ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

くいだおれの太郎は何処へ行く!

2008年07月09日 | 新聞から

                 八重咲きのベコニア
              花いっぱいの会からいただいたもの
               花は1~2cmの小さいものです

       

       
              
大阪道頓堀「くいだおれ」が閉店しましたね。閉店を発表してから、「太郎」は引っ張りだこでした。終の棲家はまだ決まっていないようです。

息子達が小さい頃は一度は入ったような気がしますが、遙か昔の事で忘れてしまいました。近年は大衆食堂と言う感じになっていますが、息子達が小さい頃のわが家の財政からすると少し高いお店と言う感じだったと思います。大人子ども老若男女、誰でも選べるメニューがあるという事です。家族でも、食べ物の好みの違う仲間でも「くいだおれ」では事足りるという事です。デパートの大食堂と言う感じですね。

道頓堀に行った時は前を通りましたが(本通より少し外れている)太郎の前は写真を撮る人達で何時も賑わっていました。特に修学旅行生が太郎を囲んで記念写真を撮っているのをよく見掛けました。皆笑顔で「ピース」していましたね。

道頓堀も、随分変わってしまって、どんどん老舗が店を畳むか縮小して、若者の町になってしまいました。昔の雰囲気とかけ離れた町になってからはとんと行かなくなりました。これで歌舞伎座が移転でもすれば益々私の足は遠のきます。

歌舞伎座といっても歌舞伎が掛かることは少なく、大体が有名歌手のロングランショーになりましたから此処何年か行っておりません。

先日私が松竹座に「スーパー歌舞伎」を見に行った時、初めに間違って(歌舞伎歌舞伎と思っていると、自然に歌舞伎座のほうに…)歌舞伎座に行ってしまったのです。そのときは「石川さゆりショー」でしたが、開場前で歌舞伎座の前は凄い人でした。お年寄りに人気があるんだな~と思いました。

太郎は「くいだおれの太郎」として有名なのに、如何して欲しがるのでしょうね。私にはその気持ちが解りません。通天閣も名乗りを上げているようですが、通天閣=ぴりけんさんだったはずです。シンボルは一つでよろしい。昔からのぴりけんさんで良いのではないですか。「通天閣」と言う字も消えるようですね。ローマ字書になるようです。通天閣には太郎よりぴりけんさんのほうが似合います。

ブームはいつか去ります。「くいだおれの太郎」は「くいだおれの太郎」のままでいいではありませんか。当分は旅に出るそうです。地方に足を運んで実物を見たい人たちに会って…、そんなことで「くいだおれの太郎」でいてください。我兵庫県の何処かも欲しいと手を上げているようですが、何を考えているのでしょうね。ブームが去った時きっと後悔します。止めといたほうが良いと思うよ。
                            (770回)
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ブッシュ夫人は我儘?

2008年07月08日 | ネットニュースから

                   アメリカシャガ
                 変わったお花でしょう
          朝咲いて5~6時間で急速に萎んでしまいます
         くるくると巻き込んで 小さく丸まってしまいます


                横から見たところです
              コブラの頭みたいで一寸怖い
          花びらは肉厚に見えますが とっても薄いです

   
           茎も葉のようにですので 支え棒が要ります


起きて暫くしますと雨が降り出し、瞬く間にバケツをひっくり返した様な降りになりなりました。今日はジムに行けないな~と思っていましたら、暑いぐらいの日の照りです。もう大丈夫かな?とぐずぐずしている内に、レッスンに間に合わない時間になりました。でも歩くだけ歩こうと行く事にしました。

着いたのが11時ですから、サウナだけと入っていますと、「凄い降りよ!帰られへんよ」と後から入ってきた人の言葉です。身支度を整え終わっても雨は止みません。もう少し小降りになるまでマッサージでもしていようと3階に上がりましたが、思いは同じ12台のマッサージ機は満席です。リクライニングの寝椅子が辛うじて空いていました。

