柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

ゴミ、ごみ、きれいに生きるの大変

2008年06月29日 | 私の半径100メートル

憧れるのは、片付け上手な人
いいなー

あんまり得意じゃない、わたし

伯母が亡くなって、空き家になった家を片付けに行くのですが・・・
怖いことに、その隣に10年前になくなった伯父の家もある
伯父も1人でした
ここの家系は家族の縁が薄いのかな

伯母は伯父の家もそのままにしていたのです
だから2軒分を片付けてる

片付けても、片付けても、片付かない

どこもかしこも、物(ゴミ)だらけ。

テレビで見る、ゴミ屋敷じゃない
普通の家なんだけど、やっぱりゴミが多い

何年前の石鹸?何で、こんなにトイレットペーパーあるの?
この靴下の量、伯母さん100歳まで生きるつもりだった?

箱が一杯、中身は空っぽ。捨てなさいよ~
大事にくくった中身は過去何十年の領収書
それも、あちこちから

ボストンバッグの中に、ハンドバッグ、その中に手提げ袋
その中に、スーパーのビニール袋、その中身はティッシュペーパー

洋服も、昔の物全部とってある
布団は何組?座布団も同じく、旅館するか!

いや、出来ない
古くて、汚れてたり、擦り切れてるのもある
値札がついたままの毛布や布団もる

捨てると言っても、何があるか判らないから
一応、見ないといけないし

出てきましたよ。埃だらけになって
箪笥の隙間から、仕立てて送られてきた着物や帯が
まだ、梱包さえ解いてない状態で数点

先々代位の写真や手紙
母が見ても「この人誰かしら?」

まるで、映画に出てきそう
面白いけど
大半は「モー、まったく」と言いながらの作業

どうりで疲れが取れないはずです


伯母は生前よく言ってたんです
「私が死んだら、あんたが大変だね。この荷物片付けるのに」

なんで、解ってて、しなかったカナ????

それを言っても無理ですね
伯母が寝込んだときに、一度大量にゴミを捨てたけど
翌日、そのゴミ拾ってきてましたから

とにかく、ゴミは溜めないことです。
今のところ、伯母の家優先で、我家は見ない振りしてます

オー、怖い



元気なおじ様へ、「葬儀」の話し

2008年06月29日 | お葬式
昨日、近所で講演をしてきました。

「サリーマンOB会」という団体からの依頼です。
仕事をリタイアされた方々の会で、定期的に勉強会をされているそうです。

平均年齢73歳くらいで、最高齢者は90歳に近いと伺いました。

講演の題名は「今時の葬儀事情」です。

会場には30分前から、すでに多くの方が集まっており
役員さんの話しによると「うちの会員は皆、勉強熱心で、身を乗り出して
話を聞くんですよ」との事。

本当に、おっしゃる通り
50人以上の参加があり、非常に熱心に2時間の講演を聴かれました。
この年代の方は、いつまでも勤勉なのですね。


私は、コンサルタントとして活動するようになって
すぐに、地域のボランティアとして「街の先生」と言う組織に登録したんです。

私の仕事の役割は、葬儀業界への働きかけだけでなく
一般の方への情報提供も重要だと思ったから。

でも、登録して2年間は何の音沙汰もありませんでした。

やっぱり、体操教室とか、フラダンスとか、書道とかのほうが需要有で
葬儀の話しは、無用なのかな??

今年の春に「サラリーマンOB会」にいた、知人から講演の打診があり
やっと、必要としてくださる人がいた!と大喜びで、お受けしました。

それから、不思議なことに1~2ヶ月の間に4件の講演依頼が入ってきました。


地域ケアプラザが主催するところもあり
葬儀の話しは「初めての試み」だそうです。

たぶん、皆さんの関心は以前からあったのでしょうが
葬儀の話しを聞きましょう・・と声を掲げるには抵抗があったのでしょうね。

でも、この動きには、驚きました。
堰を切ったように、問い合わせが続いたのにはビックリです。

というわけで
昨日は、大先輩の皆さんから大量のエネルギーを受けてきました。







高校生の喫煙、後で苦労するのにね。

2008年06月27日 | 世の中
私の車は、近くの駐車場に留めてます。

今日ね、駐車場に行ったら、車の陰に足が見えてる。

誰かいる!

ひょっとして、誰か倒れてる?

