ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

母の日

2006年05月14日 | 今日この頃
            しげこさんのバラ
        なんともいえない落ち着いた色合い
      五輪のバラが部屋中に馥郁と香っております

母の日。町の花屋さんには可愛くアレンジされた花かごが一杯並んでいました。余り売れてないようでしたね。売れ残りは明日からバーゲンでしょうか?

母の事を思い出していました。兎に角日本的な美人でした。子供心に「なんて奇麗な人だろう」と思っていました。焼け出されてから母の運命は狂ったようです。無一文になったのですから仕方がありませんでしたが、それでも人様のお世話はよくしていました。私が母の立場だったら・・・駄目ですね。優しいけれど強い人でした。

朝、ご先祖さまにおまいりした後、母にも語りかけていますが、大病もせずに来れたのは母が守ってくれているからだと思っています。自分より年老いた娘ですがまだまだ守って欲しいと思っています。

親孝行したい時には親はなし 石に布団は掛けられず

と言いますよね。私が本当に親孝行をする前に彼岸に旅立ってしまいましたから。
何もしてあげられませんでした。でも母からは一杯貰ったように思います。

小さいとき私ははにかみやさんで、内弁慶でと「年寄りの三文安」でした。母と歩いていまして知った方にお会いしても「こんにちは」の一言が言えないのです。母はそんな私に「ご挨拶が言えないならそれでも良いよ。その代わりにっこり笑ってお辞儀だけしはしなさい。女の子は愛嬌が無いと駄目よ」挨拶の出来ない私に手をつないで語り掛けました。それから私はご近所で「笑顔良しのサッチャン」と呼ばれるようになりました。

20年ほど前10年間「太極拳」を習っていました。その時の助手の先生の年賀状に「・・・さんの笑顔はいつもステキだなと思っています」とか「・・・さんのような笑顔になりたい」とか笑顔に関する添え書きがありました。今でも大切にとってあります。母の言いつけが身についた結果でしょうか・・・

自分の顔は鏡を覘かない限り自分では分からないわけです。こんな笑顔をしようとか考えながらするものではないですね。笑顔は皆さんステキです。どんなに美人でも笑顔の少ない人は惜しいな~と思います。笑顔に差があるとはこの葉書を頂くまで気がつきませんでした。自分がどんな顔をして笑っているのか叶わぬ事ながら見てみたい。鏡の前の笑顔は作り笑顔であって自然のものではありませんもの。

もし私の笑顔が本当に気持ちの良いものだとすれば、母は一生物のプレゼントをくれたことになります。大切にしていきたいと思います。

もう一つ言われた事があります。「人を抓ってはいけない」と言いました。近所に母親に叩かれる代わりに抓られている子がいました。いつもオドオドした子でした。そのこの手には時々小さなあざ(鬱血でしょう)や引っかいたような後がありました。それを見ると「あさこちゃんお母さんにまた抓られたね。貴女は人を抓ってはいけないよ」といいました。

抓られて育った子は、親になると又自分の子を抓るようになるそうです。抓ると言う行為の陰湿さを母は嫌っていたと思います。悪い事をすれば叩いた方が良い、その方が子供に与える影響はよいと考えていたようです。感情的に叩いた事はあったかも知れませんが抓る事はしなかった。その言いつけは守りました。

私は子供達に良い影響を与える事をしただろうか?唯一つ「何事も人と比べる事」だけはしなかった。兄弟の間でも・・・























コメント (4)
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