ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

琴欧州関

2006年05月04日 | 徹子の部屋から
              ビオラ
          今年の新色 一番花が多い


私は「徹子の部屋」の大ファン、見られない時は録画しておくほどである。この番組によって色んな分野の人を知った。一竹辻が花の久保田一竹さん 影絵作家の藤城清治さん等、芸能界やスポーツ界の方々のお話も面白いが、私が知らなかったその方面の達人の存在を知ることが一番嬉しい事である。

今日は琴欧州関であった。外人力士は本当に日本語が上手、今日は崩した漢字でサインをし「てつこさんへ」とひらがなで書き、徹子さんを喜ばせた。

ホームシックに掛からなかったか?の問いに「来た時は言葉が全然わからず、人とコミュニケーションが取れなかった時になった」嬉しかった事?「関取になった時(初めて給料がもらえる)父に中古自動車をプレゼントした時。今はジープに乗っている。家族の望むものが買って上げられるのが嬉しい」ブルガリアと日本との貨幣価値の差はどのくらいか知らないけれど、大関になってジープを買って上げられるほどの収入があるということだ。

12月にご両親が日本に来られたそうだ。その時浅草、両国、お台場等を案内したら、お母さんが「お前はもうブルガリアに帰ってこなくても良いよ、お前に会いたくなったら私達が日本に来るから」と言われたそうだ。それほど日本が気に入ってくださったと言う事だろう。

「親を早く楽にさせてあげたくて頑張った」って。今の日本の親子の間では中々聞けない言葉だ。今の親世代は年金によって生活がある程度保障されている。だから子世代は親の生活を見なければと言う気持ちが薄い。

まだ独身の頃主人が言った言葉で忘れられないのは「一度で良いから給料を全部自分で使ってみたい」会社の同僚が自分で使っている人が多かったのかもしれない。

私の舅にあたる人が私に言った「息子は4人いるけれど、送金してくるのはさぶろうだけだ」自分の生活は自力で出来ても、たとえ僅かであろうとも送ってくる息子の心はしっかりと舅に伝わっていた。主人は母を最後まで世話した。その嫁である私は少々辛いものがあったけど、今になれば息子達に年寄りと言う者を、祖母の愛を感じさせて良かったかとも考えている。

パラサイトという言葉が一世風靡した事があった。寄生虫と言う意味で、変じて居候、親に寄生を意味すると言う。社会人となっても親元を離れないで同居しているのは一人前の人間ではない、と言う意味らしい。私は頭を低くしてマスコミがヤイヤイ言っているのが通り過ぎるのを待った。私の怒りなど「ごまめの歯軋り」だと思って口を閉ざして耐えた。親元にいることが半人前で、何はともあれ一人住まいをすれば一人前と言うのか。

息子は月々一定金額を入れている。ボーナス時期には私達にお小遣いもくれる。このお金が家主(他人)に支払えば独立一人前で、親に支払えばパラサイトで半人前と言う事か。主人の年金で生活は出来る。しかし息子のお金でちっちゃな旅も楽しんで私の生活を豊かにしているし、やはり年を取ると同居は心丈夫で有難いと思っている。

世の中何事も一派一絡げには出来ないものである。それぞれの家庭の事情で親子別々に生活しようと、お互い助け合って生活しようと良いではないかと言いたいのである。これからもマスコミの言葉に踊らされる事なく、しっかりと生きていきたいと思っている。

今日は私達の結婚47回目の記念日である。長かったような短かったような・・・
金婚式まで後3年、頑張って二人揃って元気でその日を迎えたいな~




コメント (6)
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