柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

家族葬を考える 葬式スタイルの多様化

2023年03月27日 | お葬式

家族葬が増えて香典を辞退するお葬式も多くなってきました。

人が亡くなると、宗教者への費用と火葬にかかわる費用は必須です。

従来の葬儀では祭壇費用、会食費用、返礼品費用などがかかるため遺族の負担は大きくなります。

その軽減方法として会葬者は「香典」を弔意として用意するようになったのだと思います。

全員からの香典受理、辞退、香典は親戚のみが受けるなど、喪主の考えで決定できます。

もし香典を辞退するなら、会食や返礼品もなしにするまで割り切っても構いません。

その場合、来てくださった方への薄謝をと思うなら、故人のことを書いた礼状を用意するなどの工夫があるといいですね。

一般にある事務的な既成の礼状ではなく、故人の最期の様子や、写真入り、各家族のメッセージ入り、故人の言葉や、俳句など読む側が納得できる礼状はいかがですか。

「そんな礼状を貰うと後の処分に困る」という声が聞こえそうですが、それこそ「お読みいただきありがとうござました。礼状の処分はお気づかなくなさってください」という文章があればいいと思いませか。

私は「この行動を超すと困りごとが発生するかも」と考えた時にはその先の対応を配慮します。

 

葬式スタイルは宗教儀式をうんぬんしなければ大抵のことは実行可能です。

葬儀に不慣れな喪主は「こうしたい」と思っても葬儀社や周囲に拒否されることもありますが、祭壇なしでも、供花なしでも、会食や返礼品、礼状なしでもできますし、どんなお別れの場を作ることも可能です。

以前、お花が好きだった故人の家族葬を受けたとき、葬儀終了後にお花をお持ち帰りできるように初めから写真周りを花束にして飾ったことがあります。また花入れの際、皆様の手で好きなお花を祭壇から取っていただいたこともあります。

 

葬儀社は既存の葬式のスタイルを守ろうとする傾向があります。

「そんなやり方はできません」

「来られた方が戸惑いますからやめた方がいい」などと提言するかもしれません。

従来の見積もりが省かれると、葬儀社にとっては痛手です。

本来は、個性的な礼状作りや、家族が望む葬式スタイルを施行するために「企画料」に当たる費用を用意すればいいことなのですが、本来の見積もりにない項目を設けることは不得手のようです。

葬儀社は葬儀の施行を担当者に一任しているところが多いので、打合せ時に喪主側の気持ちを汲み取った対応をしてくれる人かによると思います。

もし、最初の打合せ段階で喪主の希望が拒否されたのなら「では他の葬儀社に当たってみますので、お引き取りください」といえばいいのです。見積書に署名しなければ葬儀の契約は成り立ちません。

 

葬式の人数、費用に捕らわれず、「家族葬」という名前に捕らわれず

別れを望んでいる人が来れるように

故人がきっと喜んでいるに違いない、と感じるように

家族がこんな送り方ができてよかった、と思えるように

大事な人を見送る最期の時に、家族が思う通りのお葬式をしてあげて下さい。

 

 


家族葬を考える 故人を送るための工夫 

2023年03月25日 | お葬式
家族葬を検索してみると「式の流れは一般の葬式と同じ」となっています。

「誰を呼ぶか」は家族が決める範囲ですがどの葬儀社も一様に親族の範囲きめが難しいとしています。
故人からみれば自分の所帯だけが家族ではなく、兄弟も家族に含まれると考える人もいます。
血のつながりは薄くても、何かと行き来のある親戚が身近に感じることもありますよね。
親族間だけに後々の関係を十分に考慮しての線引きが必要ですね。

友人、知人に関しては「喪主が声をかけた人と限定する」としているようですが、予定外の方が見えても断らずに参列していただくのがマナーとも書かれています。これも一般の葬式に通じるものがありますね。
以前にも書きましたが、家族から見た故人との付き合いではなく、故人の最期に立ち会いたい人も来れる伝え方をしてほしいです。
そのためにも、家族が誰に声をかけたらいいか迷わぬように、エンディングノートに葬式に呼ぶ友人名を書き残しておいてください。
自分の死を知らせることは迷惑をかけることではないと気づいて下さいね。会葬に来る来ないはその人の選択です。

では「別れる場・時間」という点ではどうなのでしょうか。
家族、親族の集合時間は通夜前の1時間半か2時間前でしょう。
この時間にゆっくり、別れの時間を持って、というのは無理なことだと思います。慣れないことなので気もそぞろですし、確認事も沢山あります。
通夜時間の20分前には式場内に着席します。間に合うように来る方がほとんどで、当然故人や家族と触れ合う時間はないでしょう。

通夜が終了すると、近しい友人も家族同様に通夜振る舞いの会食に案内されることがありますが、一度席に着くと会場内をうろつくことも気が引けます。
ここでも喪主は打ち合わせや挨拶に追われます。

