柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

7つのデス・ケア ④葬式を行なうことのケア

2009年07月29日 | 葬儀の世界
最近は家族葬が主流となり、葬式を省略した直葬も多くなりました。
今日はその事を、考えて見たいと思います


(4)葬式を行うことのケア
 葬式を行うことは遺族の主体的な行為という位置づけが必要である。
 弔いの主体となることによって死の事実認識を深める。葬式をきちんと自分たち の責任で出したという事実は遺族自身のグリーフワークに有益である。
 このためには故人の意思、遺族の意思、気持ちを引き出すことである。
 遺影写真選びは遺族が故人らしさとは何かを考える契機になるし、
 メモリアルコーナー用の写真選びは遺族にとって故人はどういう存在であったの か再認識する契機になる。
 また、いい加減な式ではなく、遺族が故人に気持ちを集中できるような厳粛な式 にすべきだろう。 
 これはむしろ宗教者の責任が大きい。
 そのために、遺族、宗教者、葬祭業者の三者で、葬儀のあり方を充分に検討する 時間を設けるべきだろう。
 緊張度のない葬儀をするくらいならば、ひたすら故人と対面して心ゆくまで別れ る時間にしたほうがまだ意味がある。
 (葬祭ジャーナリスト碑文谷創氏著)


 
ここからは私の意見です。

 今までの遺族や親族は、式場に集まって、定刻になれば葬儀社の進行によって
 祭壇の前に座らされ、読経が終わるまで着席していると葬式は無事に終わる仕組 みになっています。
 喪主であっても、実情はゲスト状態です。
 家族を送る実感は乏しいような気がします。
 遺族や親族として参列しても、きっとどこの葬式も変わらないでしょう。

 ほんの限られた時間の中で準備する葬式は、通常決めることが一杯です。
 通夜、葬儀告別式の日程、会葬者数、霊柩車の種類、祭壇、棺、骨壷の選択
 返礼品、礼状、香典返し、料理・・・・・
 即時に決定を迫られることばかり。

 家族が自ら「故人の為にこうしてあげたい」と考える時間が少なすぎます。
 また、そのような提案をする葬儀社も少ないでしょう。

 故人らしさを出すことさえ葬儀社の「故人の愛用品をお借りできますか?
 式場に飾ります」と言うだけでメモリアルコーナーは出来てしまいます。
 故人がどうしてこれを大切にしていたのか?
 これを使う時はいつもどんな様子だったのか?
 その語りがあって初めて、家族は故人を思い出し懐かしみます。
 遺品の側に故人の様子や家族の思い出が表現できていれば、会葬者も
 故人の息遣いを感じます。

 このように、何らかの形で家族の参加があると「自分達で葬式を作った」と言う
 意識が持てるはずです。
 
 先日一般の方からアンケートを頂きました。
 「葬儀の礼状は見ますか?」の質問に答えは「イエス」が95.5%と言う
 驚きの結果でした。
 私は「決まりきった礼状など見ていない」と思い込んでいたからです。
 多分、私以外の葬儀関係者も皆、同様に思っています。

 更に「礼状に故人の言葉や家族の思い出が書いてあったら興味深いですか?」
 の質問には「興味深い」と答えた人は100%だったのです。

 礼状に「故人らしさ」や「家族の思い出」が書ければ
 一番簡単で目に付きやすい葬式参加になります。
 しかし、私たち葬儀関係者は、大勢の参列者が見る礼状さえ
 ただの慣習と見逃して、手抜きをしていたのです。
 どの葬儀も、全部一緒の礼状を堂々と出していたのです。

