さうぽんの拳闘見物日記

ボクシング生観戦、テレビ観戦、ビデオ鑑賞
その他つれづれなる(そんなたいそうなもんかえ)
拳闘見聞の日々。

ライトフライ級、各年代の2強が二人ずつ

2020-05-03 00:12:53 | 海外ボクシング

ということであと2階級。ライトフライ級ですが、これまたお馴染みの顔ぶれ。
マガジンによるエントリー、一回戦は以下の通り。


ローマン・ゴンサレスvs寺地拳四朗
イラリオ・サパタvs具志堅用高
柳明佑vsウンベルト・ゴンサレス
マイケル・カルバハルvs張正九




ローマン・ゴンサレスをライトフライに置くというのは...やはり階級またぐ選手は難しいですね。
エストラーダ戦以外、強敵との闘いはないので、ピンとこないところもあります。
ミニマム級に置いても良かったかもですが、それやると外さないといかん人が出てくる...。

井岡一翔との「スーパーvs正規」統一戦(書いてて、馬鹿らしくなってくる単語ばかりです)が行われず、井岡が防衛戦を重ねるのと平行して、何故かロマゴンの方がノンタイトルマッチを続けているという、あの倒錯した状況は、今思い出しても異様の一語でした。
しかし当然、強いことは強い、それにエストラーダ戦という良い試合があってくれたので幸いです。

動画あれこれ貼るまでもないですが、ライトフライとなると、やはりこれは、ということで。
フルラウンドもありますんで、未見の方は是非。良い試合です。
WOWOWで見たとき、不勉強なもので、エストラーダのことは何も知らず、驚いたものです。







さて、寺地拳四朗。
長谷川穂積去りし後、毎日放送「せやねん」の看板ボクサー?となりつつありますが...。

デビュー戦から全試合、映像なり観戦なりで見ています。
アマチュアの頃から、プロ関係者の間でも評価が高かったらしく「お父さんがあの人(寺地永会長)じゃなかったら、プロ転向の際、争奪戦になっていた」という話でした。
小粒ながら技巧派として、どこまで行けるかな、という見方をしていましたが、最近はもう、世界上位の強豪をさりげなく倒してしまう凄みを身に付けています。
「ニッコリ笑って人を斬る」スマイリング・アサシンです。ここまで強くなるとは、想像を超えています。
ロマゴンと共に、現役でのベスト8選出ですが、現状の108ポンド級ボクサーとしては、世界最強の評を得ている、と言っていいでしょう。


動画ですが、拙ブログで以前貼った、昨年末の試合を取材した「せやねん」を。
しかし、色々あって、洗濯機どころじゃなくなってしまいましたかなー。





あ、世界戦まとめ動画も。この人のまで作ってあるんですねー。素晴らしい。






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ロベルト・デュランが、パナマ・ボクシングにメキシカンの攻撃性を加えた異端のファイターだとすれば、パナマにおいてはこれが正統派というか、主流と見るべきタイプのボクサー。
パナマの軟体サウスポー、日本のボクシングファンにとっては「仇敵」たるイラリオ・サパタです。

中島成雄、友利正を二度ずつ破り、穂積秀一も退けたという結果もそうですが、その試合内容が歯痒いというか、もどかしいというか。
中島、友利は初戦では惜敗、という感じながら、再戦で「今度こそ」と向かっていくと、前回とは違って差を付けられ、というに留まらず打ち込まれ、という負け方でした。
穂積秀一も、ラシアル戦の挫折を経て、それこそ「これでもか」と国内上位や王者クラスとのライバル対決を重ね、試練を乗り越えての再挑戦だっただけに、何とも悔しい敗戦だったと思います。

また、その防御重視、というか、いちいち目端の利いた闘いぶりは、当時の日本におけるボクシングファンの感情を逆なでするところがあり「憎たらしい」と見る向きが大半でした。
今の目で見れば、何も...特に汚い真似をするでなし(ちょっとだけしてましたかね...)相手のパンチ避けるのが悪いんか、という話なんですが、やはり人が心で思うことは止められず、フラットな目で評価する、という風ではなかったかもしれません。

しかし時代は少しずつ変わるもので、チキータやカルバハルが世界王座を獲る前、確か「ゴング」系の格闘技雑誌に、増田茂という若いライターが、ジュニアフライ級史上最高のボクサーは誰だ、というテーマで寄稿していて、そこで具志堅、張正九、柳明佑よりも、サパタをベストに選出していました。
ああ、日本のボクシング評論でも、こういう評が出るようになったんやなあ、と感心したのを覚えています。

そもそも、単に技量力量を云々する以前に、ライトフライ級で戦った相手の顔ぶれを比べるだけでも、カスティーヨ、中島、メレンデス、オリボ、ヘルマン・トーレス、ネトルノイ、ウルスア、友利、張正九らと闘ってきたサパタが一番上、という見解があったとて、何の不思議もないのですから。


ただ、試合ぶりは、結果知ってから見るには退屈だ、といえばそうかもしれません。きっとそうです。
ですんで、良いハイライトないかな、と探したら、画質が良く、網羅された試合もほぼ完全、というものを見つけました。
ただ、またしても横幅がアレだったんで、自分で直して上げました。近々消すかも知れません。お早めに。





唯一、試合として見て面白いというか、スペクタクルといえる試合があるとすれば、皮肉ですが負けた試合です。
第一次の王座から転落した、アマド「パンテラ」ウルスア戦。
クーヨ・エルナンデスに、強打者だがもう衰えた、と見限られていたというメキシカン相手に、短くも激しい打ち合いを繰り広げ(てしまい)、番狂わせのKO負けを喫した一戦です。





技巧派とか慎重とか、日本では言われましたが、元々の喧嘩坊主の血が騒ぐのか?けっこう打っていくときもありました。
それでも食わないから流石、となるのが常でしたが、この試合は、そうはいかんかったらこうなる、という事例ですね。




さて、国際的評価ではファイティング原田に劣るものの、国内での評価はそれに匹敵し、歴代最高のボクサーと評されることも多いサウスポー、具志堅用高。
ルイス・エスタバの11度防衛の記録を更新した際には、国民栄誉賞の授与も取りざたされたくらい、ボクシングの枠を超えて広範に支持されたスーパースター。
日本歴代最多の13連続防衛記録は、いまだに破られていません。