近づいたら、高校生が学生服着てタバコすってました。

私の駐車スペースは、角地で五角形になってるので
車の陰に入ると他から死角になる。

だから、時々学生が地べたに座り込んで
飲んだり、タバコすったりしているんですね。

「なんだ。そこにいたんだ。車出すよ」って行ったら慌てて
立ち上がったけど、タバコみられて、バツが悪そうにしていた。

「タバコすってたんだ。別にいいけど、1つだけ教えとくね。
タバコすい始めるのは、すごく簡単だけど、何年かしたら
きっと、止めようかな?って思うから」

「そのとき、なかなか止められないのよ。
止めるのは大変だからね。それ、よく覚えときな」

「今は、面白いかも知れないけど、早めに止めなね」

何も言わずに、黙って聞いてました。

私も、動きを止める訳でもなく
車に近づいて、ドア開けて、シートに腰掛けるまでの間に
しゃべっただけ。

嫌なムードは何も無く、
その子も自然にしていた。

多分、タバコ止めないと思うけど
言われた事は、嫌じゃなかったと思う。

私も過去、タバコ止めるのに苦労したくちです。
今は、主人のタバコの煙にむせてます。

パシフィコ横浜の話し、これが最後です

2008年06月24日 | 葬儀の世界
今日は、パシフィコ横浜に行きました。
しつこい出だしですね。

葬儀業界の人々は、このフューネラルフェアにこぞって出かけます。

丁度、良い機会なので、ここで面談をする人も多いんです。
あちらこちらで、待ち合わせをしてます。

私も、今日は開場時間から、予定が一杯でした。

昨日、心配していた約束時間には、きちんと間に合いましたよ。
と、言うつもりでしたが・・・・・・・・・・・・・・・・・

横浜で乗り換えるつもりが、1つ前の駅で降りてしまいました。

改札口まで言って「あれ~。違う、違うでしょうが」
ここの駅は、新幹線に乗るときに降りる駅。

自分の阿呆さかげんに、うんざり。

最初から、失敗です。
待ち合わせた方、申し訳ありませんでした。

ここで、新規に葬儀社を立ち上げた方と、サポートしてくれそうな業者さんを
引き合わせ、成功された葬儀社さんの噂をしていたら
その方を、目も前の人ごみに発見。

なんと言う偶然でしょう。
お陰で、成功者の貴重な、ご意見を頂けました。


その後、展示会場を回っていたら、向こうから
見覚えのある顔が・・・・

以前、研修をした女性でした。

「一緒に食事しましょう」連れ立って入った店に
「鹿のカレー」があったんです。

「珍しいね」と、このカレーを食べることに。

「私ね、鹿は鉄砲で打った野生の鹿しか食べたこと無いのよ」と言ったら
「柴田さんこそ、珍しい人ですね」と言われましたが・・・

彼女は、お財布を持たずにパシフィコ横浜まで来たことが解り
「どうやって、ここまで来たの?あなたこそ珍しいじゃないの?」

「いいえ、私は柴田さんの教え子なので、似てきたのだと思いますけど」

訳の解らぬ会話をしながら、鹿カレーを頂きました。


12:50から私が受け持つ講座がありましたので、会場へ。

お昼過ぎの講演なので「お願いだから、寝ないでね。皆が寝ると私のコンサルタント生命が危機に陥る」と頼み、居眠りする受講者を発見することなく、無事に70分の講演を終え、再び、約束していた方と落ち合います。

この方は、お若いのにしっかりした理念で葬儀社を経営されてます。
その他に、強力なサポーターが2名

皆、若くて私の息子のような年齢です。

私が温めていた、企画を見ていただき、頼もしい意見を聞きました。
若い子は、それなりにすごい感覚と力を持ってる物です。

オバサンは、ただただ感心するのみです。

その後、葬儀の専門学校の先生方や生徒さんと逢い
再び展示会場を見て回り、新しい情報を集めます。

蛍の光(なんで、終了時は蛍の光なんですかね。私が物心ついたときから
閉店時は決まってこの音楽なんです)が流れ始め、この日の私の予定も終了しました。

頂いた名刺は30枚です。
すぐに、どこで逢った方か、名刺に書き込みます。

若い人の顔、全部同じに見えるんですよ。
名刺と顔が結びつかない。
この不思議、私だけですかね

フューネラルシンポジュームがあるんです

2008年06月24日 | 葬儀の世界
6月24日、25日に
「フューネラルビジネスフェア2008」が開かれます。

毎年、この時期に開かれるこのフェアーは葬儀業界の最大のもので
多様な情報が提供されます。

去年は100社以上の葬儀関連会社が商品情報の提供ブースを出しました。

今回で12回目になりますが、私も第2回目から見に行っています。

10年前は、業界の情報が入りにくく、
このフェアで、他社の動きを知ることができ
また、同時開催される「フューネラルシンポジューム」では
各方面の講師の講演を聞くことが出来ました。

私もこのシンポジュームは「講演のはしご状態」で
時間に追いかけられながら、次々と教室を廻っていました。

当初は8講座だったのが、去年は21講座が開かれてます。


その頃は、このフェアの話をしても、知らない葬儀社のほうが多かったですね。

しかし、去年はフェアの来場者が7,695人
シンポジュームの受講者は2,467人になりました。

昨今、葬儀社なら、このフェアを知らない人は少ないでしょう。



以前は、葬儀の関係者にとって、「葬儀の仕事はコレ!」と決まっていたのです。
葬儀屋に入ったら、先輩からお葬式の準備を教わって、動きを教わって
それしかなかったんですね。

だから、特別勉強しなくても良かった。

各地域にあった葬儀屋さんの割合もよく
過当競争はなかった。

でもね、高齢者社会となり、葬儀はこれからの産業だ!!!と
異業種産業の参入があり、葬儀屋さんにいた人も次々独立。

おまけに、メディアはこぞって、葬儀はこれでいいのか???
と書きたてた。
押し付けの葬儀からの脱却。
義理の葬儀は嫌だ。
祭壇は使いまわしで高額。
祭壇要らない。
葬儀の価格は不透明。
寺院にも親しみはない。
家族だけで葬儀がしたい。
いっそ、火葬だけでもいいんじゃない。

こんな周りの嵐に、葬儀屋さんはビックリ。
確かに、葬式の仕事は減った。
葬儀単価は激変。
葬儀会館がないと、喜ばれない。

でも、どうしたらいいのか解らない???

