その5: プールに行こう、クールにいこう
十和田では開業医のかたわら、成人病予防のためのスポーツセンターを経営。そこで水泳、テニス、スキー、ゴルフを教えていました。しかし日本のゴルフはねえ、スポーツと言うよりギャンブルか、接待みたいなもんでクールじゃないですよね。グリーンフィーは高いし、女性に重いバッグを運ばせて平気だし、マナーは悪いし。庶民はお近づきになれないスポーツですよね。「八っつあんや。横丁のゴルフ場に囲いができたってねえ」「へー」だから僕は1人セルフで早朝ゴルフか、三沢の米軍基地のゴルフ場。どちらも1ラウンド1500円位でした。
障害馬術もやっていましたが、年会費が3万円ぽっきり。自分の馬を持ってからは餌代が年間10万円余計にかかるようになりましたけど、大型犬やペルシャネコを飼うより安上がりじゃないですか。こちらも庶民と無縁のスポーツですが、ダーティーなイメージはないですよね。「八っつあんや、横丁の馬術場に塀ができたってねえ」「格好いい!」
オーストラリアは馬術が盛んです。近くの牧場で半日1200円で乗れることが判明。ゴルフ場も腐るほどあって、グリーンフィーは700円ちょっと。車で2時間くらいの距離にスキー場がいくつかありますが、ニュージーランドのスキーツアーの方が4泊5日3万円と割安です。テニスコートもあることはありますが、田舎町じゃ人気がないようです。仲間がいないとできません。「スカッシュの方がもてるよ」と市の職員がニヤリ。
市役所からもらった地図によると、市内のあちこちにプールがあります。家から1番近いプールは徒歩20分。屋内と屋外にそれぞれ、成人用8コースの25mプールと小児用プール。年中無休で営業時間は5:15amから7:45pm。利用料は1日200円、半年で8、000円。それならピースボートに乗って4ヶ月不在でも得と考え半年会員に登録し、早速1,500m泳ぎました。
オージーは早寝早起きです。スポーツが盛んでラグビーと水泳は特に人気があります。ラガーは汚れた汗臭いジャージで平然と出勤します。前歯がないのはの勲章です。「こちらじゃ朝一泳ぎしてから出勤っていうのがクールなのよ」本当かいなと翌朝5時に家を出て、オリオン座と大接近中の火星とが輝く夜空を見上げながらプールへ。クールを通り越して肌寒い。嘘じゃなかった。さすが質実剛健のお国柄。昼間より混んでいます。早々と競泳チームが4コース、障害者グループが1コースを占領しています。こうなりゃ格好なんてどうでもいい。早くコースを確保しなくっちゃ。急げや急げ。
その6: 主婦湿疹
プールはとても質素です。箱物行政の日本とは大違い。床はコンクリートのたたき、壁も天井も鉄骨剥き出し。ベンチが並んでいるだけの更衣室の奥はドアもないまま、トイレとシャワー。ロッカーも自販機もありません。シャワーは水だけで、12円投入するとお湯が出ます。時々コインシャワーが故障して只でお湯が出るので、事前の点検が必要です。これが僕の狙い目です。家の風呂は狭くて、蛇口も締りが悪くて、お湯が漏れると居間の絨毯が汚れます。更衣室なんて着替えられればいいのです。泳ぐ間、荷物は観客席のベンチに置いときゃいいんです。泳ぎ終わった後は待望のシャワーですよ。待てよ、ここのシャワーも蛇口がきつい!いいんです、握力トレーニングだと思えば。
オージーは更衣室を使わずにプールサイドで着替えています。「トップレス禁止」の張り紙があるはずですよ。よく見ると下着の上から水着をつけているじゃありませんか。プールを風呂代りに使うのはいいですよ。だけど洗濯とはやり過ぎじゃないですか?