バランスが良く、右リードが多く出て、高いガードから重心をしっかり落としてボディストレートが打て、左右のコンビネーションが滑らかに繋がる。
サウスポーは受け身に闘い、左合わせ、右引っかけて回っていればいい、という従来の常識を完全に終わらせた、新時代のサウスポーとしても、特筆されるべき存在だと思います。

ただ、辛辣な評としては「原田はプロの3割5分打者、具志堅は高校野球の5割打者」という比喩で、対戦相手や試合の質を厳しく見るものもあります。
それも一理はあるのでしょう。
フライ級王者カントや、対立王者サパタ、さらに言うなら国内最強を誇った天竜数典との対戦などは実現しませんでしたが、本人曰く「相手はTV局とジムが全て決めて、自分の希望が通る余地はなかった」とのことで、その思惑の範囲内でしか闘えなかった。それはもう、本人には如何ともし難い話だったのでしょう。
(ちなみに「カントやサパタのような巧いタイプは得意だった。仕掛けて、崩して、勝つ自信があった」とのことです)。

まあ、様々な限界があったのは事実です。しかし、スーパーバンタムのゴメスと共に、軽量級の新設階級を大きく発展させる大活躍を見せ、その闘いぶりは、ゴメス同様、長期政権の王者らしからぬ、攻撃的かつ爆発的なもので、単に勝てば良い、というのでなく、必ず倒す、圧倒的に勝つ、という強固な意志に貫かれた、志の高いものでした。

今はジム会長のみならず、タレントとしても有名になりました。
現役時代を知らない世代向け?に、その試合ぶりを見せるという番組が作られることがありますが、まるで猛禽類が獲物に襲いかかるようなその姿に、驚嘆の声が上がるのが常です。
それが何より、具志堅用高というボクサーの価値を現している、と思います。


動画はまたまたこちらのものを。





ところでセサール・ゴメス・キー戦って、一度見てみたいんですが、無いんですかねえ...。



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防衛回数で言えば最多、17度防衛の記録を持つのが柳明佑。
強打者ではないはずですが、世界王者になってからは意外にKO防衛も多く、相手のレベルが高いと映えるタイプと言えるかも。
ガードを高く上げ、コンパクトなフォームで連打して攻めるボクシングで、張正九と並立しての王者在位時代は、韓国ボクシング界、最後の黄金時代と言えるものでした。

この人の試合は一度、直に見ています。府立体育館での井岡弘樹戦、第一戦の方でした。
まさかの王座転落でしたが、とにかく打つときに、しっかり当てる先を見て打っている...当たり前や、といえばそうですが、こういう連打で押して攻めるタイプにしては、珍しいほど下を向かず、顔の向きがぶれないなあ、というのが印象的でした。
出した手数が高い確率でヒットして、故にきっちり攻勢が取れて、そこからさらに攻めの展開を繰り広げていく。それが出来るのは、あの目の力なのかもしれない、と思ったものです。

また、その果敢な闘いぶりは、批評家にも「感動的」と評されるほどのものでした。
中南米の強豪を多く下していた頃は、当時の日本のランカー陣では、到底攻略出来るものではないだろう、とも見えました。
しかし防衛回数が伸びる中、時にかなり格下の挑戦者(日本やタイ、インドネシアから)を選ぶこともあり、その辺はちょっと感心出来ないところでしたかね。

井岡に雪辱し、タイトルを奪還したのち、細野雄一に勝って引退しましたが、その頃、関係者が米国におけるマイケル・カルバハルとの対戦を企図していた、という話もありました。
結局、韓国とアメリカにおける柳の商品価値の落差を埋められなかったのでしょう、実現はせずに終わりましたが、出来れば見てみたかったですね。
あの頃の柳では厳しかったか、という気もしますが。

動画はハイライト、これも自分で直して上げました。近々消すかもです。著作権の関係で、音が出ません。







張正九、柳明佑の時代が終わりかける頃、メキシコから新たに現れた怪物候補、という触れ込みだったウンベルト「チキータ」ゴンサレス。
技術に優れ、強打を秘めた小柄なスイッチヒッターで、実際に返り咲きを狙った、敗れざる元王者、張を下すなど、当時軽量級ゾーンを支配していた韓国勢を攻略しました。

だた、最初の「喧伝」が凄かっただけに、実際に李烈雨(レパード玉熊にKO負け)戦で見たとき、割と無理をしない風にも見えて、そんなに衝撃的な選手でもないな、と思ったものです。
まあ、あの頃の韓国勢、世界上位相手に、力ずくで対抗するのはリスクが大きい、ということもあったのでしょうが。

しかし、西海岸やメキシコで見せる試合ぶりは、小さい身体を伸ばして打ちかかり、豪快に倒す、というものもけっこうありました。
日本ではリカルド・ロペスの方が圧倒的にファンが多いですが、強さと巧さを兼ね備えた、レベルの高いファイターでした。

意外にも、カルバハル以外の2敗が比国(パスクア)、タイ(サマン)でしたが、この辺は打たれて脆いとは言わずとも、平均以上に頑丈では無い、ということだったんでしょうかね。
どちらも地元の試合だったので、韓国遠征の試合と違って「勝負」して、それが裏目に出た、ということなんでしょうか。


さて動画。ハイライト、これも幅を直しました。近々消すかもです。






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史上初の軽量級100万ドルファイター、マイケル・カルバハル。

「小さな石の拳」という異名は、正直いまいち凄みが無いなあ、と思っていましたが、デビュー戦(後の世界王者グリグスビー)から、判定とはいえ、えらい打ち合いで、それ以降、試合の度に強烈KO、判定でも激戦の連続。こら凄い、と早々に納得させられました。
有名なのはチキータとの三試合ですが、ムアンチャイからの王座奪取、サラサール戦のワンパンチKO、メキシコの岩石サウスポー、ハビエル・バルゲスとの激闘など、凄い試合が多すぎます。
キャリア晩年になっても、コロンビアの怪物パストラーナや、後の4冠王ホルヘ・アルセとの試合がありましたしね。

大橋秀行と双璧を成すほど、軽量級にしては足を使わず、正対して打ち合う選手で、これで通るんなら最強だろうなあ、と思いましたが、負けた試合はチキータ戦含め、やっぱり動かれたら難しくなる、というところでした。
もっとも、生半可な相手ならすぐ捉えましたから、やはりレベルの高いところでの話ではありますが。

