38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

芋掘り終了、籾すり完了。

2009年11月18日 | 農と暮らしの日記
今年のさつま芋、最後に今日収穫した紅東。
5月に植えて、まる半年間たっぷり肥料と水を吸って育ちました!という証のような姿……。1個1kgを超える「大玉」多数。要するに、デカくなりすぎた。とはいっても、300~400g程度の良品も多く、全体的に肌もきれいで、出来がよいか悪いかといえば、自信を持って「よい!」といえる仕上がり。

このところずっと雨がちで、昨日も雨だったので畑はぐしゃぐしゃ。
だけれどもう今週中には掘ってしまわないと、寒さで芋が腐ってしまう、そんな季節なので、とにかく掘るだけ掘って、あとは多少寒かろうが、日光と風にさらして水気を飛ばし、なんとか年越しの保存に耐える程度にまでできれば、ということで掘ってしまった。これでさつま芋畑は完全に終了。つるが2列分残っているのを早めに運び出したら、耕耘してまた何か種を播く予定。それと、このさつま芋の隣の畝、写真の右上のほうに見える緑の葉は秋じゃがで、12月に入ったら収穫が始まる。里芋もまだまだ畑に残っているし、この冬の芋類はなんとか野菜セットのベースとしてしっかり働いてくれそう。



野菜セットのない水曜、予報は晴れだけれど朝から曇りがち。
朝:夜明け前は8℃、6時起きで荷造り少し、朝ごはん。
午前:8時過ぎ、保育園とスーパー出荷で市街へ。戻って9時半ごろから冒頭のさつま芋掘り。掘ったら畑に並べて軽く乾かしてからキャリーに入れ、戻って庭に並べて干し、昼ごはん。
午後:しばらく机しごと。15時頃から明朝出荷のうち人参収穫。16時頃に連絡があり、自家用の米の籾すりをしていただく。籾で17袋ちょっとあったものが、籾すり後の玄米は12.5袋、コゴメ35kg。籾すり代は玄米の袋数に応じてその場で現金払い、コゴメは預けて後日その代金を頂く予定。去年はコゴメの価格が高かったようで、コゴメ代で籾すり代が出てしまった(払わずに済んだ)くらいだった。



ネットでこんなニュースを見た。
「通勤車内で飲食する大人たち」(産経新聞)。首都圏の私鉄や地下鉄などの車内で、熱々のおでん、携帯片手にコンビニ弁当、揺れるバスの中でホットコーヒーなど。こう聞くと、確かに「そりゃ、ちょっと遠慮したほうがいいだろ~」と思うけれど、新幹線とか特急・快速電車の2人掛け、4人掛けのボックスシートなどで駅弁を食べるとか缶ビール飲むとかは、普通の旅の風景にも思えるから、記事も言っているように「線引き」は難しい。地下鉄みたいなロングシートでも、1車両に数人とかいう空いている場合なら、部活帰りの高校生が菓子パン食べるくらい許される気がする。

僕も首都圏でサラリーマンだった時はそういう光景によく出会った。
僕が使っていた通勤電車(JR横須賀線または東海道線)は1時間ほど乗りっぱなしの客も多く、一部にボックスシートもあったから、帰宅時間帯には片手に缶ビールの人はわりといた。たまに、立ったままワンカップに「さきイカ」の人もいて、まだ外は明るく、「いま飲まなくても、家に帰るまで我慢して、よーし!と一杯やったほうが気分いいだろうに……」と思ったことも何度かある。

困ったのは地方に出張した時だ。
新幹線はいいけど、移動や乗り継ぎの在来線で、空いているし、時間がないし、車窓は秋の田園風景、旅情あふれる地方の在来線だし、とか思って弁当やパンなどを買ってボックスシートに座っていたら、出発する頃には通勤・通学の満員電車になっていて、とても物を食べるような雰囲気じゃなくなっている。そんなとき、「降りてから」とか「乗り換えてから」と待てる場合はいいのだけれど、次の予定の都合上、どうしてもここで食べておかないと困っちゃうなぁという時もたまにあり、こっそり食べたこともある。ま、こっそりだろうが何だろうが、周りの人はわかってるわけだから、「マナーがなっとらん!」と思われたかもしれない。

就農してから毎年恒例になっている暮れの大阪行きも。
高速バスに早朝乗り込むから、朝ごはんをバスの車内で食べることになるのだけれど、コンビニでサンドイッチなんか買っても、やはり近くに他のお客さんがいると遠慮がちになる。

いろいろ考えると、両方が変わってきたのだろうなと思う。
電車に限らず「公共」の場で飲み食い(あるいは化粧とか第三者の悪口とか)することに遠慮がなくなってきているという傾向は確かにあるのだろう。一方で、電車、とくに通勤電車とか都市部の交通機関の場合、それは単に「乗り物」であって、そこでは一人ひとりが空気のように(あるいは「直径50cm×高さ1.7mの荷物」として、音や匂いを発せず、整然と乗り降りして入れ替わっていくものである、という「共通理解」が強くなりすぎているような気もする。

たとえば、飲み食いしても、化粧してもいいじゃないか、と考える。
ただし、そこに周りの人がいないがごとく、あるいは周りの人が空気であろうとしているのをいいことに、自分も透明人間のように無遠慮に振る舞う、という態度、またはそれよりも、双方の「関係性」に問題があるんじゃないかなとも思う。飲む人、食べる人、しゃべる人、音楽聞く人、そこに周りの人たちとのもう少し何かコミュニケーションがあるなら、何もかも禁止の無機的な空間より、もしかしたら、みんなの居心地のよい場になる可能性もあるんじゃないかなぁ、なんて、これはまあ、頭の中だけの考えですが。珍しく畑とも日常の暮らしとも関係ないこと書いた。



天気予報は明日あさってと晴れまたは曇り、土曜には少し雨。
玉葱の定植、麦播き、豌豆類の種播き、これをなんとか11月中にしてしまわなければ。週末から週明けにかけて、しっかり湿った畑にトラクタを入れる頃合いを探る毎日になりそう。
コメント
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