つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

ヤドカリ人生

2013-03-28 | Weblog
あの人生この人生と何度となく生まれ変わって生命である。
その時々の運命の記憶が統一されて、今ある人生の心となっている。
魂である。その魂の放つ色、マイクロウエーブは鮮やかに輝いているか?

魂の善し悪しで、物事の善し悪しが集まってくる。
良いものには良いものが、悪いものには悪いものが、と寄ってくる。

表向きはよろしく計らっていても、
心根がよろしくなければ、よろしくないものが集まってくるのである。
それは、損得で生きて、損をして得を取れなどと下心があれば、
損得勘定ばかりの人が集まり、タヌキでありキツネである化かし合いの哀れさに終始、
共によい目に合うことは無い。感情の無いいわゆる無情の世間を行き来するのである。
それもこれも心根、魂の所為である。
「どうして、こんなつらい目にわたしだけが・・・」と歎くも、
心根、魂を省み正さないためである。
魂に無知であるためである。
さて、夢が未来となることは無く、過去が夢である。
強く意識したことが現れてくる。
空を飛んでたり、怖い夢だったり、見たことの無い世界だったり、
それは、心の記憶である。連綿とした過去の記憶である。

法、それは円運動のエネルギーである。エネルギーの性である。
して、自由であるための永遠である。
だから、
生命エネルギーも同じである。無くなることが無く永遠である。
無常という常住に生きるのか、常住という無常に生きるのか、自由である。
ただ、法は浄化であるために、常住という無常に帰するものである。
だから、生命もまた、浄化という常住の無常を本能とする。
そのために、生きるという。人生は、すべてが浄化の行為となっているのである。
ただ、汚いもので汚いを拭いても汚れが移っていくだけで、正しい浄化とはなっていない。
肉体という宿をいくつも借りながら、早くきれいに掃除しなければ、いつまでも汚く苦しいままである。
コメント
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