ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

北海道

2007年08月21日 | 気にかかる
               稲
         観測史上初の暑さだ!暑い!!
           とぼやいている間に
      「実りの秋」はちゃんとやって来ています

今年は北海道もとても暑かったそうです。気功の先生がお盆に北海道に里帰りされた。例年お盆といえば、早い所ではストーブが入り、盆踊りの浴衣の下には長袖のシャツが見え隠れしているそうです。今年は30度を越える暑さに驚いたとの事です。

北海道と言えば二度、6月はマイカーで1ヶ月、冬は札幌雪祭りと流氷と丹頂鶴を見にと言う欲張ったプランで1週間、マイプランで行きました。夏の宿は予約が簡単に取れましたが冬は大変でした。まして札幌は往きと帰りに(飛行機の為)泊まったのでホテルの割増料金は痛かった。

その時にも空港には「白い恋人」が山積みでした。ですが2回とも何故か私は「白い恋人」を買いませんでした。チョコレートと言うのは茶色いものと言う観念から外れているので、何となく気味悪く手が出なかったんです。でも人様が「おいしいよ」と言うので、今度は買ってみようと思っていました。どうなるんでしょうね。又発売されるのでしょうか?ファンが多いそうですから。

私が土産に買ったのは、昔からの銘菓六花亭の「マルセルバターサンド」と「生チョコ」でしたし、孫からの修学旅行のお土産も友人からのお土産も「マルセルバターサンド」でしたから「白い恋人」を口にする機会が無かったのです。

もう一度「トワイライトエクスプレス」での北海道旅行をしたいのですが、中々気に入ったツアーが無いのです。本当はマイプランが希望なんですが、「トワイライトエクスプレス」が旅行社に押さえられているらしく、発売日の9時に電話しても完売で取れないと聞いています。各社ツアーを組んでいますから無理も無いな~と思っています。

今人気の旭山動物園なんか私だったら5~6時間、少なくとも4時間は欲しいのに、ツアーだと充分な時間をお取していますと言いながら、たったの2時間なんです。夏に行った時、阿寒湖のマリモを見ていた私の横をツアーの人が「トイレに行ったら、マリも見る時間も無い」と言いながら、マリモを一瞥して駆けて行きました。

ツアーは盛りだくさん過ぎて、かえって何も見ていない感じなんですよ。もう少しゆとりのあるツアーを計画して頂けないものでしょうか。そうしていただくとドアツードアでとても楽なんですけれど・・・。

その「トワイライトエクスプレス」ですが、今の書き入れ時に4年連続で運休しているそうです。3年前の中越地震が1ヶ月以上、2年前の山形県庄内町の羽越線脱線転覆事故で1ヶ月近く、昨年も長雨に伴う羽越線の土砂崩れで約1ヶ月、そして今年も長期の運休を余儀なくされている。飛行機に乗り換えて行かれた客は約半数で、「列車に乗ると言う目的が強い為、北海道に行けばいいとは思われないようだ」と旅行社は言う。

楽しみにしていたお客さんも当て外れで困るだろうが、やはり稼ぎ時の旅行社はダメージがおおきいそうだ。9月に運行が再開されたとしてもツアーが組めるのは10月下旬だそうで、「天災なので仕方が無いが、9月の連休にも間に合わないとは、人気ツアーなので毎年の長期運休は痛い」と頭を抱えている。

観光地が希望するツアーを探しているので、中々チャンスに恵まれないが、季節的には秋以降がいいと思っているから、夏のツアーが近年そんな事になっているとはちっとも知らなかった。元気なうちに気に入ったツアーが見つかるといいのだが・・・。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マニキュア

2007年08月20日 | 今日この頃
              芙 蓉
         (見~つけた!ご近所の溝で)
          種が零れ落ちたのでしょう
        溝の中から健気に顔を出しています

右手の人差し指の爪が折れて、深爪の様な状態になりました。私はマニキュアが好きである程度爪は延ばしています。ある一定の長さになるとパソコンを打つときに引っかかるものですから渋々切ります。もう切らないといけないと思っていた矢先です、どうも布が引っかかるのです。おかしいな~と思っていましたら、折れていたのです。

マニキュアで3重にコートしていますから、マニキュアの所で止まっていたのです。深爪になってやっと解りました爪の役目が。右手を使う時、深爪になって本来爪のあるところに爪が無いと、手を使った時に、痛いんです。辛抱できないほどではないのですが、痛いものですから人差し指は避けて使うような格好になります。深爪をしないようにと言う意味がやっと経験で解りました。爪は指先を守っているんですね。 

