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気軽に我流でワインを楽しんでみようかと。

ルーブル美術館展(京都市美術館)

2009-07-21 17:45:47 | Museum
2009年7月20日(月)

主人と「ルーブル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」を観に京都へ出かける。
祭日の月曜日は美術館も開館してくれるので、店の定休日を利用して美術館巡り出来る貴重な日。
とは言え、主人の仕事の片付くのを待って出かけたのと、道路が込んでいたのとで、京都市美術館到着は4時15分
観れるだろうかと焦りながら入館。

本展の目玉は↓の3点?


ヨハネス・フェルメール(1632年−1675年) 「レースを編む女」

静かな室内で手紙を読み、あるいは、物思いにふける女性を描いた一連のフェルメールの作品は、17世紀オランダ風俗画のもっとも魅力的な部分を形成している。19世紀にパリで再評価されたこの画家とフランスとの強い絆を象徴するような作品が、この《レースを編む女》である。1870年にはすでにルーヴル美術館の所蔵となっており、最もよく知られたフェルメール作品のひとつである。これはフェルメールの作品の中でも小さなもので、前かがみになった娘の上半身が、少し下から見上げられるように描かれている。彼女はレース編みに熱中しているが、クローズアップで描かれているため、絵を見る者もまた彼女とともにこの細かい作業に加担しているような不思議な感覚に襲われる。画面左手前の赤と白の糸はまるで、カンヴァスの上にたらされた絵具そのものとして描かれており、どこか官能性を呼び覚ますような表現となっている。彼女の右手下に置かれた小さな書物はおそらく聖書と思われ、それは、ここに描かれるレース編みが女性の勤勉さを象徴するテーマであったことを思い出させるが、そのような主題性から開放され、光に満たされ、光に祝福されたような娘の凝縮された存在感が見る者を圧倒する。

作品解説:国立西洋美術館 シニア・キュレイター 幸福 輝



ディエゴ・ベラスケスとその工房(1599年−1660年) 「王女マルガリータの肖像」

王女マルガリータの肖像は、王妃マリアーナにより1654年に注文された。この絵画は、作品がヨーロッパの一国から他国へ、あるいは王女が宮廷から宮廷へと動くなど、黄金時代にあった国家間の移動の中でも、特に印象深い例のひとつである。富の流れは権力の流れと一致している。
この絵画は、ルーヴル宮の室内装飾の一部として、クール・カレの南側一階の王の母の住居にあった。現存するのは幼いスペインの王女を表わしたこの肖像のみだが、王家の肖像のギャラリーを想像する必要があるかもしれない。
王女は、スペイン王フェリペ四世と王妃マリアーナの娘であり、王妃でありルイ14世の母でもあるアンヌ・ドトリッシュの姪である。彼女の肖像画は、戦争によりフランスとスペインが対立しているにも関わらず描かれた。アンヌ・ドトリッシュはスペイン王家に愛着をもっており、カトリックの2つの強国が団結することを望んでいた。彼女の注文は、政治的理由と同じくらい感傷的な理由からなされており、この作品を理解するためには17世紀の専制主義のヨーロッパを支配していた名門家系の姻戚関係の文脈を想定することが必要である。
スペイン王家の子女たちの肖像は、ベラスケスの制作した絵画の中でも最も優れたものに数えられる。その中でも、王女マルガリータは繰り返し描かれた。例えばマルガリータは、プラド美術館に所蔵されている有名な《ラス・メニーナス》の構図の中央を占めている。ルーヴルの肖像画をうつしたマルガリータの肖像画の大部分は、スペインには残っていない。それらは、ヨーロッパの主要な宮廷に、王女の姿を知らしめるために送られたからである。肖像画は、決して単独では制作されず、時の外交上の必要性に答えるために、何枚もの複製が描かれた。1666年に、マルガリータは、オーストリア大公にしてドイツ皇帝のレオポルド1世と結婚したが、合併症を伴う幾度かの妊娠と、当時の医学の貧困さのため、22歳で亡くなることとなった。彼女はハプスブルク一家の墓所である、ウィーンのカプチン会の地下礼拝堂に埋葬されている。

作品解説:ルーヴル美術館 絵画部 学芸員 ブレーズ・デュコス



ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593年−1652年) 「大工ヨセフ」

光源は幼子キリストが持つ蝋燭ただ一つ。輝く炎は、若々しいキリストの顔を清冽に照らし出しながら、幼子の左手を透かして見るものに届けられる。一方、大工仕事に精を出す養父ヨセフの手元をほのかに照らしつつ、額には年齢と労苦を刻み込んだ皺を浮かび上がらせる。ほぞ穴が穿たれた角材は十字架を連想させ、幼子の将来がすでに暗示されており、キリストに向けられた、慈愛に満ちながら、どこか不安げなヨセフの視線も、運命の予兆に緊迫感を加えている。画家が活動した17世紀前半のロレーヌ地方では、聖ヨセフへの信仰は、殊に活発となっていたが、そのための図像への需要が、この類希な才能と出会った時、見るものの視線を括り付けて止まない名作をもたらすことになったのである。
現在では17世紀フランスを代表する画家の一人に数えられるジョルジュ・ド・ラ・トゥールが見出され、再評価されたのは20世紀になってからのことである。本作品も、1938年に発見され、イギリス人パーシー・ムーア・ターナーの所蔵となっていた。彼によってルーヴル美術館に寄贈されたのは1948年、彼の友人で作品発見の翌年に亡くなった、ルーヴル美術館絵画部門の学芸員ポール・ジャモに対する追悼記念として贈られたのである。

作品解説:京都市美術館 学芸員 中谷 至宏

私的に目を引いたのは、春にベネルクスへ行ったせいか、フランドル絵画かな。特にヤン・ステイン(1626-1679)。

「家族の陽気な食事」
彼らしい風刺の効いた作品で、その無秩序さ・節度の無さ・いい加減さは現代にも通ずるもので面白い。

ヤン・ブリューゲル(父)(1568-1625)の「火」も興味深かった。
4部作のひとつなのだろうか?
強烈な色彩の「花卉画」も綺麗だが、彼のミステリアスな作品が好きだ。

しかし3月にハーグのマウリッツハウス美術館やアムステルダムやブリュッセルの王立美術館を観て来た後では、正直物足りなさを感じてしまった。
量的にも「もう終わり?」って感じで少し寂しかったな。展示スペース上仕方ないのか?
毒を吐くなら、確かにタイトル通り「17世紀のヨーロッパ絵画」だが、全体的なまとまりがかんじられなかったな
大阪のもうひとつのルーブル展に期待しよう。






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