そこで「勉強しよう・・・と」皆さん頑張り始めたのです。

その結果、フューネラルビジネスフェアとフューネラルビジネスシンポジュームは
年々、参加者が激増していったのでした。

私も、葬儀社の一員として、
このフェアが大いに刺激になりました。

特に、葬儀社を任されてからは
シンポジュームでの受講によって
自分の葬儀理念に確信が持てました。

名高い葬儀経営者の話に「うちは小さい葬儀社だけど
もうすでに、この内容なら出来てる・・・」と内心ニンマリ。

「この話は見逃せないぞ、チェック、チェック」
なんて、興奮の連続でしたね。

本当にこのフェアのお陰で柴田典子は育てられました。

このフェアの主催は総合ユニコムと言うところですが
第7回目のシンポジュームに講演者としての依頼がありました。

信じられない展開でした。
私が学びに行っている所で、講演するなんて・・・。

私が女性で、葬儀を取り仕切っていたのが、目につた様です。
それに、サービス業と、遺族ケアを重視していたのも
時代の先端だったから・・・かな。

ちょうど、女性の影が葬儀にチラホラ見え始めた頃です。
この年から、女性の参加者が増え続けています。

年々、色々な分野の講師の方々が加わります。
まさに、情報の多様化が見られます。

育てて頂いた身なので、ご依頼がある限りはご恩返しをするつもりです。


講演はしていても、このフェアは私にとって、今も勉強の場であることに
変わりはありません。

この2日間は、出来る限り、講演に出向き、葬儀関連のブースを
くまなく廻っています。



しかし、3年前から、
各地の葬儀社に行くようになって「あれー???」
コレって、シンポジュームの悪影響なの???


そんなことに、気が付き始めてしまいました。

ウーーーーン。と今、唸っているところです。















パシフィコ横浜へ行きます

2008年06月23日 | 葬儀の世界
明日と明後日、パシフィコ横浜でフューネラルビジネスフェアがあります。

私は、横浜駅で乗り換えて行きますが
横浜駅が、ここ数年、めまぐるしく様変わりしています。

行く度に、いつもと違う改札へ出てしまい
予定時間で、目的地に着かない。

最近ようやく、あちらこちらの工事中の囲いがとれ
新しい、横浜駅が見えてきました。

明日は、何人もの方と会う予定なので
早めに到着したいのですが
こんな時に限って、道を間違えるんです。

こういうときに迷ってする決断は、絶対外れます。

それで、迷った時は、「私が決めた方は間違い」と
違う方を選ぶと、やっぱり後悔する羽目になっちゃうんですよ。

どうしたらいいんですかね?

生まれつき、方向音痴で困ってます。


霊に頼られる人?かな?

2008年06月22日 | 不思議
実は・・・・実は

先週亡くなったNさんのことで、気になる事がありました。

私、仕事柄、葬儀社へ研修に行くことが多いんです。

そこに霊感の強い人がいるんですね。
この人、美人なんですよ。

その人に、言われたんですよ。私の周りでへんな音がするって。
足音のような・・・

6月11日の午前中でした。
「柴田先生、いつも、いろんな人連れてくるから」って。

私は、もちろん1人で出向いてますよ。
同伴出張などしてません。

当の私は、感じてないんですね。何も。

あちらこちらの霊感のある方に、前から同じようなこと言われるので
「もしかしたら、そうかもね」とは思っています。

否定はしてません。
だって、亡くなった人と接する仕事をしていると
不思議な現象を何回も体験してるんです。

こういう話、怖いですか?
この手の話しは、興味を持ってくれるか
鼻で笑われるかの、どちらかですが。

私は、人影が見えたりはしないけど
気配を感じたり、音が聞こえたり・・
時々、あるんです。

いつも、亡くなった人に語りかけて仕事をするので
答えたくれるのは、当たり前かな
そう、思っているんです。

わたし、葬儀社を辞めて独立した時に、「一段落」と言う気持ちで
身を清めてもらうと言うか、きれいにしてもらうと言うか
長年、故人を送り続けてたので、お払いをしてもらったんです。

そうしたら、「あなたが部屋に入ってきた時、ビックリしました。
27人連れてこられましたよ」って言われました。

体調が悪いとか、そういった自覚症状が無いので
実はこの時点では信じ難かったですけど。

「へー。そうですか?それは騒がしくて済みませんでした」
って申しあげたら
「いいえ、皆さん、大人しく、きちんと一列に並んでました。皆さんは
もう帰られましたから、ご安心ください」と言われました。