先日、唱歌の学校ののり子先生が「一度お聞きしたいと思っていたんですけれど。何時もきれいに爪を塗っておられるけど、マニキュアして貰いに行っておられます?」「いいえ、自分でします」私の指先を眺めて「やっぱりある程度爪を伸ばさないと駄目なんですね、けど私はピアノを弾くから・・・」「もっと延ばしたいのですけれど、家事やパソコンをさわるのにこれが限界で・・・」と言う会話があった。

お化粧するのは邪魔臭いと思うけれど、マニキュアをするのは好きなんです。主人が揮発の臭いがするって嫌うものですから、夜1人になったときに、テレビを見ながら塗るんです。揮発臭だって、私にとってはいい感じなんです。

自分の体の中で何処が一番好きかと聞かれれば、躊躇う事無く「手の指の爪」と答えます。マニキュアはペタンとした爪や、ヘラのように根元より先が広がっている指より、かまぼこ型に中央が高くなっている爪がいいんです。私の爪はその「かまぼこ型」なんです。

メキシコのお幸さんははっきりした色を付けています。きれいだな~とは思いますが、私には似合いません。彼女はプレーンでシックな装いを好みますから、濃い色がとても似合います。私は薄色で可愛い色を選びます。以前は冬のパーティーの時に濃い赤をつけていましたが、やはり一日中気になりました。

付けないと解っていても、つい綺麗な濃い色も買ってしまいます。置いておくだけでは勿体無いので、ペニキュアすることを思いつき、足の爪に付けています。夏はサンダルですから見えるのですが、冬は自分だけが眺めて楽しむ事になっています。私の足の親指が大きく、したがって爪も大きいので、爪の両端を塗り残すようにします。そうしますと爪の大きさは気になりません。

お風呂ではたわしを使って居るのですが、見た人が「痛くない?}と聞かれるのですが、痛くないし気持ちがいいです。手も勿論たわしでゴシゴシ洗います。

冬などお出かけの前の晩は手にハンドクリームを塗って、手袋をして寝ます。そうするとあくる朝、手がしっとりとして、マニキュアの映える指になっています。

所が「徹子の部屋」でお肌の専門家の方の言われるには、ハンドクリームなんて塗らなくても、両手をこすり合わせるだけで、手の内らから、にじみ出る油?でしっとりすると言われるのです。今日から初めて見ます。これなら電車の中でも、テレビを見ながらでも、何処にいても、いつでも出来ます。唯一自慢のマニキュアの映える手を保つ為に・・・。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝ごはん

2007年08月19日 | 新聞から
             高砂百合
      筒にあるラインが高砂百合の印だとか
         今年は良く咲きました
        ご先祖様のお墓にもお供え

空に浮かぶ雲は昨日までのもっこリした雲ではなく、今日の雲は形は入道雲なんだけれど、迫力にかけてきたようだ。

今日はお寺さんの施餓鬼の日で行ってきました。何時もなら頂いた「ばらずし」をお部屋で頂いて帰るのですが、今日は兎も角涼しい場所に行きたくて、近所の蕎麦屋さんに飛び込み、ざる蕎麦を食べ、家に帰って又貰ってきたバラ寿司を食べました。これだけの食欲があれば病は取り付かないでしょう。でも何だか昨日から首の後の方が、暑気が入ったと言うか、何だかほこほこと気持ちが悪い。

日の暮れから西のほうで雷の音が聞こえる。何処かで、相当の雨が降っているのだろか。此方はちっともその気配がないが、気温はやや低くなっているようだ。

朝食食べると「学校たのしい」と言うアンケートの結果が発表された。東京、千葉などの公立小4校の5年生約230人に対するもの。

『ご飯、魚、野菜・・・と毎日しっかりと朝ご飯を食べる子供は、食べない子供に比べて「学校がとても楽しい」と感じる割合が高い・・・中略・・・和食中心の朝食を取る子供のほうが、洋食中心より「とてもたのしい」と感じていることも判明。研究部ループでは「朝食メニューは生活リズムに影響を及ぼす。しっかり食べさせてやって欲しいと呼びかけている・・・中略・・・それによると98%の児童が毎朝朝食を取っていたが、主食(飯、パンなど)、汁物(味噌汁、牛乳など)、主菜(肉、魚など)、副菜(野菜、豆腐など)の4品をしっかり食べている児童の割合は31%、3品しか食べない児童は42%、2品以下は27%だった。・・・中略・・・しっかり食べる児童は学校生活への満足度も高かった。「とても楽しい」と答えたのは4品が62%、3品が35%、2品以下が17%だった。』

