つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

こころによる

2012-04-14 | Weblog
よい学歴、裕福な家庭、それなりにも努力の甲斐あって、
順風満帆とはいかずとも、まっ、人並み以上の環境にある人となっていても、
それが、この人という人生の完成されたものというのではない。
この世において、どんなに幸せにあった環境であっても、それが
‘なぜ’ということもなく、あるいは、自分の努力のたまものであるからとしていれば、
うろたえて右往左往して生きて、ただただ、自分の欲のみを満たすために生きる人と、
少しも変わらない。貧困にあえぎ、貪欲にして損得に揺さぶられ生きる人と同じである。
貧乏でも裕福でも、どちらにおいても極めて愚かな人は多いものだ。
賢い人は極めて少ない。
それは、「なぜ生きる」に無知で、憂えることが役に立たなかった人である。
その無知は、「是」をみても気づかないことに他ならない。
是を知らないからである。
「是」の字を見て、日が正しいと書いている。
これに気づき、時が廻ることを知りながら、知らないでいる。
いつも同じくめぐることを真実知らないためである。
確かに、先週も土曜日は訪れた。先月も、去年も、
何十年前も、生まれてこの方一度も廻り来なかった日はない。
時は繰り返し、変わることなく日は廻ってきたのである。これから先もそれは変わらない。
自分の存在にかかわらず、めぐる変化は変わらないできた。
だから、わたしもあなたも廻る変化として、変わらずに廻る。
昨日と今日が同じように、今日と明日も同じように、めぐる変化の中で、あなたも私も無くならない。
是であるためにである。
死んでも、何年先、何百年あと、何千年あと、いや、何万年先、いやいや、何十万年あと・・・また地球上で
肉体を持って生きている。是を知らない限り。
輪廻するのはただ苦しみである。だから・・・仏は訓える。

私たちは「こころ」で生きている。
こころには、隔たりがないことを知る。
時間にも空間にも・思うにも・・・である。
コメント
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