柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

エンディングノートのセミナー講師の為の、セミナー?です

2012年07月31日 | お仕事
エンディングノートセミナーをしているところは沢山ありますね


葬儀社でしょ!

後見や死後事務委任をしている士業の方でしょ!

相続の税理士さん!

保険会社でしょ!

金融機関でしょ!

まだまだ増えそうですね

お寺や墓石店でも、ありそうですネ

私も「エンディングノートの書き方セミナー」を
しています

他のセミナーに参加された方から
教えている内容が全然違うよーと言われました

このセミナーをやっていて
どうも既存のエンディングノートにしっくりとせず

結局、私の考えに即したエンディングノートを作成することになり
ますます、これを書く人たちの為に教える側の知識や認識が必要と
感じました


そこで、エンディングノートのセミナーをする方々に
先ずは、レクチャーしたいと思ったわけです

このノートを書くという事は
自分の余生を設計することで
実行するきっかけを作らないと何の意味もないのです!!!

これからの日本は
自分のことは、自分で決めておかないと
安心した老後は迎えられないようです・・・

エンディングノートは、それにとても役立ちます

葬儀社が葬儀だけ
士業は、後見や遺言書だけ
税理士は相続だけ
をターゲットにしていたら

高齢者にとっては、すべてが片手落ちになってしまいます

各所のポイントを押さえながら
葬儀社に合った
士業に合った
業種に合った
エンデシングノートセミナーをしてもらいたいために

今回はマンツーマンでセミナーをすることになりました
楽しいセミナーになりそうです


急に決まって私自身もびっくりです!



ひとりごと、ですが

そうと思ったら、当社のアシスタントは体育会系≫≫≫≫
すぐに走り出すので
迷っている暇を与えてくれません・・・・×○◆▽×*?:×

葬儀専門学校の試験をしました

2012年07月30日 | 葬儀専門学校
葬儀の専門学校で非常勤講師をしています

今年から「サービスホスピタリティー論」も受け持ちました

1年間で教える授業は多岐に渡りますが
卒業するころに、葬儀の実態を把握しきれない生徒必ずいます

せめて葬儀の基本内容は身に付けてほしいと思い
「サービスホスピタリティー論」も理論の講義より
実際の通夜、告別式で葬儀社スタッフとして
必要なサービスホスピタリティーを学んでもらおうと、考えました

要は、葬儀にいらした方々へどんな心使いをするのか?を
教えることにしました

今年の生徒は20代が多く、例年になく平均年齢が若いです
葬儀の実態が解らない、と思っていたのですが
実際は、感性のいい生徒が沢山いて
驚いています

どうやら、気づきと年齢は比例しないようです

もちろんまだ、頼りない生徒が多い中
「よく、ここまで気が付いた」と感心することもあり・・・
楽しみなクラスです


簡単な試験をしました


通夜が6時から始まります
喪主は4時ごろ式場に到着予定です
ところが、遠方からご親戚の方が、2時ころに式場に見えました
さて、葬儀社社員のあなたは、どんな対応をしますか?

こんな問題をいくつか出しました

ごく普通の対応を答えた生徒もいますが
大変にきめ細かい対応を書いた生徒が数名おり
現役社員にも劣らない「気づきと心使い」の解答をくれました

後期にも通夜と葬儀告告別式の実務を教えますが
どう育ってくれるでしょうか?

なんだか、わが子のようで楽しみです!



幼児は座って当たりまえ?

2012年07月25日 | 世の中
車中での幼児の座席の問題です

未就学児は電車賃はかかりません

その子たちが一人分の座席を占有することは、遠慮すべきだと思っていますが
・・・どう思います?

私は子供たちが3歳を過ぎたら、電車の中ではなるべく立たせてきました

もし、座席が空いていたら私の膝の上に座らせます
御親切に席お譲って下さったら、私より若い方なら有難く私が座り膝に子供を乗せました

車中がすいているときなら子供も座らせましたが
込んできたら立たせます

低学年になって子供運賃を払うようになっても同じで
お年寄りが来れば必ず代わらせます

当たり前のことをクダクダと言いたくないのですが
小さい子を座らせる親の多いこと、多いこと!!!

おばあちゃん、おじいちゃんも同じです
確かに若いいジジ、ババなのは分かりますが
「はいはい、早く座りなさい」と急いで孫の為に席を取る姿のなんと情けないことか
それが愛情だと思い込んでいる?

周りの大人もいけません
すぐに子供に席を譲ります

だから、「わー、座れないよー」と平気で大声を出す子供が多いのです

この子たちは、いつでも親や周りの大人が何とかしてくれる、と
教えられて育っていきます

可愛そうに・・・・
我慢することも教えられずに


親よ、幼児であろうと座席を平然と占有してはいけない
大人よ、子度に席を簡単に譲ってはいけない

子供がいじめられていたり
周りから不当な扱いを受けていたり
具合が悪そうなら

おせっかいかな?などとへんな遠慮はせずに
そんなときほど親切心を出して救ってあげて下さい


今の子は。。。と嘆く前に
子供を社会で育てないと、いけません


久しぶりに子供の座席問題を、ぶってみたくなった今日この頃です





お一人様の生前契約が動き出しました

2012年07月23日 | 生前
お一人様用の生前系約システムを作ったのは
4年前です

葬儀社さんが窓口で生前契約を結ぶように作ったのですが
殆ど動きませんでした

葬儀社もおひとり様にもまだ実感がわかなかったのでしょう

そして4年がたち
今確実に生前契約が進み始めています

残念ながら葬儀社が窓口にはなれませんでしたが
司法書士、行政書士の方が働きかけをしています


そこでは、実際に高齢者のおひとり様やお二人様が申し込みをされています

生前のサポートから始まって、死後の後始末まで全てお受けしています

私は葬儀~供養までをお手伝いしています

お墓に納骨することも生前系約に含まれているので、お寺様との交渉や
葬儀社と価格設定の準備に追われています

そして、ようやく葬儀社の目も生前契約に向き始めました
が、まだまだ動くには程遠い感じです

葬儀の時にきめ細かく対応している葬儀社は沢山います
その人達を信用して「私の時は是非あなたが葬儀をして!
お金も今から預かっていて!」そういう方は意外と近くにいるものです

今までは「有難いけど、先の話だし困っちゃうよ!」と
要望を聞きながら何の手も打たなかった葬儀社が多いはずです

本当にそのままでいいんですか?

お一人様やお二人様は、そう遠くない将来の不安に困っていますよ!

葬儀関連の世界は、みんな模索中!

2012年07月19日 | 世の中
先日は、意見交換の面談が2件ありました

1件目は、宗教に大変深く関わっている方です
しかし、ご紹介はしてくださったのは、葬儀とはまるで無縁の方のでした
ご縁とは不思議なものですね

「こんな方がいらっしゃるのですよ」という世間話から
「是非、一度お話をしたい」とご要望がありお目にかかりました

今までも宗教者の方々とお話をする機会はありましたが
今回は、また別の関わりをされている方々との面談でした

地方の宗教者は兼業されている方が多く、僧侶だけでは生計が大変な実情がある
また宗教者を束ねる上層部と檀家に接する僧侶との意識の違いも大きくあり
これからの課題だと、伺いました



もうお一方は、地方の士業の方です
以前から、仕事の拡大に尽力されている方ですが
今回も、士業だけでなく、生前、死後に関与する業界を含めて
地域の高齢者に全面サポートをする仕組みを構築中だそうです


どちらも、詳細を明かすことはできませんが
皆さんの取り組みは真剣です


葬儀社を含み、葬儀に関連する世界は
今、あらゆる意味で大きな変革を求められていることが
はっきりとわかりますし、それなりの覚悟が必要になります

ボヤボヤしていられませんね



エンディングノートの取材

2012年07月17日 | 世の中
また、エンディングノートの取材を受けました

「安心」という健康雑誌からの取材です

中村仁一先生の「大往生」という特集を別冊にするらしく
その中で関連記事を掲載するとのことです

エンディングノートの必要性や
内容、どのように書いてくのか
いつ書くべきなのか
若い人にも必要か

など、約2時間近い取材がありました



子供にとって、親の老後をみたい、と思う人は大勢ますが
自分の生活に支障なく、介護ができる人はそう多くありません

私自身、自分の父も、義母も
介護制度を利用し、兄弟、親戚の協力を得て
更に自分の仕事をかなり削って
親を見送りました

それも、介護期間が長期化しなかったのが幸いしています
又、親自身が介護費用を賄えたことも大きな救いでした

今後、私の老後を子供たちに、安心して託すなどという事は
かなり困難だと察せられます

その為には、自分の老後をどうしたいのか
その為の資金はどうするのか
いまから、青写真を引く必要があります

病気や介護、葬儀、更に相続への考えを示しておく、ことも
子供たちの判断基準に大いに役立ちます



これからは、老後の対処法を学ばなくてはいけない時代になったのですね


フューネラルビジネスシンポジュームの結果

2012年07月14日 | 葬儀の世界
フューネラルビジネスシンポジュームで受講に申込みされた方が150名と知らされました

講座の内容は、葬儀社にとっては当たりまえの「葬儀の受注」についてでした

この内容で、150名の方が参加して下さったことに、驚いています

みなさん、ありがとうございました!!!

企画した時には、受け入れられるか?多少の疑問がありましたから・・・

どうやら興味を持って頂けたようです

その中に、葬儀社以外の方の受講者が目に付きました

後で、数人の方から感想が伺えたのですが

内容的には、どの業種にも通用する気づきで、大変参考になった、と言われました

又、今回の講座には、関東地方に次いで、東北地方、九州地方の葬儀社さんの参加が
特に多く、遠方からのご参加に驚いています

日本中の葬儀社が急に動き始めた気がします


葬儀業界とともに、高齢者対象の業界が活発に活動を始め
それに後押しされての結果かもしれませんが
とにかく、いい方向だと思います






葬儀社1年生の報告

2012年07月11日 | 葬祭スタッフ
葬儀専門学校の卒業生と久しぶりの対面です
生徒時代とはだいぶ印象が変わりました
仕事をしている自信が見えてます

葬儀社での仕事を話し合う中で
待遇の違いや、仕事内容の違いが
それぞれで「いいなー」と言ってみたり
「大変だね」と言ってみたり

じっくり仕事を教えてくれるところ
一切、教えてもらえず見よう見まねで覚えるところ
数日で現場に出された人に
「え、もう司会しているの?」とうらやましそうな声が・・

聞いていて、葬儀社の姿勢が見え隠れしています
人手がなければ、すぐ現場
そえも現状では、あり得ますね

大手で社員数が多ければ、通常の会社のような勤務時間もあり得ます

社員の使い勝手は違っても
そこに葬儀社の理念があるか?ないか?で将来は変わるのではないでしょうか?

それがあって育つ社員は、持つ質が違ってきます

せっかく縁が入ったところだから
不満がっても、何か得る物を探してみたら?

将来に期待している彼らを見ていると
葬儀社さんには
社員をうまく育て上げてもらいたいと
心底、思っています

今度会ったら、みんなはどんな顔して報告してくれるでしょうか?
それもまた、楽しみです

お迎え現象

2012年07月08日 | 
宮城県の緩和ケア医師、岡部健医師のグループが
患者遺族へのアンケート調査で「お迎え現象」を調査しました

死に臨んで、すでに亡くなっている人物や
通常見ることができない事物を見る「お迎え」現象を
2000年から3度にわたって調査した結果42.3%の人が
「そういうことがあった」と答えたそうです

岡部医師によると「お迎え現象」があると1,2週間で旅立つことが多いそうで
やはりお迎えはナチュラル・ダイイング・プロセスにおけるワンステップなのではないかと
といわれています

「お迎え現象」を体験した場所は「自宅」が87.1%
「一般病院」は5.2%にとどまるそうです

見えたものは
すでに亡くなった家族や知り合いが、52.9%
その他の人物が、を体験した34.2%
その他にはお花畑、仏、光、川などが10%以下で続きます

「お迎え現象」を体験した故人の様子は
普段通りだったが、40%
不安そうだったが、9%
悲しそうだったが15.5%
落ち着いたようだが、14.8%
安心したようだが、10.3%

「お迎え現象」の体験に対する遺族の感じ方は
故人に死が近いと思ったが、47.7%
幻覚だと思ったが、40%
悲しかったが、30.3%
驚いたが、28.4%
不安になったが、28.4%
死後の世界に思いをはせたが14.2%



死期が近づくと脱水症状になって、脳循環の機能が低下した結果
ある種の〝幻覚″として「お迎え」を体験するようになっているのかもしれない
と、岡部医師は指摘しますが
しかし、お迎えがせん妄や幻覚によるものと論じるよりも
「お迎え」体験をした患者が、ほぼ例外なく穏やかな最後を迎えることに着目しています


「お迎え」は日本独自の現象ではなく、精神科医で臨死体験にまつわる研究で有名な
エリザベス・キュープラー・ロスは『死の瞬間と死後の生』の中で
≪死ぬ時は一人ではないという二つ目の理由は、必ず先に死んだ人、それも私たちが愛した人、
その他私たちの人生において大事だった人たちが出迎えてくれるからです≫と記しています

つまりキリスト圏でも、お迎えに来るのはキリストではなく、亡くなった家族や知人だそうで
それは宗教ではなく、人間の根源が生み出すようだ。と岡部医師は言っています

自宅で死ぬのが当たり前の時代は、故人の周りに親戚が集まり、夜通しで故人について語りあかし
「お迎え」の話も自然に語られた
やがて病院での死亡、葬儀社による葬儀がの時代になり「お迎え」は特殊な出来事になった

病院から在宅での介護が増えてくると、患者を最後に看取るのは家族になる
その中で
亡くなる過程を受け止められない家族は「お迎え現象」を受け入れられずに
死が迫った時に病院へ搬送してしまい、自宅での死を迎えることができなくなる

岡部医師は、
最後の日が近づく中で
その人の深層意識の中にある宗教性に触れずにケアすることは不可能に近い
ところが「日本では緩和医療学会のスピリチュアルケアに宗教的ケアを入れていない」
これが終末期を難しくしていると、言い

既存の宗教を信じていないだけで、お盆に帰省し墓参りを欠かさないように、
祖霊神を信じている日本人は沢山いる
岡部医師は、こうした祖霊神信仰に基づいたケアプログラムを、終末期医療に取り入れるべきだ、と

これを無視すれば「死にゆく道しるべ」を持たない団塊の世代が大量死する時代になった時
在宅地獄になるだろうと、警告をし
すでにその兆候は表れていると訴えています



以上が文芸春秋7月号の 「大特集 尊厳ある死」の中に
 死の床で見える「お迎え現象」調査報告
として掲載されました
一部ですが、抜粋してご紹介しました



私の叔母も、父も「お迎えの体験」をしています
それは死の間近というより、数か月前でした
それを聞いた私が「そう遠くない死」を感じたのは事実です
そして、なんとなく心の準備に入ったのを覚えています






尊厳ある死

2012年07月05日 | 
文芸春秋7月号に「尊厳ある死」という特集が組まれました

その中の記事は大変に興味ある物ばかりでした

カリスマ看取り医として
東京大学名誉教授の大井玄先生
芦花ホーム医の石飛幸三先生
同和園医師の中村仁一先生
の三氏が「自然な死」の対談をしています

抜粋ですが・・・ご紹介します

長年、一秒でも長く生かすことだけを考えている医者だったが
老人ホームの医者になりショックを覚えた
そこにいたのは胃ろうや経鼻胃管を付けて
ムンクの叫びのように手足を硬直させ
口を半分開けたお年寄りだった
平均年齢90歳、痴呆症が9割
自分たちが治してきたと思っていた患者さんたちは
こうして最期を迎えようとしているのか、という思いでした


私が多くの自然死を看取る中で経験したのは
人間には安らかに死ぬための仕組みが本来、備わっているという事です
寝たきりの患者で体がむくんでいることはよくあります
つまり栄養が偏って中途半端に溜まっているんです
それが、ものが口から入らなくなって一週間から十日すると
全部むくみが引いていく
末期がんで腹水がたまっていた患者も、きれいにペッシャンコになる
全部使い果たして枯れるように死んでいく

みなさんに是非、知っておいてもらいたいことは
自然の死というものは苦しくないとういうことです
ご家族もそれを一番心配するのですが、私の経験上、自然死で
苦痛を訴える患者はほとんどいなかったですね

認知症も暗い嫌なイメージばかりですが
痛みの緩和という点では、プラスの面もあり癌などの傷みがなくなる
認知症も典型的な老衰の一形態ですから
自然に苦痛なく死を迎えられるように、人間はできているとしか思えない

ただ終末期になると、どうしても呼吸が苦しそうに見えるんです
だから病院ではすぐに酸素吸入器を付けてしまう
しかしそれは自然に息を引き取る前に、誰でも起きることで苦しいわけではない
それを前もって家族に伝えておくのも必要です

自然な死を妨げているのは、日本人が死というものから目をそらしているからだと思う
家族は身内に死が迫っていることをなかなか認められず
医療にすがれば何とかなる、と思いたがっている

もう一つ、自然な看取りができない原因の一つが「遠くの親戚現象」がある
患者さんをお世話をしていると、家族も医者も最期の看取りの時期が解ってくる
ところが、介護に携わっていない身内がやってきて
「何で病院に入れないんだ、見殺しにする気か」と言い出す
しばしば彼らの言い分が通ってしまう

死に向けての看取りだ、という線をどこで引いたらいいのか?

結局、体に気持ちを合わせたら、もっと楽に生きられるはず
体は立派に衰えているのに、気持ちは置き去りにされ体についていっていない
社会全体が若さや健康を強要している

我々、年寄の医者が勇気を出して「何もしないのも医者の仕事だ 
人間の自然で平穏な最後の過ごし方なんだ」と言わなければならない
それは、病気を治すことに匹敵するくらい、需要な医師の仕事になってくると思う

死んでいく人は、その死にざまによって、看取っている人たちに
自分の人生とはなんだったのか、を教えるんですね
そして看取った人たちは、また次の人に伝えていく「看取りの文化」なんです

うちも他の老人ホーム同様、病気になったらみんな病院に送り、最後は病院で迎えていた
そのころは介護士も挫折感があるのかどんどん辞めていった
看取りをするとガラッと変わる
最期を看取った時に「有難うございました」という言葉が出るようになる

そうそう、患者が医師やスタッフを育てるんですね

最後に一言いっておきたいのは、日本の介護は非常にレベルが高い
ケアの質が高い
その良さを生かしながら、より良き死を迎えられる体制つくりが必要になってくる



今日はとても長くなってしまいましたが
先月発売の本だったので、どうしてもご紹介したいと
思いました

実はまだ他にも興味ある特集が載っていました
また続きを書きます

「死亡場所は自宅を希望」が8割

2012年07月02日 | 
新聞に余命が限られた場合「自宅で過ごしたい」と
希望する人は81.4%に達する、という記事が載っていました
これは60年前の人びとの希望と変わりません

しかし「自宅で過ごしたいが、実現は難しい」と考える人が63.1%
「自宅で過ごしたいし、実現可能だ」と思っている人が18・3%です

実際には、自宅で死を迎える人は2010年で12.6%に過ぎず
80%の人が病院で亡くなります


オランダでは
病院での死亡が35.3%
ケア付き住宅での死亡が32.5%
自宅での死亡が31% です

フランスでは
病院での死亡が58.1%
ケア付き住宅での死亡が10.8%
自宅での死亡が24.2% です

核家族が多い外国での、この数値は驚きです


日本で病院死亡が多いのは、在宅医療と介護の体制、と
住宅の質が整っていないのが大きな理由と書かれています

ケア付き住宅も、数が足りず、満足な入居はできません


街にある一般診療所の12.5%が在宅療養支援診療所の届け出をしているそうです
しかしこれらの診療所の47%しか、自宅での死亡を看取っていません

自宅にいても危険な状態になると病院へ搬送され、結局病院で亡くなるケースも多いようです

そういえば、以前に色々な講演会で
最近の医者は「看取りに慣れていず、危なくなるとすぐ病院に運ぶ」とか
「在宅医療を医者は好まず、患者は医師の元へ来るものと思っている」
等と聞いた覚えがあります

在宅で診療していても最期の段階で病院に運ばれ
結果的に病院で亡くなるケースにも
在宅医療報酬を支払い
また在宅支援以外の一般の診療所が看取りを行った際にも
報酬を高くする仕組みに改定したとか

いずれも街の開業医に
看取りを積極的に関与してほしい狙いだそうです 



私の父の訪問診療をして下さった医師は
気軽に往信をして下さり
父が倒れて救急車が来た時も
いち早く、駆けつけてくれて、一緒に救急車へ乗り込んで
病院まで付き添ってくれました

その時に動揺する母は自宅待機でしたが
看護士さんに母のそばにいるよう配慮してくださいました

こんな先生は、稀なのでしょうか?


在宅介護への流れを国は求めていますが
自宅に安心していられる状況になるのでしょうか?


葬儀の受注打合せ

2012年07月01日 | お葬式
今年のフューネラルビジネスシンポジュームでは
【受注打合せ】の講演をしました

葬儀社にとって「受注打合せ」をセミナーとして学ぶことは
考えられないことだと思いますが
今年の演題は、私からの希望でこれにお願いしました

葬儀は以前のように決まりきった形ではなくなりました
又、ご遺族の気持ちも一昔前とは大違いです

ご遺族には、多様な情報があり、しかし正しい理解はされていない
葬儀社は多くの場合「ご遺族は先ず安くなければ承知しない」と思い込んで
打合せをしています

もともと葬儀の打合せは、葬儀社の見積書を埋めるのが目的
と言ってもいい内容で、進められています

遺族が望んでいる葬儀の形態や内容を先ず確認し
それがその家族に適しているか、葬儀社は判断しなくてはいけない

何故なら、葬儀とは亡くなった大切な家族を送るもので
やり直しがきかず、ご遺族に後悔させない葬儀をしなくてはいけないからです

その為には先ず葬儀の核となるものを決めることです

日程や宗教のいかんを決定することは容易です

今の葬儀は一般葬儀か家族葬かで先ず区別されます
会葬の範囲をどう決めるかによって、葬儀の支度も告知法も大きく左右されます

告知を限定するのか
その場合に、想定外の会葬者は辞退するのか、受けるのか
香典は受理するか、辞退か
会葬を断った方の香典や供花は受理か、辞退か
など

曖昧にしがちな事柄を、打合せの冒頭に決めておくと
その後の話は比較的スムーズに運びます

それが決まってから
訃報紙を作成して、各方面に告知します

訃報を受けっとった人が戸惑わない案内をするのが
遺族にとっても周囲にとっても一番良いことです

核がしっかりしていないと、こんなはずではなかった!という
結果になりかねません

遺族と葬儀社の認識のブレが葬儀終了後のクレームに繋がります

訃報紙は日程が決まれば安易に出してしまいますが
うけっとた側が、喪主や葬儀社に再三問い合わせを必要とするのでは
決して、心配りができている葬儀社とは言えません

そのことを資料を添付しながら講演をしました