ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

義務教育は無償ではない

2007年02月07日 | 新聞から
            赤い富士とお月さん           
            とっても綺麗でした    
        私を中心に月は上に日は右の位置にある      
          
桂文珍さんの独演会を聞きに京都会館に行ってきました。先日紙上に「半額」と載っていたのですが、幾ら半額でも京都まではね~と思っていましたら、主人が「いかへんか?」と言うので電話で申し込んだのです。

切符を受け取りましたら「29列の30,31番」でした。一階席33列ですので、後ろから4番目「双眼鏡持ってくれば良かったね~」と話していました。入って驚いたり、喜んだり。何と一番前が33列目、私達は前から5列目だったのです。その上30番は端席で中央だったのです。こんな会場初めてです。

文珍さんは3番話されました。初めは創作落語で題材はパソコンと老人。後の2番は京都に関する古典。さすが文珍さん面白かったです。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

曽野綾子さんが「義務教育は無償ではない」と書いておられました。給食費を払わない親についてです。

義務教育と言うものは、何もかもただにすることではない新しい教育基本法にも「国又は地方公共団体の設置する学校については、授業料を徴収しない」とあるが、教科書が無料とは書かれていない ・・・中略・・・ 経済的に苦しい家庭に教科書を援助するのは当然だ。教科書ぐらい親が買って与えるのが当然だとは思わないのだろうか ・・・中略・・・ うちに居ても子供は食べるのだから給食費を出すのは当然だし、教科書代も親が払った方が教育上有効だと考える家庭も多い ・・・中略・・・ 一般に、人間はただのものは大切にしない ・・・中略・・・ 払うと損をすると思うような人間を育てない為にも有効である。そうすることで、おそらく国の予算も数百億円が浮くはずである。

私達の時代は兄姉の居る人はお下がりを使っていた。兄姉も弟妹に下げるのが解っていたから大切に使ったと思う。たまには書き込みがしてあったりして、それが一人っ子の私には羨ましかった。

近所のお姉さん(下が居ない)の教科書を譲ってもらった事があった。母に私が頼んだのか、戦争が激しくなって、紙が不足して、できるだけ譲って貰うようにと言う国の方針だったのかわからないが、お下がりの無い私に、貰ってきた教科書は、まっさらの教科書より嬉しかったと記憶している。

でも今のように「隣は何をする人ぞ」状態では、譲ってもらうことなど出来ないだろう。兄弟でお下がりするのも、何でも平等の考えからすれば、下の子に対する不平等と言う事になるのだろうか。

私も曽野さんが言われるように教科書ぐらい親が買い与えてもいいと思うが、如何だろうか。どういう事から教科書が無料配布されるようになったのだろうか?

戦後間もなくは教科書と呼べるようなものではなかった。裏の字が透けて見えるようなザラ紙に印刷された、新聞のような状態で渡されて、それを各自が綴じて使った。有料だったか忘れたが、それ以後の製本された教科書は指定された本屋さんに買いに行ったから、教科書代は自己負担だったと思う。

今の教科書はカラーで綺麗だ。美術書は兎も角として、あんなにカラフルな教科書を使って居ると、黒い字だけの本を読む気がしなくなりはしないか?読書力低下に結びつけるのは間違いだろうか。色の付かない挿絵なら、自分で色を想像する事も出来る。あまりに至れり尽くせりでは、思考力低下に繋がらないだろうか。

                            (290回)





コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする