つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

欲深き者への裁き

2018-12-02 | Weblog
偽りの装いが蔓延る。
どれもこれも表向きは良く飾られているが、裏面はきたない。
偽装して利己にある社会は、ここ一・二年、或いは三年、或いは四年の内に、
次々と大きな事件を起こす。
人の悪に由る災害は、だろう、よかろうの安易な怠慢から発して、
我も我もと
利己的な企てにより天災を引き起こす。
欲の深さは虚空蔵、底なしである。

次元上昇は、地球の善悪への感奮興起、その揮いである。
低俗にあるものには登れない高貴なエネルギーの采配。
ただただ欲深きあなた方が急ぎ引き起こす惨事。

あなたは如何や?低次元のままの地球に残されるか否や。
地知る天知る神知る我知る・。




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心の健康

2018-12-02 | Weblog
安らかなる死を迎えられるというのは、
健全なる肉体に宿る健全なる精神にある。

観音経に説かれる「念彼観音力」というのは、
彼の観音となった心念の力をいうのであって、
エネルギーの法則を、修行(経験)によって体得したための
心の力、念いの力のことを言っている。つまりは、エネルギーの道理を知ったが故の徳を
自然に得られたということである。だから、誰でも修行すれば得られていく力ということである。

この宇宙の法則は、環状体状エネルギーであり、有限にして無限の姿形となっていることを理解すること。
そうすれば、あらゆる物事、事物がエネルギーの存在の中にあり、無くならない存在であることが理解できてくる。
このことによって、有限にしての無限を矛盾なく理解できてくる。
これは、
あると思えば「ある」、ないと思えば「ない」という可能性であるが、
それには、この宇宙のエネルギーの法則を、自分の意思の強弱によって操らなければならない。

宇宙のエネルギーを自然という。その分身であるために自分という。だから、自分の本体は宇宙のエネルギーである。
このエネルギーは、意思である。心という。
心は経験によって作られていき、その経験によって癖が生じ、その癖が性質となる。
経験というのはエネルギーの運動であり、変化に対応している動きである。
あらゆる経験をしていくことによって癖が生じ、経験の積み重ねが癖に変化をもたらしていく。それが質の向上と下降となって現れてくる。
それが性質の格となる。
向上となれば質の格が上がっていくが、下がれば質の悪さとなり、格下がりである。
現在のと自分、その意思が性格からきていて、性格は経験の積み重ねによって性質に変化を与え変わっていく。
意識の違いは経験の違いによるものである。だから、同じことを聞いても十人十色となる。
性格の良し悪しは、その人の経験の違いからくる。だから、できるだけ良い経験をする必要がある。
善い経験というのは、この宇宙の法則、道理から学び、道理が善運動となっていることに気が付かなければならない。
道理が、そもそも善悪などないものである為に、ここに注意しなければならない。
善悪がないために善となっている運動法則を知ることである。もしここの意味を理解できなければ、
間違った思いも善となってしまうのである。

健全なる精神は当然健全なる肉体を作っていくが、健全なる肉体はこのエネルギーの法則を正しく知って、
はじめて健全なる精神を宿すまで、歪にして回る。試行錯誤、紆余曲折は世の道理である。
この道理を修めて自由を得る。
神にも通じる力、観音力の自由を得るのである。
不安なく、恐怖なく、健康寿命となるものである。
あの世が希望となり、三世諸仏となるものである。
それが、エネルギーの法則を正しく理解した功徳である。


健康であれば健康に死ねるものである。




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