和食か洋食でも差が見られた。又起床時間にもその影響が見られると言う。和食中心の朝食を取る児童の77%が午前7時に起床している。洋食の早起きは44%となった。

我家の朝ごはん、子供が小さかった時はご飯に味噌汁だった。このアンケートで言えば3品の部類だろうか。いつの間にかパンに変わったように思う。何故そうなったのかは、何時頃からそうなったのか忘れてしまったが、パン食に移行している。

今は主人が(トースト、牛乳、コーヒ、チーズ、クッキー、バナナ)で私は(ご飯、チリメンジャコ、漬物、前夜の残り物、牛乳とお茶を3杯以上を飲む。高血圧の関係で味噌汁は飲まない)とことなる。どちらかが合わせればいいようなものの、毎朝のことでもあり、一日交替で和・洋とすれば良いようなものの、どちらもが毎日洋風・和風がいいと思っているし、食べる時間も私は6時から7時の間に食べるし、主人は8時ごろと異なるので別メニューにしている。

たまに残りご飯が無くて、パンを食べると、お腹に力が入らず、何だか食べた気がしないのです。朝は何が何でもご飯党の私です。

ついでに言うと昼食にも、今の時期口当たりのいい、ソーメンやソバを食べるにしても、小さなおにぎりは必ず添えます。又夜の献立のメインが焼きソバ、スパゲッティ、お好み焼きであるにしても必ずご飯は食べます。

寒い冬の1人の昼ごはんには、お米から土鍋で炊き上げて、野菜の残り物をいれ、卵でとじる「おじや」を食べたものである。昼食が2人になってからはこの習慣は無くなった。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セレブランチ

2007年08月18日 | 今日この頃
            ノウゼンカツラ
        (尼崎・大井戸公園 07-7-26)
          人気の無い公園の片隅で
        鮮やかなカキ色が静に揺れていた

東京に行った時「東京ミッドタウン」や「新丸ビル」はシャレた食べ物のお店が沢山ありました。関西と違う所は、ビルの前に写真入りの広告の看板?がある事です。昨年、お台場に行った時も気が付きましたが、そのビルに入っているお店の食べものが一目瞭然になっています。

「東京ミッドタウン」の方は、ランチタイムのレストランは一週間前ぐらいの時点でほとんどのお店が満員御礼だそうです。しかもそのお店の眺めのいい窓際の席は1ヶ月前に予約を入れた人の席だとか。

間際に予約を入れた筆者の席は入り口近くの薄暗い席だったそうです。ほとんど満席のほぼ全員が有閑オーラーを漂わせた女性客だったと言います。

名の知れたお店のランチタイムはドコモカシコも女性客で満員です。有閑マダムでなくても、普通の主婦でも年に何回かはお友達とコミュニケーションをとる場所に使います。一緒に食事をするという事は心を和やかにしますし、女性の楽しみでもあります。男性が夜お酒を飲みに行くのと同じだと思います。

毎日が日曜日になった旦那の妻が美味しいものを食べに行けるのは、やはり「年金」のお陰です。何万円かの自分の自由に使える年金があればこそだと思います。自身の年金は自分のものとして別にして、其処から欲しい物を買ったり、食べ歩きしたりする人が多いようです。我家では一応私の分も家計に繰り入れています。

会計と言っても、今は大まかなもので、月曜日から始まって日曜日に〆ると言う簡単なもので、大まかに一週間の出費を記載します。総締めは2ヶ月に一度年金を貰った時に〆ます。年間の赤字か、黒字かは12月の年金の日に〆ます。

『3000円のコースをオーダーすると物腰柔らかな店員が近づいてきて「シャンパンはいかがですか?}とさりげなく勧めてます。罪悪感を感じる隙もなく、昼から飲酒。こうして、セレブなビルの中では、マダム達が1人5000円前後の昼餐を楽しんでいるのです。が、その間おそらく彼女達の夫は、その1/10の価格帯のファーストフードやうどんなど炭水化物メインの即席カロリーを摂取している事を想像すると侘しいです。昼のマクドナルドは中高年の男性で溢れかえていると聞きますが、若い頃に出会って味を刷り込まれたハンバーガーは彼らにとってむしろ好物で、苦になら無いのでしょう。結果、夫婦の間に栄養格差が出来、男性の寿命はますますちじんで仕舞いそうです』