そこで眼を閉じていましたが、こんな事していても、雨は何時止むか解らないし、靴を台無しにするけれどやっぱり帰ろうと玄関に向かいますと、あれだけ強く降っていたのに、日が照っているではありませんか。今のうちだ!と喜びました。お陰さまで雨にあうことも無く帰宅しました。


北海道でサミットが始まりました。洞爺湖を見下ろす高台にある宿舎のホテル、折角美しい景色を見てもらうつもりが、雨と霧の為に視界が悪かったようです。

そういえば、温度の調節で桜の花を咲かせ、日本の桜を堪能していただく予定でした、あの桜はどうなったのでしょうか? こちらも無駄になったのでしょうか。

ご主人方が国の代表で会談に臨んでおられる間、ご婦人方はあれこれと日本の文化に接しておられるようですが、その移動に警備の都合上バスに相乗りをお願いしたところ、ブッシュ夫人が相乗りを拒否、車で回られたそうです。始は「なんと我儘な!」と思いましたが、今はこちらの落ち度の様な気がしています。

主催者側の用意した乗り物を拒否とは今までには無かった事だと思うのですが、ご夫人たちの移動がバスという記事を読んだ時「バス移動?」と一寸疑問でした。他国に来て、移動中ぐらいはリラックスなさりたいのではないでしょうか。私は何となくブッシュ夫人の拒否が解る様な気がします。

警備の都合と言いますがバス一台と車8台ではそんなに違うのでしょうか?全国から何万人の警官が召集されているのです。ご夫人方にはこれくらいで良いだろうという心の弛みをブッシュ夫人は感じられたのではないでしょうか。ブッシュ夫人だけの特別扱いは、他のご夫人方にも不満が残るでしょう。私は始から各国に車一台を用意してあげたほうが良かったのではないかと思います。数は増えても行き先は同じなんですから、バスに比べてそんなに警備が大変と言うほどの事は無いように思えますが…。

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廃校の利用

2008年07月07日 | 新聞から

   花いっぱいの会から頂いた「サンパチェンス」が咲き始めました
    「ニューギニアインパチェンス」との違いが解らないのです
        強いて言えば花が大きいぐらいでしょうか

  
       尾っぽを見て下さい 蕾の時は上を向いています
      葉がこんなにトゲトゲとは肉眼では気づきませんでした


          咲いた後の尾っぽは下を向いています
         どのような経過で下を向くのでしょうね


天の川どころかお星様一つも見えない七夕の夜でした。お昼は余りにも暑くて、ポ~ッと一日中、本を読んでおりました。ぎらぎらと照りつける庭は見ただけですくみます。花の植え替えも予定しただけで実行せず。花の鉢は一日中日の当たるところにおきますと、元気がなくなります。1日の内数時間しか日の当たらない場所に移してやると元気を取り戻しました。花たちも強い日差しは苦手なんですね。

7月4日の「大阪文化の行方」で国際児童文学館の移転先に廃校利用してはどうかと書きました。夕刊に「閉鎖校活用 学区の愛着」「マンガ館学びの場に」という見出しで、学校統合で閉鎖校が活用されているようです。人間って同じ様な事を考えるものだな~と思いました。

既に「マンガ館」として活用しているのは京都です。
『明治初期に京都の市民は自からの力で小学校を作った。その伝統は学区住民に受け継がれ、学校統合後の活用でも遺憾なく発揮された。モデルは「京都国際マンガミュージアム」だ。閉校を改修して一昨年秋開館した市と京都精華大学の共同事業だが、住民の協力が不可欠だった』

『図書館(蔵書30万冊)と博物館(調査・研究機能)を一緒にしたマンガの総合私設は全国に例が無く、入館者は会館1年7ヶ月で35万人を突破した』

本だけではなく、調査・研究施設が付属しているのも国際児童文学館と似ているように思えます。スペースの問題にしても学校一校丸ごとですから、当分蔵書が増えても困らないのではないですか。唯、その学校が市のものらしいのですが、相手は「国際」と名が付いています。地元に誘致しても決して損にはならないと思うのですが…。

『歴史を刻む学校には心を癒す不思議な磁力がある。重厚な学校空間でマンガを気楽に楽しめる雰囲気が外国人にも好評…』

曽根崎小学校の現在の建物は確か昭和の始の建物だと思う。開校は1874年と古く(勿論位置は移動している)1989年、統合のため廃校になるまで115年間の歴史を刻んでいる。私は兵庫の人間ですが、歴史のある学校だという事は知っていた。2ヶ月ほど前に前を通った時も、私は無関係な人間なのに、何となく懐かしさを感じるのは人間と建物の違いはあれど同世代同士と言う感覚があるからだろうか…。

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今日は日曜日

2008年07月06日 | 今日この頃


  
             デュランタ 「タカラヅカ」
                大好きな花です 
        今まだ眠り続けるれいこさんからいただきました


日曜日にジムに行く事はまぁ無いのですが、「反転」の期日が昨日だった上に、予約の本が来たとのメール、明日は月曜日でお休みという事で、図書館に行った序でに、足を延ばしてジムにも行ってきました。

そんなに交通の激しい道路を歩くわけではありません、住宅街を通って歩くのですが、何時もより、町はひっそりとしていました。道で子どもの姿なんて見ません。子ども達は如何しているのでしょうか?こんな物騒な世の中、親御さんも外で遊ばせようとしないのでしょうか?そういえば大人の姿もありません。

図書館に行くと閲覧席は見る見る詰っていきます。老人ばっかりです。新聞を読んだり、雑誌を捲ったり男性が圧倒的です。女性は借りるものを借りればさっさと退散します。私もその1人です。

今は予約も自宅のパソコンから出来るのですが、図書館に無い新刊本の「リクエスト」だけは家から出来ません。何時もなら主人がジムに行く時に、図書館によって貰うのですが、今日は「リクエスト」する本があったので行ってきました。今までは6冊までしか予約が入れられなかったのですが、10冊までと変更になったので、「リクエスト」してきました。

読んでも読んでも次から次からと読みたい本が出版されます。私はどちらかと言うと長篇が好きで、上下本などは大喜びです。所が一括して借りますと2冊を2週間で読まなければならない羽目になりますから、そんな時は用事は最低限にして、ひたすら読み続けます。読むスピードが遅くなっているのでそうしないと間に合わないのです。若い頃は2週間で6冊ぐらい平気だったんですよ…。


今日はテーマ川柳です。テーマは「願」です。

     願わくば後期の前に我逝かん

や~だ。そんな寂しい事を…。これ優秀作なんですよ。お役人の書いた線引きに迷う事は無いではありませんか。堂々と人生前向きに生きましょうよ、ね~え、皆さん。

     短冊に子の願い事誤字脱字

今の国語教育の慣れの果てでしょうか。他人事ではありません。私もパソコンばかりで書いていますと、読めても書けないようになってきました。たまに書くと、なんと平仮名が多くて我ながら唖然とします。

     保険よりコロリと逝ける願をかけ

これも後期高齢者あたりの方の句でしょうね。人様のお手を煩わせる事無く逝きたいというのが、誰もの願いです。保険会社は毎日テレビから「入院すればこれだけもらえますよ」と呼びかけていますね。

     願うだけ努力は何もしておらず

凡人は皆そうではないですか。三浦雄一郎さんや堀江健一さんの努力が目立つのも、我ら凡人が何もしないで居るからですよ。そうは思いませんか?

