柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

故人の尊厳は最期の姿にあり

2023年05月01日 | 

「お花入れは嫌いです。あまりに顔つきが変わってしまい怖かった経験があります」こんな声を聞くことがよくあります。

闘病はその方の姿を徐々に変え、中には著しい変化をして今までの面影を失った方もいらっしゃいます。

 

私の父の最期もそうでした。意識のないま25日後に亡くなりましたが、挿管された唇は損傷が見受けられて、背中は褥瘡がひどい状態でした。

霊安室に安置された父は目も口もあきかけていて死を感じさせる情けない風貌です。

その場にいた葬儀社の方に「目と口を閉じていただけませんか」とお願いしましたが「できない」と断られてしまいした。

葬儀社で長年遺体処置をしてきた私には信じられない言葉です。

まだ亡くなって1時間ほどの父の修復は十分に可能です。手袋を借りて私が目と口を閉じました。

それだけでも父らしい面影が戻ります。

父はそのあとエンバーミング(遺体の血液を抜き、防腐剤の液体を入れて体の腐敗を防ぐ施術)を行い、その際に家族や友人たちが知る父の容貌に修復をしていただきました。

母の支度していた着物を着て愛用していたカツラをつけ、おしゃれだった父の復活です。

通夜時に駆けつけてくださった方々に柩の蓋を開けて父との対面の場を用意しました。

多くの方が語り掛け、手や頬を触ってくださり、人好きなだった父は大喜びしていたと思います。

 

葬儀に従事していた頃は、病院から戻られたご遺体は全て処置をし直し、体液等の漏れないようにして、ご家族が安心して触れられるように努めていました。

「そんなにドライアイスを使うんですか、冷たくて可哀そうだ」との声を聞いてから遺体の処置をいかにするべきか勉強を始め、多くの商品を試し、実践に基づきドライアイスを極力使用せず、遺体の腐敗防止剤を使用して体が冷たくないように整えました。

家族にとっては故人はまだそこにいる存在なのです。

痛い想いや冷たい想いをさせたくないのです。

顔つきも、できるだけ温和に整えます。

 

葬儀従事者は故人様を知ることができません。

ご家族から聞く故人様だけを知ることができるのです。

それなら家族の中にいるその方のイメージを大切にしたていただきたいものです。

「故人の尊厳は最期の姿にあり」と私には思えるのです。

 

死の直後に家族は悲嘆だけでなく、憎悪の気持ちを抱くこともありますが長い年月とともにそれも変化していきます。

多くの方は「いい思い出」とされることを遺族の語らいの場から教えていただきました。

 

病床で苦痛に耐えたお顔より、柩の温和な顔が心に残るようにするにはエンバーミングや湯かん、死化粧も役立ちますね。

 

 


コロナ禍での死

2022年12月28日 | 
コロナ禍において世の中が大きく変わりました。
家族の死を迎える環境の変化もその一つです。

コロナ禍で家族を亡くし納得した別れができなかった人たちは大勢います。
この3年間で新型コロナウィルスの実態が徐々に解明されてきました。
初めは感染力が強く死に至る可能性が高いと恐れられていましたが、今では感染予防をしっかり行うことで行動規制も緩和されています。
しかしながら
高齢者施設や病院では今だに面会ができません。
オンラインで面会ができたとしても慣れない高齢者にとって画面越しの会話は今一つ実感がわきません。
目線を合わせることも難しく、うつむき加減で会話も少ない形ばかりの面会になることもあります。

例えビニールの衝立越しであっても目の前にいる家族に逢えることができれば、、、
ビニール手袋をした手でも触って体温を感じることができれば、、、
手紙や写真を会話を交えて手渡すことができれば、、、
面会を心待ちにしている高齢者にとって楽しみや生きる張り合いが違ってくるでしょうね。

ご主人を介護施設に預けていた友人はオンライン面会で回を重ねるごとに弱っていく様子を案じていたそうです。
コロナが落ち着いた頃に30分にも満たない時間ですが帰宅を許されました。
飲食は禁止されていましたが、自宅で家族に囲まれたご主人の嬉しそうな表情が忘れられない、と聞かせてくれました。

入院中に危篤になりそれでも会えない家族の嘆きも聞こえています。
病院によって危篤時の対応は多少の違いがあると思いますが、病院は感染防止対策を死守するあまり一般の面会時と同じ対応を強いていたように思えます。コロナ感染していない患者の死さえも家族を遠のけてしまいました。

容態が悪くなっていても面会ができない家族にとって不安は募ります。
「こんなご時世では仕方ない」とはだれもがわかっていることですが、死は二度と触れ合えなくなる永遠の別れの瞬間です。
たとえ淡白な家族関係であっても、死をつきつけられると心は平穏ではありません。