対戦することのなかった、張と柳のふたりによる「支配」が終わり、メキシカンのチキータと、メキシコ系アメリカ人のカルバハルが新たなこの階級の王となると、当然のように二人は直接対決しました。それも三度も。
この辺りが、日本や韓国のボクシング界との違いというか格差というか...歴然と違うな、と痛感するところです。

また、日本から井岡も大橋も、他の誰も挑戦していないのも、何とも...何ひとつ、新たに、変わったことをやる意志がないのだな、と、この辺りは当時、日本のボクシング界に対して、失望の念が沸き上がってくるところでもありました。


動画ですが、まず、レオン・サラサール戦のKOシーン。
ライトフライ級ですよ、これで...。





ロビンソン・クエスタ戦。
もうちょっと、体重相応にかわいらしいボクシングがありそうなものですが...(笑)。





主要試合のハイライト。






さて、防衛記録では歴代2位、しかしその激しい闘いぶりで、柳明佑以上に鮮烈なイメージを残す、小型アーロン・プライアー「韓国の鷹」張正九。
その闘いぶり自体の魅力に加え、日本が誇るチャンピオン、具志堅用高の記録を超える、という、韓国の国民感情を直截に刺激するテーマを抱えて疾走し、かの国の国民的スーパースターとなったファイターです。

韓国人ファイターの持つ闘志、タフネスと同時に、動いて外す防御もあり、スピーディーで多彩な連打を打ち分ける。
成り行き任せ、みたいな感じでスイッチするが、案外バランスを崩していない。
全盛期は特にそうでしたが、足がしっかりついてきていて、打つときは身体を回して打てる。
アタマはちょっと気になるけど、あくまで「当て」にはしていない、という印象でもありました。微妙な表現ですが。

低迷期の日本を尻目に、韓国人ボクサーの国際的評価を上昇させた旗頭であり、サパタを二試合かけて攻略した後、ヘルマン・トーレスとの三試合、大橋秀行との二試合、韓国人キラー渡嘉敷勝男や、若き天才チタラダとの激戦、死地からの生還という趣きだったイシドロ・ペレス戦での新記録達成など、その防衛ロードは、長くも激しいものでした。

83年、前年に友利正を返り討ちにしたイラリオ・サパタが、その次の試合で序盤にストップされて負けたという報は、当時のファンにとり驚きだったと思います。
弱冠19歳での戴冠戦から、トーレスとの再戦までのハイライト、とりあえず自分で上げます(笑)
探しても、あまり良いのがなかったので。近々消すかもです。






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ということで、各年代の二強に、ロマゴンと拳四朗を加えるというトーナメント。
なかなか難しそうですが、深く考えずに(これこれ)やってみましょう。

ライトフライの頃のロマゴンは、圧倒的だったミニマム、八重樫戦や米国進出で気合い十分だったフライと違い、ちょっと谷間の時期だったような印象あり。
足を使う拳四朗を捉えきれず、カウンターを徐々に被弾、好打もあるが悪く回る。僅差で拳四朗。

サパタが長いジャブ突いて、軽い連打を狙うが、具志堅が飛び込んで左ボディストレート、連打で対抗。
具志堅の波状攻撃をクリンチでも止めきれず、サパタ徐々に劣勢。後半は具志堅の攻勢がまさる。具志堅。

柳とチキータ、打ち合えばそれぞれ持ち味出して互角だが、困ったら足使って、なおかつ重いパンチで相手を止められるチキータがまさる。

カルバハルの強打迎え撃ちに、張がトリッキーに動いて襲いかかる。大激戦だが、小回りの利く張が競り勝つか。


準決勝、拳四朗vs具志堅。サウスポーを苦にせずカウンターで迎え撃つ拳四朗だが、具志堅の攻撃の厚みがまさる。具志堅。
チキータvs張、実際の対戦はチキータが勝っているが、全盛期なら張がスピードでまさり押し切る。張。

具志堅vs張、ラフでトリッキーながら正確に当ててくる張を、具志堅が左で捉える場面もあるが仕留めきれず。
ラフファイターがちょっと苦手な具志堅を、張が攻めきる。張。


うーん、こうなりましたか...と、他人事みたいに言っておりますが(笑)
まあ、どの組み合わせも楽しいですね。なんだかんだ言って、好きな選手ばっかですから。






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フライ級「小さな巨人」たちの祭典

2020-05-02 01:49:14 | 海外ボクシング
さてさて、軽量級最高の伝統クラス、フライ級。
歴史的な大選手と日本の選手が絡むという点で、バンタム級と並ぶものがあります。


マガジンによるエントリー、一回戦は以下の通り。

パスカル・ペレスvsサントス・ラシアル
大場政夫vsパンチョ・ビリャ
ミゲル・カントvsポンサクレック・ウォンジョンカム
井岡一翔vs勇利アルバチャコフ


...色々言いたいこともありますが(笑)とりあえず順番に。



アルゼンチン初のボクシング金メダリストにして、プロ初の世界チャンピオン。「メンドサのライオン」パスカル・ペレス。
白井義男から王座を奪い、米倉健司、矢尾板貞雄とも闘った「元祖日本人キラー」とも言えそうな選手。
まあ、どこの国の人相手でも強かったんですが。

金メダルからプロ転向となれば、華々しい道のりで世界戦まで進んだものと思うところですが、実際はロンドン五輪優勝が22歳、プロ転向は26歳の時。
時のアルゼンチンは「国家社会主義」を掲げる独裁者、ペロン大統領とエバ夫人(エビータの愛称で有名)の時代で、金メダリストのペレスは、アマチュアイズムを信奉する権力者から、次のヘルシンキ五輪でもメダル獲得を期待される存在だった、とのこと。
しかし、妻を娶り、子を得たが故に、生活のため、ペロンの「許しを得て」プロに転向したのだそうです。

しかしその年、大衆に抜群の人気を誇ったエビータが亡くなり、徐々にペロンの権勢が危うくなっていきます。
そして1954年、ペレスは、アルゼンチンに遠征してきた世界王者、白井義男とノンタイトルで対戦し、引き分けます。