     赤い糸からまってるのかまだ会えず

糸の長さ、太さは夫々なんでしょう。短い糸で、一寸引っ張るだけでピッピと相手にたどり着く人も居れば、長~くて他の糸と絡まったりして、中々相手にたどり着かない事もある。この糸の主は女性のようです。


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反転 闇社会の守護神と呼ばれて

2008年07月05日 | 読みました






                 白いランタナ
         ランタナは咲き終わるまでに色が変化します
           しかし白いランタナは色の変化は無く
          形が平面からこんもりと山形になります


冒険家、堀江謙一さんが波の力だけで進む波浪推進船で(ハワイから世界初航海)~無事日本(4日午後11時50分頃ゴール目標の紀伊水道)にゴールした。波浪推進船は波が弱いとスピードが落ちる事が弱点で、5月末ごろ帰港予定が大幅に遅れた。ゴール2日前の室戸岬を通過する時も波の状態が悪くなり減速した。

7000キロ、110日の偉業を成し遂げた。明日西宮ヨットハーバーに曳航されるそうです。上陸してやりたい事は?の問いに「早く家に帰って家庭料理を食べたい」そうです。奥様は奥様冥利に尽きますね。

山に三浦雄一郎さんあり、海に堀江謙一さんあり、全く違った分野に、全く違った環境で、目的を果たす努力を惜しまない人達「日本男児此処にあり!」一寸古かったかしら。


朝、牛乳を買い忘れてコンビニに買いに行きました。そこでもレジの側に「タバコ」のケースが置かれるようになりました。自販機にカード・タスポが必要になってから、面倒だと思った喫煙者が対面販売を好むようになったからですね。未成年の喫煙を止める為になされた処置ですが、これは今までのタバコ屋が減収になり、スーパー、コンビニが喜ぶという思わぬ異変が起こっただけではないでしょうか?

           
            ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       反転 闇社会の守護神と呼ばれて     田中森一

やっと読み終えました。2週間かかりました。部厚い本で、その上に活字の小さい事。読めども読めども残りが減らないのです。面白かったんですよ。色んな闇社会の事が分かって…。デモね、動くお金の高が違うんですよね。売れっ子の弁護士さんって凄い儲かるんだな~、とかミーハーの部分で世間を騒がせた事件がどういう経過を辿っていったかなど大変興味を持って読みました。

「へえ~、知らなかった」と思ったのは「刺青」についてです。刺青は入れている部分は皮膚呼吸が出来ないんだそうですね。だから刺青を入れているヤクザの人は
肝臓疾患になる人が多いそうです。遠山の金さんはの桜吹雪の紋々は大丈夫だったんでしょうか?

検事から弁護士へと「反転」した彼が、石橋事件で懲役3年のを言い渡された。無実だと思っているから凄いショックだったそうです。このことは彼を司法の世界から永遠に追放した事になる。この本は司法界に生きた38年間の主だった事件の記録でもある。実名がバンバン出てくるのです。現在上告中である。
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大阪文化の行方

2008年07月04日 | 新聞から


   
            姫檜扇水仙(モントプレチャー)
         名前も花も可愛いのですが 凄い繁茂力です
     白い紫蘭が姫ひおうぎと角トラノオに追い払われそうです
         花が終われば球根を庭の隅に移すつもりです


今日は1ヶ月半ぶりの唱歌の学校でした。6月の末に音楽会があったのですが、丁度その日が、主人の退院の日と重なってしまいました。其れまでも稽古日が入院の日と重なったりで休んでおりました。

その音楽会のCDを聞かせていただきました。私は目を瞑って聞き入りました。
そして小声で歌い始めました。歌っていると皆さんと一緒に舞台に立っている気持ちになてきました。忘れたと思っていましたのにきっちりと暗譜出来ているのには自分で驚きました。もう十年もご一緒しているグループです、良いグループだと思います。30人ほどに減ったのが一寸寂しいですが…。


音楽といえば『橋下改革 大阪文化の行方』と題して、昨日今日と新聞に載っていました。大阪府の補助金が載っておりました。ワッハ上方演芸に約4億円。国際児童文学館に約2億円。大阪センチュリー交響楽団に約4億円です。

大阪にはオーケストラが4つもあるそうですから、これは問題なく編成替えするなり統合すれば良いでしょう。唯大勢の団員が職を失う事になってしまいますが。

ワッハ上方に対しては4億円の内2億8千万円を家賃として吉本興業に払っているそうだ。この度の移転、規模縮小の話で、吉本興業は家賃半額を申し出たらしいが、それでも1億4千万は一寸ね~。横山ノック知事時代から12年間勿体無かったな~と言う気もする。

最後に国際児童文学館です。入館者数は19年度で約5万2千人、今度集約される中央図書館は年間約65万人だそうで、約11倍の入場者数である。子どもと、大人の比率が分からないが、児童館が入れば子どもの入場者は増えることは間違いないと思う。

児童館の言い分は「うちの場合は入館者1人は1人ではない。その後に何十人、何百人が居る」と言う。専門資料館として、国内で出版されたあらゆる児童書を収集するほか「読書支援センター」としても機能してきた。4人の専門職員が、一年間に新しく出版される児童向け図書約4千~5千全てを読み、内容や傾向を分析し図書館の司書や学校の先生等に講座で情報を提供している」「年間に収集するのは約1万5千点、そのうち約6割は出版社や個人から無料寄贈されたものだ」「書物を大切に永久保存すると言う文学館だからこそ、唯一此処だけ、寄贈していただいているが、移転ともなれば其れもなくなるでしょう」

そうだろうか、本を読むのはあの場所で無ければいけないという事は無いし、集約とは一つにまとめるという事で分散破棄されるという事ではないと思うのですが、違うのだろうか? 書籍の寄贈者もあの場所にあるから寄贈するのではなく、場所が変わっても、大切に永久保存してくれると分かれば、今まで通り寄贈して下さるのではないだろうか。

私の心配はスペースの事。今の建物もそんなに大きなものでは無いと思うのですが、これからず~っと永久保存していくとすれば、大丈夫なのかな~と言う気はする。

何処か廃校を利用するほうが良いのではないだろうかと思う。大阪駅近くに廃校になった曽根崎小学校がある。あの建物は今何に使われているのでしょう。建物は歴史を感じさせる趣のあるものである。もう20年ほど使われていないのではないでしょうか?ただ欠点としては繁華街の真ん中にあり環境が良くないという事はあります。しかし側には曽根崎警察もありますし、建物の外観は図書館に適していると思うのですが…。いずれにせよ、廃校利用がお勧めです。
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幸せは心の在り様

2008年07月03日 | 新聞から



                    ユリ
              2週間ぶりに百合が咲きました
           蕾の時は優しそうだな~と思っていました
           しかし開いてみるとその雄シベの逞しい事…
               名無しのごんべえさんです


今日一日ムシムシと汗がじわ~っと嫌な一日でした。夜になっても蒸し暑いです。これからの2.3ヶ月苦手な季節です。体が冷えるのを心配しながらもクーラーと仲良くして過ごすしかありません。


新聞の「私の履歴書」昨日から平沼弓枝さんです。
平沼さんも一人娘だそうです。お母さんが小学生の平沼さんに口癖のように言い続けられたそうです。「そんな怠け者では親が死んだ後、1人で生きていけませんよ。人の力を当てにしないで何でも1人でやりなさい。一人ぼっちになった時、人に優しくしてもらいたかったら、今から人に優しくしなさい。親は何時までも貴女のそばに居られないのですから、何時一人になっても困らないように自分を鍛えておかなければなりません」

私も一人娘でしたから解るのですが、怠け者ではないのですが何事もゆっくりしているんです。食べ物にしても、ものにしても取られるという事が無いんです。姉妹の多い人は食べるのがとても早いんです。ゆっくりしていたら他の姉妹に取られてしまうからと言っていました。一人っ子はその心配がありませんから、全てにゆったりとしているのです。