会食室に柩が安置されていなければ故人との対面もままならないかもしれません。

会葬者は縁のある故人にお別れに来ているのです。遺族にお悔やみを伝えたいと思っているのです
「ご愁傷様でした」の言葉で終わるのでなく、最期の様子や家族の想いを聞き、慰めたい人が集まるのが「家族葬」だと言われています。
それならば本来の目的通りに、通夜時に故人、家族、会葬者が別れるための時間と場を作りたいものです。


例えば、
通夜の読経時間は地域によって様々ですが50分前後のところも多いでしょう。
通夜の読経(通常は6時~)を定刻より1時間前に開始し家族、親族のみで焼香を済ませておきます。元々、通夜は親族のための時間でした。
会葬者が集まる6時には式場内に故人の柩を最前に安置し、焼香して故人に対面し、家族と会葬者が言葉を交わせる場を作るのはどうでしょうか。
僧侶は退場していますので、自由に動き会話をすることができます。
場合によっては、その部屋の一角に軽食を支度して、簡単な通夜振る舞いとしてもいいですよね。
実は私の父の通夜はこの方法を実践しました、
会葬に来てくださった方は家族と父の思い出だけでなく、泣いたり、笑ったり、多様な時間を過ごしました。
通夜後に私たちに届いた会葬者の感想は
・こんな通夜をしてもいいのですね
・今までで一番素敵な通夜だった
・御父上に逢ったことはなかったが、どんなご家族だったのかよくわかった
・遠くから来たかいがあた
・不謹慎な言い方かもしれないが、読経を聞いているより楽しい通夜だった
等でした。

故人らしさを出すために、故人の好きだったコーヒーとお菓子を家族が振る舞ったり、
故人の趣味の社交ダンスやコーラスを披露したり、この場で故人へのメッセージを書いてもらったり。
家族や会葬者から故人の思い出話を伝えたり、、、
そんなお別れはできないものでしょうか。

通夜の1時間を、「お別れに来たかいがあった」と会葬者が思え、
「この別れを故人は喜んでいるに違いない」と家族が思えるような通夜にできないでしょうか。

翌日の葬儀告別式は時間調整ができない流れです。
せめて故人の姿が目の前にある通夜に、故人との最期の時間を縁ある人達と共有できたらいいと思いませんか。




家族を考える 生前の故人の希望は本心か、遺族を慮ってか

2023年03月16日 | お葬式
葬儀にかかわって30年が経ちました。
「人が死ぬってどういいうことか」をずっと考えてきました。
正しい答えなど無いのもわかりました。
故人と家族との関係は様々で誰もが別れを惜しんでいるとは限りません。故人に愛を感じないこともあります。


以前に興味あるアンケート結果を目にしたことがあります。
自分が逝く立場になると
「自分の葬式はしなくていい」と6割の人が答えています。
では、遺る立場はどうなのでしょう。
「家族、配偶者の葬儀はしたい」が7割と出ていたのを覚えています。
その理由は
「気持ちに区切りをつけたい」「供養のため」でした。

逝く立場は「家族に迷惑をかけない、死んだら何もない」と考えているようですが、その人が送る立場になると葬式への考えは一転します。
人の心は複雑ですね。
でも、送る家族は「故人の希望を活かすこと」が最善と考えがちです。

セミナーなどで「人は死んだらどうなるのでしょう」と問うと「無になる」とお答えになる方が多くいます。
しかし葬儀後に家族が故人の気配を感じる人も同様に多いのです。
「今も見守ってくれているような気がする」という感覚を持たれます。

私は、出棺時に「どうか、故人を忘れないでやってください」いう挨拶を聞くたびに、「これから火葬して姿がなくなっても故人の魂は遺るから時々思い出してもらったらきっと喜ぶに違いない」とご家族が無意識に感じておられるのだと受けとめていました。

ただ、大切な人を失う経験や学びがないと葬式は単なる儀礼と考え、心の中の意識は見落としてしまいます。

私が家族葬を考えるに至ったのは、家族だけで送る、手間をかけない、他人を受け入れない葬式が当たり前になる不安が取り除けないのです。
葬式に参列する人の人数が問題なのではなく、たとえ数人であっても故人と心を通わせた人々に囲まれて送り出せる葬式がいいのでは・・・
好きな人に囲まれるのは幸せなことです。
最期は幸せでいてほしいと願っています。





家族葬を考える ゆっくりお別れができるのか

2023年03月09日 | お葬式
「家族葬ならゆっくりとしたお別れができる」と、言われますが本当でしょうか。

家族葬の流れは従来の葬儀の流れと一緒です。
葬式の決定事項は多く、打合せも喪主がすべき準備も何ら変わりません。
葬儀日程、宗教者連絡、祭壇内容、関与する参列者への連絡や対応、式中の動きや喪主、家族の役割、料理、返礼品、供花、車両関係、火葬場の動き等
葬儀情報を知らない喪主にお教えするのは簡単なことではありません。
葬儀担当者の良し悪しは喪主の不安や疑問をいかに支えられるかにかかっています。
打合せで詳細が知らされていても、進行する式の中で担当者から喪主への再度の確認が行われるはずです。

