ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

市議会傍聴

2007年02月19日 | 気にかかる
              さざれ岩
            古木の風格充分

「白井文と輝くあまがさきの会事務局」から「ぜひ傍聴をよろしくお願いします」と言うファックスが入った。午後から約束があるので、どうしようかと迷った。

「所信表明演説」なので行っておこうかなと思った。10時半に始まるので、10時10分頃に家を出た。一寸遅かったかな?と思いつつ急いだ。

傍聴席の扉を開けて驚いた。たったの3人である。それでも希望は失わなかった「皆さんギリギリに来られるに違いない」だが私の期待は裏切られた。

白井市長の「所信表明演説」が始まっても傍聴席はたったの10人だった。宮崎の東国原知事の「所信表明演説」にはあふれる人で、抽選になったのとは大違いだ。

勿論4年前の白井市長の初「所信表明演説」は満席に近かったですよ。だけど今日は再選されて初めてなんです。もっと聞いてあげても良いのではないのですか?

「白井文と輝くあまがさきの会」のみなさま、こんなことで良いのですか?選びっぱなしで、知らん顔で良いのですか?市民10万人の力で再選した白井市長の「所信表明演説」をこんなに寂しい会場でしてもらってよかったのですか?

市民の皆さんにも「選びっぱなしにしないで、一度で良いから、白井市長のお仕事の一端を見に来てあげてください」とお願いしたいのは山々ですが、なすすべを知りません。

私が情けなかったのは特に「会」のみなさんに対してです。白井市長を応援したいと会を作り、再選していただく為に力を合わせたのではありませんか?再選されたらそれで終わりですか?後ろ盾も無く、1人で一生懸命頑張っておられる白井市長を応援しに駆けつける気持ちはないのですか?

確かに議会場に足を運んでも、ちっとも面白くも楽しくもありません、退屈だといった方が良いかも知れません。現に議員さんで眠っている方もいますものね。大あくびをしている方もいましたよ。

白井市長の演説の所々に、何だか雑音が入った。そして演説が終わった途端に、何だか意味は解らないが(反対意見だという事は言葉の調子で解った)口汚く罵った。反対意見はあって結構、しかし演説中の雑音(大きな独り言)アレはいけません。例え気に入らない意見であっても人が話している時は黙って聞くのがルールでしょう。まして市会議員といえば少しは尊敬される職業でしょう。その人がルールを守れないようでどうするのでしょう。

私は前回の宮田市長の時も議会はどんな事をしているのか?と言う興味で何度か行きました。でも今日の様に途中に大きな独り言(野次ではない)があっただろうか?いいえ、ありませんでした。かりにも市長に対してこんなに失礼な言葉遣いをするのは無礼だと思います。無礼を働くのは、白井市長が女だからだろうか?10万人の市民が付いているとはいえ、市議会議員の後ろ盾は数人だから、嘯くのだろうか?私はとても悔しかった。扉の座席表で調べましたら「しおみ」と言う名の議員でした。

会員のみなさま、年に一度でも良い、傍聴席に足を運びませんか?今日だってそうです、もし傍聴席に大勢の市民が居たら(市民は議員の雇い主です)この議員もこんな不遜な態度を取る事は出来なかったと思います。

私達が市長を支えている事を伝える事が出来るのは、傍聴席を埋める事ではないのでしょうか。私も何時も行っているわけでもないので言いにくいのですが、あえて言います。1人年に一回でも良い「会」からの呼びかけに応えませんか?。傍聴席に足を運んでくださいませんか。

コメント (6)
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