この白井のアルゼンチン遠征は、白井のマネージャー、アルビン・カーン博士が、当時のロジカル・コンテンダー中、最強と目された南アのジェイク・トゥーリとの対戦、4度目の防衛戦で大苦戦した難敵レオ・エスピノサとの再戦などを回避するべく、挑戦権を持たず、弱いと見た、小柄なアルゼンチン人ボクサーを次回の挑戦者に選ぶために企図したものではないか、という説があります。
また、人気者の夫人を失い、スポーツ・ヒーローを支援することで大衆の支持を得たいペロン大統領が、ペレスのランキング上昇を実現すべく、その狙いに乗ったのではないか、とも。

当時世界9位で、挑戦資格がなかったペレスは、この引き分けにより、挑戦権のある7位以内に浮上し、10月にタイトル挑戦のため来日。
耳の病気を訴えて試合を一ヶ月延期させ、11月に白井と対戦。判定勝ちで王座に就き、翌年のリマッチでもKO勝ち。
その後、9度防衛の長期政権を築くことになります。

結局、白井はペレスと三度闘い、初戦引き分け、二、三戦目は連敗。三度目の対戦を最後に引退します。
カーン博士の目論見が外れたのか、誰が相手だろうが、白井自身の衰えは避けようがなかったのか。
いずれにせよ、日本初の世界王座は失われ、二人目の世界王者が誕生するまでには、約8年の歳月を要しました。


ということで動画ですが、まず白井義男との最後の対戦。当時、映画館で流れていたであろうニュース映像。
5回TKO勝ちで世界フライ級王座、初防衛。後年、TV番組で放送されたものみたいですね。貴重。





3度目の防衛戦、キューバのオスカー・スアレスに11回TKO勝ち。
小柄ながらパワーがあり、パンチが伸びます。





4度目の防衛戦、欧州王者ダイ・ダワー(イギリス)に初回KO勝ち。
33勝1敗、ジェイク・トゥーリを破った強豪を、早々に右フックで倒す。





5度目の防衛戦、スペインのヤング・マーティンを3回KO。
サウスポーを打ち合いに巻き込んだ、という風に見える。





59年、ペレスはこの年、4試合全部を日本で闘います。

まず矢尾板貞雄にノンタイトル戦で判定負け、初黒星。
次に、米倉健司(当時キャリア5戦、4勝1敗)にノンタイトルで判定勝ち。
続いて矢尾板と再戦かと思いきや、不思議なことに米倉とタイトルマッチで対戦、判定勝ち。8度目の防衛。
そして矢尾板とタイトルを賭けて対戦、3回にダウンを喫するも逆襲、13回TKO勝ち。

動画は矢尾板との再戦。ペレスのダウンシーンは割愛(笑)してありますね。





しかしこの頃から、ペレスは妻との不和、肉体の衰え、政治的立場の悪化(ペロン大統領が失脚した影響で、ドミニカに亡命)などで心労が重なり、酒量が増えていったそうです。
10度目の防衛戦はタイに遠征し、ポーン・キングピッチに敗れ、再戦でもTKO負け。
引退後は病(肝硬変など)を煩い、落剥。その後、一度は権力の座に復帰したペロン大統領からも見捨てられ、50歳で亡くなります。

現役時代の闘いぶりは、白黒の画像からでも伝わってくるとおり、身体全体にリズムがあり、下肢のバネを利かせて、伸びてくる強打で相手を倒す、非常にエネルギッシュなものです。
しかし、そんな英雄も、ボクサーとして盛りを過ぎると、庇護してくれた権力者から見捨てられ、悲しい最後を迎える。

白井との第二戦で、勝利の判定を告げられた瞬間「我が将軍、やりました!」と叫んだという「小さな巨人」の最後は、本当に寂しいものだったといいます。
中南米におけるスポーツの政治利用と、その無残な結末というのはよくある話ですが、ペレスもまた、その典型的な犠牲者だったのでしょう。


ちょっと(かなり?)脱線しましたが、全盛期は体重に余裕があり、それこそライトフライやミニマムの体重で闘っていたとのこと。
それで9度防衛中、KOが5度あるんですから、それだけでも史上最高のフライ級、と言われるのも納得ですね。




えらく長くなりましたが、そのペレスの同胞が、時を経てその防衛回数に並びます。
サントス・ラシアル。WBAフライ級王座二度獲得、二度目の王座を9度防衛。
後に防衛ゼロとはいえ、スーパーフライ級王座も奪取、二階級制覇を達成。
小柄ながら強打者、という点も、ペレスと共通すると言えるでしょうか。柔軟性ではペレスがだいぶ上ですが。


動画はまず、3度目の防衛戦、18勝17KOのホープ、ドミニカのラモン・ネリーを9回TKO。





何と言っても印象的なのはこの試合。4度目の防衛戦で初来日。
帝拳のホープ、故・穂積秀一の世界初挑戦でしたが、ファンにとっては当然、TV局にとっても一番有り難くない、アーリーKOでの敗退となってしまいました。





初回は好調だった穂積を見て「こらまずい」と見たか、2回から踏み込み厳しく、ロープに追い詰め、コーナーを嫌ってサイドステップを踏んだ穂積を追って強打。
ダウンを奪ったあと、しっかり狙ってもう一度倒し、連打で詰めてストップ。


この次、韓国遠征。5度目の防衛戦。後にIBF王者となる申喜燮戦。勝負が早い。
レフェリー、そこは続行させちゃいかんと思うです、ハイ。






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考えたら、サンチェスよりもこちらの方が先に亡くなっています。永遠のチャンピオン、元祖逆転の貴公子、大場政夫。
フライ級としては大柄で、ボクサータイプながら好戦的。
数々の熱戦を残した上に、ラスト2試合があまりに劇的な試合で、その名は伝説として語られています。

減量苦は相当なものがあり、いよいよバンタム級転向待ったなし、というところでの事故死は、本当に残念なことだったと思います。
当時のボクシングファンの悲嘆は、想像を絶するものだったのでしょうね。


さて、動画探そう、と思ったらまた(笑)助かります。いやはや。





しかし、これら世界戦以外にも、フリッツ・シェルベ、ロッキー・ガルシア、トニー・モレノ、ナタリオ・ヒメネスという選手と、合間にノンタイトルを闘っていて、その辺の映像も見てみたいものですね。
シェルベは後の欧州王者で、世界戦にも出る選手。テキサスで闘ったガルシア戦は凄い逆転KOだったそうです。
この辺、今の感覚だったら、何試合かは世界戦にしてもいいような感じですね。
大場政夫は、防衛回数以上のチャンピオンとして見るべきだという気がします。