ゆっくりとした別れって何なのでしょうか。
ご遺体は、自宅でなく葬儀社に安置されることが当たり前になりましたね。
これによってご遺体を見ながら過ごす時間はとても減少してしまいました。
死亡診断書で亡くなったことは理解していても、姿があるうちは「寝ているみたい」と誰もが思うものです。
不思議なことですが、その姿を見ながら家族は口には出さずとも、心で話しかけているのです。
「穏やかな顔でよかった、もう苦しくないね」「今まで有難う」「早すぎるよ」
この時間があるからこそ十分なお別れができると、私は葬儀現場で学びました。

遺族が葬儀社に集まる時間は通夜式の2時間前が多いでしょうか。
葬儀会場に入れば担当者や宗教者との打ち合わせがあり納棺に立ち会うこともあります。たまに集まる人たちへの挨拶はこの時間に行われ、式後の会食が済めば、ご遺体と別れて家に戻る家族がほとんど。
葬儀告別式の集合時間は1時間前でしょう。移動が多く時間に左右される行程なので、喪主と葬儀担当者との打ち合わせはこの時間に行います。
あっという間ですね。
「会葬者がいなければ気遣いがない」という声も聞こえますが、今の葬儀社は遺族に負担がないように、会葬者の対応はすべてかかわってくれているのです。遺族は控室と式場を移動するのみと言ってもいいでしょう。それほど手厚い対応をする葬儀社が増えてきました。
従来の葬式では「悲しむ時間すら持てない」「葬式では遺族はしっかり悲しんでほしい」ともよく言われますね。
故人を送る立場にある喪主や遺族は、故人をしっかりと送ることが自分の役目であるという潜在的意識があります。
ご主人を亡くし喪主が悲しみに浸ることができる場合もありますが、自分の代わりに葬儀社や他の人への対応を代行してくれる人物がいる場合です。
葬儀社はたとえ小さな出来事でも喪主の了解を得ずに事を運ぶことはありません。

ではどうしたら故人と良い別れができるのでしょうか。
故人の姿を見れる、存在を感じる時間を持つ。「死んだけどまだここにいるよね」
故人のために自分ができることを探す。気づく。「好きだったお菓子買ってこよう」「愛犬の写真を入れてあげよう」

火葬が終わり遺骨になると、故人との距離は一挙に広がり諦めも感じます。
心に残る悲嘆はその後長く続く場合がありますが「よい別れ」ができるとそれも軽減されるのを私は遺族会の実施で知ることができました。

そのためには直葬であろうと、家族葬であろうと、従来の葬儀であろうと形式には関係ないのです。
葬儀の日程を急がない
通夜後は一緒に過ごす、など周囲が騒がしくない中で故人の姿を見る時間を増やすことだと思います。

葬式にかかわる人は、形式や規模、費用を問題視するだけでなく、本来の「人との絆」を見失いでほしいのです。
でもこのことは残念ですが気づきにくいことなんです。




家族葬を考える 何故、家族の死を秘密にするのか

2023年03月02日 | お葬式
「家族葬」というネーミングは家族だけで行う葬儀というイメージを植え付けています。
「葬儀はいらない、とまでは考えないがそこに家族以外の人が立ち会う必要はない」という考え方を持つ人が増えました。
人が亡くなると訃報を出し、親戚を集め、故人や家族が関わった人達に知らせるという葬式が長年行われていましたが、今はそれぞれの考えで葬式の選択ができるようになりました。 「火葬のみ」「一日葬」「家族葬」「従来の葬式」「無宗教葬」そして「お別れ会」も定着しつつありますね。

弔い方がどんな形であってもいいと思いますが、最近では家族の死を知らせずに葬儀を終えるご家庭が増えたことが気になります。
長年、住み暮らした地域にも親しかった友人にも「死」を秘密にする必要があるのでしょうか。
「知らせれば気遣いをさせるから」
「家族だけで送るから」
「聞かれたら伝えればよい」
「喪中はがきを出すから」
と、いろいろな声が聞こえます。

中には介護施設で亡くなり、自宅に戻ることなく葬儀を終えてしまう場合もあります。
独居の高齢者が亡くなり、ご遺族にとってその地域と縁が無くなるからと黙って葬式を終える場合もあります。
病院で亡くなくなると葬儀会館に安置するご家庭も多くなり、ご近所では死の気配さえわかり辛くなっています。

人は人生を送る中で人や地域と関わることなく暮らすことはできません。
「世間に世話など受けていない」とおっしゃる方もいますが、そこにその方の存在がある限り周囲と無関係で暮らすことは不可能でしょう。
最近では独居高齢者を地域ぐるみで見守りをしていることもあります。
声には出さずとも「具合が悪そう」「顔が見えない」「窓が閉まったまま」などと気にしているご近所はいるものです。
例え言葉を交わす機会がないとしても、その存在を知っていれば火事や地震が起きれば、ご近所の人たちは安否確認をしてくれるはずです。
人は誰かに支えられ、誰かを支えて暮らしていくものだと思いませんか。