貧しい昼食を食べている夫族とセレブランチの妻達と言う事は、現役の夫を持つ妻と言う事ですね。確かに少し余裕の出来た私達年代の行く所にも、若妻が増えました。此処にも年金の恩恵が見え隠れします。親の生活を心配しなくても良くなった。自分達の事だけ考えていればいい、その余裕でしょうか。でも栄養格差が出るほどには食べ歩かないと思います。

主人がお昼に何を食べているか考えた事も無かった。「それじゃ、昼と晩御飯と同じにならない?」と思われるかもしれないが、その心配はない。現役の主人は「つきあい」「接待」と称して毎晩午前様だったから家で食べる事が無かった。土日はこれまたゴルフウイドーで帰りに仲間と会食をしてくる。我家の食卓は姑、息子達、私の4人だった。元旦だけかな~、二日は会社の方が見えるし、三日はゴルフの初打ちだし。それを取り戻すが如く今は3度3度食べている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熱中症

2007年08月17日 | 気にかかる
               朝 顔
         (見~つけた 図書館の側の家)
           絵に描いたような鮮やかさ
       そういえば 濃い色が多いですね朝顔って

今朝の雲は漣の様な形(なんていう名前が付いているのだろう)、南の端の雲は湾曲で真っ白であたかも波打ち際の様。その空の下、体の不自由な老人が東に向かって小刻みに歩いていく。

昭和8年7月25日に山形市で記録された40.8度を、74年ぶりに破って40.9度を記録した。私にとっても生まれて初めての暑さという事になる。今日も暑いけれど昨日よりはましなような気がするが、これは体がなれてしまったという事だろうか。

この最も暑い日の昨夜、京都では「五山送り火」が行われた。先日行った「茂庵」のベランダからは「鳥居」を除く四つが見えると言う。7組だか限定で京料理を頂いた後「送り火」を見ると言う会に同道の友が申し込みをしてくれたが、そのとき既にキャンセル待ちでキャンセル3組目という事だった。端から諦めてはいたが、キャンセルは無かった。でも74年ぶりの暑さの京都だから、負け惜しみではなく、行けなくてよかったかもしれない。

戦前、私は毎年「送り火」を見に京都につれて行かれていた。私は嫌だった。神戸から京都に着くと、子供心にも「暑い!むしむしする!」と感じていた。京都が盆地で暑さが篭るとは知らない。きっとその頃から私は暑さに弱かったに違いない。その時のことを思い出だすと「今年最高の暑い日」は家でテレビを見ていた方が良かったと思う。所が、夕食を済ますと「五山送り火」のテレビを見るのをすっかり忘れて本を読んでいた。何たることぞ!それも翌日の朝刊を見て初めて「しまった!」と思い出す始末。

熱中症で亡くなる高年齢者の事が毎日記事になっている。出歩るか無きゃいいのにと思っていたが、家に居てもなるらしい。「熱中症」って、若い頃一日泳ぎに行って炎天下に身を置いていると、夜、身体が火照って暑くて眠れないことがあった。親が「余り日に当ると熱気が入るよ」とか言ったと思うが、それで死ぬとは教えられていない。又違う状態なのだろうか。

熱中症は発汗等による体温調節が上手くいかなくて、体温が上がりすぎて障害を起こす状態。家の中でも温度や湿度が高ければ起こる。今は子供の頃からエアコン完備の中で生活しており、体が本来の体温調節機能が弱くなっているそうだ。

私達のように日頃から身体を動かして汗をかいてる人間は、一寸した温度にも敏感に反応して、恥かしいくらい汗をかく。これはジムに来ている人は経験している事だ。何しろ汗をかきやすくなっているから、今年は特にひどいように思う。クーラーを入れているが、26度に設定しているので、じわっと汗は出てくる。そんな時そのままにいるのも気持ちが悪いので、シャワーで汗を流してから着替える。だから朝夕、ひどい日は一日3回洗濯機を回している。

この汗が体温調節の役目だそうだから、機能が有効に働いている事になる。運動嫌いな私が、お金を払って汗を流している。身内に迷惑を掛けないように生きたいと、医者にお金を使うよりと言う思いのジム通いは成功の様だ。

「暑さ指数」と言うの出して、国も警鐘を鳴らしているそうだが、これは今年初めてだと思っていたが、去年から在ったそうだが知らなかった。屋外との温度差が5度以上あると汗がかけないなど自律神経の失調が起こり易いので、暑くて眠れないなどで疲労の蓄積を招くよりも、エアコンを上手に使って対処する方がいいらしい。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猛暑

