38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

雨の水曜、一票の格差。

2013年03月27日 | 農と暮らしの日記
春の畑にたっぷりの雨が降り、収穫したばかりの野菜たちも生き生きとして見える。
左側がリーフレタス(赤・緑)、葉つきの新玉葱、人参。右はほうれん草、蕪まびき菜、小松菜。品不足のためにほぼ3月いっぱい休んで、ようやく少しずつ再開し始めている野菜セットは、これらの生鮮ものに在庫の里芋を加えれば完成する。



水曜、予報より早く未明から降り始め、ほぼ終日の雨。

朝:6時半頃からごはん。
8時台に市街に出てフジグラン西条に出荷(小松菜、リーフレタス、人参、里芋)、郵便局に寄って帰宅。

午前:温室で育苗の播種。
今日は5度目のほうれん草、いずれも2度めの春菊と枝豆。

午後:雨音を聴きながら、机しごと。
16時頃に軽トラに乗り、ホームセンターでレインスーツと長靴を購入。ほぼ同時に破れがひどくなっていたので。そのまま畑に行き、浸水等がないのを確認してから明朝出荷分の収穫、18時前に帰宅。



昨年12月の衆議院議員選挙に関する判決が相次いでいる。
いずれもいわゆる「一票の格差」を「違憲」とし、岡山2区についての判決はさらに「無効」とした。報じられている判決要旨によるとその理由について、「無効と判断することによる政治的混乱」は「長期にわたって投票価値の平等に反する状態を容認することの弊害」に比べて「大きいということはできない」という。
不勉強ながら、司法の役割、責任を自覚したまっとうな判決ではないかと思う。

僕自身は「一票の格差」問題に疑問を持っている。
国にせよ自治体にせよ、議員は単純に人口比例で選出されるべきだとは思わない。いわゆる「1人別枠方式」には国会の役割を重層的にとらえた知恵があるように思う。けれども、それならば米上院のように明確な位置づけを行うべきで、国会が司法の違憲判断を認めながら現実の改革を怠っていることは支持できない。

目先の混乱を恐れて、長期にわたる弊害に目をつぶる。
政治家のせいにする、選挙でちゃぶ台をひっくり返して溜飲を下げる。
いつまでそんなことを続けるのか。
コメント
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