つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

現代の行く末

2016-11-18 | Weblog
昭和三十年代、携帯電話なるもの、
大衆に於いては全く想像だにしていなかったものである。
一世紀も経たないうちにスマートフォンなるものができて、
便利この上ないものである。これから時代は急速に進歩して、
この上ない便利がさらに高じていき、十年という歳月を経ないうちに、
現実と仮想の区別がわからなくなる。擬きが闊歩して、
並行宇宙が現れてくる。
仮にとしての現実が無数に出来て、本物というものの区別を失う。
それは、
薄情化していく世界である。
写真というものができ始めたころ、
写真に写ることが、魂が抜き取られていくようで嫌がる人(思い)があったように、
何やらエネルギーが分散していくと思うのである。

エネルギーの法則は自由である。
存在とすれば存在となり、存在としなければ存在とならないものである。
これは、「成せば成る、為さねばならぬ何ごとも・・・云々」とよく似ているもので、
よく自由の真髄をついているものである。

現代科学もクローン技術、あるいは、3D技術なる技術が力をおびてきている。
トリック、あるいは、マジック、また、催眠によって見る現実的非現実。
バーチャルリアリティーなる科学技術も獲得してきた頃、
真実なる現実社会の時間軸は、人類の創る悪のエネルギーのため、自然というエネルギーの法則の淘汰によって、
無に帰す事となる。
これは、
一旦である。
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