2007年08月16日 | 思い出話
             ノリウツギ
          (皇居東御苑 07-6-26)
            人影もまばら
       勿体無いように静に咲いていました

昨日、埼玉県では線路が歪むほどの暑さだった。だのにそれより今日は温度が高く、今夏最高の暑さになりそうと言う。クーラーをかけてもじわっと暑い。今日の岐阜県と埼玉県ではとうとう40度を越えてしまった。

主人が言う「冬のほうがましかな~」「そらそうよ、寒ければもう一枚着ればいい。夏はもう一枚脱ぐわけにいかない」暑さに弱い私は、何もしないのに体力が消耗するのか、時間さえあれば、うとうとしている。この暑さを乗り切る最高の薬だと思い、度重なる昼寝を自分に許している。

この連日の猛暑で花も色あせてきた。一生懸命花をつけてはいるが退色している。咲き終わった百合等は球根を太らせる為に出来るだけ葉を残しているのに、その葉も枯れかけている来年はいい花をつけるのか心配だ。

猛暑でたまり水がないせいか、ボウフラが育たなかったのだろう、今年は蚊が少ない。例年なら朝の水撒きで私の足や腕はボコボコになるまでかまれるのに、今年は5~6ヶ所ですんでいる。痒み止めのキンカンも大を2~3本は使うのに、今年は1本をまだ使っている。近年の蚊は長袖だろうと、ズボンを履いていようと、その上から刺してくる。圧手のもので武装しようものなら、僅かに残る顔を目掛けて来る。何度自分の顔を叩かねばならないことか・・・。

子供のように顎から首に掛けて汗疹が出来た。あまりに久し振りなので「汗疹」と言う言葉さえ忘れていた。痒くて痒くて、赤くなって「もしや汗疹では?」と天花粉、いや今はシッカロールって言うんでしたけ、を叩くと一遍に痒みは消えた。これには何が入っているのだろう。

子供の頃、お風呂上りに、白い、冷たい液体の、汗疹の塗り薬をおでこの当り、首、肘膝の関節部分にぬられた、その上に天花粉を叩かれて、白いお化けの様な格好で、夕方、皆で花火などして遊んでいた。皆が皆その様な白塗りなので恥かしくも可笑しくも無かった。おじいちゃん連中は床机で将棋を指している二人を囲んで、野次馬になっていたっけね。小さな露地の平和な思い出。

各町内会には子供を守る為の「お地蔵さん」が祭られていて、8月末の「地蔵盆」は子供のお祭りで、色んな食べ物がもらえて、子供たちは大喜びだった。物がもらえるのが嬉しいのだが、それ以上に、その夜は夜更かしをしても叱られないのが嬉しかった。

昔は大きな子も小さな子も一緒に遊んでいた。大きなお兄ちゃんやお姉ちゃんの中にはお話の上手な子がいて、その子の周りで輪になって「お化けの話」など聞いたものだった。子供の事だから何時も同じ話だったと思うが、結末も知っているのに皆喜んで聞いていた。

街灯が所々あるだけの露地で、街灯の下は将棋に群れるおじいちゃん達に取られているので、子供たちは灯の当らない暗闇で「お化けの話」を聞くわけで、肩をすり合わせるようにして聞いたものだ。お化けの出てくるあたりになると、皆顔を手で覆って、指の間から話し手を見つめたものだ。そんな情緒溢れる下町の風景も、戦争が続けさせなかった。

我家ではお茶は冷やしてない、幾ら飲んでもお腹を壊さないように常温で飲んでいる。だからと言って全て冷たい物を拒むわけではない。外出先で冷たいものを出されると、この世にこんな美味な飲み物があったかと何杯もおかわりする。

後少しのこの猛暑を無事やり過ごし、月が変われば暦の上では秋になり、私の誕生日が待っている。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終戦記念日

2007年08月15日 | 気にかかる
             バ ラ
        (大井戸公園 07-5-16)
       
窓の外に黒山が目を遮る。真っ黒い雲が山の形で座っている、夜明け直前の景色である。今は日の光を受けて、受けた部分から白に姿を変えでいく。雲の位置が少しずつ高くなっている気がする。日中はまだまだ暑いけれど、そ~っと秋は忍び寄っている気配。

今日は終戦記念日。戦争で命を落とされた方を慰霊する日。日本武道館に天皇皇后両陛下をお迎えしての政府主催「全国戦没者追悼式」。此方は選ばれた遺族約6千人。此処は軍属だけではなく本土の空襲で亡くなられた方も含まれていると思っているのですが、違いますか?

