豪州落人日記 (桝田礼三ブログ) : Down Under Nomad

1945年生れ。下北に12年→東京に15年→京都に1年→下北に5年→十和田に25年→シドニーに5年→ケアンズに15年…

日本語の背景

2001-12-13 22:21:05 | Weblog
12月13日(木) 晴

船体のペンキ塗り

水彩画教室でにわか絵師に変身した乗客は、牛乳パックから作った和紙に停泊港ごとに絵を描いて、絵葉書にして送ります。デッキから下を見るとウクライナ人の船員が相変わらずのペンキ塗り。「手伝ッテクレイナ」って言っています。

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   日本語の背景

以心伝心、言外の意、言外の言。「平行線は交わるし、無限は有限である」これは非ユークリッドの世界の話ではない。言わなくても分かるらしいが、それなら言葉は必要がないのでは?と考えるのは素人の浅ましさだ。

「はじめに言外ありき。言外は言葉とともにあり、言葉は言外なりき」ヨハネの福音書・日本バージョンである。「神が人を作ったのではなく、人が神を作ったのだ。この世に神が住めないように、あの世に人は住めないのだ」それじゃ神は言葉の中か、紙の中に住んでいるのだろうか?

「次の文章の行間から意味を汲み取れ」こんな試験もあった。「作者が本当に言いたかったのは何でしょう?」まるで黙示録の世界だ。

「言わなくたって分かるだろう?」何が分かればいいと言うのだ。言わなきゃ分からない。日本語の第1の特徴はこの曖昧さにある。

日本は単一民族・単一言語の国、というのは嘘だ。アイヌ人もいれば琉球人もいる。在日朝鮮人だってかなりいる。アイヌ人にはアイヌ語があるが、文字はない。琉球人は琉球語を話すが、やはり文字はない。琉球語は日本語の方言だ、という見方もある。その根拠は文法がほぼ同じで、共通の単語が多いことだ。朝鮮人はハングルを話し、ハングル文字を持っている。在日朝鮮人は日本人ではない、という主張は考え直した方がいい。

日本人は昔は日本語を話しながら、漢字だけを使用していた時代もあった。その後仮名が発明されたが、女文字として軽視されていた。次第に仮名混じりの漢字が使われ、漢字混じりの仮名の文章へと移って行く。しかし江戸時代までは、漢文の方が権威があるとされていた。これは学問や法律などを庶民から遠ざけることで権威や権力を独占しようとする保守主義である。話し言葉と書き言葉は別のものとされ、庶民には事実上読み書きを制限した。

明治に至りやっと言文一致の文章が書かれるようになった。しかしその後も書き言葉は話し言葉より上位にあると喧伝されてきた。法律や役所の文書がそれを示している。裁判官や役人は時々奇妙な言葉を使い、言語学者は書き言葉が先にあり、話し言葉は後でできたなどと、馬鹿なことを言っている。

はじめに言葉ありき、なのだ。




読書:「市民版・行政改革」 五十嵐敬喜・小川明雄

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