病院に駆けつけても病室に入ることもできない。
代表者のみの面会が許されても、ほかの家族の気持ちを察すれば「自分だけ申し訳ない」という思いも残ります。
一人きりで寂しい死を迎えさせてしまった。
最期に何を言いたかったのだろう。
意識はなくても家族の声は最後まで聞こえると言われているのに「有難う。さようなら」も伝えられなかった。
そんな後悔は死後まで傷として残るでしょう。

病院のパンフレットには
「患者の意思、権利、尊厳」などの文字が並んでいますがコロナ禍ではそれも置き去りにされるのでしょうか。
最期に家族にも会えず一人で逝くことは不本意ではなかったのでしょうか。

コロナ病棟は隔離されてはいるものの、病院スタッフは自宅から通勤し、一般病棟にも出入りしています。
危篤に陥った患者への面会は、有料でも構わないのでPCR検査を義務付ける、防御服を着用させる、などの創意工夫ができないのでしょうか。
面会を望む家族に「こんな状況なんだから面会禁止に従うのが当たり前」とばかりに看護師から規則一辺倒の対応を受けた深く傷ついた家族の記事を読んだ記憶があります。
病院側は正当な対応をしたつもりでしょうが看取りの場さえ与えられない医療とは?  疑問が残ります。
別れの場を作れないのであれば、家族へのいたわりの対応や患者の容態を報告する優しい言葉が欲しいものです。
せめて「危篤の〇〇さんのご家族がいるから」の情報はスタッフ間で共有してほしいものです。
心配顔で待機する家族を横目に「私はその患者の担当ではない」とばかりに声がけもない無視状態はさらに家族を孤独にさせます。

病院は治療だけでなく看取る過程も医療と捉えるようになってきました。
感染症の新しい情報を得ながら、規則に縛られるのではなく規則をバージョンアップできる体制を期待しています。












亡き親への悔いが、今も

2022年09月29日 | 
父親の13回忌を終えた方から、相談を受けました。がん末期を迎えた父からの一言に答えられなかった自分を今でも悔いているそうです。

ある日、なかなか良くならない体調に「この先、どうなっちゃうのかな?」とつぶやいた父親に何も言えず黙ってやりすごした自分に深い後悔の念があるそうです。
突然の思いがけない問いかけに「何と答えればよかったのか?」と思い出す度に今でも苦しくなるそうです。

この時点では父親の余命が無いことをこの方は分かっていたのでしょう。
正直に言えない自分と、嘘で返せない自分が居たはずです。
どちらかの返答をしても、やはり後悔は残るのではないでしょうか。
家族を看取った殆どの方が何らかの後悔を抱えていることを、私はよく知っています。

この言葉を呟いたお父さんは自分の行末をすでに感じていたのではないでしょうか?
もし、父親の人生への想いや死生観を理解していたら、子供としての対応も少し違ったものになったかもしれません。

死期が迫ったとき、延命をして少しでも長く生きたいのか?自然に任せて枯れるように亡くなりたいのか?
死は怖い、苦しいと考えているのか?死はごく当たり前で怖い物ではない、と考えているのか?死後の世界はどんなところなのか?天国のメージか地獄の様なイメージか?
その人の考えを知ることで答え方のヒントが得られるかも知れません。
お元気な時から、こんな話を茶のみ話の様にしておけるといいですね。

今は年齢に関わらず「もしもの時の延命をどうするか?」は家族間で伝え合っておくべき時代になりました。マスコミでも、よく取り上げていますよね。

その話を少し延長すると、最期は何処で過ごしたいとか、死後はお墓にいると思う、とかの話に入り易いとおもいます。

大切な人がこの世からいなくなることは寂しい事ですが、死は、産まれることと同じ様にごく自然な成り行きです。誰にでも訪れる事なので、親の気持ちを聞くというよりは「自分はこう考えている・・」と雑談気分でお互いの話をしてみてください。

その人の人生観や死生観を知ることで、「きっと良くなる」と励まし続けるのか・・・
「今までの感謝やねぎらい」を伝えてる時期を逃さぬようにするのか・・・
「好きなこと、やりたいこと」を叶えるように手助けをするのか・・・
最期の大事な時間に寄り添うことができる気がします。

私のアクティブノートには「人生会議の心づもり」という項目にそんな気持ちを書くページがあります。ご参考までに!