6時半にプールを出たら夜明けを待つ鳥のさえずりがうるさいくらい。図書館に寄ってオーストラリアの鳥と星の学習。パソコンも1時間180円で使えます。安いのは大いに結構です。無駄使いのもとになる只はいけません。正午にモールで買い物。ハエタタキと魚焼きの網の代用品を捜しています。空振りのままシドニー湾名物の生牡蠣を1ダース600円、レモンを10個60円で買いました。モールのフードコートで昼食。ここでは世界各地の料理が300円前後でたらふく食べられます。最後に酒屋で水とビールを調達。重いリュックを背負い、車つきの買い物袋を引いて丘の中腹の我が家に戻ります。水道の水も飲めるそうですが、水質が良くありません。数年前、渇水で川の水が腐敗したことがありました。本当は水の方がいいんですよ。だけど、ビールが安全でしょう。
酒は好きですよ。だけど強くないから、ビールかライトビールですね。ワインもいけません。男と飲むのも厭ですね。男ってくどいし、酔っ払うと御託並べたり、大きなことばかり言うから厭なんですよ。「大体ね、オージーはルーズ過ぎるんだよ。公務員もだらしがねえ。今度は面と向かって文句を言ってやるよ。今すぐ言ってやろうじゃないの。市長でも首相でも連れて来いってんだ!」そりゃあ女だって酒癖の悪い人はいますよ。だけど僕が誰と飲もうと勝手じゃないですか。酔っ払ってなんかいませんよ、僕は。ヒック!
さっきから手が痒いんです。オーストラリアに来てもやっぱり冬は主婦湿疹です、ショック、ヒック!低血圧で昔からシモヤケになる体質なんです。冷え性って言うか、本来がクールなんですね。ジョーク、ジョーク、ヒック!水仕事が過ぎたり、洗剤を使い過ぎたりすると、てきめん主婦湿疹のダブルパンチですよ。日本から持ってきた和食器洗うやら、家の大掃除やらで湿疹奮迅でしたからね。ヒック!
だけど和食器も和服も使う機会があるんでしょうか?これからはシンプルに徹しますよ。CDも本も要りませんよね。背広、ワイシャツ、ネクタイ、革靴もねえ、要チェック、ヒック!
その7: 世界を学ぼう
オーストラリア滞在も残すは1ヶ月たらず。8月19日には東京に戻り、世界1周航海の準備です。ぐずぐずしちゃいられない。ジョンレノンいわく「あるがままに生きなさい」。しかし僕にはやりたいことがあるのです。隣町のリバプールの図書館には大勢の移民や難民が「オーストラリア語」を学びに来ています。留学生はともかく、貧しい人々に当面英語は必要ありません。まずは教養よりも実用。授業料は無料。僕も週2日ここに通うことにしました。
難民は現地語を習得しないと仕事にありつけません。移民法が厳しくなって、不法移民は期限内に語学試験に合格しないと強制送還の恐れがあります。みんな必死で、自分の都合優先です。「知らんで。わしゃ仕事があるんじゃ」先生のオージー訛りもよく分からないのに、それぞれのお国訛りの連発は、白兵戦の戦場です。
戦闘は午前2時間、午後2時間、昼休みには図書館からコーヒーとビスケットが無料で提供されます。「ほんな行きまひょか」それを目当てに外部からも大勢の外国人が集まって情報交換です。
聞けて喋れても、読み書きダメな人がほとんど。僕のアメリカ生まれの甥も、日本語は喋れても、読み書きはできません。祖国日本で一人旅をする時、日本人の友人が忠告してくれたそうです。「決して日本語を使っちゃいけないよ。アメリカ語だけ喋っていれば、日本人はみんな親切にしてくれるんだから」恥ずかしいぞ、日本の文化!
