つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

もつれ(愛)

2022-06-19 | Weblog
存在は表裏一体にしてなる。
だから、人の心にも表と裏があり、それはまた善悪という事にある。
この世の中は「受」の世界である。”気”というエネルギーの自由、
円運動によっての巡る変化の刺激を受けて、それぞれが存在となっている。
当然すべての存在がエネルギーの下の存在である。そのために、受けた刺激をどのように受けたか?が存在の自由である。
つまり、どう気にしたか?である。同じ刺激を受けても一瞬の間に過ぎ去っていく。同時に受けたにしても、それぞれの存在の受け方によって、
違いが出てくる。同じく見えても紙一重、裏と表の違いがある。
それが意識(心)でいえば善悪である。本来エネルギー(気)には善悪は無い。だから、
エネルギー(気)は、絶対善の動きとなって秩序となっている。これがエネルギー(気)の自由である。
それこそ正しいとする「正義」である。性質であり運動による摩(みがき)となって上等な性格となっていく。
その性格は激しい動であるが精げ極まって静となっている。完璧な動きの円は、動いていることさへ分からない。
静寂にして、何もかもをおおらかに包み込む。が、
邪気にあるものは弾かれる。その波動に入り込む、あるいは触れることさえできなく弾かれる。
これは不思議なことである。瞬時或いは同時、相対に分かれる。
エネルギー(気)は量子であるために、もつれあいは、あなたにははかり知ることはできないが、
善悪がなければ、正しい正義として無秩序になることは無い。よく道理に守られる。
さて、
現代という時の狭間は、今しばらくあなたに辛く当たるも、
あなたさえ生きてきてたどり着いたゆるぎない志があるならば、そして、その志が正しい「正義」であるならば、
苦無くして報われるものである。「気」なるを知る者であれば、幾千年と縺れ合うことなく!
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