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ご主人を見送った親友

2022年09月16日 | 
近隣の集会所で月に1回終活セミナーを、2年間実施していたことがあります。
そこに親友が毎回通ってきてくれました。

私自身の実体験も交えながら、具体的に高齢になると起きうる事態とその対処法を話すのが
私のセミナーです。介護の話なら、介護制度の仕組みよりある日突然、脳梗塞になった義母の様子や、その時の介護の選び方や、家族の想いや、費用問題などを話します。
葬儀も家族葬ばやりですが、手間暇や価格の点ばかりでなく、家族として悔いのない葬儀は、どんな葬儀なのか、実際に遺族のケアをした経験を踏まえて普通では聞けない心情を話します..
老後のお金の問題や、保険の活用法や、看取ることや、終末期の意思表示や相続問題も、なるべく身近に起きた例を取り上げて話しています。高齢になった私自身が気になった事柄を伝えるようにしています。

親友のご主人が脳梗塞で倒れ介護生活に入った時も、介護施設に入所の決断をするときも
いよいよ余命が迫ってきた時も「あなたの話を聞いていて良かった。慌てずに済んだ」と言ってくれました。

先週、このご主人が亡くなりましたが、介護施設で容態が悪化し病院へ入院、その頃から家族でご主人の「もしもの時の話」を何度も繰り返ししてきたそうです。
入院中に食事が取れなくなった時点で、担当医と相談して、介護施設にご主人を戻しました。
コロナで家族は思うように会えない日々が続く中、ご主人の最期には長い間お世話をしてくれた多くのスタッフがいる介護施設の方がご主人への声かけも多いのではないか、との判断です。
そして1週間後、ご主人は穏やかに息を引き取ったそうです。
遠方に住む子供達も後悔のないように、父親との面会を重ねてきました。
葬儀社とも事前に相談をして見積もりも立ててもらいました。
施設から葬儀社へ向かう時は、介護施設の医師や看護師、介護スタッフが大勢で列を作って見送ってくれたそうです。
その時にご主人とスタッフとの触れ合いも聞かせてもらったようで「嬉しい時間だった」と伝えてくれました。

私は入院中でお葬式にも参列はできませんでしたが、思いがけない出来事があったのです。
ご主人の入院先は私がリハビリで入っている同じ病院で同じ病棟だったのです。
親友がご主人を病院から介護施設に戻すその瞬間に、偶然にも私は車椅子で廊下に出て、お二人を見かけました。外部の人や患者同士での対面は叶いませんでしたが、少し離れたところでストレッチャーに横たわったご主人の横顔が見れたのです。
付き添っていた親友は穏やかな顔で目線を交わしてくれました。

神様がくれた粋な計らいでしょう。
その数日後に「すべて無事に終わりました、ありがとう」とメールが届きました。

哀悼の花言葉 イトスギ

希望の終末期のために「ACP」

2022年07月18日 | 
この2か月間で、終末期や緩和ケアが書かれている記事をよく目にしました。
国立がんセンターで「大規模遺族調査」を実施したら、「痛みがない」「希望した場所で最期を」と希望しても願いがかなわなかった人が多い結果が出たそうです。 
患者さん本人にとっても、家族にとっても強い痛みがあることは耐え難いことです。
患者さんや家族は「痛みがあるのは当然」と考えを医師に訴えることは極力抑えがちになるそうです。
ガンそのものの痛み、それに伴う筋肉痛、不安からの痛みなどいろいろな痛みがあるそうですが
その詳細が医師側にうまく伝わっていない現状があるらしいのです。
「痛みは我慢せずに医師に伝える」「耐えることは美徳ではなく、痛みから動けなかったり、眠れなかったりすると状態は悪化し不安が痛みを更に強める」と医師側は助言しています。

私達は、まだ医療に口だすことが苦手です。
わからない知識でもあるし、懸命に取り組んでくださる医師や看護師さんにこれ以上の訴えは申し訳ないと感じてしまいます。
終末期の医療やケアは患者と家族と医療、介護チーム全員が同じ情報をもって同じ方向を見て、患者さんの望む時間を過ごせることが重要です。
そのために何度も話し合いを行う必要があります。
人の気持ちや希望なんて一度話して伝わるものではないのですね。
話す方も、聞く方も心が通じるようになってやっとその情報の行き来が始まります。
話すうちに、自分の知らない心の声を感じたり、患者さんの建前と本音を聞き分けたりできるのだと思います。病院より自宅に戻りたいが家族に迷惑かけるから、と口を閉ざす患者さんもいますが、話し合いで信頼が築けてくると伝えることができたりします。
その話し合いをACP(アドバンスケアプランニング=人生会議)と言います。
病気を完治させるだけが医療ではなく、最後の時間まで心地よくするのも医療の範疇という時代になりました。

まだまだ、医療者側にも患者や家族側にもその情報が行き届いていません。

私は亡くなった後のご家族と接してきましたが、いい看取り方ができたご家族は死という場面を上手に乗り越えています。
そのための準備として病院だけでなく、ACPをあらゆる機会に育んでいける体制ができてほしいと思います。
微力ですが、アクティブノートにもACPの準備段階として「私らしいエンディング(人生会議)の心づもり」というページを作りました。
何度でも最期の希望を問いかけ、心にイメージをつけるためです。
どうぞご活用してください。


