最近は家族葬が主流となり、葬式を省略した直葬も多くなりました。
今日はその事を、考えて見たいと思います
(4)葬式を行うことのケア
葬式を行うことは遺族の主体的な行為という位置づけが必要である。
弔いの主体となることによって死の事実認識を深める。葬式をきちんと自分たち の責任で出したという事実は遺族自身のグリーフワークに有益である。
このためには故人の意思、遺族の意思、気持ちを引き出すことである。
遺影写真選びは遺族が故人らしさとは何かを考える契機になるし、
メモリアルコーナー用の写真選びは遺族にとって故人はどういう存在であったの か再認識する契機になる。
また、いい加減な式ではなく、遺族が故人に気持ちを集中できるような厳粛な式 にすべきだろう。
これはむしろ宗教者の責任が大きい。
そのために、遺族、宗教者、葬祭業者の三者で、葬儀のあり方を充分に検討する 時間を設けるべきだろう。
緊張度のない葬儀をするくらいならば、ひたすら故人と対面して心ゆくまで別れ る時間にしたほうがまだ意味がある。
(葬祭ジャーナリスト碑文谷創氏著)
ここからは私の意見です。
今までの遺族や親族は、式場に集まって、定刻になれば葬儀社の進行によって
祭壇の前に座らされ、読経が終わるまで着席していると葬式は無事に終わる仕組 みになっています。
喪主であっても、実情はゲスト状態です。
家族を送る実感は乏しいような気がします。
遺族や親族として参列しても、きっとどこの葬式も変わらないでしょう。
ほんの限られた時間の中で準備する葬式は、通常決めることが一杯です。
通夜、葬儀告別式の日程、会葬者数、霊柩車の種類、祭壇、棺、骨壷の選択
返礼品、礼状、香典返し、料理・・・・・
即時に決定を迫られることばかり。
家族が自ら「故人の為にこうしてあげたい」と考える時間が少なすぎます。
また、そのような提案をする葬儀社も少ないでしょう。
故人らしさを出すことさえ葬儀社の「故人の愛用品をお借りできますか?
式場に飾ります」と言うだけでメモリアルコーナーは出来てしまいます。
故人がどうしてこれを大切にしていたのか?
これを使う時はいつもどんな様子だったのか?
その語りがあって初めて、家族は故人を思い出し懐かしみます。
遺品の側に故人の様子や家族の思い出が表現できていれば、会葬者も
故人の息遣いを感じます。
このように、何らかの形で家族の参加があると「自分達で葬式を作った」と言う
意識が持てるはずです。
先日一般の方からアンケートを頂きました。
「葬儀の礼状は見ますか?」の質問に答えは「イエス」が95.5%と言う
驚きの結果でした。
私は「決まりきった礼状など見ていない」と思い込んでいたからです。
多分、私以外の葬儀関係者も皆、同様に思っています。
更に「礼状に故人の言葉や家族の思い出が書いてあったら興味深いですか?」
の質問には「興味深い」と答えた人は100%だったのです。
礼状に「故人らしさ」や「家族の思い出」が書ければ
一番簡単で目に付きやすい葬式参加になります。
しかし、私たち葬儀関係者は、大勢の参列者が見る礼状さえ
ただの慣習と見逃して、手抜きをしていたのです。
どの葬儀も、全部一緒の礼状を堂々と出していたのです。
会葬礼状・・・・これはもう少し考えるべきものでした。
家族参加が出来る場所を私たちは自ら削除していました。
「葬式を行なうことのケア」の1つは、私たちの足元にあったのです。
今日はその事を、考えて見たいと思います
(4)葬式を行うことのケア
葬式を行うことは遺族の主体的な行為という位置づけが必要である。
弔いの主体となることによって死の事実認識を深める。葬式をきちんと自分たち の責任で出したという事実は遺族自身のグリーフワークに有益である。
このためには故人の意思、遺族の意思、気持ちを引き出すことである。
遺影写真選びは遺族が故人らしさとは何かを考える契機になるし、
メモリアルコーナー用の写真選びは遺族にとって故人はどういう存在であったの か再認識する契機になる。
また、いい加減な式ではなく、遺族が故人に気持ちを集中できるような厳粛な式 にすべきだろう。
これはむしろ宗教者の責任が大きい。
そのために、遺族、宗教者、葬祭業者の三者で、葬儀のあり方を充分に検討する 時間を設けるべきだろう。
緊張度のない葬儀をするくらいならば、ひたすら故人と対面して心ゆくまで別れ る時間にしたほうがまだ意味がある。
(葬祭ジャーナリスト碑文谷創氏著)
ここからは私の意見です。
今までの遺族や親族は、式場に集まって、定刻になれば葬儀社の進行によって
祭壇の前に座らされ、読経が終わるまで着席していると葬式は無事に終わる仕組 みになっています。
喪主であっても、実情はゲスト状態です。
家族を送る実感は乏しいような気がします。
遺族や親族として参列しても、きっとどこの葬式も変わらないでしょう。
ほんの限られた時間の中で準備する葬式は、通常決めることが一杯です。
通夜、葬儀告別式の日程、会葬者数、霊柩車の種類、祭壇、棺、骨壷の選択
返礼品、礼状、香典返し、料理・・・・・
即時に決定を迫られることばかり。
家族が自ら「故人の為にこうしてあげたい」と考える時間が少なすぎます。
また、そのような提案をする葬儀社も少ないでしょう。
故人らしさを出すことさえ葬儀社の「故人の愛用品をお借りできますか?
式場に飾ります」と言うだけでメモリアルコーナーは出来てしまいます。
故人がどうしてこれを大切にしていたのか?
これを使う時はいつもどんな様子だったのか?
その語りがあって初めて、家族は故人を思い出し懐かしみます。
遺品の側に故人の様子や家族の思い出が表現できていれば、会葬者も
故人の息遣いを感じます。
このように、何らかの形で家族の参加があると「自分達で葬式を作った」と言う
意識が持てるはずです。
先日一般の方からアンケートを頂きました。
「葬儀の礼状は見ますか?」の質問に答えは「イエス」が95.5%と言う
驚きの結果でした。
私は「決まりきった礼状など見ていない」と思い込んでいたからです。
多分、私以外の葬儀関係者も皆、同様に思っています。
更に「礼状に故人の言葉や家族の思い出が書いてあったら興味深いですか?」
の質問には「興味深い」と答えた人は100%だったのです。
礼状に「故人らしさ」や「家族の思い出」が書ければ
一番簡単で目に付きやすい葬式参加になります。
しかし、私たち葬儀関係者は、大勢の参列者が見る礼状さえ
ただの慣習と見逃して、手抜きをしていたのです。
どの葬儀も、全部一緒の礼状を堂々と出していたのです。
会葬礼状・・・・これはもう少し考えるべきものでした。
家族参加が出来る場所を私たちは自ら削除していました。
「葬式を行なうことのケア」の1つは、私たちの足元にあったのです。