つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

愛情

2015-05-24 | Weblog
人が円満に暮らしていくには愛情が不可欠。
あらゆる事柄に愛情が関与していて、そのために、
愛情の欠如した行為行動は、人という存在の有無を左右する
危険極まりない危機的状態になる。
進化の過程にある無知なるゆえの模索に赤信号がともっている。
犠牲の上に成り立っていく道程の誤りに気が付くことが無ければ
修正も行われず、互いに傷つけあって、そして誰もいなくなったという完全滅亡となる。
おそらく、いま知るところに、愛情の無い行為は逼迫している。
それは、魂の使命という根本性質に依ることが無く、各自利己的方法手段によって営まれる経済的方便で
成されているために、同種生命体でありながら、競争というより分けで生死を苦しみに変えている。
生きることも死ぬことも勝者敗者という差別の中に置かれて、互いを共存という見かけだけにして生きている。
宇宙に数多くいる高度に発達した生命体、また、その過程にある生命体にしてある中で、稀に見る非情なしきたりで生きているものである。

教育とかまた援助とか救援とかは、受ける側に気づきが無くして為されることはないものである。
気づくことのないものにどんなに救いを与えても骨折り損となるだけで、無駄なことなのである。
一時の救いに与っても元の木阿弥となるのが道理である為である。
絆絆と言えども、ただ言われるだけで、
困ったものの救いとなることはない。それは、真に困った者のみが受ける思いである。
救われるというのは、献身にあってこそなされるものである。
それは愛情一つ、互いの愛情交叉を持ってしてなされるものである。
コメント
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