている葬儀社が山といます。
家族葬は従来の葬儀の形をそのままに、少人数だから家族葬
だから祭壇は小さく人数は少人数と決めているようです。

はじめは葬儀は「家族だけで価格も安く」と考えた人が相談に来るそうですが
話をするうちに、費用や人数よりも
どんな別れをしたいか、に気付かれると
初めの家族葬のイメージは大きく変化をされ
こうして別れたい…という希望が出てきます。

すると、決して安い葬儀を望まれている訳ではない
と、いう結論が出てきます。
何がしたいか解ると、そこに対価があるのは当然と考えてきます。

エンディングプランさんでは、入会も事前相談もきちんと費用を頂いているそうです。
それでも会員希望者は後を絶ちません。


家族葬を安い葬儀価格に設定している葬儀社は
いかに、その気付きを発掘する力がないかが解ります。

これは、単にコミュニケーションの問題ではないのです

その前に、自社の葬儀への考えが出来ていないかの問題なのです。
もちろんですが、その上にコミュニケーション力が必要なのです

皆さまのお気持ちに沿って、とか
おひとり、おひとりを大切に、とか
お任せください、とか
そんな、言葉の羅列ではなくて
【自分達は葬儀はこうあるべきだ!と考えている】と言う明確なメッセージが必要なのです。





父の終焉を任された、気がします。

2010年12月01日 | sibatanoriko?
先月の16日に父が救急救命に運ばれて、すでに半月が経ちました。


10分以上の心肺停止から脳の機能は失っています。
今日明日が山、と言われましたが
何とか、心臓も血圧も安定しました。

余分な延命はしていませんが、小康状態が続いていたので
気管切開して転院を、と相談があり29日に施術の予定でした。

その日、血圧が30台に低下、手術は中止となり
家族は呼び集められ、今夜か明日と宣告をうけました
その翌日には血圧が少し安定
その夜にまた低下、今日の昼間は70台にまで上がっています。

心配したり、ほっとしたりの繰り返しをしていますが
兄弟は皆、父の考えそうな事だ、とうなずき合っています。

よほど、気管切開が嫌だったのか?
お前たちの思惑通りには死なない、と抵抗しているのか?

まったく、こちらの意に反した状況が続いています。

親の為に何度も集まれ!それが親孝行だ!と言っているようです。

お陰で「もしも」の時の準備と、心つもりが大分出来ました。

父の性格は自己主張が強く、家族みんなが嫌というほど、はっきりと理解させられています。
どんな葬式にしたら喜ぶのかも、よく解っています。
そのために、十分支度せよ!と支持されている気がします。


予定している葬儀社の見学を、家族全員が3度に分けて済ませました。
葬儀も通常の形ではありません
父らしい葬式を考えています。

私たちにできる事は、父との別れを自分達の手で
思い出深いものにする事です。