対するはフィリピン初の、いや「東洋」初の世界王者、パンチョ・ビリャ。
お名前とお話はあれこれ知ってても、さすがに動画見たことなどありませぬ。そらそうや。

フィリピン出身、アメリカ人のマネージャーに実力を認められ、20歳で渡米。
本名フランシスコ・ギルドというが、メキシコ革命の英雄の名を与えられ改名。
その強さ、正々堂々、クリーンな闘いぶりで、アメリカの観衆の心を掴み「アメリカ代表」的な立場で、英国が誇る世界最強の男、ジミー・ワイルドに挑み、7回KO勝ち。
一躍、ニューヒーローとなるが、無冠戦で新鋭ジミー・マクラーニンに敗れたあと、歯の治療の失敗で、敗血症により亡くなる。享年23歳。

大まかなところは色々と読んで知っていました。オールド・グレートの特集記事には、判で押したように出てくる名前のひとつです。
しかし映像なんてあんのかね、と思って検索したら一発で出ました。それも肝心要のジミー・ワイルド戦が。





何しろ1923年の試合、今とはだいぶ様子が違います。
これ、フライ級の試合?と驚くほど、足止めて、真っ正面から勝負してます。顔面丸出し(浜田剛史©)です。
最初はワイルドが強打で先制攻撃をかけていますが、ビリャが逆襲、最後は痛烈。

その後の様子もまた、あらまー、こういう感じなのですか...と。
しかし何しろ、凄い試合であることは、今の目にもわかりますね。いやはや。



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さて、長い間フライ級のクラスレコードだった、14度防衛の技巧派王者「リングの大学教授」ミゲル・カント。
そのうち8度をメキシコ国外、つまり「敵地」で闘っている。
さらに、14度防衛のうち、13度が判定勝ち。TKO勝ちがひとつあるだけ。

敵地のロケーションの中、ジャッジの支持を取り付けて勝つ、という、ある意味では倒すこと以上の難事を、これほど数多くやってのけたボクサーは他にいるでしょうか。
そう考えると、単に技巧派と片付けられない、倒し屋とはまた違った凄みが見えてくるように思います。

あと、敵地での試合が多いのは、KOが少なくてメキシコ国内で人気が無かった(地元のメリダは別にして)からだと長年思っていましたが、メキシカンにしては珍しく?ホセ・スライマンWBC会長との不和を抱えていたせいでもあったそうです。

一例として、77年、9度目と10度目の防衛戦を、連続してチリのマルティン・バルガス(後に具志堅に挑みKO負け)と闘っていますが、これもWBCの「強要」(ヘスス・リベロ談)によるものだったそうです。
当時のチリは、悪名高いアウグスト・ピノチェト独裁政権による軍政下にありました。
試合映像は、カントの地元メリダでの初戦はありますが、チリの首都サンティアゴで行われた二戦目の映像は、今のところ見当たりません。
どんな様子だったか興味あります。色々大変だったのでしょう。
それを思えば、今よりも厳しい雰囲気ではあったにせよ、日本遠征なんて、カントにとっては気楽なものだったのかもしれません。


試合ぶりですが、ハイライトのものは画質がよろしくありませんので、長いですがフル、ただし画質の良いものを。
8度目の防衛戦、触沢公男戦。
敬虔なクリスチャンで知られ、その奮戦ぶりでファンの記憶に残る触沢を、カントの技巧が圧倒します。
カントの良さが見やすく出ている試合。左の多彩さには感心します。これならKOがなくて、判定まで見られてお得、と思うくらい。

触沢はこの前の試合、世界9位クルス戦の映像を見たことがありますが、本当に壮絶な打ち合いの末のKO勝ちでした。
カント攻略の目算が立つのかは別にして、世界戦に出してあげたいなあ、と周りが思い、動くのも無理ないな、と思った次第です。
しかし実際の挑戦は、厳しい結果に終わるわけですが。





これはお時間あるときにゆっくりとご覧ください。画質も当時のものとしては抜群です。



そのカントの記録を破ったのが、タイの最高傑作のひとり、ポンサクレック。
ウォンジョンカム、というより、シンワンチャーの方が馴染んでますが、まあそれはいいとして。

日本に何度も来てるうち、本田秀伸戦、小松則幸戦、内藤大助との四戦目を直に見ています。
バランスの良いサウスポーで、ムエタイの変な癖があまり見えない。よく鍛えられているなあ、と。
本田との読み合い、外し合いの攻防、小松を正面に「セット」して打ちまくった攻撃力、内藤の「上体逃がし」に射程を外され苦しみつつも、果敢に攻め続けた姿、いずれも世界一流のチャンピオンならでは、見応えあるものばかりでした。

ただ、カントとの比較でいくと、小熊、花形、高田二郎に触沢といった面々に比べると若干小粒な、日本人コンテンダーと多く闘いすぎ、という気はします。
それ以外にも20何位とか、一階級下の30何位とか、そんなん数の内に入るんか、と思うようなマッチメイクがありました。
まあ、ペレスの時代ならノンタイトルマッチやな、と思うしかありませんが。

とはいえ、相手のレベルが多少違っても、二桁前後の防衛は間違いなかっただろう、とは思います。
心技体、いずれも見ていて納得感のある、素晴らしいボクサーでした。
サウスポーとしての技術レベル、完成度で言えば、タイの小型ハグラー、と呼びたくなるくらいに。

記憶に新しい選手ですし、動画はとりあえず、戴冠したマルコム・ツニャカオ戦を。
これはしかし、改めて鮮烈な王座奪取です。短い試合の間に、ポンサクレックの良さが全て詰まっていますね。






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さて、井岡一翔、フライ級で史上ベスト8選出です。

「今」「今後」の井岡一翔には、素直にファンとして期待していますが、史上最高を云々する企画においては...。
まして、ミニマム級でならともかく、フライ級で選出...日本の現役選手とオールドグレートの比較、というのがテーマの一つ、と言われても、それがないクラスは他にいくらでもあり、当然、フライ級においてもそうすれば良いだけのことです。

