つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

意の識

2019-03-08 | Weblog
意を識する。
世という界隈は相対的にしてあるために、
識別は正しくあらねばならない。
法則はただ繰り返すことが正義となっている。
善悪はない。ただ正義があるだけである。
善悪が無いために、法則の回りは絶対善となっている。
これが自由の正義である。

人の意識が、法則の正義を理解できずに、
善悪を判断しているために、
意識の誤りが判断の誤りとなって、善悪の転倒したものとなっている。
悪が善であり善が悪となっているために、この世はすべて悪だらけとなって正義となっている。
この転倒した回りが正義であるために、この世は地獄となっている。
だから、苦しむことから楽が生じ、苦しみの無いところに楽は生じることがないとして常識となっている。
事実、この世の中は、苦労してこそ報われることを体感する。
が、地獄であることに気が付かないために、
欲があり、蜘蛛の糸となっている。地獄に仏を感じても、
結局地獄の中にいる。この世で報われたとしても、現世は物質の世界、肉体の世界、
無常にある世界であるために、死の恐怖から逃れられないものである。
肉体から受ける感情の喜びは、意識を正しく理解していなければならない。
でなければ、単に欲望の達成でしかなく、善悪転倒した世界を正義として輪廻するだけである。
僅かな幸せのために多大な苦労を介して生きる。一切皆苦の世の中であることを知る由もない。

法則は意識の世界である。宇宙は意識である。自由意思でできている。

人の常識を意識から外すことである。
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