どうやら、私は霊に頼られやすい人らしいんです。
でも、私自身は気付かないので、何の迷惑も無いんですけど。

そこからの帰り道、駅に向いながら

「今の話は、本当だったかもしれない」と思いました。
だってね、
歩いているのに、まるで飛んでいるように体が軽いんですよ。
霊とはいえ、27人もいなくなれば、多少は軽くなるんじゃないですかね。

何度も、何度も自分の足を確認してしまいました。
本当に歩いてるのか、心配で。
雲の上を歩くって、きっとこんな感じって思いました。

この感覚が普通に戻るのに2時間くらいだったかな。


それでね、Nさんのお葬式に行って解ったんですが
Nさんは11日の午前中に倒れて、救急車で病院へ運ばれたんです。

そのまま意識が戻らず、13日に亡くなったそうです。

それを聞いて、私はNさんが逢いに来てくれたと考えた訳です。

想像と言われれば、確かに根拠の無い想像だけど
Nさんが来てくれたのなら、私はとても嬉しいです。
なんだか、ほんわか温かい気持ちがします。

最近は、人間関係で「なんでこうなるの?」って言うこと
多いので。
霊の素直さが嬉しいのかも。











尊厳死宣言

2008年06月21日 | 尊厳死宣言とは
尊厳死って聞いたことがありますか?

将来、治療しても回復の見込みが無い病気になってしまった。
又は、突然倒れて、植物状態になって回復する見込みが無い。
そうなったら
延命のための治療は拒否して、自然に死を迎えたい・・・・・・

こんな状況を想像したとき
多くの人は、むやみに死を引き伸ばすのは無用だと言います。
器械で生きている、そんな最後は迎えたくないと。

しかし、実際にそうなった場合
簡単に、自分の希望するようにはなりません。

本人はいくらでも、勝手なことを言えますが
まだ死んでない本人を目の前にして
家族が、延命を絶つ決断をするのは、決して簡単なことではありません。

早く楽にしてあげたいと思う者もあり
亡くなるのは解っていても、最後まで頑張って欲しいと思う者もあり
家族の中でも、皆が同じ思いとは限りません。

又、本人の「延命治療を拒否する」という明確な意思が確認できないと、医師が希望を受け入れないこともあります。

本人の意思がきちんと証明できることが重要です。



私は見送る側として、その決断をした経験があります。

叔母は88歳で1人住まい。家族はいません。
80歳になる私の母が妹に当たります。

母は東京に住み、叔母は横浜住まいです。
たまたま、姪の私が、叔母の家から徒歩15分くらいの所にいました。

叔母は、突然の心臓発作で、私に最後の力を振り絞って電話をくれました。
急いで駆けつけ、救急車で病院に運びましたが
到着した時点で心停止です。

暫くの間、医師による心臓マッサージが行なわれましたが
心臓は動きませんでした。

医師から、呼吸器を装着するか?と聞かれたとき
一瞬、母の顔が浮かびました。

多分、母に連絡したら、「自分が行くまで生かして欲しい」と言うのではないか
と思ったからです。

しかし、医師からは「年齢を考えても、意識が戻る事はないし、死も近いだろうだろう」と告げられました。

私は、母に告げずに、このまま叔母を逝かせる決意をしました。

叔母の死が確定し、処置をして頂いてる間に
母に電話をして、叔母が亡くなったことを連絡しました。
午前4時でした。

叔母に対して、悪いことをしてしまったのではないか・・・
本当にこれで良かったのだろうか・・・と言う思いは暫く続きました。

この後ろめたい決断を母にさせなくて、良かったと思っています。
どちらの選択をしても、母は後悔したと思うんです。

癌の場合は、告知を本人が受けることもあり
自分の意思で、最後まで諦めずに生きる努力をするか
無駄な治療は拒否して、静かに自分の死を受け入れるか
選択する時間があります。

しかし、急な病気や、事故で意識がなくなった場合こそ、
尊厳死を希望するなら、宣言しておくことが必要になります。

私はエンディングデザイン・コンサルタントとして
法的効力のある、尊厳死宣言公正証書の作成を推進しています。

日本尊厳死協会に登録すれば
尊厳死宣言書を作ってくれますが、他にも宣言をする手立てはあります。

私がとても信頼している先生方が
ユアー・エージェント(045-222-7364)と言う所で、相談をすると
すべての手続きをしてくれますし、その後に意思変更があっても対応してくれます。

必要なこと、大事なことと思っても
1人でことを起すのは、結構大変なことです。

そのため、こういうサポート体制が気軽に使えたり
問い合わせが出来るのが大切だと思います。


家族に延命治療の決断の苦渋を与えない。
意識がなくなっても延命治療拒否の意思を表明したい。
延命だけが目的の高額な治療費を家族に追わせたくない。

このように考える方は、何らかの手を打つべきです。


尊厳死宣言とは
①私の病が現在の医学では不治の状態であり、概に死期が迫っていると診断された 場合には徒に死期を引き延ばすだけの延命措置は、一切お断りします。
②但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は、最大限に実施してください。そのた
 め、例えば麻薬などの副作用で、死ぬ時期が早まったとしても一向に構いませ  ん。
③私が数ヶ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持装置
 を取りやめてください