訃報はごく親しい人に告げれば、自然と伝わるべきところには届きます。
もし、家族だけの葬儀を望むのであればその旨を伝えればいいのです。
反対に「家族葬だけど、もしよかったらお別れに来てね」と声をかけるのも喜ばれるものです。
「お隣のおばあちゃんが亡くなったみたいよ」とご近所が気が付いても当のご家族が話さない限り、曖昧な判断しかできずに困ります。

人は必ず死にます。
死は人に言えないほど隠すべきことなのでしょうか。
死因に問題があって秘密にするなどの事情がないのであれば、せめて隣人や付き合いがあった人や、属している自治会には家族の死を知らせる必要があるのではないでしょうか。



家族葬を考える 会葬拒否のイメージ

2023年02月24日 | お葬式
今や葬儀の話になると「家族葬にする」という人がほとんどです。
「家族に迷惑かけたくないから」
「葬儀にお金を使うより残った家族のために残したい」
「親戚も友人も高齢で声をけても来れないし」
「人が来ると悲しんでいることもできないから」
という理由が多いです。

葬儀社が提案する「家族葬」は「家族と近しい親戚や友人で送る葬儀」という説明が一般的です。

この数年間はコロナの影響で家族だけで見送る葬儀が主流でした。
本来は故人がコロナ感染者であっても遺体からの感染はありません。つい最近のことですが死因がコロナであっても納体袋に収納する必要もなく、ごく普通の葬儀ができると厚生労働省が葬儀の指針を訂正しました。気を付けるべきことは会葬者間の感染リスクがあることです。
「マスク使用」も個人の責任に任せるということになれば人数制限は問題になりませんね。

大事な家族が亡くなったら、悲しいのは家族だけでしょうか?
誰の葬儀に出たいか、の問いに親や兄弟に次いで友人という答えが出ています。

私は高齢者夫婦の所帯です。
子供は二人いますが別居です。一人は車で5分くらいのところにいますし、もう一人は1時間位かかるところにいます。
今私は歩行が不自由です。一人での外出は不可能です。
子供に用事を頼んでも仕事や育児に追われ、すぐの対応は難しいのです。
主人は「何もしない人」でこれまでを過ごし、免許も返納し、認知症の陰りも見え、あまり頼ることができません。
買い物や外出時の付添や様子を伺てくれるのは、ご近所の方や友人です。
多少離れていても、メールや電話で状況を訪ねてくれたり心配をしてくれます。
とても有り難い人たちです。

もし、私や主人が亡くなったらお世話になった友人に葬儀に来てほしいと思います。
反対の立場であっても私は何を置いても友人のもとに駆けつけます。
昨日のニュースで笑福亭笑瓶さんの訃報が流れ、師匠の鶴瓶さんは「最後の顔が見れてほんまによかったわ」とインタビューに答えています。
火葬が終わって、遺骨や遺影に言葉をかけるのと、まだその方の姿があるうちに声をかけるのではまるで違う気持ちになります。
こちらの話を聞いてもらえている感覚があります。
それだけ最期の対面は意味があるのです。

葬儀社に勤めていた時にも、遺族が親戚とは違った気持ちで友人に慰められている場面を何度も見てきました。
また、家族が知らな方からの弔問を受け、故人との関りを知った時の感慨深いご様子もよく見かけました。
「顔も知らない人が来てもらっても迷惑」と言っていた方が目に涙を浮かべていることもよくあります。
家族として知らなかった故人の姿を最後に発見できるのがお葬式なのです。
「家族以外の人との関り」これは体験しなければ知りない感覚です。
そして、今の葬儀は義理で参列する方はいなくなりました。
亡くなったことを人伝いに知れば、お別れに立ち会いたい人はきます。
別れの権利は誰にもあるのですから。

あるセミナーで「私は娘と二人暮らしです。もし私が死んだら娘に迷惑をかけないように誰にも知らせず葬儀をしなさいと言ってあります」
と話しかけられたことがあります。
私がお伝えしたことは「もし、娘さんが一人であなたを見送るよりもあなたの仕事仲間や友人があなたの生きた様子を娘さんと共有できるなら、娘さんのあなたへの想いはずっと豊かなものになるのではないでしょうか。きっと寂しさもどなたかに理解していただけるのでは?」というものでした。
その方は「今まではそんなこと考えたことがなかったけど、もう一度考え直してみます」と言われました。

もし、私がこの世からいなくなるのであれば、「有難う。残った家族をよろしくね」と伝えたいのは、親戚であれ友人であれ、尊敬する人であれ、
私が心から接した人だと思います。

高齢の親を送る場合も、親の友人はいなくなていても高齢の親や介護する家族を見守ってくれたのはご近所の方やあなたの愚痴を聞いてくれ人ではないでしょうか。その人たちは家族を看取ったあなたを気遣っているはずです。

