ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

別れの場で

2008年07月29日 | 気にかかる

            クチナシ (08-6-24 線路際で)


昨日は一日中雨、午後からは何時間も続いて、カミナリが鳴っていた。遠くで、近くで恐ろしいくらいだった。こんなに長時間雷鳴を聞き続けたのは初めてではなかっただろうか。

今日も一日何をするでもなく、本を読みながら、ウトウトだらりの日だった。眠っているといっても熟睡しているわけではない。自分が本を持って居るが眼を瞑っている事は解っている。自分の寝息が聞こえている。頭の中では色々と考えている。この状態も眠っていると言うのだろうか。


火葬場でお骨になるまでの待ち時間に、会食がある。今は電気処理のため、待ち時間が短時間で済む。その間に会食するのであるが、昔は時間が掛かった為、一旦家に帰って食事をして、又火葬場に戻ったものである。今は時間が短い為、火葬場が食事を呈するような仕組みになっている。

これも良く考えてみると変な話ですね。生きてる人間はお腹が空きます、現に私だって早朝に家を出て、駅で小さなおむすび4個入りの内2つしか喉を通らなくて、式の真っ最中に、遠慮がちとはいえ「ぐー」ってお腹が催促したのには吃驚しましたよ。私の聞き違えでなければ隣の息子も鳴ってた様な気がしました。

数百mと離れていないところで義兄の形が無くなりつつある時、後に残った者達はその体型を維持するのに必要な食事を取っている。何度と無くこういう場面に立ち会っているのに、今までは一度として不思議に思わなかったこんな事が、頭の中に浮かんでは消えていった。頭で考えても口は休み無く食べ物を欲しがり奇麗に頂いてしまった。何方か残られなかった方のお膳が一つ残り、勿体無いからと勧められ、若い次男が2人分ぺろりと食べてしまった。式場で親子してお腹の虫が鳴ったのは聞き違いなさそうだと思ったよ。

妻って不思議な存在だな~とも思いました。義兄にとっても一番身近で、頼りになる存在であり、守らなければならない人間なのはたしかですが、その人だけが「血」の繋がりが無いんですよね。至極当然なんですが、そんなことも何か気になったんですよ。娘は1/2、孫は1/4、曾孫は1/8の「血」の繋がりがあるわけですが…。

このことは過ってお正月に姑の居るわが家に子どもを連れて兄弟が集まるわけですよ。そんな時にも感じましたね。姑を頂点にして考えれば10数人は皆「血」で繋がっている私だけが異分子なんだわって。こんな事を考えるのは私だけですか?

私を中心にしてた「血」の繋がりは4人、一寸寂しいかな~。姑が「あんたは一人っ子だから、子どもはたくさん産んでおきなさいよ」といったのはこんな事だろうか? だんだんと姑の亡くなった年齢に近づいてきた今、ふっと言われた事が思い出され、理解できるようになってきた。若い頃には到底同調できなかった事柄も、年を重ねる事でわかるようになってくる。

主人の挨拶の中で「……今頃は兄も母の元に行っているでしょう」と言うような意味の事を言った。やはり「血」は「血」を語るのだな~と思った。姑は自分と同い年になって戻ってきた息子をどのように迎えたのだろうか? そう考えれば私は母の何十歳も年上の娘として傍に行く事になるのだけれど、解ってくれるかな~。 

コメント
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