 会葬礼状・・・・これはもう少し考えるべきものでした。

 家族参加が出来る場所を私たちは自ら削除していました。

 「葬式を行なうことのケア」の1つは、私たちの足元にあったのです。


7つのデス・ケア ③遺族のグリーフケア(死別の悲嘆)ケア

2009年07月27日 | 葬儀の世界
前回のブログは、削除です。
気持ち新たに、
「7つのデスケア 遺族のグリーフのケア」を紹介します。


(3)遺族のグリーフ(死別の悲嘆)のケア
 遺族の心情を理解したケアが大切である。
遺族は家族を喪失したことによる精神的傷を負った状況にあることを
正しく認識し、適切なケアをしなければならない。
前述したように死も多様化しており、グリーフの態様もさまざまである。
おそらく大切なことの一つは目線であろう。
遺族の目線に合わせ、遺族の想いに耳を傾ける姿勢が重要である。
よき聞き手、よき相談相手になれるか、こうした基本こそが問われるだろう。
遺族がグリーフの状態にあることを理解し、遺族が遺体の側にいて、思い思いに別れる時間と空間を提供すること。
できれば食欲減退や不眠に陥っていないか配慮したい。
(葬祭ジャーナリスト碑文谷創氏著)



ここからは私の考えです。

グリーフケアといえば、家族を亡くした時からのケア、
また、葬式後のケアと考えがちですが
あえて、私は葬儀前のケアをお話したいと思います。

ご家族の死が間近に迫ったとき
葬儀社に相談に見える方が、増えました。
「家族の死」と言っても様々です。
高齢の親を看取る方は、順番にやってくる死に
「自然の流れ。仕方が無い」と思われますが
「まだ早すぎる死」を抱えている方の胸中は複雑です。

ご相談に見えた段階では、比較的冷静なお話をされます。
この時点では、まだ遺族ではありません。
しかし、この時点からすでに家族を失う悲嘆は存在します。
先に起こることが見えているのですから
その時を迎えた自分にとても不安を感じている・・と思います。
未経験は「死」だけではなく
それに伴っておきる葬式という「大仕事」にも
未経験の不安と言う、大きな負担があるでしょう。

生前相談から、ご家族のグリーフは始まっていると
認識して相談を受けるのが大切です。
私は「何が一番知りたいことですか?」と尋ねて
先ず、その答えを差し上げます。
ずっと気になっていたことを初めに解決してあげ
それに関したプロとしてのアドバイスをします。
質問に準じた過去の例を話すのもいいですね。

相談者が「あ、この人なら安心できる。私の見方になってくれる」と感じて
くれたら、そこから先は葬式の説明をするよりは
話を聞き入れてあげる雰囲気を作り出すほうがいいでしょう。

場所がいい、会館が便利だ、価格が安い、だけの印象しか与えられなければ
他へ相談に行ってそれ以上の条件があれば、そちらに決めるでしょうね。

でも、人の死を扱う場所を決定するのには
「ケア」と言う大きな要因があることを忘れてはいけないのです。

ですから最後に必ず
「他の葬儀社も是非ご相談にいらしてください。
あなたにあった一番良いパートナーを探すことです」と付け加えます。

選択の自由を教えて差し上げるのも
ケアの1つです。

7つのデス・ケア  ②遺体のケア

2009年07月20日 | 葬儀の世界
(2)遺体のケア
 葬儀は、やはり遺体と対面し、別れを告げるということが充分になされなければならない。遺体の尊厳を守るためにも、これまで必ずしも充分ではなかった遺体のケアに力を尽くす必要があるだろう。
 遺体ケアの技術で最も優れた技法がエンバーミングである。日本人エンバーマーの養成も開始されている。商売の差別的道具としてではなく、葬祭業者が共通して利用できるセンター機能が各地にできることが望ましい。いまエンバーミングは1体15万円程度かかるが、利用が多くなれば8万円程度でお客に提供できるようになるはずである。
 もちろんエンバーミングするかしないかは本人や遺族の意思に関わる。処置を選ぶ自由、選ばない自由は尊重されるべきである。現在はセンターが圧倒的に少ないため、選ぶ自由が大幅に制限されていることが問題である。行うにはIFSAが厚生労働省に届け出た基準があるので、これに従って実行・普及する必要があることは言うまでもない。
 最低限、公衆衛生を考えた遺体の保全がなされる必要があるだろう。
 遺体の安置の場所、遺体と遺族の交流ということにも配慮されるべきだろう。
(葬送ジャーナリスト碑文谷創氏の著より)



