38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

大震災発生から、2年。

2013年03月11日 | 農と暮らしの日記
ほうれん草をまた少し植えた。
何度か書いているように、この春のほうれん草は「移植」を主体にしている。今日の苗は288穴のプラグトレイで播種後30日ちょっと。株間15cm×条間20cm弱の5条植え。

左にはチマ・サンチュも植えた。
これもほうれん草と同じ育苗日数で、こちらは200穴のプラグトレイに緑と赤を100ずつ播いたものを株間30cmの各1条で定植。
これで冬の葱の跡がすべて春の作付けに移行した。



月曜、3月11日。予報通り終日の晴天。
今朝は久しぶりに冷え込み、最低気温は2℃前後だったようだ。

朝:6時過ぎからごはん。
午前:しばらく、机しごと、温室の管理。
11時半頃から市街に出てフジグラン西条に出荷少し。

午後:畑に出て、昨日飛んでしまったキャベツのトンネル1列を張り直し。
何年か使って一部裂けていたビニルフィルムを使ったために、強風でそこから空気をはらみ、破壊されてしまったようだ。久しぶりに新品のフィルムを使用。

思いのほか畑が乾いてきていたので、上記の通り定植を少しずつ。
あれだけ降っても元々の土壌水分率が低かったのだろう、少し照って風が吹けばすぐにトラクタも使える状態になる。上の写真を見る限りでは、昨日まる一日降ったとは思えない。

14時46分、東北地方太平洋沖地震の発生時刻に合わせ、定植作業中の畑で黙祷。
隣の小学校からも校内放送による黙祷の呼びかけが聞こえる。

夕方:直播のほうれん草などを三角ホーで中耕除草。
明日出荷する菜の花とプチ・ブロッコリィを収穫して帰宅。



携帯ラジオでは、政府主催2周年追悼式の中継。
津波に自らも呑みこまれ、母を亡くした遺族代表の高校生が壇上で、これからの生き方について「世界の自然災害が発生した国々において、自らの被災体験を生かした支援活動ができる人材となり……」と述べていた。

聞くなり、いいよ、もう、と、畑のうえで思わずつぶやいてしまった。

彼女の意志は素晴らしいことであり、同じ国民として心強く誇らしく思う。
そうした強い気持ちが、悲しみから立ち上がろうとする心を支えている面があるのだろうということは想像できる。一方でしかし、またあのような辛い思いをすること、またあのような厳しい環境に身を置くことなど、もう考えなくてよいから、せめてここからは悲しみとは無縁の、笑顔が片時も絶えず連続する人生を送ってほしいという思いのほうが強い。
それはおそらく、あの震災を直接体験していない人間ゆえの思いなのだろう。

「被災者の身になって……」、その難しさ、遠さを感じる。
コメント
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