つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

唯というのでもない

2016-03-11 | Weblog
近い将来、ことさら大きな災害が来るであろう報道が頻繁に為される。
「きっと」?として、大きな災害が時の流れにしてあるであろうことを、
科学が発達してくる中で、ある程度知れてくる。
過去を見て、ある程度、そのような兆候を人々は知れるものである。
おそらくそれは、その頃のという人達に「出遇う」となるであろう時節である。
その時節は、己という自業自得に関わってくるもので、なぜなら、
エネルギーの法則が縁起の法則でもあるからである。
その時の災害に出遭うも出遭わないも、また、出遭っても、避ける避けられないは自業自得なのである。
そんな馬鹿げたことはないと思うものだろうが、
それは、生命が連綿であり、今ある自分が、
過去世から続いてきたものであるということを知らねばならない。
過去、どんな生き方をしたのか、生き様であったのかを無視しては、
生命が知らねばならない事柄を理解することはできない。
エネルギーの法則が、円運動であることの自由を悟ることができていれば、
図らずも宿命的運命を変えていくことができるものである。
生命には死がないのである。このことが肝要である。理解し難いものとしてあるのは、
肉体を生命として、唯物とするためである。だからといって、唯心というのでもない。
私達が、一日を生きて、また明日という新たな一日を生きていくように、
同じ一日にして異なる一日という区切りを越えているだけで、繋がっていることの様を、
明らかに見せられていることへのありのままを知ることである。
ある人に、それは、深遠であると見えるし、ある人は、
単純にして見れるのである。
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