ここからは私の見解です。
葬儀に携わっていて一番感じるのは、遺体の持つ影響力です。
医師から死の宣告を受け、「この人は死んだ」と解っていても
触れば温かい、柔らかい体からは死の感触が得られません。
あるとき、搬送中に葬儀社の不手際で担架から遺体がズレ落ちそうになった時
それを見ていた親族からは悲鳴と「痛い思いをさせないで!」と言う声が上がりました。
たまたま、側でこれを目撃した私には「痛い思いをさせないで!」の言葉が
強烈な印象として残っています。
親族にとってこの方は「まだ、死んでいないなのだ」と思いました。

たとえ、体が冷たくなっても、硬直しても、顔色が生気を失っても
死臭が感じられても・・・
体が有る限り、心の片隅に「死」を受け入れない領域が見られます。

その領域が取れるのは火葬して遺骨になった時です。
生身の体が無くなって、諦めがつくのでしょう。

そこから考えても
遺体が遺族に与える影響は多大で、体が存在している間は
出来るだけ綺麗で、通常に近く保つ必要が有ります。
そして、遺族は遺体に触れながら、話しかけながら、次第に死を受け入れる
準備がなされる・・・

その時間が必要なのです。
遺体との十分な別れをするには遺体が衛生面でも安全に保たれなくては
いけません。
故人から遺族への感染を防ぐのは、葬儀社として今や当然の務めです。
そして、故人の容貌も出来れば安らかに保たれる方が良いのです。
遺体を安置したときの葬儀社の遺体処置は、重大な責務なのです。

火葬をするのにエンバーミングは必要ない・・と言う方がいますが
エンバーミングは、遺体の長期保存だけが目的ではなく
遺族と故人の最後の触れ合う時間をより良いものにする事が一番の
目的なのです。


まだほんの一部の葬儀社ですが、
葬式の中にいかに故人と遺族の時間を持たせるかに努力がされるようになり始めました。
とても大事なことに、葬儀社が気付き始めました。

7つのデス・ケア  ①生前準備のケア

2009年07月15日 | 葬儀の世界
(1)生前準備のケア
 前述したように、死を囲む状況は大きく変化しており、死生観の変容も大きい。 本人が残りの人生をどう歩み
 死にどう対処するかを考え、死後どう葬られ
 死後家族に何を残し、何を託すか。
 自分の死および死後への意思表示をどうするか、また
 その意思に沿う準備をどうするか、ということは重要な課題となる。
 生前予約(契約)ということが、葬祭業者にとっては営業的意味合いがある
 だろうが、本人の意思に即して行うことが大切なものとなるであろう。
 葬られる、供養される本人の意思を尊重して初めて、本人中心の葬儀ができる
 のであり、それを生前に明らかにする方法を提供し、援助するということは
 大切である。(葬送ジャーナリスト碑文谷創氏の著より)



ここからは、私の見解です

今までは人が死んだら、お葬式は家族や地域の人たちが決めて行いました。
葬式は本人ではなくて、周囲が支度するものだったんですね。
地域の一員として葬られ、互助の気持ちで葬式があったのでしょう。
それがいつしか、生活の豊かさと共に葬式は生きていた時の故人の経歴や財産で
するものになってしまいました。
社会全体が浮かれた中で、宗教者、葬儀社、皆の多くが葬儀を勘違いしていたのですね、きっと。

でも、そんな時代を経たお陰で、私たちは気が付き始めました。
お葬式って何?

そして、家族が少なくなり一人で暮らす人々が増え
周りに頼れる人が少なくなると、人間って自分で後始末を考えるようになるんですね。
生きているうちに自分の最後を決めておく
悲壮な事ではなく
自分の幕引きに向ってそれまでの時間を、どう準備しどう過していくか・・・
それを考える人が増えてきています。
日本全国に「自分の葬送を生前に決める」NPO団体があります
そこでは、生前契約はずっと以前から扱われているのです。
それなのに
葬儀を執り行う葬儀社が生前契約を扱っていないのは、何故でしょう?

