ニゲラ(クロタネソウ)
毎年こぼれ種で咲く
芝生の中でも越冬している
春先にプランターに植え替えてあげる
今日は一日木枯らしの様な風の音がしていた。如何したのかしら?近頃の天候は、何だか気味悪いです。昨日唱歌の学校でのりこ先生が「今、幼稚園や小学校で流感が流行っているの知ってますか?西宮では学級閉鎖の学校も在るのですよ」って。間もなく6月の声を聞こうと言うのにですよ。そういえば私もお薬を貰いにお医者様に行った時、珍しく子供が多いな~とは思ったんですよ。何だか変ですね。
子供の事件が多いですね。それも自分が何者かも解らない年齢で、人生の最後をまったく関係の無い変質者によって幕を下ろされたり、この世で一番信頼している親に殺められたり、この頃の事件は子供ばっかりと言っても言い過ぎで無いくらいだ。少子化が嘆かれている今、折角生まれてきたのに、自分の意思で何もなさないまま、幼い命が摘み取られていく、何か悪い時代へ進んでいる前兆のようで気持ちが塞ぐ。
小子化対策として、働いている女性の為の産休、保育所等々仕事と家庭を両立させるには何をどうすれば良いのか?とか職を持っている女性の事を考えている内に、離島の若い専業主婦が母親になる為に苦労しているらしい。
私の周りでも産婦人科は減っている。でもそれは産婦さんの絶対数が減っているから仕方が無いと思っていた。しかし新聞の「お産が危ない!」を読むと産婦人科医そのものが激減していると言う。人手不足の激務で燃え尽きてしまったと言う。確かに臨月の産婦が居れば日曜日だからと言って自由に動く事もままならない、まして高齢出産が増えた為それに対応できる器機も備えなければならない。そこに妊婦減となれば採算上も閉院せざるを得ない。
私は自分の時を考えてみた、町医者だったので、お医者さんは一人、もし同じ時に産気づいたらどうなるのか?未知の世界ゆえに色々心配だった。離島の産婦さんはどんなに心細いだろう。初産なら時間が掛かるので船で渡る時間はあるかもしれない。船は何時でも動かせるのか?又二人目以後は上の子を如何するのか?考えれば考えるほど不安だろう。心安らかな胎教など何処の夢?状態だ。
数年前まで、都会では妊婦さん争奪戦の感があって、ホテル並みの設備、二人目からは上の子もその父親も病院で食事し泊まれたと聞いた。今は赤ちゃんは授乳の時だけ母の手に委ねられ、その他の時間は「赤ちゃんだけの部屋」で過ごす。今もまだそんな至れり尽くせりの産院があるとすれば、生む事だけもままならない産婦さんは気の毒すぎる。
妊婦さんが安心して身二つになれるよう早急に何らかの手を打てないのだろうか?お産は親と子の二つの命が掛かっている。小児科医が減って、次は産婦人科が・・・では済まされない。女の私でさえ産婦人科医の地位が低いのではないかと感じる事があった。小児科医の方は何だか報酬面でも報われないと聞いた事があるし、産婦人科医も二つの命を預かる激務にしては報われる事が少ないのだろうか。その認識は何処から来ているのだろう。
04年の厚労省の発表では全国で生まれた111万人の内51.8%が病院での出産と言う。では後の48.2%人は何処で?自宅で?近年産婆さんが見直され自宅出産が増えつつあるとは耳にしたが、そんなに多いのか?都会では余り聞かないが、地方ではこんなに進んでいたのだろうか?産婆さんのなり手は多いのだろうか?お役ごめんになった私達の関心の無さが今の時代を作る後押しをしたと言う事は無いだろうか?反省反省の私に「お産があぶない!」の記事が目に痛い。
出産救急の拠点「地域周産期母子医療センター」というのが各県で数箇所ある。尼崎市にもそのセンターがあるが、産婦人科が無い為ベッドも無い、治療が必要で運び込まれた赤ちゃんの母親は元の産院に戻らねばならないと言う。帝王切開の傷が塞がらないまま、母親は子供に付き添う為ストレスと疲労で通常の入院の倍(2週間)も掛かったそうだ。その夫は「産科とICUは同じ病院に在って欲しい」と切望している。
大学病院の医局と言うのは大きな権限を持っていると何かで読んだ気がするが、その医局が「産科の一人勤務はきつい。そこを解ってもらわないと」と言っているが、その事は想像に難くないが、解ったその上で言いたい。「母と子の命優先でお願いしたい」と・・・