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リハビリスタッフが感動した人

2022年03月20日 | 
リハビリ施設の方に聞いた話です。
リハビリに通っていた女性は80代後半で癌の末期でした。
治療を一切拒否し、普通に生活することを望まれていたそうです。
「私ね、ここのリハビリに通うのがとても楽しいの。ご迷惑かもしれないけどよろしくね」と明るくお話しされる方でした。
「訪問の先生がね、こんなに数値が悪いのにどうして元気なのかな?って、私の顔を見ると言うのよ」と可笑しそうにスタッフに話しかけ、一年ほど通い続けたそうです。
この女性は自分の楽しみを見つけ、生きる力をそこに見出していたのですね。
ある日
「この頃少し体がきつくなってきたけど、ここに来たくて頑張っているの」と緩和ケアに入ったことを打ち明けたそうです。
そして後日ケアマネージャーさんから、最後まで普通の生活をされ、安らかに逝かれたと聞かされたそうです。

この女性の逝き方は周囲の人たちに感動を与えました。
リハビリ施設のスタッフさんは
「もし私が癌の末期だとわかったら、私も治療はせずにこの方のよう最期まで普通に暮らしていきたい」と思ったそうです。

私も同じように考えています。
実際にそうなったら気が変わるかもしれませんが、それはそれでいいのではないかしら。
ただ今の時点では
末期と判断された病なら受け入れて、家族や友人と一緒にいる時間大切に歩んでいきたいと思います。
それを可能にするには家族の理解が必要ですね。
普段から、そんな話を何気なく伝えあえる家族関係を作っておきたいものです。



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コロナからの問題提起、人の死にも・・・

2021年11月23日 | 
毎日があっと言う間に過ぎていきますが
私なりに自由な時間が増えてきました。
新聞を見ると、つい高齢者向けの記事に目がいきます。

コロナの影響はやはり大きいですね。
この2年間で葬儀は「家族葬」が定番になりました。
葬儀を望まない人たちには、簡単に済ますいい口実にもなっています。

簡素化した葬儀について新聞では「寂しい」「後悔が残った」という遺族の声が特集され
各分野の専門家からも葬儀の持つ意味とか、遺族の心のケアへの懸念が見えます。

亡くなる前の状況も変化があり
コロナ感染を防ぐため
入院患者や、介護施設の入所者への面会が長期間制限されました。
その間に逢えないまま家族を亡くした人もいました。
ご遺族は遺影に向かって、生前に話したりない会話をし続けているそうです。

そんな中でも
最期は病院から自宅に戻ることを希望し
ごく普通に家族との時間を過ごし、
周囲に感謝して、感謝して、亡くなった女性の死も紹介されました。
「この一ヶ月があったから、亡くなった後も救われている」という家族のコメントも書き添えられています。


今の若い孫世代は
「同居していない祖父母は家族ではなく親戚」
という感覚があるそうです。

そうなると
一人住まいの高齢者には家族がいない、という捉え方もできますね。
現に身寄りがいるのに引き取り手のない遺骨が増ているのです。

コロナからの問題提起は人の亡くなり方にも及びました。
どんな状況の高齢者でも
病気になっても、終末期になっても、死んだ後も
安心できる暮らし方や仕組みができないものでしょうか。



臓器提供をどう思いますか?

2021年10月13日 | 
アクティブノート(エンディングノート)の改訂版を作成中ですが
まだ、校正中で出来上がるまでにはもう少し時間がかかりそうです。
すでに新しいアクティブノートのご注文を下った方にはお待たせしてしまい申しわけありません。

ガイドブックを作る上で、以前より幅広く詳しくするためにいろいろな調べ物をしました。
その中で臓器提供が特に心に残りました。

臓器提供は
病気や事故で臓器の機能が低下し移植でしか治らない人に第三者が健康な臓器を提供し健康を回復させるためです。

自分の死後に臓器を提供する意思表示項目がアクティブノートにはあります。
健康保険証、運転免許証、マイナンバーカードにも臓器提供の意思表示がありますよね。

死っていつ訪れるかわかりません。
もし、私が重篤な病気になり、これ以上治療しても回復が望めず、死が間近に迫っている場合
私は延命措置を拒否するつもりです。
そして臓器提供を希望しているので前もって私や家族から主治医に伝えておきます。
死の兆候が見えたときに主治医から家族に死亡後に臓器提供の機会があるという選択肢提示がある場合もあります。
実際には、臓器移植コーディネーターから臓器提供に関しての詳細な説明がされ臓器提供が決定します。
臓器提供には家族の同意が必要なので、元気な時から家族ともよく話し合いをして承諾を得ておきましょう。

私の身体の衰えは進み、脳の全ての働きが停止した状態が「脳死」です。
もし、脳内の脳幹という部位の機能が残り、回復する可能性があるのが植物状態だそうです。
脳死になるとどんな治療をしても助かることはなく、時間をおいて心臓が止まります。
私が主治医から脳死の判定を受け6時間後に更に同じ状況を確認すると「脳死」が決定します。


脳死状態で取り出せる臓器は心臓(50歳)、肺(70才)、肝臓(制限なし)、すい臓(60才)、小腸(60才)、眼球(制限なし)、腎臓(70才)です。()内の年齢は提供の目安ですが、意思表示は年齢に関係なくして欲しいそうです。
その時に専門医が調べて提供を受けるかどうかを決めるからだそうです。

心臓が停止した後で摘出できる臓器は、腎臓、膵臓、眼球となります。

家族が死亡した私とお別れをした後に臓器の摘出手術が3~5時間で行われ、私の臓器は必要とされる人の元に運ばれ移植されます。
きれいに修復された私は家族と一緒に自宅に帰ります。

もし私が意思表示をしていなかった場合、家族が承諾すれば臓器提供は成立します。
もし私が「臓器提供をしません」の意思表示をJOT(公益社団法人日本臓器移植ネットワーク)へ登録、又は意思表示のカードにしておけば、家族が承諾したとしても私の意志が優先され臓器提供はできません。

15歳未満の子供の場合は親の承諾があれば臓器提供ができます。

今回、私が臓器提供に心が動いたのも、幼いわが子が心臓の移植を待ちながら、間に合わずに亡くなった我が子の臓器提供をご両親が決断した記事を読んだからです。
この親子の話は数年前にTY番組で紹介されています。
この話は、私は終活セミナーで臓器提供の話をするときに必ず皆さんに聞いていただいてました。
セミナー時に質問すると臓器提供をしたい人はまだ多くはありません。
もしかしたら、臓器提供の正しい、詳しい情報が一般の方に届いていないからかもしれません。
身体から臓器を摘出するイメージだけが強いのかもしれません。

実例の紹介は臓器提供の意義や周囲の人々の気持ちや考えが垣間見えます。
そのせいか、セミナー後には考えが少し変わったと言ってくださいます。
一人でも多くの方に臓器提供の事を知っていただくのが大事と思っています。

例え死後のことであっても臓器提供は嫌というお考えも当然あります。
どんな考え方もその方の大切な意思です
その意思もきちんと家族に伝えることが大事ですね。

伯母が88歳で亡くなり数年たってから
失明している母は「姉さんが死んだ時は思いつかなかったけど、あの時目をもらって移植しておけばよかった」とつぶやきました。
この時は母80才になっています。
高齢でも「目が見えれば」「姉さんと一緒になれる」という思いがあったのだと気づかされました。











知人が続いて癌で亡くなりました

2021年09月01日 | 
まだ50代の方で、リフォーム関係の職人さんです。
脱サラして自営業になり20年がたちました。
前職の時からお付き合いがあり、温和で甘いものが大好きな大柄な人でした。
本人は糖尿病を気にしていましたが
去年癌が見つかり1年の闘病生活を送りました。
宣告を受けたときはショックが大きく「もうどうでもいいや」と投げやりでしたが
周囲の友人に励まされ手術を受けました。
すでに手遅れだったようです。
独身だったので最期まで友人に見守られて逝きました。

もう一人は80才のご近所さんです。
年相応に疲れが出てきたと思っていたら
実は癌でした。
本人は「あそこが痛い、ここが痛い」と通院はしていましたが
何となく感じていたらしく
「怖くて本当に痛い所は言えなかった」と家族に伝えたそうです。
やはり入院した時にはすでに転移していて
何の治療も受けることなく、2週間ほどで亡くなりました。
その間、家族が仕事を休んで付き添っていました。

癌の最期は一気に体力が落ちます。
その後は時間との戦いで場合によっては
死まで数日ということもあります。
一か月前まで歩けた人が急に車椅子でもきつそうになります。
食べれた人が何ものどに通らなくなります。
でも意識は最後まではっきりしている方が多く
家族とも死の直前まで会話ができる人が多いのです
そして一番気になる終末期の痛みは
薬でかなり軽減することができるようになりました。

ですから癌で死ねるのは有難い、という人もいます。
家族もそれなりに覚悟する時間ができます。
この時期亡くなる方が多いようで
火葬場も一杯なんですね。


え、亡くなられてたの・・・そんな言葉が出る今日この頃

2021年05月24日 | 
「え、亡くなられてたの・・・」

この一週間に驚くほど訃報を聞きました。

「転居のお知らせを有難うございます。実は主人は1年半前に亡くなっておりまして」
「後を追うように母も1年前に亡くなりました」
祖父母の親戚で神事をお願いしていた方の奥様から。

「あなたも知っている妹が急に死んで、今辛くって」
久しぶりに連絡をとった友人から

「親父の葬儀で世話になった町内の方が亡くなっていたんだ。何も知らずに申しわけない事をしたよ」
弟から

「久しぶりね、元気だった?うちは娘が1月に死んじゃったのよ」
母の友人のおばさんから

亡くなった方は私も良く知っている方ばかりです。
もう日にちも経ってしまい、どうしたものかと考えましたが
お香典ではかえって気を使わせてしまいそうで
お花のギフトカードを買い、手紙と一緒の送ることにしました。

コロナ下だから葬儀は内々で、が当たり前のようになりました。
今は人が集まるのは避ける方が賢明ですが
亡くなったことを知らせるのは迷惑な事ではありません。
多少なりともご縁があった私は訃報を聞いて、弔意を相手に示したいと思いました。

「私が死んでも誰にも言わないで」
そんな風潮が私はとても気になります。
そんなに周りの人と縁を切りたいのでしょうか?
知らせると迷惑になるのでしょうか?

今は終活ばやりと言われますが
何もかも整理することをお薦めしているわけではありません。
大切なものは最後まで持っていましょうよ。
人の縁は買えない大切なものです。
心が弱っているときに一番感じるのが人の縁です

人はそんなに割り切れてサバサバできるものではありません。
葬儀が終ったらどうぞご縁のある人には亡くなったことを知らせてください。

これに関わる重要な立場は葬儀社です!
人の悲しみや労りを商売にしているのですから
プロらしく、死亡の通知をすることを薦めてください。

遺族は死に慣れていません。
世の流れに沿うのが素人の考えです。
死の通知を薦めても拒否されるかもしれませんが
告知をしたなら、周囲から遺族は温かい心をもらうはずです。
それがどんなに大きな意味を持つのか
葬儀社ならわかってください。

友人や知人なら、知らないうちに葬儀が済んで
何か月もしてから死を知ったら
たいていは心にチクっと刺さるものがあるはずです。

このブログ、葬儀社の方が多くみられているようなので
是非、伝えておきたいと思いました。

葬儀社はご遺族に後悔をさせないでくださいね。





死後3年目の後悔

2021年04月27日 | 
間もなく母の3回忌です。
昨年の1周忌に続いて今年も
法事のために兄弟が集まるのは無理そうです。

去年の今頃は
「来年になればコロナも落ち着いて
安心して法事に集まれる」と思っていました。
落ち着くどころか変異種のコロナまで現れ
猛威の感染力を見せつけています。
早くワクチンが行きわたり、収束を迎えたいものですね。

母のことでは私は悔いていることがあるのです。
老人ホームにいた母が急に衰え
入退院を繰り返し
いよいよ先が短いと悟ったときに
母をホームから引取り最後の時間を一緒に過ごしたい
と考えたことがありました。

弟妹も、家族も、持病持ちの私が
寝たきりの母の世話は無理だろうと判断。
私もそれ以上、強く望まぬまま
死を迎えてしまいました。

病院でもホームでも
母を優しく支えてくださっていたので
母の看病に不満はありません。
むしろ感謝するばかりです。

その時の私には
自宅で母を送るための具体的な知識が欠けていました。

母の死後に
在宅での医療や看取りを学ぶ機会があり
訪問診療や訪問看護、介護などとの
連携をとれば
例え
看病する家族がいない方でも
家で死を迎えることが可能と理解しました。

当然、私の場合もできたはず。
私には具体策を求める勇気がなかっただけです。

こんこんと寝続けて
意志の疎通さえできない母でしたが
限られた時間だからこそ
側で見届けるべきだった…
そんな思いが今でもよぎります。

そして「帰りたい」と願っていた義母にも
同様の後悔が湧いています。

コロナに関わらず、
超高齢社会の我が国で
最期を迎える場所は
病院や施設だけは足りず、自分の家も当たり前になってくるでしょう。
きちんとした情報とサポートを知れば
看病する家族の選択肢も増えます。





阿川佐和子さんの「看取り記事」を読んで

2020年12月25日 | 
今年5月半ば、新型コロナウイルスが猛威をふるうなか
阿川佐和子さんの、母・みよさん(享年92)が逝去されました。

「コロナ下で認知症の母を看取る。面会はLINE、葬儀はリモートに」の記事が
婦人公論に掲載されました。

私は、気になる記事を記録して、時々読み返します。


お母様は
認知症を患いショートステイを利用したときに、コロナ騒動が起き
自宅へ帰るチャンスを逃したまま
軽い脳梗塞を起こし
面会もままならぬまま亡くなったそうです。