今年の最高年齢者は101歳5ヶ月の母、最年少は10歳の少女。家族と共に曽祖父の御参りに来た。亡くなった祖母が「家族で一度は追悼式に行きなさい」と言い残した。安倍総理の式辞を読んでいても、やはり軍属の方だけなのかな~と思ってしまう。同じ大切な命ではないか、銃後で無くした命については余り考えてないような気もする。

靖国神社、此処は勿論軍属の方のためのもの。小泉元総理は今年も参拝されたようである。しかし安倍内閣からは他国への配慮の為、参拝無し。

超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に所属する国会議員45人が集団で参拝したそうだ。自民党41人、民主党4人、無所属1人。これはどの様に解釈すればいいのか。靖国に参拝する事は戦争を美化し、再び戦争をする可能性があるとでも言うのだろうか。私には悲しいけどそうとしか考えられない。何て心の狭い、貧しい考え方だろう。亡き人の魂を慰める事に色んな解釈や理屈はいらない。素直に今の平和があるのは命を捧げてくださった方々があればこそと祈る事は出来ないのだろうか。

東京裁判でただ1人「全員無罪」を主張した、インドのパール判事が東京裁判の後、広島を訪れた時のお話。『広島の原爆慰霊碑に献花し黙祷を捧げたその碑に刻まれた文章に何が書かれてあるかと聞かれた。「安らかに眠ってください過ちはくりかえしませぬから」博士は二度三度確かめた。その意味を理解するにつれ博士の表情は厳しくなった。「この《過ちは繰り返さぬ》と言う過ちは誰の行為をさしているのか。勿論、日本人が日本人に謝っている事は明らかだ。それがどんな過ちなのか、私は疑う。此処に祀ってあるのは原子爆弾の犠牲者の霊であり、その原子爆弾を落とした者が言うなら肯ける。この過ちが太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が、東洋侵略の為蒔いたものである事は明瞭だ。さらにアメリカはABCD包囲団を作り、日本を経済的に封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。」このことが新聞に大きく奉ぜられ、後日、この碑文の責任者である当時の広島市長とパール博士の対談にまで発展した。

この後博士は「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のテマゴークがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとはおもわなかった。」と嘆かれた。そして「東京裁判の影響は原子爆弾より甚大だ」と慨嘆する。欧米は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめる事によって、自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間のすべてを罪悪であると烙印し罪の意識を日本人の心に植え付けることが目的であったに違いない」(パール博士のことば 東京裁判後来日(昭和27年)された時の挿話より抜粋)

靖国神社の遊就館で映像を見た時、あの戦争が自発的なものではなく仕掛けられたものであるという事はおぼろげながら解った。「何故、戦争になったか?」は当時占領下にあった日本では人は口にしなかったのではないか、私には負けたのだという事だけが解っていて、この年になるまで発端については知らなかった。

遊就館に行き、この文章を目にしてやっと理解した。開戦理由の解った私の終戦記念日。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出産費用

2007年08月14日 | 新聞から
             猿面エビネ
       (三田オープン・ガーデン 07-5-20)
      その時は「サルの顔」に見えたんですけど
        名前の通りだと思ったんですけど

ジムへの道はラジオを聴きながら歩いているのですが、朝日放送は高校野球の中継ですから、毎日放送を聞いていたんです。帰り道、菊水丸さんの音頭の終わりのほうだったんです。それがどうも私の好きな「忠臣蔵」の話なんですが、聞いた事の無い話なんです。そんな逸話もあったのかと思ったんです。初めから聞いていたかった。

働くお母さんを応援『出産費用にこんな支援』

『正常分娩は健康保険の適用外なので、入院などでおよそ39万円程度掛かります。その他準備費用などで合計67万円程度必要と言われています』『帝王切開などの異常分娩は医療費の3割負担ですが、正常分娩は全額が自己負担です。でも健康保険から出産育児一時金が子供1人につき35万円支給されます』『出産育児一時金は正常分娩でも異常分娩でも支給される。双子なら70万円貰える。又、病院に出産育児一時金の事前申請用の請求用紙を提出すれば、入院などの医療費から出産育児一時金の35万円を差し引いた費用を支払えば済むようになった』

先ず吃驚したのが出産費用の高さです。1960年に長男出産1万円、1961年次男出産で1万2千円でした。お産自体は昔も今も代わるはずが無く、後は物価指数と設備費の差だろうか。47年前と今の実際の物価指数がどのくらいの差があるのか知らないが、単純計算すると35倍と言う事になる。

