つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

愛は不可欠

2024-01-25 | Weblog

金融支配社会において、代償を頂かないとするなら精神生命の本物へのはじめの一歩である。

この社会は、世の中はお金で支配されているために、お金がなければ生きていけないようになっている。

そのため、お金を稼ぐために働く。自身の意識に関係なく、否応なしに働かなければならなくなっている。

もし、生まれつきに働けないとする肉体で生まれてきたらどうだろう。この社会においては、

死の宣告をされているようなことである。

それでも「生」を受けてきたのだから、生きるべきとして生かされていくのならば、

愛情をあって生かされていかなければならない。愛情無くして「生」は皆無。

これは「生」に対して特別な立場になくても、「生」はいかなる命に対しても、愛情がなければ存続はしない。

とくに精神性をもって与えられた「生」に対して、「愛」は絶対的必要性を持っている。

もしこの「愛」が無くなれば、やがてその生命は絶滅に至る。

精神性のない生命は、感情はもたないために、生存は持ちつ持たれつの共存だけの盛衰にある。

ただ物理の中の存在で、反省のない生命として存在するだけである。

心を持つ生命は、物理にある質に宿りながら、その性質に纏われながらも脱皮して性の格付けをしていく。

成長である。成長していくごとに物理の縛りから離れ、自由を得ていく。

物理の記憶の姿形を現象しながら自由自在となる。まるで蝶々のように変化を辿る生命である。

気触悪い蛾のようになるのか、美しい天然の蝶のようになるのか自由である。

その生き様を覚れば、自然と本能において、美しく羽ばたく生命となる。

【愛】は無償にて【愛】である。有償となる愛など嘘である。

この世が存在するのは愛あっての存在である。

如何なる場合でも、愛を有償とするなら、地上は一旦生命活動のない場となってしまう。

宙より意識はそう受ける。

 

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古来稀なり、時代の移り変わり

2024-01-24 | Weblog

このおかしな事ばかり起こる変な社会、世の中の風潮は、

わざとらしさと裏読みすれば、今まで信用信頼にあった輩が、実は大ウソつきのペテン師であったとも読み取れてくる。

あざとく騙すのは、偽善者たちの終わりを告げる兆候にある。「溺れる者は藁をもつかむ」は、今事に仰天して正しい判断を

見失っている状態、「とにかく」として目先の事にしがみつく。やみくもに手当たり次第の事を為す。

その様は、消えゆく寸前のロウソクの火にも似ている哀れさである。ただぼーっと生きている者は「アレッ」と一時の活性に

惑わされ退くが、世の道理に学んだものは、

その威勢に、憐れなる自業自得故の悔やみの念仏を唱える。「南無阿弥陀仏」と。

斯くも正しきことにある者たちは、悪事を為した者をも弔う、「南無妙法蓮華」と。

これから先の事、

悪しき事を封印して開かずの扉とする。海は精粋(聖水)で満たされて濁土を覆う。

やがて洗い流されて浄土となる。世は栄枯盛衰の道理である。

この稀なる世に生まれ、平和の時に生じ、平和な土地にありて、人生七十古来稀なりと感謝すべし。

感謝の念いにして、ただあの世、未来世は極楽浄土にある。

 

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正格ではない

2024-01-21 | Weblog

裏金事件、自民党そのものをなくしてしまう事だ。

私利私欲の政治家だらけ、選挙時の「お願いします」は自身の生活安定のためだから、

そりゃあ必死になってお願いをするよね。「社会をよくしたい」とは嘘っぱち。今回の事件を見ても明らかにわかる。

もう嘘をつくのは当たり前となっているのが政治家だ。国民の税金に群がる輩ども。

高額所得にして、まだ足りないとして組織ぐるみの独自ルートで金を稼ぎ、脱税をする。

おかしいと指摘されれば、死んだ者に責任を被せ、死人に口なしで罪を逃れようとする。

還流、キックバックなどと以前からの悪行慣習である。まして、

ぬきとりを「寄付」などと抜かしてすり抜けようとする悪智恵は、したたかにもほどがある。

こんな人たちが政治をするのだから、社会が良くなるわけがない。法律を作る人達が、

法律を破るのだから、ごめんなさいでは済まされない。

訂正すれば済むのなら、万引きが見つかっても「払います」と言っていることと同じ、許されるわけがない。

権力を悪事に利用して、その力で逃れようとするのはそれこそ巨悪、極悪人。だから、

報道に映る顔は、まさに悪人面となって見えてくる。

政治の組織の状態は正格ではない。変格となっている。

本当に社会は世の中は、変革の時にあるようだ。これは自然である。

 

 

