よい学歴、裕福な家庭、それなりにも努力の甲斐あって、
順風満帆とはいかずとも、まっ、人並み以上の環境にある人となっていても、
それが、この人という人生の完成されたものというのではない。
この世において、どんなに幸せにあった環境であっても、それが
‘なぜ’ということもなく、あるいは、自分の努力のたまものであるからとしていれば、
うろたえて右往左往して生きて、ただただ、自分の欲のみを満たすために生きる人と、
少しも変わらない。貧困にあえぎ、貪欲にして損得に揺さぶられ生きる人と同じである。
貧乏でも裕福でも、どちらにおいても極めて愚かな人は多いものだ。
賢い人は極めて少ない。
それは、「なぜ生きる」に無知で、憂えることが役に立たなかった人である。
その無知は、「是」をみても気づかないことに他ならない。
是を知らないからである。
「是」の字を見て、日が正しいと書いている。
これに気づき、時が廻ることを知りながら、知らないでいる。
いつも同じくめぐることを真実知らないためである。
確かに、先週も土曜日は訪れた。先月も、去年も、
何十年前も、生まれてこの方一度も廻り来なかった日はない。
時は繰り返し、変わることなく日は廻ってきたのである。これから先もそれは変わらない。
自分の存在にかかわらず、めぐる変化は変わらないできた。
だから、わたしもあなたも廻る変化として、変わらずに廻る。
昨日と今日が同じように、今日と明日も同じように、めぐる変化の中で、あなたも私も無くならない。
是であるためにである。
死んでも、何年先、何百年あと、何千年あと、いや、何万年先、いやいや、何十万年あと・・・また地球上で
肉体を持って生きている。是を知らない限り。
輪廻するのはただ苦しみである。だから・・・仏は訓える。
私たちは「こころ」で生きている。
こころには、隔たりがないことを知る。
時間にも空間にも・思うにも・・・である。
順風満帆とはいかずとも、まっ、人並み以上の環境にある人となっていても、
それが、この人という人生の完成されたものというのではない。
この世において、どんなに幸せにあった環境であっても、それが
‘なぜ’ということもなく、あるいは、自分の努力のたまものであるからとしていれば、
うろたえて右往左往して生きて、ただただ、自分の欲のみを満たすために生きる人と、
少しも変わらない。貧困にあえぎ、貪欲にして損得に揺さぶられ生きる人と同じである。
貧乏でも裕福でも、どちらにおいても極めて愚かな人は多いものだ。
賢い人は極めて少ない。
それは、「なぜ生きる」に無知で、憂えることが役に立たなかった人である。
その無知は、「是」をみても気づかないことに他ならない。
是を知らないからである。
「是」の字を見て、日が正しいと書いている。
これに気づき、時が廻ることを知りながら、知らないでいる。
いつも同じくめぐることを真実知らないためである。
確かに、先週も土曜日は訪れた。先月も、去年も、
何十年前も、生まれてこの方一度も廻り来なかった日はない。
時は繰り返し、変わることなく日は廻ってきたのである。これから先もそれは変わらない。
自分の存在にかかわらず、めぐる変化は変わらないできた。
だから、わたしもあなたも廻る変化として、変わらずに廻る。
昨日と今日が同じように、今日と明日も同じように、めぐる変化の中で、あなたも私も無くならない。
是であるためにである。
死んでも、何年先、何百年あと、何千年あと、いや、何万年先、いやいや、何十万年あと・・・また地球上で
肉体を持って生きている。是を知らない限り。
輪廻するのはただ苦しみである。だから・・・仏は訓える。
私たちは「こころ」で生きている。
こころには、隔たりがないことを知る。
時間にも空間にも・思うにも・・・である。