ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

息子の友だちのお母さん

2006年05月16日 | 気にかかる
              ラ ブ           
          尼崎市立大井戸公園のバラ
       ここは以前は色んな花が植わっていました
           今はバラが中心です

公園のバラを撮影する為に何時もより2台早めのバスに乗った。そこには懐かしい顔があった。ふっと見ると杖をしっかり握っておられる。よしむらさんだった。「又しくじっては」と言う気持ちが働いて傍に行くのをためらった。よしむらくんと長男は幼稚園から高校まで同じだった。よしむらくんはお母さんが年いってからの子で、お母さんが「・・・さんは良いわね若くて」って言いながら、やはり仲良しは同じ年いってからの子を持つ親同士だった。よしむらくんは一人っ子だった。

子供達が30歳を過ぎて間もなくだったと思う。「よしむらくん癌で亡くなったの知ってる?」とよしむらさんの仲良しさんから聞いた。仲良しの彼女とも語る事を拒んでいるという。どちらも同じ一人っ子を持つ親だから慰めようが無いという。「そんな状態だから、そっとしてあげた方が良いよ」と言われて私も納得した。

よしむらくんはとても活発な子だった。お母さんを小さくしたような、そっくりの顔をしていた。「男の子は母親に似ると良いのよね~」って言っていたのに、結婚しても親子同居でよかったな~と思っていたのに。

それからどれぐらいの日が過ぎた頃だろうか近所のスーパーでよしむらさんを見かけた。私は懐かしさに「よしむらさんお久し振り~」と声をかけ傍に行った。よしむらさんはチラっと私の方を見て黙って行ってしまった。何故???私は戸惑った。そういえばよしむらさんの方も私に気づいていながら気づかない様子だったような気がした・・・

私は考えた。はたっと気がついた。息子さんが亡くなっていたのだ。だから同級生の親の私と話すのを避けたいのだ。なんて辛い思いをさせてしまったのだろう。私が台で荷物を詰めていると、後ろから小さな声がした「・・・さんごめんなさい折角声を掛けてもらったのに私つらいのよ。今話すと泣いてしまうのよ。ごめんね」彼女はそれだけ言うと小さくなった後姿を見せて去っていった。私は彼女の声だと知った時から魔法を掛けられたように後ろを振り向く事が出来なかった。

その時から懐かしい人を見つけてもすぐには近づかないで「声を掛けてはいけない事情はなかったか?」と考えるようになった。これから特に多くなるだろう。知らぬ顔をするのも親切という事だってあるのだと経験した。

同居していたお嫁さんも去り、ご主人も亡くなりよしむらさんは一人で生きている。仲良しだった友も病気で家から出られないと聞いている。長生きをするという事はこんなに辛いことも経験しなくてはならないのだ。

先頃までのよしむらさんはバスで出会っても先に目をそらし声を掛けてくれるなと身体中で拒否していた。でも今日のよしむらさんは違った。悲しみをを乗り越えられたと感じた。声もしっかり笑顔で「おはようございます」と声を掛けてくださった。下りる時は「私転んでね、足を折ってしまったのよ。杖が離せないのよね」と自分から私に話しかけて、ゆっくりと歩いていかれた。

良かったね、よしむらさんは全ての運命を受け入れて静かに生きておられるのだ。
「頑張ってください」とその姿を見送った。








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映画

2006年05月16日 | 今日この頃
             蘭
   20年前鹿児島の叔父が88歳叔母が80歳の祝いの時
  従兄弟の家で咲いていた貰って増やして大きくなった

見に行ってきました。「寝ずの番」過日、徹子の部屋に津川雅彦さんが出られた時又鶴瓶さんが出られた時「面白いから・・・」と言う事で、是非見たいと思っていた。放送禁止用語がバンバン出てくる。これくらいの予備知識しかなく行った。主人の予備知識はゼロ。新聞の映画欄を見ていると、一日2回だけの上映だったのが先週辺りから3回になっているこれは観客が増えたのだと思った。事実私達は1回目(10時)の部で早かったから半分の入りだったが、12:10の部の人は驚くほど次から次へとエスカレーターを上がって来た。

原作:中島らも 角川文庫 420円
監督:マキノ雅彦(津川雅彦)
出演:長門裕之 中井貴一 木村佳乃 堺正章 富司純子

宣伝の言葉に「バチが当たるほど面白い」と在った。中島らもの人情喜劇が原作。
本を読んでいないので原作にどれほど忠実なのか分からないけど、放送禁止用語がこれでもかこれでもかと言う程出てくる。それも役柄とは言えお堅いと信じてた中井貴一さんの口から・・・

この映画で「寝ずの番」とはお通夜で仏様の守をして起きている事を意味するらしい。上方落語家の重鎮の死、一番弟子の死 女将さんの死、三人の通夜での故人を偲ぶ席での思い出話である。

始めに臨終の落語家の言葉を日ごろの生き方から誤解してしまう事から始まる。
まず主人が噴出した「あれ!何か面白い事いった?」私は急いで頭の回転を逆回しして「そうやったん」と合点、大笑いした。その道に関しての理解度は主人の方が数倍上、それが笑いの時間差として現れたのである。

本当に、歌の歌詞として放送禁止用語がどんどん出てくる。始めこそ驚いたが頭の回転が順応して反射的に理解し笑える。笑った笑った笑った。唯、生真面目一本で放送禁止用語に笑ってる自分にブレーキをかけてしまう人には勧めない。私はすぐ同化するので結構楽しんだ。隠語と言われる言葉の連発ではあるが陰湿な感じは受けない。余りにもストレートで迷いがないから。

帰る道すがらも二人でどんなに思い出し笑いをしたことか・・・。兎に角腹の底から笑ったのであるから、精神衛生上は良かったのではないか。

中島らもさんの本は一時よく読んだ。らもさんの実家の歯医者さんは我家の近くであり、我家の歯のお医者様でもある。お兄さんが現在は継いでおられる。らもさんに似ているかな?と思うのですが、いつもマスクでお顔が見えない。残念!

        ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

帰宅すると「いっささん」から嬉しいお便りが届いていた。彼女の俳句が「高野山の俳句大賞」の佳作に選ばれ、一年間木札に書いて掲示されるというのです。

    彼の山の 彼の世を照らし 月冴ゆる

彼女とは遍路の時に知り合いました。二晩同宿でした。その朝私は自分の住所を書いた「納め札」を差し出し「よろしければ住所の交換を・・・」と申し出た。幸い承知していただいてた。結願の高野山には同道させていただいた。私の遍路記もお読み頂いた。

彼女が遍路の俳句を送ってくださった。それを読ませていただいて「この人に才能あり」と感じた。先生につこうかと言う話が出た時、私は「自己流で」とお勧めした。何故ならば先生に手を入れられると一段と良い句になるかもしれないが、それは先生好みであり先生の句になってしまう。右も左も分からないのなら未だしも、彼女の場合は立派に自分の思いを自分の言葉で作っておられる。それで良いのではないかと私は思ったのです。

私の主観で「自己流で」とお勧めし、そのようにして下さっているのですが、私の感に間違いはなかった。それ以後も「歳時記」「奈良の千人一首」「伊勢神宮の観月会の献句」この度は「高野山の俳句大賞の佳作」と自力で「賞」を引き寄せておられる。私はとても嬉しく、自分の目に狂いの無かった事を誇らしく思っています。これからも自分の力を信じて精進していただきたいと思います。

子供の俳句のような句しか作れない私の言葉を信じてくださって有難うございます。感謝しています。

 












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