設備の良さは比べ物にならない。今は新生児室があって赤ちゃんはその中で見守られ、授乳の時間に母親が授乳の為にその部屋に行くシステム。故に他の人は決められた時間にガラス窓から赤ちゃんを見ることになる。男女の別はブルーとピンクの毛布で見分けられ、名前がまだ無いので母親の名前が記されている。

初孫が生まれた時はまだ母の隣に置かれた小さなベットでに寝かされていた。二番目の孫が生まれた時は、個室であったがテレビがありトイレも部屋についていた。
赤ちゃんは新生児室だった。病院側は纏めて世話できると言う便利さがあるが、私達の時と違い、産後直ぐ動き回れる母親にとっては、そばにおいて「赤ちゃんの黄疸の具合」とか「この子は良く泣く」とかこの世に生まれたわが子を観察する機会を奪われているような気がする。

双子なら70万円と言う事は出産費用も2人分払うのだろうか?今まで一度の出産については幾らと考えていたので、2人分払うなんて考えても見なかった。お産は一回付き幾らではなく、一人につき幾らと計算するものなのだろうか。良く考えてみればそうかもしれないような気もするが・・・。

『出産の為に会社を休んでいる産前42日・産後56日の間会社の給料を支払われない場合には、健康保険から出産手当金を支給してもらえます。金額は報酬を1日の金額に直した額の2/3が支払われます。もし予定日より早く生まれれば産前は出産日までとなり、予定日より遅れると産前はどんどん長くなる』

国民健康保険も同じだろうか? 個人の店でも近頃は奥さんも給料として取る人が多い。そうなると、此処で問題が起きないか。奥さんが妊娠したからと言って商売の収入に変化があるわけではない。しかしもし店から妊娠中は給料を支払わないと、保険から貰えるならば、皆保険からもらえるように手続きするだろう。そうすれば、一般会社の人との間に矛盾が起きないだろうか。
                         (470回)






コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はだしのゲンを見て

2007年08月13日 | テレビから
              黄ソケイ
           (ご近所で 07-5-3)
            始めてみた花です
          持ち主に名を問いました
     差し芽をしたらと小枝を届けてくださいました
            根付いたようです

先日「はだしのゲン」を放映していましたので、ビデオに取っておきました。今日が一日お坊さん待ちなので、見て待っていようと思いました。

「はだしのゲン」と言う本があることは知っていましたが、読んでいません。息子に訊ねると漫画で読んだと言っていました。

バックミュージックとして「千の風になって」が流れていました。この物語はフィクションですと書かれていました。原子爆弾に被災した色んな方のお話を一つ(ゲン一家)にまとめたものだろうとは思いました。それでないと余りにも酷すぎます。

ゲンと言う名の小学2年生の男の子の戦争体験、被爆体験のお話なんです。「はらいっぱいくいたい」と言う台詞が食糧難を表しています。あの頃の「さつまいも」と言うのは今の「蒸かし芋」のことではなく「蒸してスライスしたものを干した芋」だ。懐かしい事にきれいな袋に入れられて今も売っています。バナナも生ではなく干しバナナでした。貝柱も干したものをチューインガムのように噛んでいました。「すいとん」は私達は「団子汁」と言っていましたが、メリケン粉を固くといて、お汁に落としたもの。それが私の戦時中の思い出の食べ物です。

所々に戦争中の写真や行動が挿入されています。

母達が「大日本国防婦人会」と言う襷をかけて、バケツリレーをしていました。私達子供は「第二国防婦人会」と言われていたようです。私が小学3年生の時、日本手ぬぐいで頭を包み、モンペをはき、肩から「第二国防婦人会」と書かれた襷をして、手に木製バケツを提げた写真が残っています。

バケツリレーは焼夷弾の火を消す為であり、屋根に登っての竹やり訓練は飛んでくる飛行機を突く為と聞かされていましたが、当時の大人は馬鹿らしいと思わずに訓練に出ていたんですね。それを私達子供は見ていました。やはり「非国民」と言われては生きていけなかったのでしょう。

私は集団疎開していて、神戸の大空襲も知らないし、母に守られて本当の不自由さも知らない。でも疎開先でゲンたちが頼ってきた為にその家の子が「私達の食べる分が減った!」とゲン一家をいじめる場面があるのですが、私も戦後もののないころ、私たちも貧しかったのに、さらに困っている人を助ける為に、小さな女の子を預かった事がある。その子がいるために私のお八つは半分になる。一人っ子で物を分け合うという事を知らない私は、お八つを半分食べるその子が嫌いだった。

その私の気持ちを察した母が、もとこちゃんはお父さんが戦死した事、お母さんが働かなければならないが、小さい子供をつれては働けない事、だから働く時間だけ預かっている事などを懇々と私に話して聞かせたけれどやっぱり嫌いだった。小さいから淋しかったのだろう私の母の後をくっ付いて歩いた。それも嫌だった。自分の親を取られたような気持ちになった。やきもちだ。もとこちゃんも65歳ぐらいになっている。意地悪のお姉ちゃんの事覚えているかしら?

