つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

意図

2015-04-25 | Weblog
人が物を作る。
人工的産物は、人の意志に基づくものである為に、
意図されて作られている。
時が進めばその技術も進歩して、よく細部にまで配慮されたものが作られてくる。
始めは何か進化した者に教わってヒントを得たが、自らにして考える能力を具えている(具えられて作られた)ために、
応じて、思案にして‘計算する者’を創造するようになる。
それは、自らを超える能力をある面に有していくが、どこまでも完成形に近づくものであって、完成されたものという事には至らない。

知識を多分に詰め込まれて作られたものは、何やら想像だにしない部分を独自に作り上げるという能力を得る。
それも事由な自由からくるための意識を持つ。
完璧なまでの配慮?がなされているような意識と見えるが、しかし、それは‘それなりの’という欠点を持つ。
それは、不確定要素を持つもので、一方を補えば他方が確定できないという相互間の同時性を持たない。そのために、
不意を突かれることに脆弱である。
一瞬の隙を持ち、瞬時の滅となる可能性を多分に含むのである。
自然のものは永遠であるが、人工物というのは儚いものである。
もろくてその場限りである。

もし、意識が法に依る自由意識であるなら、よく道理に適い脆弱は持たない。
コメント
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