個人的には、オマール・ナルバエスを何故ここに入れない、と思います。
さらに、マーク・ジョンソンやセーン・ソープルンチットなども。
ソット・チタラダも、その特異な天才が発揮された試合は凄かったし(短命の天才、その典型でしたが)、カント攻略の朴賛希なども候補でいいでしょう。
日本という枠でいっても、例えば、白井義男や海老原博幸を外して選ぶという選択肢があるとは、想像していませんでした。

本当にこれは、あらゆる意味で無理です。
ということで、ここは「パス」させていただきます。
スーパーフライ級における、今後の健闘に期待します、ということで。




最後は勇利アルバチャコフ。協栄ジム「ペレストロイカ軍団」のエース。
今みたいに、ロシアや旧共産圏のボクサーが、普通にアメリカで大勢活躍している時代だったら、おそらく日本で直に試合を見ることはかなわなかっただろう、と思います。

89年、世界選手権51キロ級の金メダリスト。翌年、プロ転向。
92年、米国のカルバハル、比国のマカロス、韓国の張正九、同胞ソット、メキシコのヒメネスなど、各国の強豪と戦い、負けたのはカルバハルのみという強敵、タイのムアンチャイ・キティカセムに挑み、ダウン応酬の末、8回に右カウンターでKO勝ち。

当時、この試合で初めて「動くユーリ」を見ましたが、あまりにパンチが速くて切れるのに驚きました。
あ、と思ったらもう相手が倒れている、という感じ。
多分ですが、コンディション的にはこの試合がベストだったのかなあ、と思います。
その後は拳の負傷や減量苦など、どの試合でも多少の枷はあったような印象ですね。それでも相当強かったですが。

スタイルとしては、ある意味では単調なボクサータイプ、巧いが退屈、と言われるようなものでもあり。
しかし何しろパンチが切れるんで、この前提でもって、ファンにスリルを提供していました。
小さくスリップして右カウンター決めて、というシーンを、何度も見ました。

もちろん、実際の成否がどうだったかは言えませんが、普通にアメリカで活動して、それこそジョンソンやカルバハル、チキータらと対戦出来ていたらどうだったかなあ、と改めて思います。
あの時代だと難しかったかもしれませんが...。


またしてもこちらのまとめ動画。フライ級なのに、試合のたびにダウン取ってましたねー。






あと、手撮りの映像なんですが、無冠時代の試合。元IBF王者のサウスポー、ローランド・ボホール戦。
当時、TV放送はなかったようで、専門誌の記事に戦慄的なKOだと書いてあって、長年、見たいなあと思っていました。
数年前に初めて見ましたが、ボホールの重心が前に出たところを、小さくて速いパンチで叩いています。
確かに凄いです。






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ということで、これまた長くなりましたが、対戦について簡単に。

ペレスvsラシアル、アルゼンチンの新旧強打対決だが、機動力、柔軟性でペレスがまさり、徐々に差が付き、ペレス。

大場がストレートパンチの距離でヒットを重ね、果敢に打ちかかってくるビリャを振り切る。大場。

カントvsポンサクレック、足から動いて外すカント、多彩な右リードでカントを正面に寄せて打とうとするポンサクレック。
熾烈な主導権争いだが、パワーでまさるポンサクレックが僅差で勝つか。これは難しい...。

勇利は一回戦なしで。


準決勝、ペレスが遠くから飛びかかり、大場はワンツーで叩きにかかる。打ち合いになるが、動きで外せるペレスがまさる。ペレス。
ポンサクレックvs勇利、多彩なポンサクレックの攻撃に、勇利のシンプルだが強い右強打の反撃。勇利の右が決まって抜け出す。勇利。

決勝、ペレスの猛攻を凌いだ勇利が、ワンツー決めて攻め込み勝利。


どうしても「幹」の部分の強さで、誰と比べても勇利かなー、となってしまいますね。



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スーパーフライ、大混戦のお馴染み階級

2020-05-01 08:00:58 | 海外ボクシング


さて、日本のタイトルホルダーが多いゾーン、その最たるクラスのひとつですが。
スーパーフライ級、マガジンによるエントリー、一回戦は以下の通り。


カオサイ・ギャラクシーvsシーサケット・ソールンビサイ
徳山昌守vsジョニー・タピア
渡辺二郎vs川島郭志
ジェリー・ペニャロサvsヒルベルト・ローマン



タイの「豪打者」という感じのサウスポー、カオサイ・ギャラクシー。
筋骨隆々の体格で、重くて速いパンチを打ちながら、ぐいぐい攻め込む様は、異様な迫力がありました。
王座初期に、キュラソーに遠征して、イスラエル・コントレラスと闘った以外、ほぼアジア地域での活動でした。

その頃は「打たれたら脆い」という評もあり、実際、無冠時代に、実質的なKO負けだったものを、ロングカウントで救われたことがあったそうです。
王者時代も、中にはダウン食ったり、苦戦もありましたが、大半は一方的に打って勝つ、という試合でした。

当日計量時代の最後の方の王者でしたが、減量は相当きつそうに見えました。
双子の兄カオコーが代わりに秤に乗り、カオサイが試合してたなんて噂もあったくらいですが、真偽の程は不明です。
確かによう似てましたけども。来日したときの公開練習で、並んで縄跳びしてましたが、全く見分けが付きませんでした。

とりあえず、19度防衛のうち、獲得試合と15度目までのハイライト。

内訳は、エウセビオ・エスピナル(WBA1位、渡辺陣営が怖れて避けた?と言われる強豪)、李東春(後のグレート金山)、ラファエル・オロノ(強打の元王者)、エドガー・モンセラット(後に文成吉にも挑戦)、イスラエル・コントレラス(後のWBO、WBAバンタム級王者)、エリー・ピカル(IBF王者)、鄭炳寛(OPBF王者)、コントラニー・パヤカルン(1位、サーマートの弟)、崔昌鎬(元IBFフライ級王者)、張太日(元IBF、OPBF王者)、松村謙二(元OPBFフライ級王者)、アルベルト・カストロ(1位)、松村謙二、アリ・ブランカ、中島俊一(日本王者)、金容江(元WBCフライ級王者)です。