以上の内容を家族、縁者、医療に携さわっている人々に対して宣言をしたものです。


親の責任に、もう一言

2008年06月18日 | 世の中
前回に追加です。

最近ね、電車の中で気になる事があります。

小さい子供を連れた、ママやおばあちゃんが子供を座らせていることです。

私達が子育てしていたときって
子供は3歳位になったら、席には座らせずに、立たせていました。

すいてる時は別ですが、少しでも混んできたら
親は座っても、子供は立たせましたね。

もし座らせるのであっても、ママの膝の上でした。

今は、ママも、おばあちゃんも皆、子供を優先的に座らせてます。
コレ、甘やかしすぎ。
第一、子供は運賃を払っていません。

出来る限り、立たせて頑張らせます。

我慢をすることって、こういう小さいことから始めないと。
退屈させない為に「なぞなぞ」したり「しりとり」したりして
頑張らせました。

年寄りに席を譲ることも教えましたよね。

でも今は、必ず子供が座ってる。
おばあちゃんがいくら若いといっても、コレはよくない。

私にはまだ、孫がいません。
息子や娘は結婚すらしてません。

人が言うには、孫は本当に可愛いいらしい!!

でも、私はきっと、孫と電車に乗ったら立たせます。

今は、無いものねだりですけどね。

このことが、ずっと気になって、いつか言わなきゃって思ってました。

チョットすっきりした。

追加の言い分、終わります。

秋葉原の通り魔事件

2008年06月17日 | 世の中
秋葉原で痛ましい通り魔事件が起きました。

亡くなられた方のご冥福を祈らずにはいられません。
また、怪我をされた方、その事件を目撃された方
そのご家族や知人の方

多くの意味で、多くの方が被害に合われました。

ワイドショーではこの事件以来
色々な情報を流しています。

この犯人の生い立ちや
犯行を起す前のメールの書き込みなど。

犯人の身勝手さには、どんな理由があっても納得する訳にはいきません。

この犯人に対して、世間の人は
親のせい、不細工だから、彼女がいないから、仕事場で必要ないといわれたから
こんな理由は理解できない、と多くの意見が寄せられてましたね。

その反面、親の勝手な強要や期待、無視はどんなに辛いか
親の影響も大いにあるのでは

こんな意見も多く寄せられました。

25歳になる犯人に親のせいですまされては、被害にあった方はたまったものでは
ありません。
だから、犯人には、命をもって償って欲しいと私は考えてます。




何年位前からでしょうか?
子供が、恐ろしい事件を犯すようになってしまったのは。

テレビゲームが悪い、携帯電話が悪い、いじめが悪い
学校が悪い。

それもあるけどね・・・
しかし、親のあり方も同時に考えてしまうのです。

赤ちゃんが生まれた時は、夫婦して喜び合ったはずです。
その子の体を、頭を、心を育てたのは親に他なりません。
赤ちゃんは、勝手に育った訳ではないですよね。

それを考えるとやっぱり、親の影響を無視できないと
私には思えるのです。


この犯人に限らず、この子達の親世代は
紛れも無く、私達の世代なんです。

子供を愛してたのに、伝わってなかったのでしょうか。
もう一度、あなたが世界で一番大切、愛してると伝えたほうが
いいかも。

えっ、そんな風に思ってたのって言うこともありますよ。

亡くなって、親の日記を見て、
親戚に聞かされて、「親が、自分のことをこんな風に思ってたなんて」
と気付く人、沢山います。

死んでからじゃなくて
生きてるうちに伝えてあげて。

人の気持ちは見えないから
今の人は、見えないものをみるのは不得意だから。

そんな事、この事件で考えてしまいました。




悲しい知らせ 遺族の死

2008年06月14日 | 悲しみのケア
ご遺族の方と、長年お付き合いをしていますが、
季節の折々に、絵手紙をくださるNさんが、亡くなりました。

今日、息子さんからお葬式の連絡を頂きました。

Nさんは、小柄な方ですが声は大きくて眼光が鋭い方です。
警察に勤めていたと聞き、なるほどと思ったものです。

「私が家を出たのは、何時何分ごろ」なんて、いつでも時間をチェックしていたのを、思い出します。

長い闘病生活をされた奥様が亡くなり、寂しい思いをされてたときに
私が「遺族の心を語る会」を毎月開き始めました。

家族を亡くされた方が集まって、自分の気持ちを正直に話せる集まりです。

その1回目から、Nさんは参加されました。

その会には多くの方が参加されますが、
時間と共に自分の生活を取り戻し、この会から卒業されていきます。

でもNさんは約6年間、参加し続けてくれました。

この会では、皆さんに「家族を失う」と言う共通点があります。

ご遺族は、葬式後に、自分の悲しみがとてつもなく深く、容易に立ち直れないことに初めて、気がつきます。

周囲から、かけられた慰めや励ましは、時として痛んだ心を傷つけるし
聞いてもらいたい愚痴や思い出は、まわりが受け入れてくれない。

その気持ちを、どこに出したらいいのか?

結局、家に引きこもり、誰にも話したくない・・・そんな心境になるんです。

同じ経験をした遺族同士では、お互いに弱っている処がわかるのか
安心して、自分の思いを話されます。

「ここに来ると安心」と思っていただける集まりです。

Nさんは、この会では中心になって過ごされていました。

「この会は楽しい。こんな葬儀屋があるんだな
ここで、俺は救われた」
こんな言葉を素直に出してくださる方でした。

奥様を亡くした悲しみを訴えて、涙ぐみ
定期便のように、葬儀社の事務所に立ち寄られ
体力維持にヨガに通い(葬儀社の教室です)
絵手紙を習い始め、何人もの仲間を誘い
何度も、病に倒れながらも
すてきなガールフレンド達に見守られて、再起したNさん。

とっても、とっても寂しいです。
涙がこぼれます。

今度は、本当にお別れなんですね。
深いご縁を頂きました。

奥様の元に、いらしてくださいね。
きっと、Nさんの頑張りをほめてくれますよ。

Nさんに逢えたことを、天に神に感謝します。






葬儀社と業者さん

2008年06月11日 | お葬式
お葬式をするには、多くの業者さんの協力が必要です。

棺、骨壷、看板、車輌、返礼品、料理、生花、供物など。

品物を納めていただくだけでなく、人的協力をして下さる業者さんもいます。

特に、返礼品、料理、生花は直接、葬式に加わっていただくので
葬儀社にとっては、自社のスタッフと同じくらい重要な役目をして頂きます。

この業者さんとの、お付き合いの仕方が問題なんです。

本来の業者さんの仕事以外での協力要請が多いんですね。



お葬式が始まりましたが、葬儀社の人はいません。
司会の原稿を渡されて、今まで返礼品を支度してた業者さんが司会してます。

「チョット、この原稿通りに読めばいいから、後は頼むね」と言って
葬儀社の担当は帰っていきました。
ある自宅葬での話です。

火葬場から帰って、初七日が始まりました。
お世話しているのは、料理屋さんの人です。

食事が終わって、親族が帰り始めても、担当者は戻ってきません。
とうとう、最後の見送りまで料理屋さんがしています。

担当者呼ばないの?
事務所に電話すると、担当者がいないことがバレテしまうので
電話できないんです・・・と言う返事。
・・・そうか、会社には自分が仕事していることになってるんだ。

料理屋さんは、通夜時は親族の食事が終わり、片付け終わるまで
帰ることが出来ません。
会食室だけでなく、トイレや葬儀社のゴミまで集め、
床掃除をして、会館の鍵までかけて帰る料理屋さんもいます。
当然、葬儀社の人は先に帰っています。自分の担当の式なのにね。

まだまだ、あります。
料理屋さんは、葬儀社のスタッフに通夜の夜食を届けます。
もちろん、無料奉仕です。

当たり前のように、葬儀社の人はそれを受け取り、
裏に廻って、食べ始めます。

コレって、ナンなんでしょう?

昔から、それが当たり前だから、何も疑問に感じない・・・ようです。

料理屋さんも返礼品やさんも、仕事が欲しいから
どんなに無理しても、嫌な顔せずに言われたとおりに動いてます。

お花屋さんも同じです。
お小遣い欲しいと言われる事も。

プライベートで使う花は、全部おねだり・・・・なんてこともあるんです。

この業界、まだまだ発展途上なんでしょうか。
人に尽くす仕事の代表みたいな事、言ってるのに。

こういう現実見ると、悲しすぎます。



もちろん、正当に本来の仕事だけをお願いしている葬儀社さんもいます。
本当は、みんな自分の仕事に精一杯、尽力してもらえれば
それが一番なんですけどね。





葬儀の担当者は1人がいい・・・と思わない?

2008年06月09日 | 葬祭スタッフ
私はお葬式は、亡くなってから、お葬式が終了してご自宅にお送りするまでの間、1人の担当者が、中心になって、お世話するのがいいと思ってます。

そうすると、ご家族の状態も、環境もよく解ります。

葬儀の打合せをする者が家族の詳細な希望を、心得ていても
式場の設営者や司会者が違えば、希望が伝わらないことも出てきますし
希望の度合いが伝わらないこともあります。

ですから、私は1人担当性をずっと実行してきました。

私も担当をしてましたよ。
私は、すぐに通夜を薦めないので(故人といる時間が少しでも長いほうがいいんですね)、3日~4日位は、当たり前のようにお付き合いします。

お葬式が終了すると、出棺と共にご親族と一緒にバスに乗り込んで
火葬場へ同行します。

火葬場までは、バスで15分ほどでしたが、
バスに乗り込むと、ご親族に必ず話すことがあります。

お薬の用意がある事を伝えます。


お葬式の直前まで、遺族は看病し続け、
急な葬儀の準備に、ろくに寝る時間もなく動かれてます。

それに、親族が集まるなんて、結婚式かお葬式ぐらいなんですね。今は。
通夜の晩は、深夜まで飲み続け、話し続けで、体は相当くたびれてます。
おまけに、気も使い通しですよね。