お一人様が増え、子供と別居が増え、皆に迷惑かけたくないと思っている人が
増え、形式だけの葬儀はいらない、自分らしい葬式がしたい人が増えているのに
生前契約を依頼する場所が近くにないなんて!

葬儀社は生前契約の需要が無いと思っているのではないでしょうか?
需要はどうしたら出てくるのでしょう?

人は新しい商品をメーカーに作ってくれとは言いません。
メーカーが新製品を出して、それがみんなの欲しい商品だった時に
ヒット商品になるんですよね。

葬儀社は「生前契約」と言う商品を出さない限り
皆さんは生前契約をすることが出来ないでしょう。

生前契約を買いたい人がいることを、早く気が付いて下さい。


デス・ケア1

2009年07月10日 | 葬儀の世界
葬祭ジャーナリストの碑文谷創氏が書かれている
デス・ケア「死の今日の問題と今後の葬祭業のあり方」を
紹介したいと思います。

私は、葬儀の世界に入って
従来の葬儀のやり方を、裏側から見たとき
「何てすごい仕事だ」と感心する一方で
不誠実、無責任な行動に不信感も抱いていました。

葬儀の担当すらしたことが無い私が、何のご縁か
葬儀社の立ち上げに携わり
「こうすべきだ」の持論だけで、無我夢中でやってきましたが
碑文谷氏の著書を目にしてから
尚一層の自信が深まりました。

碑文谷氏は私の行動を、逐一、議論付けていたのです。
私のそれは、碑文谷氏の書かれていた事の、
ほんの何分の一にしか当たりませんが
葬儀の仕事をする上では、とても大きな支えになりました。

そこで、今回から「今後の葬蔡業のありかた」として
碑文谷氏の書かれている事をご紹介しながら
デス・ケアについて書いてみようと思います。






デス・ケアという視点

「デス・ケア」とは近年北米で
人間の死後に関係するサービスの総体を指して言う。
・・・とあります。

葬儀のケアの対象は死者本人とその家族である遺族である
日本の古来の葬儀は
  死後の通夜は遺族関係者は死者に食事を供したり、
  寝ずに守ったりして、死者にひたすら仕えた。
  そしてそれは同時に、遺族が死を受け入れるための準備作業であった。

  遺体を浄めるための湯灌は、死者の罪障を浄め
  葬りの準備をすることであり、遺族はこのために自ら作業に
  加わったのである。

  死者の往生、成仏を願う葬儀式は同時に遺族の安心のためでもあった。

  葬儀後、四十九日までは中陰壇で、それ以降は仏壇で死者を遺族は
  ひたすら供養し、同時にそれは遺族のグリーフワークとして営まれた。

日本の葬儀を見直してみれば、それがひたすら死者のために営まれ、それが同時に家族を喪失して深い悲嘆の中にある遺族のためにも意味深い営みとしてあったことが明確である。



しかし、これだけではない・・・と、碑文谷氏は
そこに付け加えられていることがあります。



日本の葬儀はそれを運営する者として地域共同体が不可欠の要素としてあった
  死者を供養する者として遺族がいて、その遺族をケアする存在として
  地域社会が存在するという構図である。

  それゆえに葬儀には死を社会的に告知するという社会的機能はあるが
  地域社会の関わりの最も大きな精神的要素は「共感」なのである。

  90年代後半以降特に顕著な日本の葬儀の変化は、地域社会の関係の衰退
  という点である。勢い社会性を失い、個人化の方向に進まざるをえない

  そしていま、死者と遺族を有機的に結びつけていた家族という紐帯
  宗教的関係もまたあやふやなものになりつつある。

葬祭業がデス・ケアのプロフェッショナルであろうとするならば
葬儀の原点を再構築し、葬儀を意味あるもにしていく必要があるだろう。







今、世の中は忙しくなりすぎて
隣近所の付合いが疎ましく
もっとさっぱり付き合いたい・・・と暮してきましたね。

でも、本当にこれでいいの?
そんな疑問が持たれ始めています。
家族と疎遠、社会と疎遠
そして、隣の人にもきづかれずに死んでいく・・・
本人は、もう亡くなっているので何も言わないけれど
ほんの近くに暮らしながら
そこにいる人の死も気付かなかった周りの人々は
「こんな事があって、いいわけがない」と
気付き始めています・・・
きっと、あなたもそう感じていませんか?