私の母が私に言っていたのは「これからの女は、手に職を持っていたほうが良いよ。もし幸せな事にその職を使わなくてもいい生活にしても心強いからね」

私は洋裁で身を立てようとしましたが、先生の勧めでOLになりました。そこで主人と出会い、永久就職してしまいました。

私達がお年頃の頃「結婚する」事を「永久就職」って言ったんですよ。もう死語になったのでしょうか?聞きませんね。その代わり「熟年離婚」なんって言葉が現れましたね。どちらの言葉が幸せでしょうね。

熟年離婚は自分中心に、したいように生きる事が目的だと思うのですが、そんな期間はあっという間に過ぎると思いますよ。(退職金を半分貰ってからなんって言わないで、離婚するなら若いうちですよ)後は成人病と二人連れの生活が長いのです。勿論女のほうが統計的には長生きですから、離婚しなくてもひとりの生活を持つ確立は高いと思います。でも夫を捨てたという負い目の一人暮らしとは違うような気がしますが…。「負い目を感じるようなら離婚しません」って声が聞こえそうですね。

話が脱線しましたが、平沼さんは一人娘であったけれど「気が付けば家族9人に恵まれている」と言われるのです。まだ書き始なので自分が中心の家族の事には触れておられないので、家族構成はわからないのですが、私はまだ7人なんです。でも一人から+6人ですよ。やっぱり幸せです。

姑が「あんたは1人だから、沢山子ども産んどきよ」と言った言葉が今になって解るような気がしますが、又大勢子どもが居ても、やっぱり最後は1人だという気もします。どちらが幸せかは心の在り様でしょうね。
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ラッキョウを漬ける季節

2008年07月02日 | 今日この頃


 
                アガパンサス
           円形花壇の中心にあったのですが
        あまりに増えるので 庭の隅に株分けしました
      正解でした 花壇のほうは白いカラーに侵入されてピンチ


先週から変わった新しいフラの曲はテンポも速く、そのダンスもテレビや映画で見るフラに近づいてきて楽しくなりました。バウスカートも増えて教室が一層華やかになりました。バウスカートがやや優勢になってきました。

今日はスカートを摘む動作が入りました。私の様にズボンですと様になりません。来週からバウスカート組みが増えるような気がします。


晩ご飯を食べてから、ラッキョウの本漬けの為に、2週間前に荒漬けしておいたラッキョウの両端を切って水洗いする作業をしました。両端を切ったラッキョウを水の中でゴシゴシ揉みますと、一皮剥けたつやつやのラッキョウが現れます。この作業の為に立ちっぱなしで一時間半、疲れました。たったの2キロなんですけど。昔は3~4キロ漬けていたのですが平気でした。こういう事で「年だな~」と否応無く知らされます。

関西は「花ラッキョウ」と言われる小粒ガ多かったと思いますし、わが家でも小粒を使っていました。ですから同じキロ数にしても数が多いわけで手間が掛かるわけです。関西に居た叔父が定年で鹿児島に帰ってから家庭菜園をするようになり「ラッキョウ」も送ってくれるようになりました。そのラッキョウの大きい事。花ラッキョウを使っていたので、優に一粒が2倍~3倍ありそうでした。

送ってくださるのは嬉しいのですが「やっぱり花ラッキョウのほうがいいな~」と思っていましたが、食べ始めると大きいのも捨てたものではないと思うようになり、叔父が亡くなって送ってもらえなくなってからも、できるだけ大粒のをと探すようになりました。でも叔父のラッキョウのように立派な物はありません。

「土ラッキョウ」を店頭で見る事が少なくなりました。「洗いラッキョウ」のほうが多い気がしますし、ラッキョウそのものが置かれている数が減ってきているように思います。だんだん漬ける人が減ってきているのでしょうか。

去年は荒漬け迄したのですが、なんだかラッキョウが紫色になりました。気持ちが悪いので返品したのですが、新しいラッキョウを手に入れることは出来ませんでした。仕方が無いので宮崎県の東国原知事の似顔絵の付いたラッキョウを買っていました。