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無無明、・・・・・・以無所得

2024-01-21 | Weblog

「愛」は無償にて存在する。有償たる愛は偽り。

この金融支配社会では無償たる「愛」は荒唐無稽とされる。

荒唐無稽であれば人は衰退の一途を辿る。して、滅亡してしまう。

なぜなら、「愛」無くして人は育たないものであるから。

他の動物にしても、親は子を守り育むのが原理である。

例外はあるだろう、それも相反する原理の下存在するが、ほぼほぼ「愛」が

原則としてある本能である。そのため生物たるものは繁殖していく。

「愛」あるが故の種の保存行為である。

人は人として生まれるのは、人としての行為をするためである。

それは、生物の一対として、合体によって生じる行為であるためである。

他の生物と交わることは無い。本能が個々にして種の能力にあり独立してあるために、

他に影響を受けることは無い。他の生物との共存共栄は釣り合いであるわけではないために、

影響されはしない。影響されるのは縁起によってである。

その縁起は側近、真近(まじか)であり、物理にして起きる。

人の生命は唯識にあり精神的である。そのため、このことを理解できる能力によって、

間近(まじか)にあっても他の影響を受けることは無い。すべて独自の存在であり、「愛」をもって

独立していく存在である。

宇宙にある存在は、バランス(つり合い)であるのではなく、独立的存在である。

もしバランスで保たれているとするなら、とてつもなく大きな星に皆引き寄せられてしまう。

太陽でさえ砂粒ほどの大きさにしか見えないほど大きな星がたくさんある。

その宇宙はまた虚空にあるも有限である。

宇宙は、ありのままに見て深遠であり、そのありのままを見せる。

物理的にある人知にして計り知れない。精神的にして計り知れることでもあり、

マクロとミクロを同時にあらわす。人の生命エネルギー、量子である。

光子にして意の識を伝達するその媒体であるエーテルは都度、自由である。

無くなる事にないエネルギーである。だから、

「無」を「有」とし、その都度解釈することである。

 

 

 

 

 

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夜の明けない朝は無い

2024-01-20 | Weblog

「働かざる者食うべからず」として語られてきたことへの洗脳。

これは金融支配社会の当然として在る事柄、まったくの愛情のない言葉である。

この社会を当然としているために、愛が満たされることがなくなった。

金融支配社会は間違った社会、ピラミッド型の優劣を肯定する社会構造。そのため、

格差が作られて、格差是正を掲げながら、改められることは無かった。これは現在の社会を見て、

歴然とした事実である。底辺にある者たちは、自業自得として納得させられる。

もちろん、貧しくとも努力の末這い上がる者はいるが、何の努力もなしに、或いは親の七光りなどとして、

頂点に達する者もいる。日本の学歴社会を見ても、親族の富裕にあるものほど、進学率は高く、高学歴となっている。

どんなに頭が良くても、貧しければ上に昇る門は狭くある。つまり、金融支配構造は、

人類の進歩進化において実に乏しい。著しく遅れた。牛歩の歩みとなっている。本来であれば、この時代、

すでに宇宙航行は容易くできているはずであったが、いまだ、重力に縛られ超えることができていない。

ピラミッド型構造社会の頂点にあるものが、悪の化身となっているのが原因である。

狡賢いものほど長命にあるのは、「憎まれっ子世に憚る」と揶揄されてきたほどである。

現在の世においてもそれははっきりと見て取れる。昔も今もそんなに変わらず、

更に悪事が横行、そして、露呈しても暴露されても堂々としらをきる始末、まさに世も末である、と嘆く者多くあり、

して、本当にこの社会の終わりが近づいていると感受。その感は「勘」にして本能に受。

前代未聞にして、地球上の人類のピラミッド型社会は崩壊する。道理の形円形に戻る。優劣など無い。

プラスとマイナスは相殺となってゼロとなっている。つまり平坦である。

人生は、誰にも平坦ではなかったとしていた。この平等をはき違えていたのである。

トリック(策略)は巧妙であった。ズルが付く賢さである。

三角構造は円を描いて回っていたが、その三つの隙間は循環性気質となって障害、分裂性気質に入れ替わり、

中庸となっていく。この気質は健気性、通性、偏性、好気と嫌気にあり、循環境条件である。

個々の要素は意識である。意の識が中正不易にあれば流行に左右されることではない。

作為的に統一されるべきことではない。

エネルギーの法則は「是」にして、環状帯状姿形の有限の無限である。

絶対であり自由である。

 

 

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そのための出来事

2024-01-19 | Weblog

本来は起こりえないことが次々と起こっている。

「ありえない」ことが重なるのは、人為的な意図がある。

ある犠牲を伴って事の終始を図るが、それは本末転倒にある。

おおもととされる処、自然なはからいにより裁かれる。

作為的にあるのは壊れるものである。一つ一つ、じわりじわりと崩れ去る。

まさかまさかと驚くのは歪な構造が完全に壊れていく兆候。

それは洗脳された頭脳だったからである。善悪転倒していた社会が、

正当に戻る時期となっている。そして、一人一人覚醒していく。

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人の一生という時間

2024-01-18 | Weblog

秩序が無秩序になる事は無い。

存在のきまりというのは正しいから存在し得るものである。

正しくなければ存在とはならない。正義とは意味が正しいと書いている。

そこに善悪というのは無い。存在する正しい意味(義)があるための在り方である。

その存在は相対である。

だから世の中悪い奴らもいる。悪い奴らなりの馬鹿さ加減がある。これが相反するための道理である。

悪がなければ何をもって善と為すかがはかれない。

生命エネルギーである意識(魂)が善悪のないエネルギーであるために、絶対善となって存在となっている。

これが存在する正しい意味(義)、正義である。存在の相対が正義である。

善いこともないが悪いこともない。悪いことが無ければすべて善いことではないか、だから、

存在は絶対善となっている。エネルギーの存在の性質、自由である。

全てが裏表で存在する。裏は表に対してわずかに雑である。この雑さ加減は、どんなに僅かであっても、

動き(流れ)に対して摩擦となる。そのためにスムーズにはいかない。これが生命エネルギーの流れの苦(悪)となって感じる。

流れていく中で擦れて綺麗になっていくことで存在の理由が見える。

人の一生という時間の流れは、綺麗にすることである。

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裏腹に動くトリック

2024-01-17 | Weblog

世論の影響は大きい。権力を盾にしても無理な事は無理である。

国民を食い物にしてきた罪は大きい。

国会が始まる前までには逮捕に至る。

政府ご用達の評論家たちはその恩恵にあやかる集りの輩。

もっともらしく論う。皆地獄の面構え。

地獄の沙汰も金次第?その生き様は見苦しい。

 

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臨機応変に

2024-01-16 | Weblog

新聞という報道の媒体、文字で書かれているために、確固たる証拠となる。

映像のように都合よく取り繕うことはできない。

文字の改竄はされても、当初の原稿は残る。削除することは可能なようにしてできない。

隠されたものはいずれ現れてくる。必ず表面化するのである。やがて時が経ち、

進化にして各技術は進歩し、過去から時間の映像を取り出すことが可能となる。

現在においても、自然界の存在産物(植物、鉱物)から、また、そのすだまより残像記憶映像は、

見つけ出すことはできるのであるが、現人類には未だできていない。

一度作られた記憶は永遠に消えることは無いとするエネルギーの存在を覚らなければ、

常に不可能となっている。

この世に於いて超常現象というのは存在しない。つまり、その現象は稀としてあるのだが、

永遠の中では常として存在となる。人の生命エネルギーは鉱物植物など他の生命エネルギーより、

遥かに短命である。所謂リサイクル率が激しい。波動が短く起伏が著しくある。それは、記憶の連綿であることへの

錯覚を起こさせるためでもある。一旦という区切りをつけて、空白の狭間をつけて記憶の繋がりを絶たせるが、

エネルギーの法則には時間と空間というのは永遠故に存在はしない。区切りという空白の間は瞬時としてある。

永遠という意味を理解するなら、時間の有無を超えられるだろう。ここに知恵の輪が具わる。

具足妙相尊である。エネルギーの法則を身につけた故の知恵である。

これはエネルギーの法則に無知であればかなわないことである。

エネルギーの法則は難解ではない。難解とするのは人の生命エネルギー(意識)の誤りである。

ありのままに見て深遠とする意識の違いが、ありのままを都度応変とすることで謎は解けていく。

今この世界は、臨機応変の深読みのトリック(仕掛け)にある。

見破る知恵が必要である。

 

 

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ありのままにしての奥深さと信じる

2024-01-14 | Weblog

古くからある国民的マスメディア、囮捜査に引っかかる。

罠をかける手段は、仲間と思わせることにある。仲間内から騙さなければ、

本当の悪事の拠点は潰せないものである。深遠である。

「巨」とするものは簡単には理解しがたいものである。そのために、

手の込んだトリック(策略)も必要とする。

検察という文字の意味を知るならまっとうでなければならない。

単なる名ばかりの職業的であるならば、その功罪は大きい。それこそ世も末の確定となる。未来は無い。

道理というのは絶対である。曖昧さは無い。

さて、人の世は、人の集まりで作られている。様々入り混じり作られている。そのゆえ、

法律とは人の都合に作られているために、自然界の法則(秩序)の絶対とは異なり、

権力者に左右されたりする曖昧にある。ただ、

人の存在も自然の産物、その意識は秩序にある。

 

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