「家族葬」というネーミングは遺族から声をかけられない限り、会葬を拒否するイメージがあります。特に友人の立場は「遠慮すべき」と考えれがちです。

遺族から「生前はお世話になって有難う。よかったら最後の顔を見てもらえるかしら」と声をかけてほしいと思います。




家族葬を考える 従来の葬儀への疑問と残念な方向転換

2023年02月21日 | お葬式
「家族葬」という言葉ができる前から、世間では葬儀に多少の疑問を抱いてたはずです。

バブル全盛期には、故人に関与するすべての団体や地域が葬儀に参列しました。
会葬者、200人~500人の葬儀が普通でしたし、それが葬式だと思っていましたよね。
親しくなくても「顔は出さなくては」「隣が行くならうちも行かなくては」という感覚でした。
葬式の受付は会社や町内対応がほとんどで、大人数がお手伝いに駆り出されましたね。
葬儀費用も300万円以上がざらでした。費用は高額でしたが大抵は香典で賄える時代です
葬儀費用以上の香典が集まり、遺族負担は多くなかったはずです。

それこそ、読経時間帯では会葬が終わらず、料理や返礼品の不足がないか、その対応に葬儀社は注力し遺族対応はそれほど重視されなかったはずです。
また遺族側も会葬者や関係各位に「失礼がないように」することが葬儀の成功と思っていた節があります。

景気が落ちこんで社員の葬儀に人を出す会社も少なくなり、ご近所も縁のない人の会葬にはいかなくなりましたが、葬儀スタイルは依然と変わらぬまま行われてきました。

2010年に「葬儀はいらない」という衝撃的な本が出版され、消費者は今までの葬式に批判の声を上げ始めます。
「費用が高すぎる」
「義理の会葬はいらない」

葬儀を請け負っていた私も「決まり切った形式や費用体系のままの葬儀は遺族の求める葬儀ではない」と感じていたのですから
消費者側がそう考えるのはごく自然な成り行きですね。

こうなるとマスコミの葬儀批判が高まり、葬儀の不明瞭な価格設定やお布施問題などが追及され、葬儀社も小規模な葬儀を考え始め「家族葬」なる言葉が世に出てきました。

しかし「葬儀費用が高い」「顔も知らない会葬者は不用」などの形式ばかりが注目され
故人との別れ方や、遺族の悲嘆などの死にかかわる大切なことは何も語られないままで「葬儀の小規模化」が取りざたされ、とても残念な方向転換だったと私は感じています。


家族葬を考える 死別体験がない現状

2023年02月16日 | お葬式
皆さんには「お葬式=家族葬」という認識がありませんか?
「葬式で家族に迷惑かけたくない」
「家族だけなら気を遣わずゆっくりお別れができる」
「葬儀後に死亡通知を出せばよい」
「聞かれたら亡くなったことを言えばいい」
そんな声が沢山聞こえてきます。

家族葬を実践した人は「いい葬儀だった」と思われる方が多いのも事実でしょうね。

喪主側として葬儀を体験することは少ないです。
親族や友人として葬儀に立ち会うのとは本質的に違います。
他人事ではないですものね。
葬式は何十年も前に体験したくらいでしょう。

それぞれが持つ価値観、人生観は違いますので一概には言えませんが
故人を送ることに長年関わってきた私としては
家族だけで送ることに違和感を感じています。

そういうと「葬儀社側の味方か」と勘違いする人もいますが
葬儀社側が今は「家族葬」肯定派になっている気がしてなりません。

家族を亡くすって人生の中では一大事な出来事なんです。
そこをよく心得てプロとして葬儀を提案してほしいのです。

また、一般の方の葬儀知識は周りから耳にしたほどの知識でしかありません。
後悔しない見送りができるように
私の体験から、何回かお話したいとおもっています。

ご遺体を搬送してもらったら、葬儀もそこで決まり?

2023年01月25日 | お葬式
自宅より病院や介護施設で亡くなる方が多いのはご存じですよね。
ご家族が死亡直後から促されるのがご遺体の搬送です。
葬儀社を決めていたのであれば、そこに連絡を入れてお迎えを頼みます。
まだ葬儀社を決めていない場合は、インターネットで調べたり、施設から紹介された葬儀社にお願いするようになります。
搬送を依頼した葬儀社にそのまま葬儀を頼むのが決まり、と思っている方がたくさんいます。

終活セミナーでは「100万円近い買い物を比較せずに決めるのは危険」と伝えています。
予想以上の高額、葬儀社の対応が不快、、こんな思いを残してしまう葬儀は遺族の悲嘆を長引かせます。
自宅に安置するのであれば、搬送と安置だけを頼み、後日請求書を送付してもらうようにして一度引きとってもらいます。
ドライアイスの処置があれば24時間の猶予ができます。

葬儀社数社を選んで、同じ内容の見積を比較します。
(例えば、親族20人、会葬者30人、料理、返礼品等をすべて含んだ平均的な葬儀総額費用)
「今亡くなって安置してもらいました。これから家族で相談したいのでなるべく早く見積もりを出してメールかfaxして」と伝えましょう。
その時に、葬儀社スタッフの対応や宿泊の不可、駐車場、安置中の対面など気になることも聞いておきましょう。

もし、葬儀社での安置を希望するなら初めからその葬儀社で葬儀を依頼する覚悟で決めましょう。途中で葬儀社を変更することは大変な作業になりかねません。

「葬儀はどこでも同じ」と思われがちですが、年々、消費者センターへの苦情は増えています
その大半は費用と葬儀社スタッフの対応の問題です。
諦め、後悔の100万円にするか、納得の100万円にするかが「葬儀社選び」なのです。

おすすめは、高齢者や重篤なご病人がいたら「事前相談」で葬儀社を選んでおくことです。






新型コロナ死亡者の火葬がようやく改定されました

2023年01月09日 | お葬式
今まで新型コロナに感染した遺体の取り扱いにおいて国の指針は納体袋使用、防御服着用、葬儀の実施が可能かどうかなどの検討を促すことなどを規定してきました。
これは2020年7月に出されたものです。
2020年3月には志村けんさんがコロナ感染で亡くなり、看取りも葬儀も火葬も立ち会えず、遺骨になって初めて家族のもとへ帰る、というショッキングなニュースを見て新型コロナがいかに恐ろしい感染症であるかを見せつけられました。
感染発症からまる3年がたち新型コロナウィルスの解明も進み、正しい感染予防をすれば看取りや葬儀、火葬の立ち合いに何の問題もないことがわかってきました。すでに世界保健機構では「遺体からのコロナ感染例はない」と報告書が出て、世界の葬儀はコロナ前の葬儀に戻っているそうです。
そして厚生労働省の指針はここへきてやっと納体袋不要などの規制が大幅に緩和されました。

これまで、国内の葬儀社や火葬場の対応は国の指針をもと故人と遺族のに別れの場に極端な規制を強いてきてしまいました。
その結果、大切な家族との別れをいとも簡単に、そして事務的にすませることが当たり前になりました。
そこに故人への尊厳や遺族の悲嘆を癒す配慮は見受けられません。
新型コロナ感染者以外の葬儀も同様に簡略化されています。

死者を葬る仕事に携わっている限り、葬儀社以外の人々も自分の仕事に責任を持つべきです。
葬儀は「人の心」に触れる仕事です。たとえ指針が出ていたとしても新しい情報を得て、それが正しい情報であるなら率先して変えてほしいと思います。葬儀社の中には以前から現況で実施される葬儀や火葬に苦言を発していたところも多くあります。
仕事としての知識を持たずして、仕事として一番大事にしなくてはならない「人の心」をも見ずにいるのはいかがなものでしょう。

国の対応が遅れ、この数年で残念な葬儀をした家族はどう感じるのでしょうか。



別れの動画を作った緩和ケアのお医者様

2022年09月13日 | お葬式
千人近いがん患者さんを看取った緩和ケアの医師が、亡くなる2年ほど前に自分の葬式用に別れの挨拶を撮った動画が話題を呼んでいます。
がん患者の最期を痛みや不安から、安らかに自分らしく生き抜く手助けをするのが緩和ケアの医師です。
その方ご自身も癌に侵され47歳で亡くなりました。
多くの死を見て来られて、いろいろな想いがあったのでしょう。
ご自分の葬儀の挨拶は自分自身でしたいと、体調がまだいい時期に録画され、それを通夜、告別式で流されたそうです。
葬儀に参列した方は、きっと感動したと思います。
偽りのないご自身からのお礼とお別れの言葉です。
私も葬儀の世界にいた頃、故人が残された言葉が葬儀に流されるといいなーと、ずっと思っていました。
ほんの数人ですが、ご本人が書いた別れのご挨拶を出棺時にお伝えしたことがあります。どなたの文章も胸を打つものでした。

ですから私が作成したアクティブノートの葬儀の項目の中には、葬儀でお伝えしたい別れの言葉を書く欄が作ってあります。
名言集にある様な挨拶より、ご自分らしい言葉でのお別れは、たとえ短文であっても胸に残ります。
一度で書き上げるなんて思わずに、何度でも書いてみてください。
そのためには鉛筆で書くことをお薦めします。
死の間際に書くことは困難です。
と言って明日の命の保証は誰にもありません。
だから、今の想いを書いてみてください。
生きているうちに見られるのが嫌だったら便せんに書いて封筒に入れてエンディングノートに貼り付けておきましょう。
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コロナ渦の葬儀、簡略化の再考を

2022年07月15日 | お葬式
確実にコロナの第7派が起きています。
また、いろいろな行動規制が始まるのでしょうね。

これまでコロナのなかで葬儀が簡略化されてきました。
火葬のみ、極小人数でのお別れが当たり前とされ、親の葬儀にも出れない人もいました。
その後になって、メディアにいろいろな意見が取り上げられました。
「遺体との対面がなかったので死の実感がない」と感じた人が沢山います。
家族葬の知らせを受けて「やはり見送りたかった」と嘆きの声も多く聞こえます。

ある老人クラブではこの数年の間に知らないうちに何人かの会員が亡くなっていました。
いつも世間話をしていた友人が、突然いなくなる寂しさを実感。
そこで老人クラブの会員から元気なうちに「最期のメッセージ」を募集し、亡くなった後に会員に伝える取り組みを始めたそうです。
そうすればたとえ最後のお別れができなくても仲間でその人の死を受け入れることができる、という考えだそうです。

葬儀を受ける葬儀社は別れの場を作るプロです。
コロナの葬儀をさんざん経験してきたのですから、別れたい人たちがいること家族とともに受け入れて「故人を取り巻く人たちの別れの場」を工夫してほしいものです。
普通のご遺族はこの人々の気持ちを知り得ません。「内々でいい葬儀をした」と納得される方たちも多いはずです。
身内として応対が面倒だと思い込んでいても実際に、その別れの場を体験すると「有難い」「嬉しい」と思えることが多いはずです。

著名人の死に「家族葬」と告知されても、驚くほどの人が別れに来る葬儀を今までに何度も見ました。私達の身の回りにも最期のお別れをしたい「いい人」「お世話になった人」は沢山亡くなっていると思います。



コロナ渦でオンライン葬儀に市民権

2021年08月04日 | お葬式
コロナ渦で葬儀の形態が変わってきました。

家族葬が当たり前となり
直葬や一日葬も増えてきました。

故人からのコロナ感染は遺体処置をしっかりしていれば
なんの問題もありません。
心配なのは
家族や親族、親しい友人知人に濃厚接触者がいる事です。
本人の自覚ないままにコロナに感染してしまっていることも
十分考えられますね。
そうなるとクラスターの危険もあり、一堂に会するのが難しくなります。

その為に広がったのがオンライン葬儀です。


賛成派は33%
「コロナウィルスの感染予防」
「対応する遺族の負担を減らせる」
「遠方に住んでいる」
「遠慮せずに参列できる」
等の意見があります。

反対派は67%
「別れの実感がわきにくい」
「遺族に弔意が伝わらない」
「対面で会別れを言えない」
「集まることに意味がある」
等の意見です。


私はオンライン葬儀があってもいいと思っていますが
その内容に一工夫が欲しいと感じています。
定点カメラで通夜や葬儀式をライブ配信しているだけでは
小1時間近い間、画面を見続けられるでしょうか。

オンラインだからそ
読経中に遺族の表情や
故人の生い立ちや
遺族の想いなどが
画面に映し出されるとか
ナレーションが入るとかができるはずです。

これなら故人や遺族と会話する機会が少ない普通の葬儀より
「お別れ」の意味が深いと思います。

また定時のライブ配信が見れない人も多いので
時間に関係なく見られる動画配信もしてほしいです。

葬儀って
遺族が
「きっと故人が喜んでくれる葬儀だった」と感じ
参列者が
「会葬に来たかいがあった」と感じられることが大切だと思います。

それだけ「別れ」の時間は
後から効いてくる薬のようなものです。


コロナ下でも遺体に触って「さよなら」をした家族がいました

2021年06月12日 | お葬式
2021年5月31日の朝日新聞の一面に
「触れてさよなら言いたくて」という記事が載りました。
遺体の顔や手に触れて葬儀をした家族の紹介があり
16㎝×13㎝の記事の2/3は故人の手に触れている写真です。

この葬儀の詳細は社会面に38㎝×17㎝の大きな記事として
取り上げられています。

故人は88歳の男性、死後にコロナに感染していることが判明
警察や葬儀社からは火葬後にしか会えないと伝えらえるが
孫が見つけた政府のガイドラインには
「感染対策を施せば通夜や葬儀は実施でき、遺族の意向を踏まえて執り行うことが可能かを検討」とあった。
しかし葬儀社は自社の決まりと葬儀を拒否。

遺族が衛生処置として「エンバーミング」の業者を調べ処置し
遺体安置室でマスク、ガウン、手袋をしたうえで遺体と対面が叶った。
体に触ってお別れをしたのち火葬場へ向かったが
火葬場の方針で立ち会いも拾骨もできず、火葬後に骨壺を渡された。

喪主は納得した様子で
「顔を見て、お礼を言えて、死を受け止めることができた。家族と一緒に前を向いていきたい」
と語り
「コロナ渦での葬儀で苦しむ遺族は多くいると思う。
自分たちが経験したことを知ってほしい」
との思いで取材に応じた、と記されていた。

更に記事内では
政府のガイドラインから
遺体が咳やくしゃみをしないので飛沫感染のリスクは低い
納体袋の利用で接触感染のリスクも抑えられる、とあり
厚生労働省の担当者の「実際は納体袋がなくても大きな心配はない」とのコメントもある。

このご遺体はエンバーミングの施術で
血液を抜き防腐液を体内に入れることであらゆる感染防止をされている。
エンバーミングの厚生省研究班の班長を務めた杏林大学の佐藤善宣名誉教授(法医学)
は「死者は呼吸をしないため飛沫感染はなく、遺体を強く推して体内の空気を押し出すなどしなければコロナの感染リスクは100%ない」
「何より遺族が悲しみを受け止める時間と場所を得にくい現状が問題で、こうした手法は葬儀の
あり方を遺族の手に戻す選択肢の一つになる」と明言している。

