ゴールドバニー
大井戸公園のバラ
今日の雨でバラは散ったでしょうか?
昨日の「クローブアップ現代」でこの問題が取り上げられていた。二年後には全国の小学校で実施されるべく準備が行われている。そのテストケースとして京都と沖縄でまったく違った試みがなされている。
京都では小学校のクラス担任の先生に英語教育を任せると言うのだ。「英語が苦手の小学校の先生も居るのでは」の問いに「先生も一緒に勉強し間違ってもいい、その先生と一緒に勉強する事でコミュニケーションも深まる」という意味の答えだった。
一寸待って欲しい。先生が生徒の前で間違ったり戸惑ったりする姿を見せて良いとは思わない。先生はあくまで先生であり生徒と一緒の立場で良いはずが無い。もしクラス担任が英語教育を受け持つならば、これからの二年間でしっかり勉強をして頂きたい。子供は興味を持てば色々質問すると思うが、その質問に答えられる実力をつけて欲しい。それで無くとも今の先生は子供の位置まで降りてきている。私はそれは良い傾向だとは思わない。先生達へのアンケートでも50%以上の先生が自分達で教える事に不安を持っていると答えている。
沖縄の場合。中学の英語の先生が小学校に6年間出向して教える。子供達が中学生になる時先生も中学に戻る。すなわち9年間続く事になる。どんな内容でそうなるのか具体的なことは示されなかったので解らないが、少なくとも英語の先生になる事を目指して学んできた先生であるだけでも、又形態としても京都よりましかな~と思うが・・・
何故小学校から英語なのか?語学は小さい時からが良いとはよく言われる事だが、「ゆとり教育」で生まれた時間(土曜日)に習いたい子だけに教えるとか、家庭の教育方針で個人で習わせるなら良いと思うが、正規の授業として組み込まれる事に疑問を持っている。点数はつけないというが、正規の学科である限り不得手の子の心が痛むの事には変わりない。すべて平等の精神から英語塾に行けない子が可哀想だからか? 世の中に出れば平等でないのが当たり前なのに、何故一時期だけの平等を押し付けるのか私には解らない。
日本人で英語が必要な仕事についている人はどのくらい居るのだろう、ほんの一握りの人達ではないか?その人たちは英語が好きであったり、選んでしまった職業に必要で努力されたのだろう。それで良いではないか。
ニュージーランドに旅した時、列車で向かい合わせたオーストリアのご夫婦と単語を並べただけの英語で話している時「貴女はほんの少ししか英語を話せないと言うが、私は日本語を一言も話せない」と彼女が言った。こちらが一生懸命伝えようとすれば、相手も一生懸命解ってくれようとする、一般人はそれで良いのではないですか。
母国語が主食とすれば外国語は副食又は嗜好品だと思っている。英語を味噌に例えれば流暢に話せることを望む人は:国産の豆、天然の塩 手作りの品を望む人で、発音なんて別に解ってもらえれば良いという人は:外国産の豆、機械で大量生産、安ければ良いわという人。こんな事を考えれば「英語英語という前にもっと日本語を」と言いたくなる。
私も英語には興味がある方で話せたら良いなと思うし、毎年「基礎英語」を4月に初めて夏休みに止めているという生活を繰り返していた。主人は違う本当に英語が好きなのだろう「毎日ウィークリー」を手放さない。
英語の上達にも母国語はとても必要。次男が高校生の時、友達と日曜日に教科書ではない教材で主人に英語を習っていた、友達は本をよく読んでいたのだろう、訳が上手い、次男は間違ってはいないのだが直訳で面白みが無い、国語力の違いである。その友達は今は高校の先生をしている。どんな先生振りか見てみたいな~。
☆「ハリーポッター」の発売日。早速手に入れた。しかし図書館で借りて居る本があるので読むのはまだまだ先になりそうだ。
大井戸公園のバラ
今日の雨でバラは散ったでしょうか?
昨日の「クローブアップ現代」でこの問題が取り上げられていた。二年後には全国の小学校で実施されるべく準備が行われている。そのテストケースとして京都と沖縄でまったく違った試みがなされている。
京都では小学校のクラス担任の先生に英語教育を任せると言うのだ。「英語が苦手の小学校の先生も居るのでは」の問いに「先生も一緒に勉強し間違ってもいい、その先生と一緒に勉強する事でコミュニケーションも深まる」という意味の答えだった。
一寸待って欲しい。先生が生徒の前で間違ったり戸惑ったりする姿を見せて良いとは思わない。先生はあくまで先生であり生徒と一緒の立場で良いはずが無い。もしクラス担任が英語教育を受け持つならば、これからの二年間でしっかり勉強をして頂きたい。子供は興味を持てば色々質問すると思うが、その質問に答えられる実力をつけて欲しい。それで無くとも今の先生は子供の位置まで降りてきている。私はそれは良い傾向だとは思わない。先生達へのアンケートでも50%以上の先生が自分達で教える事に不安を持っていると答えている。
沖縄の場合。中学の英語の先生が小学校に6年間出向して教える。子供達が中学生になる時先生も中学に戻る。すなわち9年間続く事になる。どんな内容でそうなるのか具体的なことは示されなかったので解らないが、少なくとも英語の先生になる事を目指して学んできた先生であるだけでも、又形態としても京都よりましかな~と思うが・・・
何故小学校から英語なのか?語学は小さい時からが良いとはよく言われる事だが、「ゆとり教育」で生まれた時間(土曜日)に習いたい子だけに教えるとか、家庭の教育方針で個人で習わせるなら良いと思うが、正規の授業として組み込まれる事に疑問を持っている。点数はつけないというが、正規の学科である限り不得手の子の心が痛むの事には変わりない。すべて平等の精神から英語塾に行けない子が可哀想だからか? 世の中に出れば平等でないのが当たり前なのに、何故一時期だけの平等を押し付けるのか私には解らない。
日本人で英語が必要な仕事についている人はどのくらい居るのだろう、ほんの一握りの人達ではないか?その人たちは英語が好きであったり、選んでしまった職業に必要で努力されたのだろう。それで良いではないか。
ニュージーランドに旅した時、列車で向かい合わせたオーストリアのご夫婦と単語を並べただけの英語で話している時「貴女はほんの少ししか英語を話せないと言うが、私は日本語を一言も話せない」と彼女が言った。こちらが一生懸命伝えようとすれば、相手も一生懸命解ってくれようとする、一般人はそれで良いのではないですか。
母国語が主食とすれば外国語は副食又は嗜好品だと思っている。英語を味噌に例えれば流暢に話せることを望む人は:国産の豆、天然の塩 手作りの品を望む人で、発音なんて別に解ってもらえれば良いという人は:外国産の豆、機械で大量生産、安ければ良いわという人。こんな事を考えれば「英語英語という前にもっと日本語を」と言いたくなる。
私も英語には興味がある方で話せたら良いなと思うし、毎年「基礎英語」を4月に初めて夏休みに止めているという生活を繰り返していた。主人は違う本当に英語が好きなのだろう「毎日ウィークリー」を手放さない。
英語の上達にも母国語はとても必要。次男が高校生の時、友達と日曜日に教科書ではない教材で主人に英語を習っていた、友達は本をよく読んでいたのだろう、訳が上手い、次男は間違ってはいないのだが直訳で面白みが無い、国語力の違いである。その友達は今は高校の先生をしている。どんな先生振りか見てみたいな~。
☆「ハリーポッター」の発売日。早速手に入れた。しかし図書館で借りて居る本があるので読むのはまだまだ先になりそうだ。