ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

刑務所は老人ホームではない

2008年07月12日 | 新聞から

                グロリーオーサ
          もうかれこれ数10年になるでしょうか
             この花がまだ珍しかった頃
        「欲しいわ!」と言った私の言葉を覚えていて
       友人が何処からか探し出してプレゼントしてくれた
                大切に育てている

  
           変わった花姿で咲く 一番美しい時

   
         水平から跳ね上がって そっくり返って完成

       
            この蕾の上った時のうれしい事
         この形から完成の花形を想像出来ますか?


今日も図書館に行った。予約本を借りに行った。先日書いたように3冊の内、上下と後一冊である。「とても読めないので、1冊は後に回してください」とお願いした。かなりの厚みの上下である。

今日も老人で椅子は詰ってきた。ジムのレッスンまで一寸時間があったので、私も本を見ていた。面白い光景にぶつかった。新聞を読んでいる人は皆お顔見知りになっているらしく(毎日でしょうからね)読んだ新聞を交換し合っているのである。大概のお家は新聞は一紙でしょうから、取ってない新聞を読みに来ておられるらしい。

男の人って、新聞は毎日読まないと気がすまない人が多いのだろうか。主人も旅行中でも必ず朝食前ロビーに降りて新聞を読む。私は旅に出てまで読まなくともテレビでニュースは知る事が出来ると思っている。

『増える高齢犯罪者 刑務所は老人ホームではない』と曽野綾子さんが書いておられた。

このことは言われて久しい。万引きをした老人に「何故?」と聞くと「刑務所に入りたいから」と答えているのをテレビで見たこともある。

お金も無い、食べるものも無い、生活する事が難しくなると、刑務所に舞い戻りたくなるのだそうな。

『受刑者の多くは個室に居り、ドアには夫々の健康にあった介護や薬を与える指示を書いた紙が置いてある。廊下は手すりつき、共同浴場の前には車椅子が並ぶ。こうした高齢犯罪者が増えた理由は、急速な高齢者の増加、年金生活者の貧困の程度が悪くなったこと、家族関係の破綻、鬱や他の精神疾患に対する専門家の手助けの不足などが挙げられる』と言う。

こうなれば、「食事付きケアハウス」と言う事になる。その上に同病相哀れむ話し相手まで居る、となれば警察に捕まって、自身で決めた終の棲家、刑務所に戻りたくなるわけである。

刑期も1年から5年と短いそうだが、終いには5年入れる罪を計算して犯す老人が増えないとも限らない。

こんな世の中っておかしいよね。これも皆平等と言う下敷きがあるからではない?
罪を犯した者にはそれなりの厳しさがあって良いのではないか?刑務所を頼って罪を犯すなんて、如何考えてもおかしいよ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする