ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

熱中症

2007年08月17日 | 気にかかる
               朝 顔
         (見~つけた 図書館の側の家)
           絵に描いたような鮮やかさ
       そういえば 濃い色が多いですね朝顔って

今朝の雲は漣の様な形(なんていう名前が付いているのだろう)、南の端の雲は湾曲で真っ白であたかも波打ち際の様。その空の下、体の不自由な老人が東に向かって小刻みに歩いていく。

昭和8年7月25日に山形市で記録された40.8度を、74年ぶりに破って40.9度を記録した。私にとっても生まれて初めての暑さという事になる。今日も暑いけれど昨日よりはましなような気がするが、これは体がなれてしまったという事だろうか。

この最も暑い日の昨夜、京都では「五山送り火」が行われた。先日行った「茂庵」のベランダからは「鳥居」を除く四つが見えると言う。7組だか限定で京料理を頂いた後「送り火」を見ると言う会に同道の友が申し込みをしてくれたが、そのとき既にキャンセル待ちでキャンセル3組目という事だった。端から諦めてはいたが、キャンセルは無かった。でも74年ぶりの暑さの京都だから、負け惜しみではなく、行けなくてよかったかもしれない。

戦前、私は毎年「送り火」を見に京都につれて行かれていた。私は嫌だった。神戸から京都に着くと、子供心にも「暑い!むしむしする!」と感じていた。京都が盆地で暑さが篭るとは知らない。きっとその頃から私は暑さに弱かったに違いない。その時のことを思い出だすと「今年最高の暑い日」は家でテレビを見ていた方が良かったと思う。所が、夕食を済ますと「五山送り火」のテレビを見るのをすっかり忘れて本を読んでいた。何たることぞ!それも翌日の朝刊を見て初めて「しまった!」と思い出す始末。

熱中症で亡くなる高年齢者の事が毎日記事になっている。出歩るか無きゃいいのにと思っていたが、家に居てもなるらしい。「熱中症」って、若い頃一日泳ぎに行って炎天下に身を置いていると、夜、身体が火照って暑くて眠れないことがあった。親が「余り日に当ると熱気が入るよ」とか言ったと思うが、それで死ぬとは教えられていない。又違う状態なのだろうか。

熱中症は発汗等による体温調節が上手くいかなくて、体温が上がりすぎて障害を起こす状態。家の中でも温度や湿度が高ければ起こる。今は子供の頃からエアコン完備の中で生活しており、体が本来の体温調節機能が弱くなっているそうだ。

私達のように日頃から身体を動かして汗をかいてる人間は、一寸した温度にも敏感に反応して、恥かしいくらい汗をかく。これはジムに来ている人は経験している事だ。何しろ汗をかきやすくなっているから、今年は特にひどいように思う。クーラーを入れているが、26度に設定しているので、じわっと汗は出てくる。そんな時そのままにいるのも気持ちが悪いので、シャワーで汗を流してから着替える。だから朝夕、ひどい日は一日3回洗濯機を回している。

この汗が体温調節の役目だそうだから、機能が有効に働いている事になる。運動嫌いな私が、お金を払って汗を流している。身内に迷惑を掛けないように生きたいと、医者にお金を使うよりと言う思いのジム通いは成功の様だ。

「暑さ指数」と言うの出して、国も警鐘を鳴らしているそうだが、これは今年初めてだと思っていたが、去年から在ったそうだが知らなかった。屋外との温度差が5度以上あると汗がかけないなど自律神経の失調が起こり易いので、暑くて眠れないなどで疲労の蓄積を招くよりも、エアコンを上手に使って対処する方がいいらしい。
コメント (4)
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