ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

広島平和記念式典

2007年08月07日 | 一寸そこまで
             原爆ドーム
           訪れる人もまばら
         ドームは静かに立っていた
      もし、地震がきたら? どうなるの・・・

前の晩は早寝をして、ブログもお休みして、6日の一番で広島に向かった。平和公園に於ける平和記念式典に出たいと思っていた。「祈りの場」に身を置きたいと思っていた。長男が毎年行っているので来年は私も連れて行ってと頼んであった。あっという間にその日が来た。

6時のひかりに乗って広島に着いたのが7時半、駅前から市電で(安いよ150円)20分ほどで会場に着いた。大勢の人である。色んなチラシを配っている、目に付くものは全て頂いた。

初めて目に飛び込んできたのが、大きな旗?(プラカードとは言わないだろう)を左右2人で持っている。その2人を含め、後に続く人はヘルメット?を被り、覆面をしている。遙か昔に見たスタイル。その前に警官が5.6人対峙している。双方とも無言である。危険性はない感じだが、こうして現地に来て見ないと知らなかった場面である。

布には「8・6広島反戦闘争 解放派」「原爆犠牲者の「英霊」化を許すな」他7.8個のスローガンの赤、青の文字が躍っている。

原爆犠牲者を「英霊」と名付けようと言う動きがあるのでしょうか?そんなことはありえないと思っています。この式典は、寸時にして亡くなった、それこそ自分が何によって死んでゆくのかも知らなかった原爆犠牲者の霊を慰める為だと思っています。余りにも大勢で、世界で始めての爆弾、決して二度と使ってはならないと言うことのアピールも合わせての式典だと思うのです。

8時15分、原子爆弾投下時刻に合わせて黙祷が行われました。そのとき遙か向こうの方で言葉は理解できないが、黙祷のしじまを破ってシュプレヒコールが聞こえてきました。あの覆面の面々かな~と思いました。

式次第も広島市長の「平和宣言」も子供代表の「平和への誓い」もそして式典終了後歌う「ひろしま平和の歌」も印刷された冊子、その中には平和への祈りを込めて鶴を折る為の小さな金紙が添えられていました。

平和の放鳩の時、市長の平和宣言を聞きながら、鶴を折っていましたので、もう少しで見逃すところでした。式典は無事終わりました。最後に「ひろしま平和の歌」を皆で歌います。私も歌いました。次はこういうメロディーではないかと、初めてなんですが何となく歌えてしまったんです。歌っていいな~、人の心を一つにすると思いました。

広島平和記念資料館(原爆記念館の名は変わっていた)に行きました。息子達が小学生の頃一度来ましたが、それから建て直され、又アメリカから沢山の資料が返されて来たとも聞いています。式典の後ゆえ沢山の人でした。映像と模型も沢山あり、とてもわかりやすくなっていました。ボランティアの方も沢山居られ、あちこちで説明をしておられました。私は音声ガイドを借りて、じっくりと見せていただきました。メインのもの(焼け焦げた弁当箱とか洋服)解説は吉永さゆりさんの声でした。

もう一つの資料館「国立広島原爆死没者追悼平和記念館」では「被爆体験記朗読会」が開かれていました。きずくのが遅く15分しか聞けませんでした。次までは1時間の待ち時間なので諦めました。

その朗読も全て印刷してあります。朗読終了後「今日はお聞きいただきましたが、家に帰られましたら、もう一度ご自分で声に出して読んでみて下さい。黙読と音読では違うと思います。声に出して読む事によって、書いた人の心がより伝わると思います」

小学生達にも読めるように、全ての漢字にルビがふってありました。


コメント (4)
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