つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

語っていることは・・・

2005-08-06 | Weblog
いつもながら、暑い。30年くらい前は暑いと言ってもこんなにいやらしい暑さではなかった。年々環境がゆがんできているようだ。さて、いつもの独り言を書いていく。般若心経はこう語っている。回る動きの変化を受けて、その変化に対応していき、経験のエネルギーとなり経験のエネルギーの世界が、この世の世界で色の世界としている。経験とならない世界があの世の世界で、空の世界としている。どんなことにも反応しないため、まったくわからない世界であるとして、空としている。「色不異空、空不異色」「色即是空、空即是色」とこの世とあの世は異ならない仕組みで、あの世とこの世も異ならない仕組みとなっている。この世は是の仕組みによって、あの世となり、あの世も是の仕組みによってこの世となる。と語っている。
日がめぐってくる。変わることなくいつも同じ方向よりめぐってくる。この日がめぐってくる仕組みがかわることがないために、日のめぐりが正しいとして、日が正しいと書いて是として表している。これが絶対正しいとして是としているのである。めぐりめぐる日が正しいと書いているのである。変わらない円の動きが是であり、すべてこの性質の仕組みの中の存在となっているのである。なので、人は死んでもこの世のすべてが変わることがなく、あの世となっていくとして、死はこの世の経験の世界があの世の現象の世界になっていき、生命エネルギーは無くならないと語っている。この世の世界が受の世界で、変化の動きを受け、それに対して思い、行為として、経験された記憶が作られる世界となっている。この世界が、「色即是空、空即是色」の仕組みによって輪廻していく。くるくる回る円の動きの為なくなることなく永遠に輪廻する。「是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減」として日のめぐりがもろもろの存在の仕組みとなっているため、絶対存在の仕組みとなっていて、あの世の世界は、無くなることのない、変化のない、生まれたり死んだりしない仕組みであり、汚いとかきれいだとかと思う感情の動きのない世界で、そのために、死んだということもわからず、あの世であることも知らないで生きていくことになる。自分がこの世に生まれてきたときも、この世に生まれたということがわからないのと同じである。感情の動きのない世界である為その世界が当たり前の世界となっていく。なので懺悔されることのない世界となり、救われることがない。あの世がこの世の経験の現象のエネルギーの世界であるため、肉体が無くなってしまった後の世界では、肉体を持って生きていたときの経験のエネルギーが増えたり、減ったりすることはない。
この宇宙の仕組みは、円の仕組みであり、始まりから始まりに戻る仕組みである。0から0に戻る、くるくるめぐる円の動きである。私たちの時間も常に0時に戻り1時とつながっていき、それをくりかえす。是の仕組みの存在であるためである。この0に戻る0の世界がこの宇宙の世界でありエネルギーの性質の世界であり、円の動きの世界であり、絶対存在の世界である。なくなることのない世界となっている。ゆえに、「是故空中・・・として・・・このつづきはまた
コメント
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