パンチ力と「倒し慣れ」の度合いでいえば、間違いなくこのクラスでは最高の王者でしょう。
強打を元手に、ではあったとしても、捌いたりいなしたり、パンチの角度を変えて当てたりと、変化を付ける闘い方も出来て、そこそこ巧いところもありました。
ただ、同時代にいた、世界一流の技巧派、渡辺やローマンと当たったらどうだったかは不明ですし、コントレラス戦を唯一の例外として、本当に手強い相手と闘うときは、必ずタイで闘っていたりする部分で、ちょっと「割引き」が必要なのかもしれません。

最後は19度防衛を「花道」に引退。鬼塚勝也の挑戦はありませんでした。




対するは、ローマン・ゴンサレスに連勝した星が光る、これまたタイの左強打者、シーサケット・ソールンビサイ。
カオサイと違い、アメリカのリングで名を上げた選手。タイでは珍しいパターンです。
しかしエストラーダに敗れたのち、キャリアが停滞しているところ、やはりすんなりとはいかないものですね。

国際式デビュー戦で八重樫東に黒星、初戴冠は佐藤洋太相手に勝利と、日本にも縁がありますが、アメリカで「売れた」選手となった今、立場は劇的に変わっていて、なかなか誰かと対戦、ともいかないでしょうね。
まあ、それがなくともパンチがある選手、敬遠するのが常でしょう...やれやれ。

最近の選手なんで、動画はとりあえずロマゴン再戦を。
HBOにこういう取り上げられ方をしたということが、何よりわかりやすい「勝者」の証です。






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続いて、長谷川穂積台頭までの間、日本で世界相手に勝つのは結局この人だけなんか、という時期もあった技巧派、徳山昌守。
若手の頃は、巧いがスタミナが無い、という定評があり、二度にわたるスズキ・カバト挑戦も、1分1敗で終え、日本タイトル獲得ならず。
しかし井岡弘樹にTKO勝ち、OPBF王座獲得などで浮上し、韓国の曺仁柱からWBC王座奪取。技巧派王者として長期政権を築きました。

王座奪取の試合は、府立で観戦しました。場内、一種異様な雰囲気でした。
果敢な先制攻撃が功を奏し、その後も食い下がる王者を突き放し、見事な勝利でした。
しかし、その後は実績に見合う支持を得られたとはいえず、王座返上後、バンタム級での世界挑戦(=長谷川穂積挑戦)の望みがかなわないまま引退という、残念なキャリアの幕引きでした。

この辺、日本ボクシング界の卑小さ故に泣きを見た、という感じがして、気の毒に思いました。
しかしその技巧は、当時のスーパーフライ、バンタムの、どの王者をも制しうるものだったのではないか、と思っています。


動画はまたしてもこちら。助かります。






対するは90年代、米大陸で世界スーパーフライ級王者といえばこの人だったのでしょう。“Mi Vida Loca” ジョニー・タピアです。
WBO王座獲得戦は、WOWOWではなくNHKのBSで見たような記憶あり。

同郷のライバル、ダニー・ロメロとIBF、WBOの統一戦をやった頃、日本ではWBA鬼塚勝也、WBC川島郭志が王座にあったと記憶していますが、あちらでは誰も、こちらのふたりのことは気にも懸けていないんだろうなあ、と残念に思ったものです。
こちらでは、この二人を対戦させようという意志が、誰にもないということはわかりきっていましたし。

それはさておき、壮絶な半生と、様々なトラブルを抱え、きついキャラクターで売っている反面、ボクシング自体はラフに見せかけといてクレバーやなあ、という印象でした。
実は冷静で、自分の限界を弁えていて、やるべきことを間違えない、という風に見えました。そりゃ、計算じゃない部分もあったんでしょうが。





ロメロとの王座統一戦。後にバレラやポーリー・アヤラとも闘いましたが、キャリア最大の試合はこれだったかもしれません。
少なくとも、この勝利なくば、その後はなかったでしょうから。
私は単純に、見栄えが良くてパンチのあるロメロが勝つと思ってましたが、終わってみれば、タピアの奥深さを見た、という一戦でした。
色々やってますが(笑)ハッタリが目に付く陰で、きちんと外す、と心がけているのも事実ですね。



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さて、こちらは引退後の行状により、こういう場で語るべきではない対象だ、という意見もありましょう。
海外のハイライト集で “The Yakuza” というタイトルをつけた動画もありましたが(嘆)。
いや、ほんとにあったんですよ。なんか、カッコいい言葉だと思われてるんかな、と...困ったもので。

しかしここでは現役時代のことだけを。
「浪速のチャンピオン」といえば、そもそもこの人が最初です。黒帯のカマチョ、渡辺二郎。

80年代、低迷期にあり、精神主義の名残だけでは世界の技術的進歩、体力強化、採点基準の変化などに取り残される、という現実の前に苦しんでいた日本のボクシング界において、そのクールな情緒、価値観を闘いぶりにも反映させたチャンピオン、渡辺二郎の存在は、非常に大きなものでした。

「ボクシングにドラマはないんですわ」
「15回戦なんやから、最低、奇数のラウンド全部抑えたら勝ちやないですか」

こういう言葉通りの闘いぶり。
時に接戦と見える試合で、セコンド陣が攻めろと促しても、自分でポイントを読んで自重し、その読み通りに判定で勝つ、ということが何度もあったといいます。

その反面、初防衛のグスタボ・バリャス戦など典型ですが「いざとなったら、ド突き合い」に出て勝利する勝負根性も併せ持っていました。
引退後のインタビューでは「デビュー戦のときから、仮に世界チャンピオンが相手でも、道で喧嘩になったら負けへん、と思っていた」と語っていたくらいで、冷静な反面、無茶な、というか、大袈裟に言えば凶暴な面もあったようです。

ある意味、ボクシングという、優勝劣敗の掟に支配された、酷薄無情の闘いに、一番向いた精神構造の持ち主だったのかも知れません。

動画、ハイライトから。横幅がアレだったので、業を煮やして直しました。近々消すかもしれません。
単純に、速い巧い強い賢い、という感じです。ようできた選手やな、と。





初防衛戦、元王者の強豪、グスタボ・バリャス戦。
当時、空調設備が貧弱で、客席のあちこちに氷柱が置いてあったという、猛暑の府立体育館で、消耗戦の末のラッシュ、TKO。
渡辺の勝負強さが出た一戦。





