つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

感謝をもって人生とする

2018-11-10 | Weblog
こんなに科学が発達した現代でも、宇宙には地球人しかいないと思っている人達がいる。
井の中の蛙みたいな心の人達がいるものである。
宇宙は人知及ばぬほど広くて謎めいているが、微なるものから大なるものを知ることができるようにできていて、
当然、大なるものから微なるものを知ることもできるようにできている。
それは、自由が宇宙のエネルギーそのものであるから。
なぜそうなのか?という疑問の答えは自由からきている。この自由という意味を、
理解できなくては謎を解くことはできない。

エネルギーは動きである。動きがあるために静が生じるが、この静は動にあることを理解できるなら、
有無の答えも必然に知れてくる。自由が為す術には矛盾などない。

動=エネルギー=自由意思。この自由から分かれてあるエネルギーだから自分。
自分は何も知らないから、当然、自由であるエネルギー自体も何も知らない。
知らないから、動きによって様々を得る。その経験が識るのはゼロに由る。
ゼロが自由の元処である。綺麗も汚いもない。何もない。だから、綺麗に動いている。
これが道理である。
ゼロという有の道理である。これが自由の性質、エネルギーである。
ゼロ故に丸い形で、故に円い動きのエネルギー、故に絶対善の自由で動いている。
そこから分かれたエネルギーの自分は、動くことによって様々な刺激を受して、
どのように動いていったかの自由であるための、自分の歩んだ意識の世界が繰り広げられていく。
綺麗も汚いもないというのは、善悪がないということと同じである。
善悪がないために、絶対善が自由エネルギーの性質である。ここを理解できなければならない。それを、善もないのだから絶対悪とするエネルギーが
自由の間違えた解釈のエネルギーである。このエネルギー世界が地獄の世界である。
善いも悪いもないために、間違えてしまえばそれが正義となるために、正せなくなってしまう。だから恐ろしい。
エネルギーの法則は、ただ自由が本質であり善悪など持たない。ただ回るだけである。
そのために、元に戻りゼロとなるもので、浄化となって繰り返しているだけである。寸分の狂いもなくただ回るが、
回るための変化で歪になったりするが、必然元に戻る。道理であるためである。それがエネルギーの意思である。
この回る変化が刺激である。この刺激に応対してエネルギーが様々に生じる。もし、この対応が
本質にあっていれば、ゼロにかえった時点でそこから抜け出すことは無い。
静の動きとなって安定する。それが涅槃寂静の世界である。つまり、時空のない永遠の世界である。

人間の意思にある善悪などない。
善悪がないために善であることを理解できて自由が正しく知れてくる。
エネルギーは自由であり意思である。それが正義であるために、正しい意思をもって
刺激を受し対応していけば、その義はよく守られる。
くれぐれも悪の意思を持たないこと、作らないことである。もし、悪を為したら、
気が付いて正していけば、本質の義は守られる。間違えたら改める!これが修行であり、
生を受けて人生としている時である。極めて稀なる時であるために、大事にして努力することである。
生命は、特に人間は、本能的に無知であるために間違うものである。
が、他の動物と違い学習能力が優れる。そのために、無知をなくしていけば、間違うことが無くなり、
苦るしみのこの世界より抜け出していける優れた生命エネルギーを持っている。
今生きていることに感謝して、
エネルギーの法則を解き明かしている般若心経を正しく理解することである。

未来は不定であり、常に変化する。衆縁和合によって生じてくるために、
怠ることなく修行(努力)して、稀なる人生の時を感謝にかえ、生きて魂は救われる。
それが法則の功徳である。





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