毎年こぼれ種で咲く
芝生の中でも越冬している
春先にプランターに植え替えてあげる
今日は一日木枯らしの様な風の音がしていた。如何したのかしら?近頃の天候は、何だか気味悪いです。昨日唱歌の学校でのりこ先生が「今、幼稚園や小学校で流感が流行っているの知ってますか?西宮では学級閉鎖の学校も在るのですよ」って。間もなく6月の声を聞こうと言うのにですよ。そういえば私もお薬を貰いにお医者様に行った時、珍しく子供が多いな~とは思ったんですよ。何だか変ですね。
子供の事件が多いですね。それも自分が何者かも解らない年齢で、人生の最後をまったく関係の無い変質者によって幕を下ろされたり、この世で一番信頼している親に殺められたり、この頃の事件は子供ばっかりと言っても言い過ぎで無いくらいだ。少子化が嘆かれている今、折角生まれてきたのに、自分の意思で何もなさないまま、幼い命が摘み取られていく、何か悪い時代へ進んでいる前兆のようで気持ちが塞ぐ。
小子化対策として、働いている女性の為の産休、保育所等々仕事と家庭を両立させるには何をどうすれば良いのか?とか職を持っている女性の事を考えている内に、離島の若い専業主婦が母親になる為に苦労しているらしい。
私の周りでも産婦人科は減っている。でもそれは産婦さんの絶対数が減っているから仕方が無いと思っていた。しかし新聞の「お産が危ない!」を読むと産婦人科医そのものが激減していると言う。人手不足の激務で燃え尽きてしまったと言う。確かに臨月の産婦が居れば日曜日だからと言って自由に動く事もままならない、まして高齢出産が増えた為それに対応できる器機も備えなければならない。そこに妊婦減となれば採算上も閉院せざるを得ない。
私は自分の時を考えてみた、町医者だったので、お医者さんは一人、もし同じ時に産気づいたらどうなるのか?未知の世界ゆえに色々心配だった。離島の産婦さんはどんなに心細いだろう。初産なら時間が掛かるので船で渡る時間はあるかもしれない。船は何時でも動かせるのか?又二人目以後は上の子を如何するのか?考えれば考えるほど不安だろう。心安らかな胎教など何処の夢?状態だ。
数年前まで、都会では妊婦さん争奪戦の感があって、ホテル並みの設備、二人目からは上の子もその父親も病院で食事し泊まれたと聞いた。今は赤ちゃんは授乳の時だけ母の手に委ねられ、その他の時間は「赤ちゃんだけの部屋」で過ごす。今もまだそんな至れり尽くせりの産院があるとすれば、生む事だけもままならない産婦さんは気の毒すぎる。
妊婦さんが安心して身二つになれるよう早急に何らかの手を打てないのだろうか?お産は親と子の二つの命が掛かっている。小児科医が減って、次は産婦人科が・・・では済まされない。女の私でさえ産婦人科医の地位が低いのではないかと感じる事があった。小児科医の方は何だか報酬面でも報われないと聞いた事があるし、産婦人科医も二つの命を預かる激務にしては報われる事が少ないのだろうか。その認識は何処から来ているのだろう。
04年の厚労省の発表では全国で生まれた111万人の内51.8%が病院での出産と言う。では後の48.2%人は何処で?自宅で?近年産婆さんが見直され自宅出産が増えつつあるとは耳にしたが、そんなに多いのか?都会では余り聞かないが、地方ではこんなに進んでいたのだろうか?産婆さんのなり手は多いのだろうか?お役ごめんになった私達の関心の無さが今の時代を作る後押しをしたと言う事は無いだろうか?反省反省の私に「お産があぶない!」の記事が目に痛い。
出産救急の拠点「地域周産期母子医療センター」というのが各県で数箇所ある。尼崎市にもそのセンターがあるが、産婦人科が無い為ベッドも無い、治療が必要で運び込まれた赤ちゃんの母親は元の産院に戻らねばならないと言う。帝王切開の傷が塞がらないまま、母親は子供に付き添う為ストレスと疲労で通常の入院の倍(2週間)も掛かったそうだ。その夫は「産科とICUは同じ病院に在って欲しい」と切望している。
大学病院の医局と言うのは大きな権限を持っていると何かで読んだ気がするが、その医局が「産科の一人勤務はきつい。そこを解ってもらわないと」と言っているが、その事は想像に難くないが、解ったその上で言いたい。「母と子の命優先でお願いしたい」と・・・