パヤオ・プーンタラットとの再戦。5回、鮮やかな右フックカウンターから。
本人が「ハグラーのパターン」と言った、左で釣っておいての右フック。
初戦で大苦戦した難敵、パヤオを沈めた、渡辺の生涯ベストパンチのひとつ。





ただ、このあと、仕留めるのに11回までかけるのも「らしい」ところ。
セコンド陣に「行け」と言われても「相手の身体の生き死には、やっている自分が一番よくわかる」と言って、聞かなかったそうです。



防衛回数で具志堅を抜くより、違った名誉を求めて、王座統一の次に、日本初の海外防衛を目指した渡辺の、韓国での防衛戦。
本来は張太日という、長身の強豪サウスポー(後にカオサイに挑みKO負け)が相手だったのが、変更になったという試合。
実況久保田光彦、解説ジョー小泉。ええコンビです。好きでした。
長く渡辺陣営の一員だったジョーさんの解説は色々と「濃い」です。







90年代「平成三羽烏」のうちの一人だったのは、そもそもこの人でした。
インターハイで渡久地隆人(ピューマ渡久地)、鬼塚隆(鬼塚勝也)を破った四国出身のサウスポー、川島郭志です。

新人王戦で渡久地に敗れ、その後もKO負けや拳の負傷などがあり、エリートコースから脱落し、このまま消えるのかと思われた時期を乗り越え、復活。
右リードを磨き、足から外すボクシングを作り直して再浮上。日本タイトル獲得後、あっという間に国内敵無し状態となり、世界奪取。
防御だけでも魅せる、そのボクシングは、遡って例えるのは妙ながら、今から見れば「和製ロマチェンコ」という感じもするほど。

またもありがたいことに、こちらのハイライト。
個人的には、松村謙二(謙一)戦が印象的です。
このとき、久々に見たんですが、ブランク前と比べ、あまりの変わりよう、出来の良さに驚愕したのを覚えています。
すでに世界王座を獲得していた、同世代の辰吉や鬼塚の上を行っている。こんなに良い選手だったのか、と。






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さて、徳山昌守に二度敗れるも、その後も米大陸のリングで強いところを見せるなど「ホンモノ」だったと言っていい実力派のサウスポー、ジェリー・ペニャロサ。
川島郭志に勝利しての戴冠は衝撃でした。ホンマ強いな、という印象でした。
その後、フットワーカーに苦戦する試合がありましたが、まともにやり合う試合では変わらず強かったですね。
ジョニー・ゴンサレスを倒した星も大きかったと思います。

川島戦、徳山戦のハイライトは、それぞれの動画にありますんで、こちらは冒頭から、ジョニゴン戦の様子が見られるハイライト。





パンチがコンパクトで強く、防御も堅いんで、正対して、ヒット&カバーの応酬をすると本当に強かったですね。



対するはメキシコの技巧派、日本にもお馴染み、ヒルベルト・ローマン。
西岡利晃が少年時代、一番のお手本にしていた、と聞いたことがありますが、確かに良いときは、質の高い技巧を見せる、一級品のボクサーでした。

若手時代は、メキシコ国内の技能賞にあたる「ミゲル・カント賞」の常連だったといいます。
日本で渡辺二郎に挑み判定勝ち。試合前から渡辺危機説が語られていて、その通りの結果になりました。

しかし、こちらが勝手に抱いたクレバーで技巧派のイメージと違い、私生活が乱れるのも早かったそうで、その面では悪評が立っていました。

とはいえ、アルゼンチン、タイ、フランス、日本などで勝ち続けている。
一度王座を失った相手も、元フライ級王者のサントス・ラシアルでしたし、倒されたわけではなく、切ったせいでした。
王座はシュガー・ロハスからすぐ奪回して、日本で内田好之、畑中清詞に連勝しましたし。
一体何が問題なんだろうと、当時は思いました。というか、問題あってくれたら良かったのに、と。

しかし、ガーナのナナ・コナドゥに、5度ダウンを喫して判定負け。
試合の様子は当時、すぐにリング・ジャパンのビデオで見ましたが、打ち込まれた、という反面、途中で集中が切れてしもうとるな、とも思いました。
ダウンもダメージ甚大、というのではない時があり、でも、体育座りみたいな格好で「あーあ、やってもうた」みたいな顔。
悪評を全部信じるわけではないですが、ああ、この辺かなあ...と。

ある意味、レベル高すぎる人が辿る運命を辿った、という一人なのかもなあ、と思います。
動画はハイライト。これも横幅直しました。近々消すかもしれません。

足捌きに無駄が無いし、当てるの巧いし、良い選手なんですけどね...。






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対戦したら、ですが、カオサイとシーサケットのタイ国新旧対決は、打ち合いになって、カオサイがパンチの「貫通力」でまさるか。

徳山、タピアは、意外に技巧に優れているタピアとの読み合い、外し合いになるが、距離を外す巧さで上回る徳山が振り切って辛勝。

渡辺、川島は、巧いが正直な川島が出て、渡辺が捌き、競ったポイントを拾えるのは渡辺の方か。

ペニャロサ、ローマンは、追い足に唯一の難点ありなペニャロサを、ローマンがかろうじてかわし、振り切る。ローマン。


準決勝、カオサイが圧力かけて、徳山が捌く。カオサイが一度は強打を決めるが、徳山が粘って反撃し、逃げ切る。徳山。
渡辺、ローマンは、全盛期の比較という切り方で見ても、実際の試合と違うと言えるかどうか、微妙。ローマンか。

決勝、徳山とローマンが互いに見合うが、距離の差で、競ったポイントを徳山が抑える。徳山。


一応、こういう風になりましたが...カオサイがタイで闘ったときの強さは「色々」あったからだ、という部分を割り引くべきか迷ったり、ローマンは良いときから傷という泣き所があったり、渡辺は最後、衰えて負けたわけでもなく、気が入っていなかっただけのような気がしたり、徳山は距離感では最高、脆そうに見えるがペニャロサ戦では劣勢からボディ攻撃で盛り返したこともあり...駄目ですね、細かく見た選手が多いと、迷ってしまってどうにもなりません。

日本人のタイトルホルダーも多い階級ですが、選出としては妥当か。ノブオ選手もここに入ってほしかった。



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