次回からは、碑文谷氏が掲げる「7つのケア」を順番に
紹介していきます。






祭壇よりも価値あるスタッフサービス

2009年07月08日 | 葬儀の世界
葬儀社は人的サービスに料金をつけません。

葬儀社が持ち帰れる商品を販売することは余りありません。
持ち帰れるものは
位牌、骨壷、遺影写真、49日までの壇飾、線香、ロウソク位です。

見積書や請求書を見ると、細かい料金設定が沢山ありますが、
適正価格か?というと、疑問視するところもあります。

葬儀社は時間、空間、人的サービスが主であるにも関わらず
サービスに価格をつけない会社が多くあります。
でも、私たちは奉仕団体ではなく会社です。
社員が充分に働いた分は、無料ではいけないのです。
訳の解らぬ品物をつけて金額を取るなら、そんな物は打ち捨てて
お客様の為に、故人の為に社員が働いた対価を頂くほうが嘘のない金額です。


例えば
11年前から私は、必需品として遺体処置料を2~3万円頂いています。
これはドライアイスの金額ではありません。
別途に頂いています
病院から戻られたご遺体を安置するときに、遺体の処置を再度やり直しします。
着物を開いて、床ずれや傷口から体液、出血が出てないか、
皮膚に水疱が出来ていないか等を確認して殺菌、防腐の処置をします。
目、鼻、耳、口の中も脱脂綿を取り替えて薬液を処置します。
目も口も、極力自然に戻して閉じます。
髪もすき直して、時には簡単な毛染めを開いたり寝癖をとります。
自然に見える化粧も施しました。
簡単な傷なら化粧で隠せるくらいの技術は社員につけさせました。
ご希望の洋服や着物も着付けます。

一切感染症の危険が無いよういにして、安置をします。
これなら故人に頬ずりしたって安心です。

2名で30分くらいにの時間をかけます。

そして最後に、ご遺体の感染症の説明をして
遺体は、思わぬ変化がある場合の説明をします。

このときの服装は、看護婦さんか処置室でつけている
使い捨てエプロンとマスクと手袋をさせました。

感染症から自分達も、ご遺族も守る為の処置をするのですから
このくらいの防備は当たり前です。

途中からドライアイスの使用も極力やめました。
遺体保存に良い防腐剤が出てきましたので、それを使います。
ご遺体がドライアイスでカチカチになったり
どす黒く変色することが無いので、ご遺族の心情には良い効果です。

通夜前に納棺する時も、遺体を点検し、目などが開いてたら処置します。
告別式の朝も棺の中のご遺体をチェックします。
お花入れで蓋を開けたら、口や目が開いていた
死臭がしていたのでは、故人の尊厳が損なわれます。

これだけの事をするのですから処置料を頂くのは当然だと思っていました。

殆どクレームはありません。
長年やって、記憶にあるのは2~3件くらいのクレームです。
そのときは「申し訳ありませんが、ご遺体の感染症を未然に防ぐ為、葬儀社として
省くことが出来ない仕事ですのでご了承下さい」とお伝えしました。

社員の気働きや、葬式への創意工夫は金額を請求しても当然だと思います。

ただし、その名目の通りの働きをしなければ
この祭壇価格ってぼったくりなの?と同じように
納得できない料金になり、クレームの元ですけどね。

でも、心付けを請求書に入れるよりは
式典企画料
遺体処置料
等の方が、解りやすいですよね。