以上が記事の概要です。



この記事にある遺族は勇気と行動力がありました。
おじいちゃんとの別れを正当に求めた結果です。
でもほとんどの遺族は、葬儀社に言われれば
「そういうものか」と諦めます。
そして心の中に恨めしい気持ちをくすぶらせます。


葬儀社は葬儀、遺体の扱いの専門家なのに
何故、コロナ感染者の葬儀を特別視するのでしょうか?
葬儀の専門家なのに遺族の悲嘆を受け止め、軽減することに努力しないのでしょうか?
「優しい葬儀」「ご遺族の悲しみに寄り添う葬儀社」と
謳っているのに現実は
「ご遺体とは会えません。火葬は立ち会えません。」の一点張り。

紙面にも「遺体搬送時の感染を恐れる」「小さな会社なら風評被害でつぶれかねない」
だから葬儀社は「遺骨で再会」という対応をしていると書かれています。

まず、葬儀社が正しい知識を学んでください。(無知な葬儀社と同じでいいわけはないでしょう)
火葬場の対応にも異論を唱えてください。
火葬する側は遺体の感染などに葬儀社より詳しいわけはないのです。
火葬する前も後も、感染が起こる理由がありません。
棺の蓋を超えてうつるウィルスなどありません。
超高温ではどんなウイルスも生きられるはずがありません。
火葬場はスタッフにも、遺族にも、安全な区域です


そしてお客様に正しい知識を伝える
葬儀の選択肢を与える(葬儀社勝手の誘導はしない)
他社より信頼できる、そして何より遺族のために葬儀をする葬儀社になってほしいものです。

正しい知識を得たなら、遺体からの感染を怖がるより
そこに集まる遺族、会葬者、そして葬儀社スタッフの感染にもっと関心を配るはずです。
ここにこそ、感染の危険が存在します。
葬儀日程を多少伸ばしても遺族、親族、葬儀社スタッフ間ではPCR検査を入れるとか
体温チェック、手の消毒
マスク、フェイスガード、手袋は必須にするとか
立ち位置を指定するとか
会話を控えさせ,会食は持ち帰りにするとか

コロナ渦に関係なく「お客様が決まりを守らなくても注意ができない」
という葬儀社の声を聞きますが
葬儀を仕切る側の責任として注意や提言することは
お客様を守るために勉強をしている証拠です。
また、お客様を納得させる説明ができる会話術は全員が持つべきものです。

コロナ騒動はまだ当分続くでしょう。
既に2年近く遺族にとっては悲しい対応の葬儀が行われてしまいました。
きちんとお別れをしている葬儀社もあるのです。
全国の葬儀社が、そこにならってください。
遺族はずっと我慢しているのですから。

朝日新聞がこんなに大きな紙面をあてて
コロナ感染者の葬儀記事を書いてくれたことが無駄にならに用に
心から願います。




「あなたの話を聞いていたから、葬式の時慌てなかったの」

2020年11月14日 | お葬式
「あなたと会うのは何年ぶりかしら?」

娘の中学時代のママ友とばったり遭遇。
お昼をご一緒しながら、長話をしてきました。


このブランクに
彼女も私も家族の死を何度か体験しています。

彼女のお母さんはとても明るくて元気な方でしたが
出先で倒れ、そのまま亡くなりました。
まだママ友時代の時でした。
その時は私が葬儀社のパートを始めたばかりの時です。

それ以後、逢うたびに私から葬儀の話を聞かされていたらしいです?

コロナ騒ぎになる前から葬儀は家族葬が主流になっていましたが
ご主人のお父様の死を知らせた親戚から
「今の時代は葬式に人を呼ばないものよ」と言われたそうで
ご主人はこの言葉に憤慨していたそうです。

葬儀の良いところも、良くないところも
私とのおしゃべりで彼女の知識になっていたらしく
「あなたの話を聞いていたから、どんな葬式でも慌てなかった」と言ってくれました。

大きい葬儀や、人が沢山来る葬儀がいいということではなく
死を関りのあった人に知らせず
「自分達だけで送ればいい」という風潮が
どうも私には納得がいかないのです。

葬儀に来る来ないは、知らせを受けた人の判断です。
死を隠さなければならない事情があるなら別ですが
「お世話になった」「仲良くしていただいた」
という仲なら長年ご無沙汰でも、お知らせしていいのでは・・・と私は思っています。
「今までお付き合いいただいて有難うございました。安らかに旅立ちました」
それだけでも連絡あると無いでは、知らせを受ける方は大違いです。

でも今の葬儀社は「人の死」の問題を語ることはないのです。
ホームページやチラシには
『故人様を大切に送ります。ご遺族様に寄り添います』
などど謳っているのにね。

私はどこでも、誰にでも、、機会があれば
看取りや、葬儀の話をします。
迷惑かな>>>とも思うのですが
ところが
「あなたの話を聞いていたから、葬式の時慌てなかったの」
と、何度も言われるので
私のおしゃべりも捨てたもんじゃない!と思ってます。