つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

夜と朝の間に

2021-02-11 | Weblog
もうじき春がやって来る。
夜明け前が最も暗いように、今を悲観しないことである。
夜の明けない朝は無いことをあなたは知っているはずである。
今を生きてさえいれば、生きていてよかったと思う終がある。
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識する

2021-02-11 | Weblog
隷属から離れられるものと、依然として変われないものとの分岐点にきている。
この世で絶対なのは、肉体は滅ぶということである。
人は、ある黄色い巨星を約80回ほど回って、制限のある肉体から離れられるのだが、
肉体が全てであると思って疑わない人は、また束縛の世界に誕生してくる。
せっかく自由というエネルギーに戻っても、何ら意識しないために、
何度も何度も果てしなく、自由のない束縛された世界へと戻っていく。
それは、単に苦しみでしかない。肉体という物質に宿している間に、
魂の本質を覚り、肉体が全てではなく、精神的生命であると理解しなければならない。
そうすれば、物質世界より離れ、死のない肉体を得ることができていく。
それが、精神世界の想像という現象の肉体である。
想像は記憶を集め、幻想として現実を作り上げる。この現実は、
観音経に説かれている世界となる。
何事も自分の思いのままに、正義を現すことができていく。
悪魔が貶める事柄を、瞬時に正していくことのできる意を叶える。
観音力を操ることができていくのである。

この何故を、この制限のある肉体を持って意識できるなら、貴方はやがて、魂の自由、
エネルギーの自由というものを知ることができるだろう。この約80年という肉体の活動の中で、
「自らに由る」という意味が理解できたなら、命の制限は無くなっていく。
自由を手に入れる方便を知ることができ、それに沿って活動するために、必ず
制限のない現象を得ることができる。
肉体という物質が自分の意思にそぐわず、不意に亡くなるものであれば、
意識の時間線上に、もうこれ以上進展しないと諦められたためである。
意識は、自分の自由にかかっている。頑なに壁という疎通のできないものを作っては、
奇跡が起こることは無い。柔軟に思考することである。

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