つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

文字の意味にさまたげられないように!

2018-02-04 | Weblog
般若心経は啓示によって説かれたものである。
しかしながら、心経の全文が啓示で説かれているわけではない。
啓示で説かれている部分は、
「舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是。
舎利子 是諸法空想 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中
無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界 
無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無知 亦無得 以無所得。」である。
それ以前の文章と、これ以後の文章は啓示で語られたのではない。
以前の文章は、経の作られた経緯と語られた後の反応、、以後の文章は、
聴いた者たちが、どのような心の判断をすればよいのかの説明である。
それによって、悟りの有無が分かれるためである。そして、
正しく判断された者は、どのように反応したのかを述べている。
心経の文字に惑わされることなく、正しく解釈することを説いているものである。
エネルギーの法則を、是という文字であらわしていることを理解できたなら、
正しく読み解くことができるものである。大衆に説かれたものであるために、
本来難しいものではないのである。難解としているのは、心経の文字の意味を
理解できないためである。是は、日が正しいと書いている文字。太陽の運行を指している文字である。
これが、エネルギーの法則であると示しているのである。
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沿う

2018-02-02 | Weblog
人に、善人悪人がいるように、神々にも善神悪神がいる。
動物に、気の荒いものと温厚にあるものとがいるように、
生物、生きとし生けるものには、相反するものがいるのである。
性善と性悪はあってこそ存在が成り立つものでの物質。
真っ白な紙一枚にも裏表があっての紙の存在である。
どちらも見分けがつかないほど同一にして作ることができるが、
裏と表をつけるのは人の思いにある。
つかないほどというのは、同一なのだが対なる存在だからである。
全く同一にして作られた紙の裏表を見分けることはできない。
裏表はないのである。無いために絶対なのである。
ものが作られるとき、誰も裏を作ることは無い。必ず表としてものは作られる。
これが絶対である。対するものを絶する、絶してある、である。
これが自然である。今ある世界が生命の実体であり、実態である。

人物も神仏も鉱物も動植物も生物も正義として存在である。
善悪がないから絶対善となっている法則である。正義である。
エネルギーの法則である。
地獄も天国も正義としての存在である。
人の「思い」はエネルギーである。自由である。
ただエネルギーの法則にしてあるものである。この自由に沿うことである。
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自らを助けるものを助ける

2018-02-01 | Weblog
神々が最初に降り立った処であるために、日出国として日本である。
その日本は、戦後70余年平和であることを維持している。
先んじて各国諸々の社会の問題を行じている。
それは、明るく見えて実に薄暗くある。
この先はますます酷くなるだろう。暗く沈みつつある。
おそらくそれはもう、手遅れにあると見て取れる。
根本原因は、愛情にある。情の少なさである。
薄情にして欲情浅ましく、愛は情欲にあり、
仁愛のかけらも見当たらない。

愛こそが諸々の解決策である。
愛なくして幸せはない。
そう神仏は唱えて、誰しもが知るものの、
真実義を知ることがないために、
見せかけだけの成り行きとなっている。
世界に先駆けて訪れるうす暗い現象は、
訪れる地上の末路を意味している。

精神を、人として正しく揺るぎなく保てるか?
この分岐の舵は、末路に切られつつあり、すでに先端は向かっている。
99%末路であるが、それぞれが愛に気づくことによって、
急転直下未来は開かれる。
「自らを拠り所として、法を拠り所としてのみ道は開かれる」
人は、優れるものとして作られしも、自らに由るものとしてある。
進化を辿れ!
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