「英語は26文字じゃけん簡単ぞなもし。中国語は5000文字以上ぞなもし」中国人のチャンはベトナム難民です。コソボから2年前にやって来たラファエルはお喋りです。「アイ、ボーン、セルビア」「アイ、ウオズ、ボーン、イン、セルビア」と僕が直してやります。カンボジアから来たトイが電話の請求書を持って僕に訴えます。何を喋っているのかよく分かりませんが、どうやら料金滞納で電話を止められそうな様子。「んだ、んだ。多分そうだんぺ」数枚の必要書類に記入してあげました。アラビア訛りのきついイラン人のマリアからは健康相談、ペルー人のアントニオには僕が不在の4ヶ月間英英辞典を貸す約束をしました。
難民たちは悲惨な戦争体験を口々に述べます。想像を絶する脱出劇、祖国を捨てた不安定なその日暮らしの生活。「ばってん、ようけ分からんな」すべてを理解はできません。しかし僕はこの図書館で言葉と世界を学ぶことができます。
その8: 男リゾはどこに行く
先生が僕に「リゾ」というニックネームをつけました。僕はずっと「レイ」だったのですが、オージーは「エイ」の発音は苦手です。もともとはコックニー訛りなんでしょうね。マイ・フェア・レディの「スペインの雨は平原に降る」という歌はご存知ですか?ロンドンの下町育ちのオードリー・ヘップパーンが確か次のように歌っていました。「ライン、イン、スパイン、ラインズ、マインリー、イン、プライン」「ガッ、ナイム!」つまり「ええ名前やんか」とスパイン人のガルシア。リズ、エリー、ベスの3つのニックネームがあるスーダン人のエリザベスが、僕にウインクを送っています。米料理かトカゲみたいな名前ですが、明るい響きが気に入りました。
3時半に図書館を出るとあちこちの店を覗いて、日本料理の食材や生活便利グッズ捜し。僕はどこに行っても、街中捜しまわって生活必需品や緊急資材を調達する能力があるみたいです。それにプールでも図書館でもすぐに主になっちゃうんです。「お主、しばし待たれよ」行く手をさえぎる2人の人影。殺気が飛び交います。
「拙者をリゾ・マスダと知っての振る舞いか?」漆黒の闇。折りしもS字型のさそり座を切り裂くように一筋の流れ星。ペン、ペーン、三味線の音も聞こえます。こちらの$1は60円であります。「10ドルばかり貸してはいただけぬか?」「な、なんとな?」「いや決して怪しい者では。拙者共日本からの旅行者向けのしがない便利屋でござんす」「この場に及んで無礼千万!して格安搭乗券はござろうや?」
主犯の青山さんは30歳。観光案内、不動産斡旋、引越し請負、各種学校の紹介、翻訳、英会話家庭教師、各種手続きの代行、窓拭き・芝刈り・ゴミ捨て、ベビーシッター、老人介護、路上エンターテイナー、出張男性ストリップと守備範囲はなかなか。しかし生活がかなり苦しそうです。
その日の朝、アメリカの68歳の姉からFAXがあったのです。「世界中いたる所に青山あり。レイならどこに行ってもOKよ」そうなんです。ここから1時間の距離にブルーマウンテン国立公園があります。だけど青山なき人もいます。「青山さん、日本に帰ったら?」彼は涙ぐんでいます。こういうシーンは苦手です。
もう1人の岡さん26歳は確信犯です。「俺は日本に絶対に帰りとうない。無理やり帰れちゅう言われたら死んでやるで。そんでもええか?」あんたが死んでも僕は責任は持てませんけど。けど・・・全く無視もできないという雰囲気で、結構贅沢な晩飯をおごってあげました。次の日も、その次の日も。久々の美食に彼の目は輝いて、舌は弾んでいました。「今度はわしが面倒見っちゃるって。なーんも船乗るこっちゃねえ」どこの方言なんでしょうかね。だから言ったでしょう、男と酒を飲むもんじゃないって。あんたの責任ですよ。
無責任、無計画、無節操のワーホリのなれの果てはアルホリか男性ストリッパーです。多くの人々が南国のパラダイスの生活を夢見てオーストラリアの永住権を取得しようと必死です。だけど、ここではあんまり働かなくても生活できるので安易な移住者も多いのです。「リゾ兄―、行かんでいい。ワイと一緒にオーストラリアで一旗あげんかに。ヒック!」
引き上げますよ、もう結構です。止めてくれるな、岡さん。オペラハウスが泣いている。男リゾはどこに行く?東京に行き、ピースボートに乗る準備ですよ。しばしさらばじゃ、世界一美しい街シドニーよ。
第2部 終わり
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