火葬炉まで見送って、急に気が抜けて、具合が悪くなる人がいるんです。

でも、こんな時だから、結構我慢しちゃうんですね。
我慢しすぎて、救急車を呼ぶ羽目になる方もいます。

「お薬持ってますよ」って伝えておくと
具合のよくない人は、そっと言いに来てくれます。

早めに対処できますよね。
それに薬があると伝えるだけで、安心感がありますよね。


そして、拾骨が終わって、又、バスで葬儀社に戻るのですが
帰りのバスの中でも、必ず申しあげることがあるんです。

喪主と数名のご遺族はハイヤーに乗られることが多いので
バスには、ご親族、親しい友人の方がいます。

「遺族の嫌いな言葉」の説明をさせてもらうんです。

・・・・ご遺族の方に、暫くの間、言わないで欲しい言葉があります。
「あんまり悲しむと、故人が成仏しないよ」
    泣かせてあげてください。悲しみを抑えてつけないでください。
    以前、ご遺族が「例え、成仏しなくったって、ひと目でいいから
    逢いたい」と言われた事があります。
    暫くは、我がままさせてあげてください。

「寿命だったんだよ」
    人は勝手に寿命なんていうが例え、口が利けなくても、動けなくても
    布団の中にいてくれさえすれば、いいんだ。
    そう思っている方もいます。

「がんばってね」
    うちの中では、泣いてるけど、外に出る時は、精一杯、元気そうに
    何でもなさそうにして行くのに、逢った友人から「元気そうね、
    がんばってね」って言われると、「これ以上、どう頑張ればいいのよ!」
    と、心の中で叫んでしまう。
    こんな、言葉がよく聞かれます。

私も、この仕事をする前は、慰めるつもりで、このような言葉を掛けてました。
でも、ご遺族とお付き合いをするようになって、家族を亡くした人の心の痛みを
知りましたし、言われたくない言葉が沢山あるのも知りました。

皆さんと、バスをご一緒できたのも、何かのご縁です。
どうぞ、このことを、覚えておいてください。
お願いします・・・・

どんなに雑談をされていても、私がこの話をすると
全員が、真剣に聞いてくれました。

そして、バスから降りるとき、
「お姉さん(この方は本当に、こう言ったんですよ!)よく言ってくれた。
つい最近、私も妻を亡くしてね。あんたの言うとおりなんだよ。ありがとう」
と言われました。

やっと自分の気持ち代弁してくれたと思われたようです。

こういう説明は簡単に出来るものではないですよね、どう受け取られるか?って

遺族やご親族のお世話を中心になってしていると、それを伝える空気が読めてくるんです。

この感覚も、1人担当性ならではないでしょうかね。


葬儀の仕事って、世間の人に、遺族の気持ちを伝えることも含まれてると
思いません?


私は大切だと思うんです。




    
    







私の戦友。

2008年06月07日 | 私の半径100メートル
昨日、何年ぶりかで友人に電話をしました。
携帯の電話番号が変わってないか、不安に思いながら。

彼女は私が、葬儀社のパートとして働くようになって
2ヵ月後に、入社してきた女性です。

その日、出勤すると「今日から、新しい女性が入りました。
今、和室の掃除をしてくれてます」と聞き、早速挨拶に行くことに。

部屋を覗くと、押入れの中を丁寧に掃除している様子が見えました。
掃除機抱えて、体ごと押入れの下に入り込んでいます。

私に見えるのは、彼女のお尻だけ。
おまけに、鼻歌交じりで掃除してたので
何度も大声で「こんにちわ」と叫び続けました。

「ハイ」と言って都会的な美人が出てきたのが、初めての出会いです。

同年輩で、背格好も私と同じくらい。
ちなみに、体重は企業秘密ですが?私の身長は165センチあります。
2人とも、年齢の割りに大女です。

それから、この彼女と、私はペアを組み地域の営業を始めます。

普段は、2人で近隣の自治会へ「覚書提携」のお願いに行き
お葬式が入ると、ユニフォームを着て式場のアシスタントとして
動き、出棺と共に、又営業に廻りました。

対照の自治会は150町内あり、会長が不在ならお目にかかるまで
何度も足を運んだものです。

各町内会の行事には、なるべく顔を出します。
賀詞交換会、祭礼、敬老会など。

いつも、同じペースで廻っているのが市会や県会議員の先生方です。
どの町内へ行っても、お目にかかるので「葬儀社のデカイ女2人」は
すぐに、区内で有名になりました。

お陰で、目をつぶっていても、会長の家にはたどり着けるくらい
区内の脇道まで覚えたものです。

ある会長のところへ始めて伺った時、大変な剣幕で怒鳴り散らされました。
「お前ら、どこかから、会長の名簿を手に入れた?そんな勝手な行動は許さん。
用事があるなら、役所を通せ!!!!」

あまりの恐ろしさに、2人で車の中で泣いたりして。
でも、必ずどちらかが、「大丈夫よ、何とかなるよ」と慰めあっていましたね。

その頃の私達は、自治会の組織さえ知らないで営業していたのです。
その町内に知り合いを探し、会長さんはどなた?何て聞いていました。
すでに数町内の提携を頂いてたので、こんなに怒られるとは思わなかったんです。