容態が急変し、病院へ駆けつけ
死に至るまでの7時間を
家族で看取ることができ
その過程で死を受け入れることができた、とあり
私の母と時と同じだと思いながら読みました。

アメリカ在住の弟さんのために
病院でのお母様の様子をLINEで
葬儀はお寺からリモートしたそうです。

以下は記事の一部を紹介します

母が亡くなったときは、コロナ禍での葬儀であり、
可能な限り小規模なものにするということはすんなり決まったものの、
問題は母の死を親戚以外の誰に知らせるかということでした。
父が亡くなってから、母を心配して「お母さま、お元気?」と電話をくださる方、
季節の果物を送ってくださる方などが大勢いらっしゃったのです。

せめてその方たちには知らせなければと作業を始めたところ、これがとにかく大変。
連絡先がわからない人もいて、古い年賀状や手紙の類、
品物の送り状などから探偵のごとく調べるわけです。
電話で知らせるにも、相手はご高齢の方が多い。
「まあ、佐和子ちゃん、ご無沙汰してます。お元気?」から始まり
「コロナ、どうしてらっしゃる?」と続き、
そのまま話していると1時間近くかかることも。
1日に4件もこなすと、もうクタクタ。それが何日も続きました。

ただ、回数を重ねるにつれ、これはすごく大事なことだと思うようになったのです。
「いつも送っていただいたチョコレート、母は喜んで食べていたんですよ」とこちらが言えば、
「そうそう、昔、こういうことがあったのよ」と話をしてくださる。
ある方からは、「主人が亡くなってから世間とは無縁な生活をしておりましたけど、
私のことを思い出し、知らせてくださって、本当にありがとう」と言われました。

親の人間関係なんて、知っているようで知らないもの。
私には「誰? この人」という人も、過去をたどることで
「母とはそんなに古くからのつき合いなのか」などと知ることができ、
にとっていかに大事な人かがわかる。
母の人生における人とのかかわりの一端を知ることになるのです。

年をとるにつれて、世間とのコンタクトは少なくなりがちです。
高齢者は社会からのリタイア者という見方をされてしまい、
その人自ら、これまで巡り合った人々との交わりをキッパリ断ってしまうこともある。
それを今さら復活させようというのではありません。
ただ、放っておけば忘れるにまかせて終わってしまう人と人との関係を、
母の死の報告により「つなぐ」ことができたのではないかと思うのです。

葬儀にしても、参列することで久しぶりの顔に会える。
みんなをつないでくれているのは、葬儀の主人公である故人なんですね。

亡くなったことの知らせも、香典返しやお礼状も、面倒くさいけれど、そこには意味がある。
死んでなおの母の教えですね。
そこに気づいたのも、私自身、歳をとって、人生の残り時間が見えてきたからかもしれません。




私がいつもブログに書いている通りのことを
阿川さんは記事の中で主張してくださっている。

体験しないとわかりずらいことなので
あえてこの記事を紹介しました。





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家族を見送った経験はあるけれど・・・

2020年10月04日 | 
エンドオブライフ・ケア協会の研修を受け
看取りの体験レポートを提出します。

この研修は、看取りに携わる医療関係者や介護関係者が
死を前にした患者さんをどのよう看取るかの研修です。

多くの受講生は職場の日常に看取りの環境がありますが
私は一般人なので、自分の過去の体験を課題とします。
家族を見送ったことを思い出してみて気が付いたことがあります。

私の家族は「突然の別れ」ばかりでした。

儀母、私の両親、伯母の死に
私は立ち会っていますが
皆、死の直前まで普通の生活を送っていました。

義母は特別養護老人ホームに入所していましたが
私が義母を訪問し車椅子で庭を散歩した翌日に
呼吸が乱れ緊急入院をしました。
検査の最中に急変し
数分後にかけつけた時には息を引き取っていました。

父は臥せている時間が多かったのですが
食事は居間で取っていましたし会話もしていました。
昼に父は食事を喉に詰まらせ、仮死状態になり入院。
意識が戻らぬまま3週間後に亡くなりました。

伯母は夜中に心臓発作をおこし
私に電話をくれまましたが、駆けつけた時は虫の息。
心臓マッサージを受けながら救急車で搬送。
病院に到着した時に心停止でした。
発作を起こした日には美容院に行き、近所の人と話し夕食も済ませていました。

母は老人ホームにいましたが。
友人が訪ねてくれて
談笑している最中に腹痛を訴え緊急入院。
胆管炎と判明しましたが痛み止めで対処。
その直後からほとんど眠ているままで
会話もままならず2ヶ月後に眠った状態で亡くなりました。
老衰です。