今まで自家製のラッキョウを食べていましたから、どれが美味しいのか解らないのです。そんな時、東国原知事の商標を見るとつい手が出てしまいました。一生懸命宣伝しておられるという事が頭を過ぎったのだと思います。実際他の品より良く売れていましたよ。宣伝効果抜群のようです。

明日の朝、ハチミツに漬けて「蜜ラッキョウ」にします。後1ヶ月で食べられます。その日がとても楽しみです。

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富士登山

2008年07月01日 | テレビから

                 ミソハギ
    この花を始めて見たのは信州でした 花の名を聞きますと
    「ミソハギ お盆にお墓に持っていく花だ」と教えられた
      わが家では満開に近づいてお盆まで持ちそうにない
  これで一株です 花は1cmも無く輪になり其れが重なっています

        

富士山の解禁は7月1日です。6月30日から登るのは違反じゃないの?と思っていました。でも良く考えると1日の日の出は拝んでもいいわけです。日の出を山頂で迎えるためには30日から登り始めなくてはならないんです。なるほどね~。
変な事を疑ったり、納得したり一人相撲の私です。

40人ほどの方が日の出を迎えられたそうです。梅雨の晴れ間でラッキーでしたね。週末をワクワクしながら待っている方も多いのでしょうね。

私達が富士山に登ったのは1991年8月14日です。15日の日の出を拝んだわけです。50代半ばでした。ついこの間登ったと思っていましたのに、何時の間にか17年も経っていました。

頂上には小さな郵便局がありました。そこから自分宛に記念ハガキを出しました。ハガキには「やっとやっと富士です。 富士は見る山 登る馬鹿 を実感しました。一生一度で良いよ」と書いてあります。

6合目辺りから軽い高山病に罹り、胸はむかつくし、心臓が指先に移動したのではないかと思うほど、指の先まで「ドクドク」と脈打っているのがわかりました。

8合目の山小屋での夕食も朝食も食べられませんでした。頂上までの事を考えれば、少しでも食べておこうとするのですが、高山の為お米に芯が残ってパサパサと言うかコツコツと言うか、体調不良の私の喉を通るご飯ではありません。夜はカレー、朝はお漬物とおにぎりだったと思います。

今考えると馬鹿みたいですが、寝巻きやお化粧品を持って行ったのです。山小屋では着の身着のまま寝るんですね。冷たく、恐ろしいほど重たい布団をかぶって…。
夜のおトイレはヘッドライトをつけていきました。真っ暗で見えないんです。

主人と私では心細いので(主人が病み上がりで、登りたいといった張本人です)息子に付いて来てもらっていました。3人分の酸素の缶詰を持って行ったのですが、私1人で吸っていました。吸うと言っても味も何も無いですから、缶の先に細い管を繫げてその先を口にくわえ、何処かをパカパカと押すのです。唯それだけです。「酸素を吸ったから、楽になるよ」と自分に言い聞かせる事によって、何となく楽になった気がするのです。

そんな状態で山頂にたどり着いたわけですから「お鉢周り」は出来ませんでした。主人と息子が廻ってくるのを待っていました。今は回れなかった事をとても後悔しています。でもあの時は欲も徳も無く唯休んでいたかったのです。

帰りは違う道だったと思うのですが、急斜面を下るのですから前につんのめるような気がして、足先でふん張りながら下ったので、帰ってきてから、足の親指の爪が両方とも剥がれました。

麓の温泉に入ってから宿に戻る予定でしたが、私が遅れがちだったもので時間がなくなりました。帰りましたら宿の方が「登ってこられた人に見えませんね。皆さん見るからにへとへとになって帰られますよ」といわれました。元気な二人の影に私は隠れていましたからね。高山病の胸のどきどきは高度が下がるたびに消えていきました。

毎年登山の映像を見るたびに、「登っておいてよかったな~」と思っています。富士山を見ると未だに「あの頂上まで登ったなんて、信じられないね!」と語り合う私達です。


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