その会長にお叱りを受けてから、区内の会長の名簿があることを知り
その方が、区の連合会長(150町内のボスです)だったと知ったのです。

「どうしたら、連合会長のご機嫌を直してもらえるか?」
2人の作戦が始まります。

先ず、会長の身辺捜査から。
会社を経営していて、すでに十数年、連合会長をしている。
奥様もお仕事をされていて、町内ではかなり顔の広い方で
むしろ、社交的なのは奥様。

それから、奥様へのアタックが始まりました。
「先日は、私達の不躾な訪問に、ご主人様を怒らせてしまいました。
ご主人様のおっしゃる事が、ごもっともです。お詫びしたいのですが
お目にかかれませんので、何かの機会に、どうぞ奥様からお伝えください」

近くまで来たので、伺いました。と何度も通ううちに
すっかり奥様と仲良しになってしまいました。
3ヶ月くらいたったでしょうか。
「あんた達、今日は会長がいるから、会って行きなさいよ、私が話してあげるから」と引き合わせてくださいました。

会長は「やー、いつも家内がお世話になってるみたいだね」とおっしゃってくださいました。
もう、2人で手を取り合って、喜びましたね。

ここで、申しあげておきますが、高い交際費は使っていません。
「畑から取り立ての大根抜いてきました。食べてください」
「今、おやつ買ってきたんです。みたらし団子お好きですか?」
こんな調子の営業です。

この奥様はずっと、影になり私達を応援してくれました。

私は今でも、この奥様に良くして頂いてますし、わたしの大事な年上の友です。

葬儀の仕事で、共に苦労をした彼女から、学ぶものも沢山ありました。
とにかく、人の為なら、どんなことでもしてあげたい人です。
担当した喪主さんからは、大人気でしたね。
「やり過ぎ、他の人に迷惑かけるよ」と言っても、ダメでした。

プライベートでも、離婚した弟の家族の面倒も見てましたし
その弟さんは、病死しましたが最後まで看病してました。
体の弱いお母さんを休みごとに連れ出してましたし
そのことが気に入らないご主人にも気を使ってました。

その後、彼女は退社し、一度は離れ離れになりましたが
数年後、私が新規の葬儀社の立ち上げを任され、社員も一存で決めることになって
一番最初に声を掛けてのが、彼女でした。

お陰で又、一緒に働く時間を持てました。
いつも連絡し合う仲ではないけど、
私の戦友なんです。

一緒に営業していた当時の会長さんが亡くなったので
彼女に報告したくて、ひさしぶりの電話をしました。

電話から「柴田さん、元気?逢いたいね」
温かい、居心地の良い声が聞こえてきました。

こういう人がいる事が、幸せなんですね。








本来の勉強しましょうね。

2008年06月05日 | 葬祭スタッフ
各地の葬儀社に行くと、きれいなユニフォームを着て
髪型は決まってシニョン、髪の毛はカラーリングなしの黒髪。

そんなステキな女性が葬儀の案内をしています。

その回りから聞こえてくるのは、案内の動作をするのが目的になっている事への
不満です。

「手荷物はこちらへお願い致します」次から次へと聞かされる言葉。
そこには少しの遅れも許されないような事務的な作業。

会葬者の1人が言いました。
「友達が死んで、泣きながら列に並んでるのに
もっと優しくいえないのか!」

大勢の会葬者を時間内に焼香案内するのは大変なことです。
「前にお進みください。順にお進みください」と
必死に案内していたスタッフは、会葬者の足を踏んでました。

「1時間で500人は回したわ」と自慢話?

こんな話を漏れ聞きます。

「困っとるんですわ。あの子葬儀のたびに、私なら絶対泣かしてみせる。
と言って、肩で風きって。鼻が天狗になっとる。
他に司会するものがいないんで、参ってますわ」

最近では、葬儀のレベルアップといえば
アシスタントの動きと司会が人気です。

コレを身につければ、きちんとした葬儀社に見えると思っている見たいです。

デモね、アシスタントの動きや司会を教えてくれた研修者は
多分そんな風には教えていないはず。

必ず、葬の歴史や意味や目的を教えていると思います。
そして、遺族の心境や、お客様の感じ方も教えます。

その上で、案内や司会の重要性を話しているはずです。

その次にノウハウです。

でも、上っ面だけを覚える人が多いんですね。

同じ葬儀の現場にいても、自分の持分以外は関係ない。

料理が余りそうなら
会葬者の誘い方工夫してくださいよ。

お客さんの買い物を無駄にしないでくださいよ。

案内も、司会も、葬儀が十分に解っていないと
片手落ちになります。

葬儀の流れなら十分に知ってます・・・ですか?
違うんですね。

そのお葬式の故人はどんな人柄、
家族は故人をどう思ってたの?今の状態はどう?
親族との関係はどう?
町内との付き合いは?
会葬者はどんな人が多いの?

せめて、コレくらいは把握していなきゃ。
それなりの案内や接待、司会は出来ないでしょう。


自分では優しい人になってるつもりでも
周りの人は、ちゃんと見てますよ。
カッコだけって!

なんせ、人生経験の豊富な人がお客様なのだから。

勉強するのは、とても大事なことですが
勘違いな勉強は損ですよ。



こんな事を内心思っているので
ウーーーーンと、唸ってしまう今日この頃です。