1週間前に広島に行ったばかりなので、そこで見聞きしたばかりだから、余計に身につまされた。ゲンにしても、その母にしても考えられないくらいしっかりしている。全てが不自由な、人の親切も受けられない世の中では、人は必然的にしっかりするものなのだろうか?
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うさんぽ

2007年08月12日 | ネットニュースから
           ピセアプンゲン
       (西宮・大谷美術館 07-5-4)
      シルバーグレイの葉が涼しげですね
          コニファーの仲間

市場からの帰り道、フッと空を見上げますと真っ青な空に真っ白い雲、「きれい!」と思わず見とれてしまいました。お盆休みに入って工場が操業を停止しているからでしょうか?本当に久し振りに見たきれいな空でした。

兵庫県の夏は早々と終わりました。報徳が一回戦敗退です。ヒットは沢山打ったのに、それを点数に結びつける事が出来ませんでした。完敗です。三年生はこれで部活もお終いですね。激しい練習からもおさらばです。次のステップにスムーズに移行できればいいのですが。一途に白球を追っての生活、思い出も一杯、素晴らしい青春の一ページですね。

「うさんぽ」って何だと思われます。私も何のことか解らずに「う・さ・ん・ぽ」って、一語づつ区切って読みましたが解りませんでした。早い話が兎を散歩させる事だそうです。ウサギの散歩を、今流に略して「うさんぽ」

ウサギって散歩が必要なの?狭い小屋でも運動不足にならずにいる動物だと思っていたのですが。勿論人間様の考えたことですよ。

鳴きもせず、狭い場所でも良いウサギは、マンション住まいの単身者(独身者とは言わなくなった?)でも飼いやすいペットとして人気上昇中ですって。ネットや専門店(ウサギの専門店がある?初耳)では「う散歩情報交換」が盛んで、「うさんぽ会」と言われる「オフ会」まで在るんですって。

そういえば「東京タワー オカンとボクとときどきオトン」のオカンとボクのマンションでもウサギを飼っていましたよ。その影響も一寸はあるかな?と思ったんですけれど。

どうやって散歩に・・・。抱っこしていくのかしら?と思っていましたら、散歩用のリード(手綱)を浸けられる洋服型のハーネス(胴輪)も流行っているんですって。ハーネスと言えば盲導犬が有名ですが、盲導犬はハーネスをつければお仕事とわかっているそうですね。

10月にはウサギの運動会を開催するんだそうです。「うさんぽ」はウサギに外の運動が必要なわけではなく、飼い主のコミュニケーションの場だそうです。外出を怖がるウサギもいるそうですので自分のウサギが散歩に向いているかどうか、良く見極めてくださいだって。

ウサギは「ウサギと亀」では自惚れやさんで自己過信の代表といて書かれています。亀さんは勤勉で弛まぬ努力をする。結果は素質は在っても相手を見くびって怠けていると、負けるはずの無い相手にも負ける。と言う負け組みとして「ウサギ」は知られている。

お月様にはウサギが住んでいる。御餅を搗いている。月に人類が一歩を記すまで、私達はその様に教えられてきた。子供のころは信じて、空に浮かぶ月を眺めたものだった。ウサギは身近な動物だったが、その割りに話題性のない動物でもあった。この「うさんぽ」は大阪で流行っているそうだが、果たして全国に流行が波及するのだろうか。

狭い場所で飼えるので小学校ではウサギを飼っているところが多かった。生き物の世話を子供たちに経験させる為だろう。今は如何なんだろう。

子供に世話をさせると言えば、夏休みの「朝顔の観察」があった。あちこちの家の前に「朝顔の鉢」があったものだが、この頃は見かけない。東京には朝顔市があるらしいので、今でも関西より「朝顔の鉢」を見ることは多いのだろうか。

我家の朝顔は、益々元気につるを延ばし、何にでも巻きつき我が世の夏を謳歌している。

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする