「火のない所に煙は立たぬ」というではないか。
下劣な心がある為に困った問題が起こる。
それは、社会的地位が低いとか高いとかに関わらずある心だから、
品性そのものにかかわってくる。
凡そ人間というものは、煩悩具足であるから、如何に律して倫理的に生きられるかである。
地位と名声に長けていればいるほど尚更であり、はたまた、そのような人の間にこそ卑しさというのは芽吹くものである。
嘘で固めてその地位と名声に執着しても、あの世には通用しないもので、それこそ自業自得にして地獄の攻めを受けることになる。
現世というのは、あの世を幸せにするためにあるもので、魂の向上にただ一点絞られてある。
現世の儚い幸せにあるものではない。大方、人というものは現世の幸せのみに惑わされて、
好き勝手を為して生きるが、本当に品格のある人は、質素にして素朴であり、それなのに煌煌とあるもので、
どことなく貧しさの中に身を置いているが、実に心身ともに豊かにしてある。
貧富の神は常にその人の味方をして、時に応じて利他的にある。
だから、いつも徳に与る。
さて、現世は見かけがよくても裏腹なもので、だから、迷わされて生きている。
そのために、正しく知恵を具えていけば、迷いに惑わされることもなくなっていく。
感受というのは正しくなされて、それとなく善悪を訓えられるものである。
現世というのは、ただただ死後の世界の為にある。死後の世界の幸せのためにある。
このことを忘れなければ、
悪いことはしないものである。できないものである。
生が死の絶対条件にあるのは、そのためである。
これは、取りも直さず生命に死がないためである。
それは、エネルギーの法則が永遠となっているためである。
この永遠はエネルギーの自由である。