全員が医師から余命の宣告を受けたり
家族が死を予感したりという時間がないまま
死に至るまでの看取りをしてないのです。

意識の戻らぬ父と母は
会話もなく容態の変化もなく
心電図や呼吸器の器機を見て過ごしていました。

母の時には
看取りの心得が少し身についていたころなので
反応のない母に話しかけ、手や体をさすることは出来ました。



最近では
治療が出来なくなった最終段階の患者に対して
医師や看護師、ケアマネージャー、介護士、薬剤師等
多くの関係者が身心の情報を共有しチームで、その患者の
不安や落ち込みや、痛みに対処するようになってきました。

死を目前にした数日、数週間から数か月
本人が穏やかな気持ちで過ごせるように
また家族の不安も支援できるようにと考えてのことです。

私が家族を送った体験には
その期間がありません。

亡くなり方は誰も選べないのですが
この研修を受けて
死を前にした人に、どう向き合えばよいのかを学び
私の亡くなった家族にもそんな環境で送ってあげたかったと
思っています。




死への導き「お迎え現象」

2020年09月07日 | 
親友の愛犬が突然、亡くなりました。
年をとり耳が聞こえなくなっていましたが
前日まで普通に過ごしていたそうです。

近くの写真屋さんの愛犬も昨日亡くなったと聞きました。
のろのろとお散歩をしているのを覚えています。

どのワンちゃんもみんな高齢でした。
我家の愛犬も、明日死んでも仕方ないほど老いています。

家族にとっては人の死も、ペットの死も、変わらない悲しみです。

そんな時に
13歳の少女が亡くなる前に
「以前飼っていた愛犬が夢に出てきて
『大丈夫だよ、僕がいるのは安全で安心な場所、一緒にいるよ』
と言ったような気がする」と医師に話した。
という記事を見つけました。

病院の医師や看護師さんは患者さんから
このような話しを聞くことが多く
死の数日前に、すでに亡くなっている身内の人が現われる
「お迎え現象」の聴き取り調査をしているところもあります。

故人だけでなく、亡くなったペットが来たという話もよく耳にします。

私の伯母は亡くなる1年くらい前から
「死んだ両親や家族が来た」
「あれは夢だったのかしら?でもはっきりと覚えている」
と私に話してくれました
それから叔母は何度もその体験をしています。

最後に聞いたのは「昨日は家族が全員この狭い部屋に集まってきたのよ。
話が楽しくてね、ワハハ、オホホと笑いながら一晩中話したのよ」
そのメンバーは、全員故人です。
「あんなに楽しかったのにすみ子だけがいなくてね。どうして来なかったのかね」
まだ、健在だった私の母の名を出したのを覚えています。

当時は、伯母が元気だったので、これは「お迎え現象」ではないと
私は思っていましたが
今思い起こすと、やはり一人住まいの伯母を心配して
祖父母や叔父が少しずつ、お迎えを繰り返していたのではないか
と思えるようになりました。

母の介護をしているときにも「誰かの夢を見た?」と
時々、探りを入れてみましたが
母は殆ど夢すら見なかったようです。

実際に死が近くなったころは
会話もできないくらい寝ているばかりだったので
「お迎え現象」があったのかは不明です。

高名な医師や学者の方々が
この世の中で科学で解明できることは「ほんの一握り」
だから、あの世を否定していない方が意外と多いと聞きました。

私には説明する言葉もありませんが
お迎え現象によって、死が怖くなくなる人がいるなら
素敵な事だと思いませんか。





悲しいけど、知らせてくれて有難う!

2020年08月01日 | 
関西に越された友人の娘さんから電話が入りました。
「私いま両親のところに来ているのですが・・・」

嫌な予感です

「父が急に亡くなり、葬儀が終ったところです」

予感的中。
今年の春頃に、ご本人と電話で話した時はお元気でした。

主人同士の趣味が一緒で知り合い
私達より一回り年上のご夫妻でしたが
家族ぐるみでお付き合いをしていました。

私達とはまるで違う夫婦、親子関係のご家族で
よく、事の成り行きにびっくりさせられたものです。

それでも、とても親しみがあるご家族で
もう30年以上のお付合いになります。

関西へ越されてからも
こちらに住む娘さんの家に来るたびに
我家へ顔を出してくれましたし
時折、電話でも近況を話してくれました。

こんなご時世なので
葬儀は身近で済ませたそうですが
「どうしても知らせてくて」と
娘さんが連絡をくれました。

「お父さんが、又会いに行こうって言ってたのに」
その言葉が聞けて私達も胸がいっぱいになりました。

ご家族から伝えられた訃報は悲しいけれど
私達との付合いを心にとめてくださった
有難い行為です。

数か月後に喪中はがきで、その死を知ったら
大きなショックを受けたはずです。
そして自分達が
友人の死を知らずに過ごしてしまった後悔を味わったと思います。

私達にとっても大事な人の死を、知らせてくれてありがとう。