つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

まぎらわしいために、・・・

2006-02-17 | Weblog
 あの時、あそこでつまずかなければ、触れ合うこともなかったであろう人が今、自分の前にいる。
自分の人生には本来いなかった人。
そんなことを思うと「赤い糸」という縁を見る。

偶然をより合わせて、赤い色のついた細い糸を伝い、自分のもとにたどり着いた出会い。

すべては、もともと実体がなく「空」であるというけれど、だとすれば、今ここにいる自分という確かな実体はなんなのだろう?

「空」なのではなくて、確かに生き生きとして実体はある。
幻なんかじゃない。
いずれは亡くなるであろう自分だけれど、それを幻などというのはおかしい。
実体として確かに存在していて、「空」などではけっしてない。

今は虚妄などではない。むなしいものではない。
現実として今はある。実体をもっている。

一切は「空」なのではなく、「空」のための存在として、一切はある。

「空」とは、死後の世界をいう。
うつろなものでなく実体としてある世界。
いずれ趣く、現象の世界。生命本来の世界。
法の絶対世界でエネルギーの性質の世界であるために、無くなることの無い永遠の世界。

偶然が寄り合わされた、赤い色のついた細い糸。
縁とよばれる絆でつながれていく出会いの結び目。
「空」なのではなく、実体を持っての一切「空」のための出会いとなっている。
コメント
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